2023年10月30日

英国スナク政権発足から1年-視野に入る次期総選挙と政権交代

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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スナク政権発足から1年。政策は現実路線に回帰

英国のスナク政権の発足から10月25日で1年が経過した。スナク政権は、財源の裏付けのない大規模減税策で株、国債、為替相場の「トリプル安」を引き起こして早々の退陣を迫られたトラス政権を引き継いで発足した。

スナク首相の与党・保守党は2010年5月の総選挙で勝利し、自由民主党との連立によるキャメロン政権以降、13年あまり政権の座を維持している。保守党政権は、世界金融危機と住宅バブルの崩壊で悪化した財政の健全化のための厳しい歳出削減で始まり、16年6月の国民投票でのEU離脱の選択と離脱実現までの混乱、コロナ禍、インフレ高進による生活費危機と異例の局面が続いた。

スナク政権発足からの1年は、政策の現実路線への軌道修正が図られた期間と位置付けられる。市場の激しい反応を引き起こしたミニ予算「成長計画2022」の減税策の大部分は、スナク政権の発足までの段階で既に見直されていた。「成長計画2022」は、内容とともに財政ガバナンスの枠組みを事実上無視するようなプロセスにも問題があった。現行の財政ガバナンスの枠組みとは、2010年の総選挙で政権交代を実現した保守党政権が確立したものである。2011年に成立した「予算責任・会計検査責任法」に基づいて財務省が作成し、議会が承認する「予算責任憲章」によって「財政ルール」を明確にし、独立財政機関である「予算責任局(OBR)」が予算案を反映した経済見通しを作成し、ルールへの適合性を判断するという役割分担となっている。「成長計画2022」は、このプロセスを経ずして打ち出されたが、市場の動揺により速やかな方向転換を迫られた。ハント財務相は、11月17日の「秋期財政演説」を、新たな「財政ルール」を示した上で(図表1)、OBRとの入念な擦り合わせを経た財政計画1を公表することで、元の軌道に戻した。

国内における政策では、2030年からのガソリン車、ディーゼル車の販売禁止の延期や、コスト増と計画の遅延を理由とする高速鉄道(HS2)の第二期の北部延伸計画の中止2なども決めている。これらもスナク政権の現実路線への回帰と見ることもできよう。
図表1 2011年「予算責任・会計検査責任法」成立後の「予算責任憲章」の財政目標の変遷
 
1 「成長計画2022」の公表から22年の「秋期財政計画」に至るまでの財務相とOBRとの関係の変化についてはやりとりについては田近栄治「イギリス流、財政規律の守り方-大切なのは、目標設定と実績評価だ」東京財団政策研究所、January 10, 2023 で詳しく
記述されている。
2 HS2の第二期の計画中止を決めるに至る経緯についてはPickard, Fisher, Parker and Plimmer “How Rishi Sunak decided to slash the UK’s troubled HS2 rail project” Financial Times, 5 October 2023が詳しく伝えている。

EUとの関係も改善の方向

EUとの関係も改善の方向

16年6月の国民投票でのEU離脱の選択後、とりわけ離脱強硬派のジョンソン政権期には英国とEUの関係には遠心力が強まる一方だった。

しかし、スナク政権発足後は、懸案事項への取り組みが進み、一定の歯止めが掛かった。今年2月に英国とEUが合意した「ウィンザー枠組み」は、アイルランドと北アイルランドの境界管理に関わる問題の改善につながるものであり、10月1日から新たな枠組みが始動した。その他、6月には「金融サービスの規制協力についての覚書」が締結、9月には英国とEUは、EUの研究開発支援プログラム「ホライズン・ヨーロッパ」への英国の参画について合意、英国は、EUの地球観測プログラム「コペルニクス」への参加も表明した(図表2)。これらは、元々、英国がEUを離脱する時点から可能なものであったが、強硬離脱を推進したジョンソン政権期には進展が見られず、対EUでの強硬姿勢を引き継いだトラス政権が短命に終わり、スナク政権の下でようやく前進することになった。
図表2 16年国民投票後の英国-EU関係に関する主な出来事
規制面でも、EU離脱によって取り戻した規制の権限を英国が行使することによるEU市場との規制の乖離、コスト増加への産業界の懸念に対応する、現実的な妥協が図られた。2023年8月1日付けで、これまで25年1月1日までとしてきたEU基準への適合を示す「CEマーク」の使用を、2025年以降も、英国独自の「UKCAマーク」とともに継続的に使用することを認めることになった。

通商交渉はスナク政権期に入り成果

通商交渉はスナク政権期に入り成果も経済効果はEU離脱を埋め合わせるほど大きくない

ジョンソン政権は、EUとの関係改善よりも、離脱後のビジョンとして掲げた「グローバル・ブリテン」戦略とインド太平洋傾斜の実践に力を入れた3。EUが通商協定を締結していない国々との通商協定の締結や、EU離脱時にEU加盟国として締結した協定を置き換える形で締結した通商協定の更新などに積極的に取り組んだ(図表3)。
図表3 16年国民投票後のグローバル・ブリテン戦略に関する主な出来事
スナク政権発足後の今年5月の豪州、ニュージーランドとのFTAが発効、7月の現加盟国以外では初めてとなる「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定(CPTPP)」への加盟が決まった。

但し、これらの協定から締結される経済効果は限定的である。EU離脱は、長期的にGDPを4%押し下げるとされるが、豪州、NZの関税率は低く、世界銀行の算出によれば4、世界全体の平均関税率2.6%に対して、豪州は0.7%、NZは0.8%である。英豪FTAのGDP押し上げ効果は15年間で0.1%に過ぎない。FTAによる英国の輸出へのベネフィットが限定的な一方、英国の酪農には深刻な打撃が及ぶとの受け止めがある。

CPTPP加盟によるGDPの押し上げ効果も2040年までに0.06%と僅かである。これに対して、英国のEU離脱と関税ゼロのFTAを柱とする貿易協力協定(TCA)に基づく関係に移行することによる長期的な経済押し下げ効果は、英国の独立財政機関である予算責任局(OBR)の試算によればGDPの4%であり、CPTPPの加盟で埋め合わせることは困難である。CPTPP加盟効果が限定的であるのは、既加盟国のうち、マレーシアとブルネイ以外の国とはすでにFTAを締結していることによる。但し、CPTPPは、今後、加盟国の拡大が見込まれており、GDPの押し上げ効果も増大する可能性はある。

ジョンソン政権が22年10月の合意を目指していたインドとはFTAは、23年末という新たな目標に向けて、精力的な協議が進められている。インドは、市場の高い成長が期待される一方で、インドは平均関税率が6.2%と高いため、FTA締結により見込まれるベネフィットは大きい。
 
3 詳細は、伊藤さゆり「英国のグローバル・ブリテン戦略とインド太平洋傾斜」寺田貴編著『インド太平洋地経学と米中覇権競争』彩流社、2023年をご参照下さい。
4 World Bank Tariff rate, applied, weighted mean, all products

次期総選挙では14年振りの政権交代の可能性がある

次期総選挙では14年振りの政権交代の可能性がある

英国は遅くとも25年1月までに総選挙を実施する。14年振りの政権交代も見込まれる状況で、スナク首相は適切なタイミングを見計らっているとされる5。政治専門サイトのポリティコが複数の世論調査の結果を総合して算出した支持率では、最大野党の労働党が46%に対して、与党保守党が26%で大差が開いている(表紙図表参照)。今年7月以降実施された6つの選挙区での下院の補欠選挙は、労働党の4勝、保守党と自由民主党が1勝、長年にわたり地盤としてきた選挙区でも敗れるなど、保守党は苦戦を強いられている。

総選挙前、最後になると思われる「秋期財政演説」は11月22日に予定されている。総選挙を視野に、保守党の強硬派からは、財政が昨年秋時点の予測ほど悪化しなかったことから、支持率回復も視野に入れて、減税を求める声があがっている。

しかし、先行きは、金利上昇による利払い負担の増大が見込まれる上に、減税策は、目下の深刻な問題であるインフレを悪化させ、高金利局面を長期化させるリスクが伴う。英国のインフレ率は、昨年秋をピークに鈍化してきたが、9月は前年同月比6.7%で、前月と同水準に留まり、依然として主要先進国最悪の状況にある(図表4)。

ハント財務相は、景気刺激につながる政策は抑え、「政府債務残高GDP比を5年目までに引き下げる」、「政府純借入を5年目までに同3%以下に引き下げる」という新たな予算責任憲章での目標(図表1、図表5)を尊重する姿勢を打ち出すものと思われる。
図表4 日米英欧のCPI/図表5 英国の公的部門純債務残高と純借入
 
5 Ben Paxton “When will the next UK general election be?” Institute for Government Explainerでは、24年5月の可能性が最も高く、その他に24年秋と25年1月を挙げ、予算策定スケジュールとの関係などについて解説している。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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