コラム
2013年08月14日

日本はまだ豊かになるか?

研究員   高山 武士

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唐突ですが、みなさんの「今、欲しいモノ」は、何でしょうか。

(100年間を振り返ってみる)
   ここ100年間程度を振り返ってみると、世界は相当、豊かになったと思う。
   まず、生み出されるモノの量が急増した。イギリスの経済学者Angus Maddison氏の推計によれば、1900年から2008年の間に世界のGDPは約26倍になった。量だけでなく、質も改善している。例えば、移動手段が多様化した。ライト兄弟の有人飛行が1903年。今や飛行機は主要な交通手段のひとつであり、海外渡航のハードルは著しく下がった。食べ物も豊富にある。農業も機械化され、動物の手などを借りなくても、大量に耕作・収穫することができるようになった。調味料・甘味料も数多く生み出された。美味しいスイーツもある。アイスクリーム普及の鍵となった製氷機・冷蔵庫は1850年頃に実用化されはじめ、家庭用の電気冷蔵庫が登場したのは1911年である。医療も発達した。寿命は延び、健康・ダイエット・美容グッズなどは数え切れないほど売られている。昔、そろばんや紙と鉛筆を使っていた計算は、今はコンピュータが一瞬で答えをはじき出してくれるようになった。
   つまり、人間は、欲しいものを次から次へと、手に入れてきたわけだ。

今も貧しい国は存在しているけれど、世界全体で見れば、確実に豊かになっている。
   これは、すごいと思わざるを得ない。振り返れば、すべてとは言わないが、人間は数々の欲求を満たしてきたし、そして、こうした欲求を原動力として、発展してきた。

(活気づくアジア新興国)
   最近、世界総人口の過半を占めるアジア新興国・地域が、「世界の消費市場」として注目を浴びはじめている。例えば、フィリピンのマニラ首都圏。ここには世界有数のショッピングモール、モールオブアジアがある。ここは一日に20万人もの来訪があると言われる(東京ドーム収容人数の約3.6倍)。そこでは、服を買い、食事をし、映画を見て、楽しむ人たちが増えている。
   衣・食・住を充実させ、さらに娯楽を楽しむ。これはフィリピンに限った事ではない。アジア新興国・地域は総じて活況であり、「世界の工場」から、「世界の消費市場」になりつつある。
   彼ら・彼女らは、「世界の工場」では生産者であるが、「世界の消費市場」では消費者である。まさに欲求を満たそうとする人であり、経済発展の原動力でもある。
   彼ら・彼女らを見ていると、欲しいモノが沢山あるのだな、と思う。そして、そうした欲しいモノを買うために、働いている。
   彼ら・彼女らにとっては、お金を手に入れること自体は目的ではない。欲しいモノ(コト)があり、それを手に入れることが重要なのだ。欲しいモノを手に入れるために懸命に働いている。お金は交換手段であり、価値の保存手段であるけれど、それ自体は富や豊かさではないのだ。

(翻って、日本ではどうか)
   一方、日本では「モノが売れなくなった」という話が聞かれて久しい。
   クルマ離れ、ビール離れに代表されるような若者の○○離れ、また、断捨離と呼ばれるモノへの執着を捨てたライフスタイルも聞かれるようになった。「豊かになること=欲しいモノを手に入れる」ということだとすれば、すでに多くのモノに溢れた日本はもう「豊かになる必要はない」のだろうか。実際に、そう思う人もいるだろう。

ただ、筆者にはそう映らない。
   失われた○○年と呼ばれる厳しい経済状況の中にあって、若者の生活満足度が高いという話がある
   筆者の仮説だが、若者の生活満足度が高いのは、「もうこれ以上、欲しいモノを手に入れる必要はない」と考えたのではなく、多様化する社会のなかで、むしろ欲しいモノを敏感に察知し、それを得ようとする(適応)力が高かったからではないだろうか。
   求めるモノは、アニメ鑑賞かもしれないし、スポーツ観戦かもしれない。あるいは、フェイスブックやツイッターなどを使った、インターネット上での繋がりかもしれない。欲求は複雑で、多様化している。今までに見られなかった、さまざまなモノ・コトを消費している。
   生産活動も変わりつつある。インターネットの発達で、同じ場所に集うことなく共同作業ができるようになった。仕事は場所にとらわれなくなりつつある。職業選択の幅も広がったように思う。学生のうちに様々なアルバイトをすることもできる。そして、生み出されるものも多様化している。例えば、国内外で広く使われているプログラミング言語「Ruby」は日本で生み出されたものだし、昨年、民間企業で世界初となる商用利用の超小型衛星を打ち上げたのは東大初のベンチャー企業だった。「街コン」は10年前には存在すらしない言葉だったが、今や、街コンの普及、開催支援などを行う企業が存在している。今までなかったモノ(コト)が生まれている。
   言いたいことは、経済が発展し、社会が多様化しても、欲しいモノは存在しており、それを見つけて、そうしたモノの消費活動、生産活動に関われている人の生活満足度は高いのではないだろうか、ということである。これは、すべての人にあてはまるとは言えないし、逆に若者に限ったことでもないと思う。ただ、単純に、求められているモノを提供し、欲しいモノを消費することは、今昔に関係なく、また日本と新興国で違いはなく、いつでもどこでも大切なことではないだろうか。
   もちろん、欲しいモノはそれぞれ異なるに違いない。量にはこだわらないけれど、品質の良いモノを求めたり、省エネのモノを好んだりと、違いがあるだろう。当然ながら、年を重ねるにつれ、欲しいモノも変わっていくだろう。ただそれは、欲しいモノが無くなったのではなく、欲しいモノが変わった、多様化したと言うことだと思う。

(これからの社会で、何を生み出し、何を消費するか)
   そして、日本全体で見れば、求められているモノ(コト)は、まだまだあるように感じられる。
   例えば、超高齢社会になり、安心できる老後生活を求める人が増えているのではないか。また、音楽や学問など、娯楽や文化的活動への欲求は、時代や場所、そして所得を問わず存在するのではないだろうか。安全で便利な暮らしといったことも誰もが求めるものだろう。
   もちろん、政府は、消費・生産活動が円滑に進むような仕組み・制度を整える役割を果たさなければならない。例えば、安心した老後を送るためには、政府が年金・医療・介護などの規制改革を行うことは必要だと思う。でも、制度が整えばそれで終わりではない。実際に年をとった後に、どういった暮らしができるのか、どんな介護をしてもらえるのか、そういったことが重要だろう。
   結局、我々は生み出したモノしか消費できない。だから、誰かが安心できる老後のサービスを提供しなければ、それを消費することができない。そして、それを生み出すのも我々である。

欲しても生産しなければ豊かになれない。また、求められていないものばかり生み出しても、大変なだけで豊かになれない。しかし、求められているモノを生み出し、それを消費することで日本はまだまだ豊かになる可能性がある。生産量は減っても、満足度が高まるモノ(コト)を生み出せば、経済は成長する
   もちろん、具体的に何が欲しいのか、何を手に入れたら満足度が高まるのかは、人それぞれ異なるだろう。老後のサービスで言えば、毎日の食事や介護かもしれないし、社会とのつながりかもしれない。価値観が多様化するなかでは、それぞれが、消費者として何が欲しいのか発信し、また生産者としてそれを受け止めることが重要だろう。

少なくとも、こうした発信力、受信力を持たなければ、日本がさらに豊かになるチャンスを持っていても、それを逃してしまうことになるのではないだろうか。



 
 1 久我尚子「若年層の生活意識と消費実態~厳しい経済状況の中、生活満足度の高い若者たち、その背景は?」(ニッセイ基礎研究所、『基礎研レポート』)
 2 例えば、櫨浩一「生産量が減っても、経済成長はできる」(東洋経済ONLINE、『知ってるつもり!? 読んでナットク 経済学「キホンのき」)を参照。ただし、現在のGDP統計で把握できる経済活動は一部であり、金銭を通さない経済活動は、計測できない。例えば、谷本忠和「GDP統計に現れない活動が増えている?~ボランティア・コンサートに参加して」(ニッセイ基礎研究所、『研究員の眼』)を参照。本質的には、こうした活動も誰かが求められているモノを提供し、誰かが欲しいモノを手に入れている、という点では経済活動と言える。

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研究員

高山 武士 (たかやま たけし)

研究・専門分野
米国経済

(2013年08月14日「研究員の眼」)

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