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想起バイアスの混入-過去の記憶は、冷静に思い起こしてみる
保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也
中高齢になれば、これまでの経験が積み上がり、記憶の量が増大する。若い頃と比較して脳機能がやや低下することもあって、過去の記憶を思い出すのに一苦労ということにもなる。
疫学などで、面接によるヒアリング調査やアンケート調査で、回答者に過去の経験を思い出してもらう際には、記憶を思い起こすことに伴うバイアス ― 「想起バイアス」に注意しなくてはならないという。今回は、この想起バイアスについて、見ていこう。
◇ 想起バイアスとは
[研究の概要]
乳がん診断前後の食事アンケートを用いて、脂肪摂取量と乳がんリスクとの関連を検討した。乳がんの診断を受けた女性の群団と、年齢を揃えた乳がんの診断を受けていない女性の集団を特定して、それぞれの集団に対して、過去の食習慣について尋ねた。その結果、乳がんの女性は、高脂肪の食事を摂取している可能性が高いとの信頼に足る傾向が示された。
実は、乳がんの診断を受けた人は、その診断を受ける以前にも、食事に関する調査に回答していた。それを見ると、乳がんの診断を受ける前は、高脂肪の食事を摂取したとの回答はそれほど多くなかった。乳がんの診断を受けたことを機に、過去に摂取した食事の記憶が変化したことになる。このような変化は、乳がんの診断を受けていない集団には見られないものであった。
乳がんの診断を受けた人は、高脂肪の食事が病気の素因である可能性が高いと判断し、無意識のうちに高脂肪の食事を摂ったことを思い出していた。つまり、自分の記憶の中に原因を探し、その原因を記憶の中に呼び出していたことになる。
この事例のように、過去の記憶の想起は、現在の状況の影響を受けて変化する可能性がある。これが、想起バイアスに注意が必要とされる理由となる。
◇ 特に、横断研究で想起バイアスへの注意が必要
これに対して、研究対象の集団を一定期間に渡って調査することで、疾病の原因などを調査するタイプの研究もよく行われる。これは、縦断研究と言われており、少数の研究対象から何回もデータを収集するようなタイプの研究となる。
縦断研究の中には、現時点で罹患の原因があるかないかによって研究対象の集団を分類して、その集団の罹患の有無を追跡調査する前向き研究。これとは逆に、現時点で研究対象の集団を罹患の有無によって分類し、そのうえで、過去にさかのぼって罹患の原因の有無を追跡調査する後ろ向き研究、などいくつかの研究方法がある。ただ、いずれも一定期間に渡って調査する点は共通している。
話を戻すと、横断研究では、測定やヒアリングなどのデータ収集は一時点で行われる。先ほどの乳がんと食事に関する研究の例で言えば、過去の食事については原則として回答者の記憶に頼ることになる。つまり、想起バイアスが混入する可能性が高くなる。
なお、横断研究では、想起バイアスの混入を含めて、各種要因との相関関係を見ることはできても、因果関係を示すことが困難な場合が多い。そうした研究手法が持つ限界を踏まえておく必要があるかもしれない。
◇ 想起バイアスを軽減するには
ところが、子どものときに長期間病気にかかっていた人は、つらかった記憶や苦しかった思い出が鮮明に思い起こされるかもしれない。そうなると、回答内容はつらく苦しい内容に歪んでしまう可能性がある。
それでは、想起バイアスを軽減するには、どうしたらよいだろうか?
1つの方策として、「ウォッシュアウト(洗い流し)期間」を設けることが考えられる。これは、回答者がある出来事を思い出してから、一定の時間を空けて、再度同じ出来事を思い出してもらう方法だ。こうすることで、回答者に思い出した内容を整理してもらい、冷静に回答してもらうことができる。
また、そもそも回答者の記憶に頼るのではなく、医療施設に残っている診療記録を利用するという方策もあり得る。回答者の日記など、記憶以外の媒体を利用することも考えられる。ただし、何十年も昔の出来事となると、記録が残っているかどうかという別の問題が出てくるかもしれない。
◇ 想起バイアスはビジネスシーンでも起こりうる
過信のパターンは、過去の成功体験に基づいて仕事の判断を行うときに起こりやすい。仕事で、うまくいった事例はよい思い出として記憶に残りやすい。ところが、同じことを行っても、事業環境や条件が変化していて、前のようにうまくいかないというケースがよく見られる。
一方、恐怖のパターンは、過去の失敗体験に基づく。重い病気にかかった場合と同様、過去の仕事の失敗は、つらく苦しい記憶として残りやすい。そのため、「二度と同じ目には遭わないように」との強い思いから、過度な回避行動をとりやすくなる。その結果、ビジネスチャンスを逃してしまうことも起こりうる。
人間は、過去の記憶を捨て去ることはできない。記憶をうまく生かし、他の記録とあわせて総合的に判断できるようになれば、何事も良い方向に進むと思われるが、現実はそう簡単ではないかもしれない。
少なくとも、「想起バイアスにとらわれてはいないだろうか」と、冷静にわが身を振り返ることはできる。過去の記憶は、冷静に思い起こしてみる(=洗い流してみる)。これも一つの方策かもしれない。
(参考文献)
“A Comparison of Prospective and Retrospective Assessments of Diet in the Study of Breast Cancer” Edward Giovannucci, Meir J. stampfer, Graham A. Colditz, JoAnn E. Manson, Bernard A. Rosner, Matt Longnecker, Frank E. Speizer, Walter C. Willett (American Journal of Epidemiology, Volume 137, Issue 5, 1 March 1993, Pages 502–511)
“Do Cellphones Cause Brain Cancer?” Siddhartha Mukherjee (New York Times, April 17, 2011)
“Naked Statistics - Stripping the Dread from the Data”Charles Wheelan (W. W. Norton & Company, Inc., 2014)
「『想起バイアス』がもたらす仕事でのミス」(“じょぶる山口”サイト, 株式会社Be win)
https://be-win.co.jp/yamaguchi/fixed_pages/627
「治験の概要-臨床試験の現状 (前編)」篠原拓也(基礎研レポート, ニッセイ基礎研究所, 2021年7月29日)
保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員
篠原 拓也 (しのはら たくや)
研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務
03-3512-1823
- 【職歴】
1992年 日本生命保険相互会社入社
2014年 ニッセイ基礎研究所へ
【加入団体等】
・日本アクチュアリー会 正会員
(2024年04月09日「研究員の眼」)
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