2025年03月18日

気候変動:アクチュアリースキルの活用-「プラネタリー・ソルベンシー」の枠組みに根差したリスク管理とは?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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2ポジティブなティッピングポイントを示して、気候変動問題の緩和策を促進させる
一般に、気候変動問題におけるティッピングポイントは、その水準に至ったら元の状態に戻すことができない(または著しく困難)といった点を指す。ティッピングポイントは人間の社会や生活にとってマイナスとなるネガティブなものが多い。だが、ティッピングポイントには、ポジティブなものもある。

例えば、太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーにおいては、施設や設備の初期導入コストが大きく、技術的には開発されていても、なかなか普及が進まないケースがある。しかし、ある水準まで普及が進めば、導入コストは低減して、その後加速度的に普及が進むだろうと考えられている。

この象徴的な事例を1つ見ておこう。2020年に英国首相により第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)の国連ハイレベル気候行動チャンピオン7に任命されたナイジェル・トッピング氏は、海運業について、記事の中で次のように述べている。ある点を境に、気候変動の緩和策が劇的に進むことの事例となっている。
図表1. ナイジェル・トッピング氏の海運業の脱炭素化についての著述
 
7 気候変動に関する企業、投資家、組織、都市、地域からの協力を強化し、行動を促進し、この作業を政府や国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の締約国と調整することが主な役割。
3生態系サービスを資産と捉えて、「プラネタリー・ソルベンシー」の枠組みを開発する
気候変動リスクは、その連鎖の影響範囲を踏まえると、グローバルにリスク管理に取り組む必要があることを示している。例えば、地球温暖化による生物多様性リスクの高まりにも注意する必要がある。そこで、レポートはこの取り組みを進めるために、自然、気候、社会を組み合わせて、リスクを評価する「プラネタリー・ソルベンシー」の枠組みの構築を強く推奨している。

プラネタリー・ソルベンシーは、「社会は生物圏から分離しているのではなく、生物圏の一部として見る必要がある」との認識のもと、社会と経済に対するリスクを評価していく。具体的には、自然を生態系サービスを提供する“資産”とみなす。一方、人間の社会と経済を自然に依存している“負債”と位置づける。その上で、保険や年金制度のソルベンシー評価と同様に、負債に対応する資産が確保されているかというソルベンシーの視点でリスクを捉える。そして、ソルベンシーを確保・維持するための行動をとっていく。

ここで、生態系サービスは、通常、供給サービス、文化的サービス、基盤サービス、調整サービスといった多岐に渡るものを含んでいる。
図表2. 生態系サービス
一般に、保険や年金制度では、ソルベンシーが目標レベルを下回った場合、状況を是正するための計画が進められる。例えば、企業年金制度では、退職率、昇給率、年金資産の運用益などについて、見積もりと実際の推移に差が生じた場合、会計上、その差が数理計算上の差異として負債認識される。この場合、保険会社は準備金を増やし、企業はそれに対応する追加の金額を支払うことに合意することがある。

プラネタリー・ソルベンシーは、ティッピングポイントリスクやその他の社会への影響を最小限に抑えることを目標とする。例えば、今世紀末の世界平均気温の上昇を産業革命前の1.5℃以下に抑えるといった目標を立てて、これを達成するための計画を策定する。実際の気候変動が、計画と異なって極端に推移する場合は、緊急対策をとる必要が生じる。国や自治体、企業、そして個人は、追加の対策のための行動をとる。このようにして、プラネタリー・ソルベンシーの枠組みに根差したリスク管理が行われることとなる。

4――おわりに (私見)

4――おわりに (私見)

本稿では、IFoAなどの作成したレポートをもとに、気候変動と保険・年金制度のリスク管理を比較した。その上で、レポートが提言しているリバース・ストレステスト、ポジティブなティッピングポイント、プラネタリー・ソルベンシーといった斬新な取組みについて概観していった。

これらの取り組みはまだ構想段階にあり、専門家や実務者による検討や議論を通じて具体化されることが期待されている。レポートは、保険と年金の業界が、アクチュアリーやその他の金融サービスのリスク管理の専門家の支援により、地球規模のソルベンシー管理計画の一端を担うことを求めている。

今後、このレポートが促している検討や議論がどのように進められるかは、各国の気候変動問題を見る上で1つのポイントになるものと考えられる。その動向について、引き続き、注視していくこととしたい。

(参考資料)
 
“Climate Scorpion - the sting is in the tail  Introducing planetary solvency” Sandy Trust, Oliver Bettis, Lucy Saye, Georgina Bedenham, Timothy M. Lenton, Jesse F. Abrams, Luke Kemp (Institute and Faculty of Actuaries (IFoA), University of Exeter, March, 2024)
 
“The Emperor's New Climate Scenarios - Limitations and assumptions of commonly used climate-change scenarios in financial services” Sandy Trust, Sanjay Joshi, Tim Lenton, Jack Oliver (IFoA, University of Exeter, July, 2023)
 
“Beware the merchants of doom”Nigel Topping (AXA Investment Managers, Investment Institute Annual Outlook, 6 December, 2023)
 
「生物多様性 - 『私』から考える進化・遺伝・生態系」本川達雄著(中央公論新社, 中公新書2305, 2015年)

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年03月18日「基礎研レター」)

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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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レポート紹介

【気候変動:アクチュアリースキルの活用-「プラネタリー・ソルベンシー」の枠組みに根差したリスク管理とは?】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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