コラム
2022年11月11日

世界的な潮流「ビジネスと人権」-先進的取組みと情報発信が肝

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也

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1――人権デュー・ディリジェンス

1ビジネスと人権に関する潮流
人権デュー・ディリジェンス(以下、人権DD)は、企業が自らの事業活動に関連する人権侵害リスクを特定し、それを予防、軽減、是正を図る取組みだ。

人権DDが、世界的な潮流として定着したのは、2011年に国連人権理事会で「ビジネスと人権に関する指導原則」が承認されたのが始まりだ。ビジネスと人権の問題は、1990年代には既に世界的な課題と認識されていたが、当時はまだステークホルダー間に見解の相違が存在し、共通の理解が得られていなかった。そこで国連は、2005年に「人権と多国籍企業及びその他の企業の問題」に関する事務総長特別代表という役職を新設し、議論を進めるうえで必要となる実態の調査研究に取り組み、6年という歳月を掛けて、すべてのステークホルダーに受け入れられる人権尊重の在り方を採択するに至った。それが、現在では多くの国や国際機関などの様々な法律や、規則に反映されている指導原則の成り立ちであり、世界的な取組みとして人権DDが普及してきた背景である。
2企業に求められる人権取組みの全体像
同原則は、「国家の人権保護義務」「企業の人権尊重責任」「救済へのアクセス」という3つの柱から構成される。すなわち、国家は管轄内における人権侵害の防止と救済に努める義務を負い、立法的・行政的な手法を用いて、企業に人権尊重に取り組むよう求めることが必要とされ、企業は事業活動で適用される、すべての法令や規則を遵守し、人権を尊重する責任を果たして行くことが求められる。そして、人権侵害が万が一生じた場合には、被害者が実効的な救済を受けられるよう、国や企業に対して救済メカニズムを構築することを求めている。

企業に求められるのは、このうち基盤となる原則を含む14の指導原則からなる、第2の柱「企業の人権尊重責任」であり、特に多くの主体が関わる重要なパートだ[図表1]。具体的には、次の3つの取組みが必要とされる。
[図表1]国連ビジネスと人権に関する指導原則
第1の取組みは「人権方針の策定」である。企業は、すべての企業活動において、人権を尊重する責任を果たすという、コミットメントを発信する。専門的な助言を受けて策定した人権尊重の方針を企業の最上級レベルで承認し、具体的な手続きに落とし込んで行く。

第2の取組みは「人権DDの実施」である。企業は、事業領域や取引先における人権への負の影響を評価・特定し、悪影響の予防・軽減・是正する措置を講じる。社内プロセスの変更や活動の停止、調達先への人権尊重の働きかけなどを行い、是正措置が適切に機能しているかを調査して、サスティナビリティ・レポートや統合報告書などの形で社外に発信する。これらのステップは、継続的に繰り返していくことが望ましいとされる。

最後の第3の取組みは「苦情処理メカニズムの構築」である。企業は、自社が人権侵害に関与したことが判明した場合に、それを是正する仕組み(すなわち、苦情処理メカニズム)を整えておく。これらの仕組みは、実効的に運用されるよう責任者や担当部署を指定し、地域社会や他の企業等とも協力して、被害者の救済に当たることが求められる。

2――企業が配慮すべき人権課題

企業が尊重すべき人権課題は、多岐に渡る。例えば、主な課題としては「賃金の不足・未払」「過剰・不当な労働時間」「外国人労働者の権利」「児童労働」「サプライチェーン上の人権問題」など、労働関連のリスクが挙げられるほか、「結社の自由」「プライバシーの権利」「表現の自由」などの個人の心情や尊厳に関する問題も対象となる[図表2]。また、法令遵守と人権尊重責任が、必ずしも一致していないことには注意する必要がある。人権尊重が求められる領域は、すでに法的に遵守が義務となっている領域外にも広がっている。企業は、特定の法域におけるスコープに留まらず、国際的に求められる人権尊重の範囲を最大限に確保し、潜在的なリスクにも目を向ける必要がある。

人権尊重の必要性は、すでに多くの日本企業に共有され、改善に向けた取組みは始まっているが、企業が国際社会から求められる水準は、ますます高まる方向にある。
[図表2]企業が尊重すべき人権の分野

3――人権法の導入で先行する欧米諸国

企業活動における人権擁護の取組みは、普遍的価値として人権を強調する、欧米を中心に進んでいる。とりわけ欧米では、人権DDを法制化する動きが顕著だ[図表3]。

例えば、1930年に関税法を制定した米国では、強制労働・児童労働等により製造された産品の輸入を差し止めることができる。また、他国に先駆け2013年に国別行動計画(National Action Plan on Business and Human Rights、以下NAP1)を公表した英国では、2015年に「現代奴隷法」が制定されている。この法律は、一定規模以上の企業に対して、サプライチェーン上の人権侵害リスクを特定し、その防止に係る措置について公表することを企業に義務付けたものだ。また、2017年にNAPを策定したフランスも、同年「注意義務法」を制定し、一定規模以上の企業に対して、人権や環境に対する悪影響を特定し、予防・是正措置を講じるよう義務づけている。さらに欧州では、人権DDや環境DDを義務付ける「デュー・デリジェンス指令」(案)が公表され、法制化に向けた検討も進められている。同指令がパブリックコメントを経て法制化されれば、加盟国は2年のうちに国内法への置き換えを済ませ、順次施行していくことになる。
[図表3]人権デュー・デリジェンスの法制化
 
1 NAPは、国連の指導原則に基づいて、国家が人権保護の義務を果たすために、各国で策定が推奨されている政策文章。
 国がどのような行動を取るかを明確化し、企業等の取組みを支援・促進するかを記述する。文章自体に法的拘束力はないものの、指導原則を承認した国は実施に関する国際法上の義務を負うことから、法制化が検討される流れにある。

4――日本でも法制化に向けた動きが前進

国際的には欧米が先行した状況にあるが、欧米と同じ価値観を共有する日本も、取組みを強化している。日本がNAPを策定したのは2020年10月。欧米に比べれば遅い導入となったものの、アジアの中では、2019年10月に策定したタイに続く。

これを受けて、各機関も取組みを本格化している。例えば、東京証券取引所が、2021年6月に公表した「改定コーポレートガバナンス・コード」では、人権の尊重がサステナビリティを巡る課題の1つに挙げられたほか、経団連が2021年12月に公表した「改定企業行動憲章 実行の手引」では、第4章に人権を尊重する企業の責任が記されている。

さらに政府は、今年2022年9月、企業が人権対応を進めるための指針「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン」を策定し、企業における人権DDの実施を後押しする姿勢を示している。これは、NAPでは踏み込めなかった企業対応を強化するものであり、より具体的で実効的な対策が取られるよう、企業事例を多く盛り込んでいるのが特徴だ。日本で事業活動を行う企業は、企業規模や業種等に関わらず、すべて人権に配慮していくことが求められる。

ただ、同指針は、すべてのリスクに対して、企業が同時に対処していくことを求めてはいない。企業の規模や事業の性質を考慮したうえで、優先順位の高い課題から順次対応していくことが重要だとしている。企業の取組みとしては、まず経営陣のコミットメントを得たうえで、ステークホルダーとの対話を重ね、取引先との関係を維持しながら問題の防止・軽減に努めることが重要だとされる。そのうえで、取引停止を「最後の手段」と位置づけ検討することを求めている。

現時点では、NAPも今般策定されたガイドラインも法的拘束力を持たないものの、海外での義務化の動きを受けて、今後日本でも法制化に向けた検討が進んで行くとみられる。

5――企業価値向上につなげる仕掛け → 「先進的取組み」「情報発信」

世界的に人権擁護に対する企業の責任が増す中、日本企業にも近年、厳しい目が向けられている。

例えば、ミャンマーで軍事クーデターが起きた際には、市民を弾圧する国軍関連企業と取引関係を持つ企業に批判が集まったほか、中国新疆ウイグル自治区における強制労働に関する問題では、現地に進出している日系企業に実態調査や透明性の確保が求められた。さらに、今年勃発したロシアによるウクライナ侵略でも、人権侵害を行う国で活動を継続する企業には、厳しい視線が注がれている。

これらの事案は、企業の人権問題に対する意識や関与の欠如が、大きな経営リスクにつながり得ることを示唆している。企業は、国際的に認められる水準まで人権擁護の取組みを強化し、企業価値に影響を与えるリスクを軽減していくことが重要だと言える。

ただ、企業活動における人権擁護の取組みは、法令遵守やガバナンス体制の構築に、追加のコスト負担を生じさせることから、二の足を踏んでしまう企業も少なからず存在する。とりわけ、欧米対比で取組みが遅れてきた日本企業は、国際水準へのキャッチアップもこれからだ。
[図表4]人権に関する取組が事業活動に与える影響
しかし、人権に関する取組みは、企業活動に大きな影響を及ぼすようになったいま、対応を先延ばしにしても良いことは何もない。人権軽視は売上減少やコスト増、企業価値の毀損につながる経営上のリスクであり、人権擁護の取組みはそのリスクを回避し、事業にポジティブな影響をもたらす “投資”だという認識を持つべきだろう[図表4]。

企業は本来的には、人権に関する負の影響を回避するとの観点から、人権擁護に積極的に取り組むべきであるが、投資と言う別の側面からみた場合には、如何に企業価値に結び付けていけるかを考えていくことも大切である。すなわち、何に取組み、如何に伝えていくかと言う視点だ。

企業の取組みとしては、横並びを意識するよりも、むしろ先進的な人権尊重の試みを、積極的に展開していく方が、チャンスは大きいのではないだろうか。企業の人権取組みは、いまや国や国際機関、市民団体だけでなく、投資家や個人も注目している領域であり、他者に先駆けて積極的な取組みがアピールできれば、企業のブランド価値や魅力の向上につながる。特に今後、デジタル化が進み、消費者主導型の経済構造に変わっていく中で、消費を決定づける要素として、消費者の価値観は重要性を増していくと思われる。そのような世界で、人権尊重という企業イメージは、消費者のロイヤリティを高め、確保していくのに強力な武器となろう。人権取組みにおいても、先進的な取組みを始める“ファーストペンギン”になることは、将来のリターンを高めることにつながる可能性がある。

また、企業は人権課題への取組みを積極的に行うだけでなく、その成果を社会にアピールすることも、全力で取り組む必要がある。企業が行う素晴らしい試みも、社会に認知されなければ、新たな価値を創出することにつながりにくい。人権擁護の実践を担当する部署は、広報や顧客との接点を多く持つ部署とも連携して行くことが重要になる。

人権尊重に関する日本企業の取組みは、まだ十分洗練された状態にあるとは言えないものの、それは他社に先行できる余地が、国内に残されていると言うことでもある。すなわち、企業には人権擁護の経営により国際的な責任を果たしつつ、自社にポジティブな影響をもたらす機会があるということだ。そして、個々の企業が人権擁護で切磋琢磨することは、社会全体の人権意識を高めることにもつながって行く。今後、企業の人権取組みが加速し、日本全体で好循環が生まれて行くことに、大きく期待していきたい。

【参考文献】
・一般社団法人日本経済団体連合会「人権を尊重する経営のためのハンドブック」,2021年12月14日
・外務省「ビジネスと人権とは?」,2020年3月
・ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議「「ビジネスと人権」に 関する行動計画」,
2020年10月
・国際連合広報センター「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために」
 2011年3月21日
 
 

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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2022年11月11日「研究員の眼」)

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