2024年04月12日

実質賃金プラス転化へのハードル-名目賃金の下振れと物価の上振れ

経済研究部 経済調査部長 斎藤 太郎

文字サイズ

(上振れが続く消費者物価の見通し)
実質賃金上昇率のプラス転化が遅れているもう一つの要因は、消費者物価の上振れが続いていることである。日本経済研究センターの「ESPフォーキャスト調査」によれば、2022年度の消費者物価上昇率(生鮮食品を除く総合)の見通しは、2022年度に関する調査が開始された2021年1月から年末頃までは0.5%程度で推移していた。しかし、円安、原油高に伴う輸入物価の急上昇を主因として実際の物価上昇率が大きく高まったことを受けて、2022年入り後は見通しの上方修正が続き、2022年3月に1%台、6月に2%台となり、実績は3.0%となった。
図10 上振れが続く消費者物価の見通し 見通しの上方修正は2023年度以降も止まっていない。調査開始時点の消費者物価見通しは2023年度が0.65%、2024年度が1.15%、2025年度が1.63%と徐々に水準を切り上げているが、直近の2024年4月調査では、2023年度が2.80%、2024年度が2.44%、2025年度が1.71%といずれも上方修正されている(図表10)。
 
(消費者物価は2024年度末頃まで2%台の伸びが続く見通し)
ニッセイ基礎研究所では、3/11に公表した経済見通しで、2024年度の消費者物価(生鮮食品を除く総合)を前年比2.1%と予想していた。しかし、その後消費者物価の上振れにつながる材料が相次いだため、物価見通しを上方修正する。

上振れ材料のひとつは、2024年5月から再生可能エネルギー発電促進賦課金単価が1.40円から3.49円(1kWh当たり)に引き上げられることが決定したことである。また、電気・都市ガス代に対する激変緩和措置は2024年5月使用分(6月請求分)で値引き額が半減された後、2024年度末まで継続することを想定していたが、6月使用分以降は延長されないことが決定した5。再生可能エネルギー発電賦課金単価の引き上げと電気・都市ガス代に対する激変緩和措置の終了により、コアCPI上昇率は0.5%程度押し上げられる。
図表11 コアCPIに対するエネルギーの寄与度 エネルギー価格は2023年2月から前年比でマイナスが続いているが、2024年3、4月に前年比ほぼ横ばいとなった後、5月には明確なプラスに転じ、再びコアCPIの押し上げ要因となることが見込まれる。エネルギー価格の上昇率は2024年夏頃には前年比で二桁の高い伸びとなり、コアCPI上昇率への寄与度は1%程度まで拡大することが予想される(図表11)。

2024年の春闘賃上げ率が想定を大きく上回る見込みとなったことも、物価の上振れにつながる材料である。3/11公表の経済見通しの時点では、2024年の春闘賃上げ率を4.0%と想定していた。2023年の3.6%を明確に上回り、コンセンサスよりは高めの想定だったが、その後連合から公表された集計結果は5%台と想定を大きく上回る高い伸びとなった。
図表12 サービス価格と賃金(ベースアップ) 財と比べてサービスの価格は人件費によって決まる部分が大きい。実際、サービス価格と賃金の連動性は非常に高く、2023年のサービス価格の上昇率は前年比1.8%となり、2023年のベースアップ2%程度とほぼ一致した(図表12)。連合の集計結果で、2024年の春闘賃上げ率のうちベースアップに相当する「賃上げ分」が3.63%(第3回集計結果)となっていることを踏まえると、サービス価格は足もとの2%程度から3%台まで上昇する可能性が高い。

サービス価格は原材料コストの変動に左右されやすい財価格とは異なり安定的な動きをする。このため、賃上げに伴うサービス価格の上昇は持続的で安定的な物価上昇の実現可能性を高める。その一方で、サービス価格の上昇ペースが速すぎた場合、消費者物価上昇率の高止まりから実質賃金上昇率のプラス転化が遅れ、個人消費の下振れリスクが高まる。

今回の物価上昇は、当初はそのほとんどが円安や原油高に伴う輸入物価の急上昇を起点とした財価格の上昇によるものだったが、物価上昇の中心は財からサービスにシフトしている。外生的な要因で決まる部分が大きい財価格とは異なり、サービス価格の変動は国内の金融政策によってコントロールする必要がある。

日本銀行は、物価と賃金の好循環が進むもとで金融政策の正常化を図ろうとしている。しかし、政策金利の引き上げは必ずしも良好な経済物価情勢のもとで行われるとは限らない。現時点ではあくまでもリスクシナリオだが、サービス価格の上昇ペースが速すぎる場合は、2022年以降に欧米が行ったのと同様に、景気をある程度犠牲にしても金融引き締めを余儀なくされる可能性が出てきたことは念頭に置いておく必要があるだろう。
さらに、ここにきて円安・原油高が再び進行しているため、上昇ペースの鈍化傾向が続いている財価格の上昇率が下げ止まる可能性が高くなってきた。こうした状況を踏まえ、消費者物価の見通しを上方修正した。消費者物価(生鮮食品を除く総合)は、食料(除く生鮮食品)の伸び率鈍化をエネルギー価格の上昇ペース加速が打ち消す形で、2024年秋頃まで前年比2%台後半の推移が続き、単月では3%台となる月もあるだろう。2024年度後半以降は円高に伴う財価格の上昇率鈍化を主因として2%台前半まで鈍化するが、日銀の物価目標である2%を割り込むのは2025年度入り後にずれ込む公算が大きい6
図表13 消費者物価(生鮮食品を除く総合)の予測 消費者物価(生鮮食品を除く総合)は、2023年度が前年比2.8%、2024年度が同2.6%、2025年度が同1.7%と予想する(図表13)。3/11時点の見通しから2024年度を0.5%ポイント、2025年度を0.2%ポイント上方修正した。

なお、実質賃金を計算する際に用いられる消費者物価指数は「持家の帰属家賃を除く総合」だが、同指数は「総合」や金融市場の注目度が高い「生鮮食品を除く総合」よりも上昇率が高い。生鮮食品の高い伸びが続いていること、全体の物価上昇率が高まる中でも持家の帰属家賃がほとんど上昇していないことがその理由である。
図表14 3種類の消費者物価上昇率 今回の物価上昇局面では、「持家の帰属家賃を除く総合」の前年比上昇率が「生鮮食品を除く総合」の上昇率を一貫して上回っており、直近(2024年3月)の両者の差は0.5%となっている(図表14)。「生鮮食品を除く総合」で考えた場合よりも実質賃金プラス転化のハードルが若干高いことは留意しておく必要があるだろう。
 
5 2024年4月末までとなっていたガソリン、灯油等の激変緩和策は2024年5月以降も継続することとなったが、これは従来からの当研究所の想定通りである。
6 3/11時点では2024年度後半に2%を割り込むと予想していた。
(実質賃金上昇率のプラス転化は2024年10-12月期と予想)
最後に、新しい名目賃金と物価の見通しをもとに、先行きの実質賃金の動向を予想する。名目賃金は2024年春闘の結果が反映される2024年夏場にかけてベースアップと同程度の前年比3%台まで伸びを高めるだろう。一方、消費者物価(生鮮食品を除く)は当面2%台後半から3%程度の伸びが続くが、財価格の上昇率鈍化を主因として2024年度後半には2%台前半まで低下することが見込まれる。
図表15 名目賃金と実質賃金 この結果、実質賃金上昇率は2024年10-12月期にプラスに転じることが予想される(図表15)。名目賃金の上振れを物価見通しの上振れが相殺する形で実質賃金上昇率のプラス転化時期は3/11時点と変わらないが、賃金、物価ともに先行きの不確実性が高い。
 
このうち、賃金については、純粋な見通しの誤りに加えて、毎月勤労統計が必ずしも実態を反映していないという問題がある。春闘賃上げ率が約30年ぶりの高さとなり、賃金動向に対する注目が高まる中、毎月の賃金動向を把握することが出来る唯一の統計である毎月勤労統計の信頼性に疑念があることは極めて深刻な事態と考えられる。

現在の毎月勤労統計は、作成方法が一貫していない、毎年1月にサンプル入替えに伴う断層が生じる、指数と変動率との間の整合性が取れていない、など問題が多すぎる。統計精度を高めるために統計の作成方法を見直したうえで、過去に遡ってデータを改訂することによって、統計利用者が安心してデータを使えるようにべきである。
 
 

(お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。
Xでシェアする Facebookでシェアする

経済研究部   経済調査部長

斎藤 太郎 (さいとう たろう)

研究・専門分野
日本経済、雇用

経歴
  • ・ 1992年:日本生命保険相互会社
    ・ 1996年:ニッセイ基礎研究所へ
    ・ 2019年8月より現職

    ・ 2010年 拓殖大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2012年~ 神奈川大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2018年~ 統計委員会専門委員

(2024年04月12日「Weekly エコノミスト・レター」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【実質賃金プラス転化へのハードル-名目賃金の下振れと物価の上振れ】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

実質賃金プラス転化へのハードル-名目賃金の下振れと物価の上振れのレポート Topへ