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(1)従業員の健康・幸福感の向上はエンゲージメントを通じて人的資本経営に貢献
人材版伊藤レポート2.0にて、「要素④:従業員エンゲージメントの向上」を具体化させるための取組の1つとして示された「取組(5):健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み」には、「法的に義務付けられている社員の安全確保や健康に対する配慮を超えて健康経営を実践することは、社員の健康保持・増進によって生産性や企業イメージ等を高めるだけでなく、組織の活性化や企業業績等の向上も期待されることから、経営陣に求められる重要な取組の一つとなっている。また、社員のエンゲージメントの向上につながることから、心身を健康にするだけでなく、熱意や活力をもって働くことを実現する社員のWell-beingも、視点として重要である」と記述されている(図表3)。
すなわち、健康経営の実践・ウェルビーイングの向上は、従業員エンゲージメントの向上を通じて人的資本経営の実践に資する、と読み取ることができる。
人材版伊藤レポートおよび同レポート2.0の両報告書をまとめた経済産業省主催の研究会の座長を務めた一橋大学CFO教育研究センター長の伊藤邦雄氏は、「健康経営は人的資本経営を進める上で極めて重要な土台を成すもの」19「人的資本経営にはウェルビーイング実感の向上が必要という点は、大方異論はないと思う」20と述べている。
19 「ACTION!健康経営」ポータルサイト2022年7月15日「『健康経営』は人的資本経営の土台」より引用。
20 日本経済新聞2023年12月14日「第1回日経統合ウェルビーイング調査」より引用。
前述の通り、企業において「従業員のウェルネス・ウェルビーイング➡従業員エンゲージメント➡人的資本経営」というプロセス経路があると考えられる。従業員エンゲージメント要素は、ウェルネス・ウェルビーイング要素と人的資本経営を媒介する「触媒」のような存在である、と筆者は考える。人的資本経営の実践につながる「回路」のスイッチと位置付けられる、ウェルネス・ウェルビーイング要素へのアプローチ、すなわち回路のスイッチを入れるには、直接的手法と間接的手法の2つがあるように思われる。
1) 間接的アプローチ
本章1・(3)にて述べたように、企業がフルパッケージ型オフィスを用意して、従業員にオフィススペースなど働く場の多様な選択の自由をできるだけ与えることは、従業員の働きがい・快適性を高めウェルネス・ウェルビーイングを間接的に向上させることにつながり得るため、そのことが従業員エンゲージメントの向上を通じて人的資本経営の実践に資する、と言えるだろう。これは間接的アプローチだ。
世界最大級の総合不動産サービス会社である米ジョーンズラングラサール(JLL)は、働くスペースやツールの選択の自由が与えられていることを「Empowerment(エンパワーメント)」と呼び、働く場所や働き方により多くの選択肢が与えられている従業員の方が、より高い「Engagement(エンゲージメント:会社との結びつきや愛着)」を示す、と指摘している21。JLLが言うエンパワーメントとエンゲージメントの間に、ウェルネス・ウェルビーイング要素があると考えられる。
間接的アプローチは他にも考え得る。フルパッケージ型オフィスに組み込むべき、オフィスでの環境配慮の取組も従業員のウェルネス・快適性・ウェルビーイングの向上に間接的につながり得る、と考えられる。例えば、オフィスビルでの省エネ・気候変動対策として、吹き抜けによる自然採光・自然換気などの施策を講じると、コスト削減につながるとともに、室内環境改善により従業員の快適性・ウェルネスが向上し、また環境貢献への満足度やウェルビーイングが高まれば、業務の生産性・品質の向上や優秀な人材の確保につながるだろう。
21 JLL「ヒューマン・エクスペリエンスがもたらすワークプレイス」(2017年6月22日)より引用。
直接的アプローチは、健康経営への投資などにより従業員の心身の健康状態に直接働きかけて、ウェルネス・ウェルビーイングを高める手法だ。
建物利用者の健康性、快適性の維持・増進を支援するオフィス空間を「ウェルネスオフィス(Wellness Office)」22と呼ぶ。ウェルネスオフィスでは、多くの従業員が満足度やウェルネス・ウェルビーイングを高め、愛着や誇りを持てる場に進化していくことで、企業文化や会社への帰属意識の醸成にもつながっていくと考えられ、このような作用経路により、従業員エンゲージメントの向上を通じた人的資本経営の実践に大きく貢献できるだろう。ウェルネスオフィス化に向けた投資による従業員のウェルネス・ウェルビーイングへの直接的アプローチは、人材版伊藤レポート2.0において、従業員エンゲージメントを高めるための取組の1つとして示された「健康経営への投資とWell-beingの視点の取り込み」の具体的な取組事例の1つと考えられる(図表3)。ウェルネスオフィス化も、フルパッケージ型オフィスに取り込むべき要素だ。
オフィス空間における従業員のウェルネス・ウェルビーイングへの直接的なアプローチとして、例えば、自然の要素(バイオフィリックデザイン)を取り入れる先進事例が増えつつある。国土交通省『令和元年版首都圏白書』によれば、「バイオフィリア(Biophilia)は、『人間には“自然とつながりたい”という本能的欲求がある』とする概念であり、この概念を空間に反映し、建築物に植物、自然光、水、香り、音等の自然環境の要素を反映したデザインはバイオフィリックデザイン(Biophilic Design)と呼ばれている。バイオフィリックデザインをオフィス空間に取り入れることにより、緑や自然音等の効果でオフィスワーカーのストレスが軽減し、集中力が増すことにより、幸福度、生産性、創造性が向上するという研究結果が発表されており、欧米諸国では、既に、バイオフィリックデザインを本格的に導入したオフィスの事例が各地で見られるところである」とされる。
オフィス戦略の先進事例である米国の巨大ハイテク企業から、バイオフィリックデザインについても学ぶべき点が多い。アップルが2017年に米カリフォルニア州クパチーノの広大な敷地(約71万m2)にて構築した、総工費50億ドルとされる最先端の新本社屋Apple Park23の構内には、緑がふんだんに取り入れられている。ドーナツ状をしたメインの巨大なオフィス棟(床面積は約26万m2)の内側の広大な緑地部分(中庭)には、各々3㎞超の社員用のウォーキングおよびランニングコース、果樹園、草地、人工池が設けられており、乾燥に強い約9,000本ものカリフォルニア原産の樹木が構内に植樹されている。構内のカフェテリア“Café Macs”では、Apple Parkに生い茂るフルーツをランチやディナーに使っているという24。
また、アマゾンがワシントン州シアトルに構える自社所有の本社は、3本の高層オフィスタワー(37階)に加え、The Spheres(スフィアーズ)と呼ばれる、熱帯雨林を模して植物がうっそうと茂る3つのガラスドームから成る低層のオフィス棟で主として構成されている。スフィアーズもバイオフィリア効果をふんだんに活用した先進事例だ。
Apple Parkやスフィアーズのようにビルを新設する場合、設計段階から大規模なウェルネスオフィス化を組み込むことが可能だ。Apple Parkでは、バイオフィリックデザインの他にも、従業員のウェルネスや地域の自然環境に配慮した設えがふんだんに取り入れられている。座り過ぎによる健康リスクを回避するために、全従業員のデスクはスタンディングデスクとなっており、また9,300㎡にも及ぶ巨大な社員向けフィットネスセンターが設置されている。環境面では、太陽光パネル設備やバイオガス燃料電池などの再生可能エネルギーで使用電力の100%を賄っている。また、自然換気型の建物としては世界最大で、1年のうち9か月間は暖房も冷房も不要になるという。これらの環境配慮の取組により、Apple Parkは、今や北米最大のLEEDプラチナ25認証取得オフィスビルとなっている。このように最先端の建築技術や環境技術などを惜しげもなく駆使し、従業員の創造性やコラボレーション、ウェルネス、気候変動対策の促進に重点を置いたApple Parkの構築は、プロジェクトを指揮・主導した創業者の亡きスティーブ・ジョブズ氏にとってクリエイティブオフィスの集大成であったとともに、人的資本経営の実践に向けたウェルネスオフィス化の考え方をいち早く取り入れた極めて先進的な取組であったと高く評価できよう。
一方、既存ビルの場合も、オフィス家具・什器などの内装・設備面や運用面の工夫次第でウェルネスオフィス化を事後的に進めることはできるだろう。例えば、オフィス家具では、デスクを昇降式スタンディングデスクに入れ替えたり、バイオフィリアでは、小さなサイズの観葉植物を執務エリアに置くことから始めることもできるだろう。自然光に近い状態を再現するサーカディアン照明を導入したり、スピーカーから心地の良い鳥のさえずりや川のせせらぎの音26を流すことなども考えられる。さらに改装などのコストを要するが、仮眠室、マッサージルーム、フィットネスジムを設置することも一法だ。他にも多くの工夫の仕方があり得るだろう。
22 ウェルネスオフィスの考察については、拙稿「ウェルネスに配慮する働き方とオフィス戦略の在り方」(公社)ロングライフビル推進協会(BELCA)『BELCA NEWS』通巻182号(2023年1月号)、同「巻頭特集1:ウェルネスに配慮した働き方とオフィス戦略の在り方」(公社)全日本不動産協会・(公社)不動産保証協会『月刊不動産』2021年6月号(2021年6月15日)、同「健康に配慮するオフィス戦略」ニッセイ基礎研究所『基礎研レター』2020年3月31日を参照されたい。
23 Apple Parkに関わる詳細な考察については、拙稿「健康に配慮するオフィス戦略」ニッセイ基礎研究所『基礎研レター』2020年3月31日、同「クリエイティブオフィスのすすめ」ニッセイ基礎研究所『ニッセイ基礎研所報』Vol.62(2018年6月)を参照されたい。Apple Parkの施設概要に関わる以下の記述については、アップル「Apple Parkを社員向けに4月オープン」『プレスリリース』2017年2月22日を引用・参考とした。
24 Business Insider 2018年6月15日「全員にスタンディングデスク、アップルが新本社に導入した理由とは?」を基に記述した。
25 LEEDプラチナは、米国発の国際的な建築物の環境性能評価制度「LEED(Leadership in Energy & Environmental Design)」における最高評価レベルである。米国の認証機関 GBCI(Green Business Certification Inc.)が認証を手掛ける。
26 このような「自然音源は癒し効果に加え、リラックスやリフレッシュ効果だけでなく、集中力や創造性の向上、コミュニケーションの促進、サウンドマスキング(会話などの音が発生する空間にあえて他の音を流すことにより、音漏れや会話音などを軽減すること)効果も期待されている」(株式会社JVCケンウッド2023年4月26日ニュースリリースより引用)。
(2024年07月09日「ニッセイ基礎研所報」)
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社会研究部 上席研究員
百嶋 徹 (ひゃくしま とおる)
研究・専門分野
企業経営、産業競争力、産業政策、イノベーション、企業不動産(CRE)、オフィス戦略、AI・IOT・自動運転、スマートシティ、CSR・ESG経営
03-3512-1797
- 【職歴】
1985年 株式会社野村総合研究所入社
1995年 野村アセットマネジメント株式会社出向
1998年 ニッセイ基礎研究所入社 産業調査部
2001年 社会研究部門
2013年7月より現職
・明治大学経営学部 特別招聘教授(2014年度~2016年度)
【加入団体等】
・日本証券アナリスト協会 検定会員
・(財)産業研究所・企業経営研究会委員(2007年)
・麗澤大学企業倫理研究センター・企業不動産研究会委員(2007年)
・国土交通省・合理的なCRE戦略の推進に関する研究会(CRE研究会) ワーキンググループ委員(2007年)
・公益社団法人日本ファシリティマネジメント協会CREマネジメント研究部会委員(2013年~)
【受賞】
・日経金融新聞(現・日経ヴェリタス)及びInstitutional Investor誌 アナリストランキング 素材産業部門 第1位
(1994年発表)
・第1回 日本ファシリティマネジメント大賞 奨励賞受賞(単行本『CRE(企業不動産)戦略と企業経営』)
百嶋 徹のレポート
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