2024年08月15日

気候変動:死亡率シナリオの試作-気候変動の経路に応じて将来の死亡率を予測してみると…

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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3――将来の気候変動の指数化

本章から、本稿の核心部分に入っていく。本章では、前章までに得た気候指数と死亡率の関係式(回帰式)に、代入するための将来の気候変動の指数化についてみていく。

1|IPCCが設定しているSSPをもとに気候シナリオが作られている
(1) IPCC (気候変動に関する政府間パネル)
世界中で、気候変動問題に対する注目が高まる中、さまざまな研究機関や学術機関が気候シナリオを作成している。その中核的なものは、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) が第6次評価報告書において設定している共有社会経済経路(SSP)だと言える。

IPCCは、世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)によって1988年に設立された政府間組織だ。2024年7月現在、195の国と地域が参加している。IPCCの目的は、各国政府の気候変動に関する政策に科学的な基礎を与えることとされている。世界中の科学者の協力を得て、出版された文献や科学誌に掲載された論文等に基づいて定期的に報告書を作成し、気候変動に関する最新の科学的知見の評価を提供している。2007年には、気候変動問題に関する活動を受賞理由として、ノーベル平和賞を受賞している25

IPCCには、3つの作業部会と1つのインベントリータスクフォースが置かれている。第1作業部会(WG1)は、気候システムと気候変動の自然科学的根拠についての評価。第2作業部会(WG2)は、気候変動に対する社会経済と自然システムの脆弱性、気候変動がもたらす好影響・悪影響、気候変動への適応のオプションについての評価。第3作業部会(WG3)は、温室効果ガスの排出削減など気候変動の緩和のオプションについての評価を、それぞれ行う。また、インベントリータスクフォース(TFI)は、温室効果ガスの国別排出目録(インベントリー)作成手法の策定や普及などの役割を担っている。
 
25 地球温暖化への警鐘を鳴らしたことなどの功績により、元アメリカ副大統領のアル・ゴア氏とともに受賞。

(2) 評価報告書、統合報告書
IPCCは、これまで5~7年ごとに評価報告書、統合報告書を公表してきた。第1次評価報告書は1990年に公表されたが、1992年に内容の増補が行われている。第2次評価報告書では、1997年の京都議定書採択に先駆けて、その裏付けとなる資料を提供した。第5次評価報告書では、パリ協定採択に向けて科学的情報を提供した。そして、第6次評価報告書では、産業革命前に比べて世界平均気温の上昇を1.5℃に抑えるために必要となる温室効果ガスの排出量削減を明示した。

また、これらとは別に、タイムリーに特別報告書の公表も行ってきた。第6次評価サイクルでは、2018年に「1.5℃特別報告書」、2019年に「土地関係特別報告書」、「海洋・雪氷圏特別報告書」、「温室効果ガスインベントリに関する『2019年方法論報告書』」が公表されている。

現在は第7次評価サイクルに入っている。
図表4. IPCCの評価報告書、統合報告書
(3) 共有社会経済経路(SSP)
第6次評価(AR6)では、将来の社会・経済の発展について仮定した共有社会経済経路(Shared Social-economic Pathways, SSP)(以下、単に「経路」と呼称することがある)が、放射強制力と組み合わせて、5つ設定されている。第5次評価(AR5)と同様に、対応や比較を行うための具体的な社会・経済シナリオは別途用意することとし、行き先の姿を示す目的主導型の経路設定と言うことができる。SSP1-1.9は、産業革命前に対する世界平均の気温上昇を1.5℃未満に抑える政策を導入して、21世紀半ばに二酸化炭素の排出を正味ゼロとする見込みとされている。26
図表5. AR6の共有社会経済経路 (主な項目)
 
26 経路に沿って、大学や研究機関等で3131個のシナリオが研究された。当初の選別と品質管理で2266個に絞られ、実績の反映可否で1686個に絞られた。さらに、2100年までの予測可能性などを踏まえて、1202個が審査に合格している。これらは、気候エミュレータ(FAIR、CICERO-SCM、MAGICC)を用いてC1~C8に分類されている。
27 パリ協定(2015年12月採択、2016年11月発効)では、温室効果ガスの排出削減目標を「自国決定貢献(Nationally Determined Contribution, NDC)」として5年ごとに提出・更新する義務が、すべての国にある。

2|さまざまな全球気候モデル(GCM)により、SSPに応じた気候シナリオが作成されている
(1) 全球気候モデル(GCM)
現在、世界中の大学や研究機関が気候シナリオの作成を進めている。その際、全球気候モデル(Global Climate Model, GCM)と呼ばれる数理モデルを用いた予測が行われることがある。

そもそも世界初の気候モデルは、1960年代に真鍋淑郎氏とカーク・ブライアン氏が米国海洋大気庁・地球流体力学研究所で開発したモデルと言われる28。それ以後、数理モデルで気候を再現する手法の研究が進んだ。コンピュータの計算性能の進歩や、気象学の研究の進展もあって、GCMのモデル予測性能が向上していったとされる。

GCMは、地球全体に対する数値モデルである。緯度、経度、高度、時間の項目で格子に区切る。そして、各格子点について、静力学平衡方程式、運動方程式、熱力学方程式等を用いて、気温、気圧、比湿(湿潤空気中に含まれる水蒸気の質量と湿潤空気全体の質量の比)などの予測数値を算出していく。
 
28 プリンストン大学の真鍋淑郎氏は、マックス・プランク研究所のクラウス・ハッセルマン氏、ローマ・ラ・サピエンツァ大学のジョルジオ・パリージ氏とともに、2021年にノーベル物理学賞を受賞した。受賞理由は「地球温暖化の予測のための気候変動モデルの開発」。

(2) 第6期結合モデル相互比較プロジェクト(CMIP6)
世界中の大学や研究機関が気候モデルを作成して気候予測を行っている。そのモデルの比較を行うプロジェクトとして、「第6期結合モデル相互比較プロジェクト(CMIP6)」と呼ばれるモデル群がある。CMIP6は、IPCCのAR6に対応した50以上のモデルからなる。

(3) 日本域CMIP6データ (NIES2020)
国立環境研究所は、「気候予測データセット2020」を公表している。その中に、「日本域CMIP6データ (NIES2020)」としてCMIP6の5つのGCMを選択し、これを日本域(東経122-146度、北緯24-46度の陸上)の細かい格子で設定し、さらに実績との乖離を補正したデータを公表している29。その内容は、日本域の地上1km格子点での「日最高気温(℃)」、「日最低気温(℃)」、「降水量(mm/day)」、「風速(m/s)」、「相対湿度(%)」のデータを含んでいる。各データは、SSP1-1.9、SSP1-2.6、SSP2-4.5、SSP5-8.5の4つの経路に対して21世紀中の数値(2100年12月31日までの毎日の値)として示されている。気候指数の試算においては、これらのデータに必要な調整を行ったうえで、回帰式に代入する将来の気候指数の作成データとして活用することとした。なお、これらのデータには海面水位の数値はない。

日本域CMIP6データ (NIES2020)のGCMは、次の5つ。このうち、MIROC6とMRI-ESM2-0は、日本の研究機関が作成したモデルである。

・MIROC6 (東京大学, 海洋研究開発機構(JAMSTEC), 国立環境研究所(NIES))
・MRI-ESM2-0 (気象庁気象研究所(MRI))
・ACCESS-CM2 (オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO))
・IPSL-CM6A-LR (ピエール・シモン・ラプラス研究所(フランス))
・MPI-ESM1-2-HR (マックス・プランク研究所(ドイツ))
 
29 細かい格子での設定は、統計的ダウンスケーリングの手法で行われている。また、実績との乖離の補正はバイアス補正として行われている。

3|本稿ではMIROC6のデータをもとに、関東甲信の死亡率シナリオを試作することとした
5つのモデルからのデータをもとに、150あまりの観測地点それぞれについて気候指数を計算し、それを回帰式に入力することで、将来の死亡率シナリオを作成する ― これが、最終的な作業の目標となる。

ただし、取り扱うデータの量は膨大であり、いきなり、5つのモデルと観測地点すべてについて、作業を進めることは適当ではない。まずは、一部のモデル、一部の地点に限定して、パイロット運用を行い、作業上の課題を洗い出したり、結果の見方を整理したりすることが現実的な進め方と考えられる。

そこで、本稿ではMIROC6のデータをもとに、関東甲信の死亡率シナリオを試作することとした。MIROC6は、日本の研究機関が作成したモデルのうちの1つであること。また、関東甲信は、気候指数作成上の観測地点が25と最も多いうえに、首都圏を内包し本州の中域を占めるなど、一定の代表性を有すると見られること、がその理由である。

なお、関東甲信は、25の観測地点の気象データをもとに気候指数を算定しているが、このうち、父島と南鳥島については、NIES2020にはデータがない。そこで、この2地点を除いた23地点を対象に気候指数を計算し直した。

また、先述の通り、NIES2020には海面水位の数値はないため、回帰式の再計算にあたり、右辺の気候指数は、海面水位を除く、高温、低温、降水、乾燥、風、湿度の6つの指数とした。

4|モデルのデータの利用に関して、技術的な調整を3つ行う
モデルのデータからは、地上1km格子点における「日最高気温(℃)」、「日最低気温(℃)」、「降水量(mm/day)」、「風速(m/s)」、「相対湿度(%)」のヒストリカルデータと将来予測データを取得することができる。ヒストリカルデータは1900年1月1日~2014年12月31日、将来予測データは2015年1月1日~2100年12月31日の日ごとのデータとなっている。

ここで、ヒストリカルデータは、気象の実績データではなく、モデルから算出された過去の時点での気象データである、という点に注意が必要だ。ヒストリカルデータと気象の実績データをもとに、それぞれ気候指数を作成して、その類似性を比較することにより、モデルが過去実績をどの程度再現しているかを確認することができる。(第5章の試算結果において、実際に確認していく。)

MIROC6の将来予測データは、SSP1-1.9、SSP1-2.6、SSP2-4.5、SSP5-8.5の4種類の経路のものが取得可能となっている30。モデルのデータの利用に関して、技術的な調整を3つ行うこととした。
 
30 他にもMRI-ESM2-0とIPSL-CM6A-LR について、SSP1-1.9、SSP1-2.6、SSP2-4.5、SSP5-8.5の4種類の経路のものが取得可能。ACCESS-CM2とMPI-ESM1-2-HRについては、SSP1-2.6、SSP2-4.5、SSP5-8.5の3種類の経路のものが取得可能。

(1) 観測地点数値の按分処理による算出
モデルからは、地上の1km格子点での値が取得できる。ただし、一般に、観測地点と格子点が完全に一致しているわけではない。そこで、観測地点を取り囲む4つの1km格子点の値を取得し、それらを緯度と経度で按分処理することにより観測地点の値を求めて、それをもとに気候指数を算出することとした。

(2)降水現象の有無に関する「現象なし情報」についてのみなし
乾燥指数のために、降水に関しては、降水現象の有無に関する「現象なし情報」を用いている。これは、気象台などで降水量に加えて、「雨や雪などの降水現象があったかどうか」という、現象の有無の観測を行うものである。降水量の観測単位は0.5mmのため、これに達しないわずかな降水は降水量の観測値として残らない。だが、「現象なし情報」を使えば、わずかでも降水が見られた場合と、全く降水が見られなかった場合とを区別することができる。この情報は気象台などにおける降水量や積雪など、現象の有無を観測している項目だけに付加されている。

モデルからは、この現象なし情報はデータとして取得できない。そこで、観測地点を取り囲む4つの1km格子点の降水量がすべてゼロであった場合に、降水の「現象なし」とみなすこととした。

(3) 過去分と将来分の年数の設定
モデルからは、ヒストリカルデータとして2014年までを過去分、将来予測データとして2015年以降を将来分として、データの取得が可能である。ただし、先述の通り、2014年までの過去分は、過去の観測値ではなく、モデルから算出された過去の時点でのデータとなっている。

モデルから得られるデータと、これまでに作成した気候指数の作成との間で、年数の考え方を整理しておくことが必要となる。

これまでに、気候指数として1971~2023年の指数を作成してきた。また、気候指数と死亡率の回帰式は、死亡率データの取得可能な時期が2022年までであることに合わせて、1971~2022年の期間に対して設定してきた。

これらを踏まえたうえで、今回、モデルからのデータの取得に応じて、次のように年数の設定を行うこととした。

まず、気候指数については、過去分として1971~2014年の実績データとモデル(ヒストリカルデータ)の比較を行う。2015~2023年については実績値を利用する。そして、2024~2100年についてはモデルの4つの経路の値(将来予測データ)を利用する。

これに併せて、2023年までの気象実績に基づく気候指数と、2022年までの死亡率と気候指数の回帰式について、関東甲信は父島と南鳥島を除いた23地点ベースとして再計算した。

2009-10, 12-19年の10年分の実績値を学習データと用いて算定した回帰式に、説明変数として上記の気候指数を入力することで、2023~2100年の死亡率を計算して、その予測を行うこととなる。

(2024年08月15日「基礎研レポート」)

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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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