2023年09月25日

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1――はじめに

2023 年7月24日から8月4日までの12日間の日程で、国連人権理事会のビジネスと人権作業部会による調査が行われた。同調査は、国連人権理事会の特別手続きの1つであり、独立した人権の専門家で構成される作業部会が、人権侵害の可能性のある個々のケースやより幅広い懸念について調査し、その結果を公表することで、人権尊重に対する国民の意識向上や国の取組みを促すものである。

今般、日本で実施された調査では、人権を尊重する企業の責任について、大きく3つの課題が指摘されている。

1つ目の課題は、企業間で「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGPs1)」への理解と履行に大きなギャップが存在すること。「大企業、特にHRDD2プロセスに関するものを含め、UNGPsによって企業に要求されることをかなり詳しく理解している多国籍企業」がある一方で、家族企業を含む「中小企業との間に、大きな認識の隔たりがある」ことが指摘されている。

2つ目の課題は、政府による積極的な関与が不足していること。政府は「企業をさらに巻き込み、積極的な実践や残る課題について、共通の理解の構築を図るべき」と指摘する。企業からは「実践的なガイダンスの提供」を求める声があり、「公正な競争条件」を確保するため「HRDDを義務づけることが望ましい」といった意見もあったことが示されている。

3つ目の課題は、中小企業等が人権尊重経営を実践するための能力(調査ノウハウや法律知識など、人権擁護に必要な技能)を構築する必要があること。大企業や市民社会が「取引先でのUNGPs関連の啓発と研修を進めてゆく」には、「政府がこの分野に関与すること」が重要だと指摘している。

本稿では、上記で浮き彫りになった課題のうち、3つの課題に共通する中小企業に焦点を当て、人権尊重経営の取組みについて考察する。
 
1 ビジネスと人権に関する指導原則などの詳細は、「世界的な潮流「ビジネスと人権」-先進的取組みと情報発信が肝」(2022年11月11日)を参照。
2 HDRR:Human Rights Due Diligence(人権デューディリジェンス、人権DD)

2――中小企業の人権尊重経営の実態

2――中小企業の人権尊重経営の実態

中小企業は、全企業数の99.7%、全従業者総数の68.8%、付加価値総額の52.9%を占める。日本経済に占めるプレゼンスの大きさから、中小企業を抜きにして、企業活動における人権尊重の実態を語ることはできない。

企業の人権尊重経営について、従業員の規模別でみると、実施段階(人権方針の策定や人権DD3の実践)にある企業は、大企業(従業員301人以上)でも2~3割に過ぎず、日本全体の人権取組みは、緒に就いたばかりだということが分かる[図表1]。

とりわけ、大企業の取組みを追いかける中小企業では、従業員規模が小さいほどキャッチアップが遅れている。実際、すべての企業が認識すべき、人権尊重の重要性について理解している割合は、従業員5人以下では7割程度であり、実践段階に進んだ企業は1割にも達していない。

地理的には、大企業の約4割は東京に存在する。東京都と他の道府県では、企業数に占める大企業の割合が10倍から3倍の差がある。知識や経験のスピルオーバーは、地理的に近いほど強い傾向があることを踏まえると、人権尊重経営への取り組み状況には、大企業が多い都市部と少ない地方部で濃淡が生じている可能性は否めない。

日本全体に企業の人権取組みを浸透させるには、中小企業でその必要性が認知され、実施されることが不可欠だと言える。
[図表1]従業員規模別にみる人権尊重経営
 
3 ここでは「事業活動に伴う人権侵害リスクの把握・予防・軽減策を講じること」を指す。

3――中小企業における人権取組みの必要性

3――中小企業における人権取組みの必要性

人権尊重の取組みが、社会的な影響力が大きい大企業だけでなく、中小企業にも求められる理由は、主に2つある。1つは、規模の大小を問わず、全ての企業が原理原則に基づく道義的、倫理的な責任を負うからであり、もう1つは、より現実的な問題として、人権軽視が企業経営に直接的な影響を及ぼすからである。

まず、原理原則に従えば、企業活動における人権尊重の義務は、企業規模を問わず、すべての企業に適用される。国連の指導原則には、「人権を尊重する企業の責任は、その規模、業種、事業状況、所有形態及び組織構造に関わらず、すべての企業に適用される」とあり、人権を尊重する責任は、企業規模に関係なく存在する。事業規模が小さな中小企業であっても、人権に対する潜在的・実際的な影響が必ずしも小さいとは言えず、人権に対する企業の責任は変わらないというのが、ビジネスと人権における基本的な考え方である。

なお、その際、企業の果たすべき責任は、たとえその企業の業容が国内に限られたものであったとしても、国際的に認められた全ての人権範囲に及ぶことになる。その理由は、当該企業が国際展開をしていなくても、サプライチェーンなどを通じて、何らかの形で海外とつながる可能性が生じ得るからである。企業は潜在的に、全ての人権領域に影響を及ぼす可能性がある。その前提に立ち、企業には国際スタンダードに則った人権尊重の取組に最大限努めることが求められる。

2つ目の現実的な側面として、人権軽視の経営が企業活動に直接的な影響を及ぼすことが挙げられる。例えば、人権に対する配慮が欠けた企業は、人権侵害を理由として、取引先から取引を停止されるリスクがある。

その背景として、近年、欧米を中心に、人権侵害の是正を企業に義務付ける法律の導入が進んでいることがある。それらの法律は、企業に調達先の人権リスクに関する調査や報告を義務付け、間接的に法域外の企業に影響を及ぼしている。日本でも2022年9月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定され、サプライチェーン等における人権リスクへの配慮が明確に求められるようになった。人権への負の影響を取り除くためには、取引先との取引停止も最終手段として検討される。さらに今年4月には、政府調達において人権尊重の取組みを行うことを、企業の努力義務とする方針が公表された。これは、政府調達の入札に参加する企業に、実質的に人権DD4の実施を義務付けるものであり、国として企業の取組みを促したものだと言える。

法規制などを通じて、サプライチェーン等における人権侵害の是正に取り組む企業が増えることは、中小企業が人権尊重経営に取組む積極的な理由となる。

なお、企業の人権取組みは自社内の人権リスクの低減に留まらず、企業価値の向上にも大きな効果がある。例えば、生産性の改善、ブランド価値の向上、投資家からの評価向上などの様々な効果が期待できる。実際、経済産業省と外務省が2021年に実施した「日本企業のサプライチェーンにおける人権に関する取組状況のアンケート調査」によると、人権方針を策定し、人権DDなどの基礎項目5を全て実施している企業は、複数項目で効果を実感している[図表2]。
[図表2]人権を尊重する経営を実施した結果、得られた成果
中でも、中小企業において特に注目されるのは、企業の人材確保に関わる項目だろう。日銀短観の雇用人員判断D.I.(「過剰」-「不足」)をみると、中小企業の人手不足はコロナ禍前のピーク時の水準に近づいている。中小企業にとって人手不足は、大きな機会損失となるだけでなく、事業の継続そのものが危ぶまれる経営危機に発展する原因にもなる。現在の人手不足は、労働受給のミスマッチや景況感の改善によるところが大きいが、今後は人口減少という構造的な要因が、人手不足に拍車を掛けることになる。そのような人材獲得競争で優位に立つには、あらゆる努力をしていく必要がある。

とりわけ、これから労働市場に出て来るZ世代は、「長時間労働」「ジェンダーにもとづく差別」といった人権に関わる問題への関心が高い6。企業イメージは採用活動でも重要な要素であり、企業文化(社内の風通し)や従業員関係(ハラスメント)、労働条件(本人同意がない転居を伴う転勤)などが、働き手を惹きつける要素となる。

ただ、これらの動機付けは、差し迫った危機感を感じにくいこともあって、中小企業が実際の行動に移るには弱いことも事実である。実際、東京商工リサーチの調査によると、販売先から人権尊重に関する取組の働きかけや要請を受けたことがあると回答した企業は、従業員規模301人以上の大企業でも1割程度に過ぎない[図表3]。サプライチェ―ン等を通じて人、権尊重経営の実践を求められている企業は、まだ少ないのが実態である。加えて、中小企業には、人権対応に割ける人員や予算が少ないと言った事情や、人権DDに関するノウハウが不足しているといった課題もあり、原理原則は理解できても、実際の取組みには踏み込めないという企業が多いと推察される。
[図表3]販売先からの人権尊重に関する取組の働きかけや要請の有無(従業員規模別)
 
4 企業が自らの事業活動に関連する人権侵害リスクを特定し、それを予防・軽減・是正し、その進捗や結果について、外部公表することで、継続的に改善していくためのプロセス。
5 人権方針策定、人権DD実施状況、外部ステークホルダー関与、組織体制、情報公開状況、救済・通報体制、研修実施状況、サステナブル調達基準
6 日本労働組合総連合会「Z世代が考える社会を良くするための社会運動調査」(2022年3月3日)
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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

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