2024年05月07日

視野に入る欧米中銀の利下げと自然利子率

経済研究部 主任研究員 高山 武士

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コロナ禍後に見舞われたインフレの高騰に対応するため、欧米中銀は金融引き締めを積極化してきたが、ようやく利下げが視野に入りつつある。それに伴い、金融政策の注目点も利下げ開始タイミングから、利下げペースや到達地点(ターミナルレート)に移りつつある。利下げのペースや到達地点を判断する上で注目されるのが、自然利子率や中立金利である。これらは、経済・物価に対して中立的な金利、つまり金融政策が緩和的でも引き締め的でもない金利を指し、ショックがない経済状態での政策金利水準の基準と言える。
 
しかし、自然利子率は直接観察できない。そのため、モデルを用いた推計値などが利用されるが、算出方法により推計値は大幅に異なる。各推計値の水準を把握する意味は小さいが、中銀の自然利子率に対する見解を把握することは金融政策の先行きを予想する上で重要だろう。
 
自然利子率は経済状況によって変動し、金融危機以降、コロナ禍前までは先進国の自然利子率は低下してきたとの見方が一般的であった(図表1)。一方でコロナ禍後は、経済状況が変化して、自然利子率が反転したとの見方も浮上している。ただし、足もとの自然利子率上昇はコンセンサスではなく、例えば、FOMC参加者が四半期毎に公表する経済・政策金利の見通しにおいて長期の政策金利水準(中央値)はコロナ禍前とほとんど変わっていない(図表2)。
 
図表1:先進国の自然利子率推移、図表2:FOMC参加者の長期政策金利見通し

自然利子率はどのように決まるのか。ECBのシュナーベル専務理事は最近の講演で「貯蓄投資仮説」と「金融政策仮説」の2つの仮説を提示した1。前者は貯蓄と投資の需給が自然利子率を定めるとする説、後者は金融政策自身が自然利子率に影響を及ぼすとする説である。
 
貯蓄投資仮説によれば、投資の増加(=資金需要増)や貯蓄の減少(=資金供給減)が自然利子率の上昇要因となる。コロナ禍前の自然利子率の低下は投資意欲の減少や貯蓄意欲の増加で説明される。代表的な例として、生産性低下(投資意欲減)、高齢化(貯蓄意欲増)、中国を中心とした新興国の経常黒字=過剰貯蓄(Global Saving Glut)、世界金融危機後のリスク回避姿勢の高まり(安全資産需要=貯蓄意欲の増加)が自然利子率の低下要因として挙げられる。また、コロナ禍後の資金需給に構造的な変化が生じたとすれば、例えば、気候変動対応、経済安全保障、AI化に伴う投資需要の増加は自然利子率の上昇につながり得る。
 
金融政策仮説によれば、金融政策の効果も自然利子率に影響を及ぼす。例えば、金融緩和でイノベーションや成長が促進されれば、生産性が上昇し得る。ただし、金融緩和が債務の増加や不均衡の拡大、ゾンビ企業の増加などを通じて生産性を低下させる可能性もある。FRBのディスカッションペーパー2では、自然利子率の変動要因を完全に把握できない状況下で、自然利子率の情報について企業や家計が中銀の行動から理解・判断し、中銀はマクロ経済を見て判断した場合のシミュレーション結果が考察されている。中銀の金融緩和が、自然利子率の低下を示唆していると企業や家計に受け止められると、実際の生産やインフレ率が中銀の想定以上に低下する。中銀はそれを、自然利子率が低下したためだと解釈しさらに金融緩和を行う、という状況が発生し得ることが示唆されている。そして、金融危機以降の自然利子率の低下は、こうした効果で説明可能だとする。
 
中銀がこうした認識を持っているのであれば、利下げ開始後も、ゆっくりと金利の適正水準を探りつつ政策運営を行おうとすると考えられる。貯蓄投資仮説の観点からの理由として、コロナ禍や戦争を経験してマクロ経済に構造的な変化が生じている可能性が挙げられる。自然利子率が上昇したとすれば、均衡時(≒利下げ到達地点)の金利水準を高くする必要があり、利下げを急げば金融緩和が行き過ぎるかもしれない。特に米国では、高い金利水準でも景気が底堅く、インフレ率の減速も緩慢であるため、利下げを急ぐことによる緩和しすぎのリスクが意識される。もう1つ、金融政策仮説の観点からの理由として、利下げ自体が自然利子率を低下させてしまう可能性も挙げられる。中銀は、不必要な利下げがさらなる利下げを招くことは避けたいと考えるだろう。政策金利には実質的に引き下げられる限界があり、実効下限近くに下げてしまうと、景気下振れなどショックが生じた際の政策余地(それ以上に金融緩和を行う手段)が限定されてしまうためである。
 
そのため、インフレ率が2%目標を大きく割る局面になれば積極的な金融緩和に踏み切る可能性が考えられるが、目標前後での推移が続くのであれば、利下げペースはゆっくりとしたものになると見られる。また、やや高めの水準で利下げが打ち止めになる可能性もあるだろう。
 
 
1 R(ising) star? Speech by Isabel Schnabel, Member of the Executive Board of the ECB, at The ECB and its Watchers XXIV Conference session on: Geopolitics and Structural Change: Implications for Real Activity, Inflation and Monetary Policy, Frankfurt, 20 March 2024
2 Phurichai Rungcharoenkitkul, Fabian Winkler(2022), The Natural Rate of Interest Through a Hall of Mirrors, Finance and Economics Discussion Series (FEDS)
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経済研究部   主任研究員

高山 武士 (たかやま たけし)

研究・専門分野
欧州経済、世界経済

経歴
  • 【職歴】
     2002年 東京工業大学入学(理学部)
     2006年 日本生命保険相互会社入社(資金証券部)
     2009年 日本経済研究センターへ派遣
     2010年 米国カンファレンスボードへ派遣
     2011年 ニッセイ基礎研究所(アジア・新興国経済担当)
     2014年 同、米国経済担当
     2014年 日本生命保険相互会社(証券管理部)
     2020年 ニッセイ基礎研究所
     2023年より現職

    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員

(2024年05月07日「ニッセイ年金ストラテジー」)

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