2022年09月07日

企業主導のSDGs祭りから国民主役のESG投資へ

日本生命保険相互会社 執行役員/PRI(国連責任投資原則)理事 木村 武

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4――企業のwell-being経営とESG投資の関連性

日本においてESG投資に対する理解や関心を高めていくうえで、企業には重要な役割がある。年金は従業員に対する後払い賃金であり、その運用は従業員の資産形成に大きな影響を及ぼし得る。特に、DB(確定給付)型からDC型(確定拠出)型へシフトが続く中で、個々の従業員(受益者)が適切な資産運用を行うには、金融リテラシーを身に着けることが重要である。この点を、well-being経営の観点から以下整理する。

日本でも、近年、well-being経営に対する関心が高まっているが、日本企業の多くは、physical well-being や career well-beingの取組みが主たる内容になっている(図9)。具体的には、従業員の健康診断やワークライフバランス、ストレスチェック、産休・育休の推進などである。しかし、well-beingの重要な要素はそればかりではない。地域社会と従業員の良好な関係構築といったcommunity well-beingや、従業員の的確な資産管理といったfinancial well-beingも重要な要素である(図10)。
(図9)日本企業におけるwell-beingの取組み状況
米国の職場では、激しい人材獲得競争(war for talent)が続く中、企業はより優秀な人材を惹きつけ、かつ定着率を改善するために、従業員のfinancial well-beingの改善に向けた取組みが活発になっている4。多くの企業が401(k)プランを提供し、金融教育プログラムの提供・増強に努めている。こうした中、モルガンスタンレーは、「企業向けに、従業員のfinancial well-beingを向上させるためのプログラム設計をサポートする」専門会社を立ち上げている5。金融リテラシーとは、financial well-beingを改善するために必要な金融に関する意識・知識・技術であり、従業員の金融リテラシー改善のサポートが米国企業にとって重要な課題になっている。
(図10)Well-beingを構成する5つの要素
米国のDCプラン加入者を対象にしたアンケートによると、(1)加入者の87%が、投資商品が自分の価値観と一致することを望んでいるほか、(2)加入者の74%が、ESG関連の投資商品があれば拠出率を引き上げる、と回答している(図11)。つまり、企業はDCプランの投資商品の受け皿にESGファンドを加えることによって、従業員の拠出を増やし、退職準備を支援できるということを示唆している。参考までに、米国のDC加入者は、ESG投資によってインパクトを与えたい分野として、気候変動といった E の要素より、労働者の福祉や賃金といった S の要素を重視する傾向がある。こうした受益者の選好・ニーズに合わせた投資商品を揃えることも、従業員のfinancial well-beingの向上につながると考えられる。

さらに、年金資産のESG投資を通して、従業員が実社会の持続可能性の改善に寄与できれば(前掲図6)、実社会とのつながりの深化という点で、従業員のcommunity well-beingの改善にも寄与すると考えられる。英国では、“Make My Money Matter”という市民主導のキャンペーンがある6。これは、企業年金資産の運用にESGの視点を取り込み、実社会(地球環境や人々)に対してポジティブなインパクトを与えるよう、年金基金の加入者(従業員)が、基金運営者とその母体企業に働きかけを行うというものである。“My Money”と言っていることから明らかなように、年金資産のasset ownershipが年金加入者個々人にあることが強く意識されている。企業(年金基金)は、従業員の価値観や選好を踏まえたうえで年金資産を運用し、実社会の持続可能性の改善に貢献することが重要になっている。“Make My Money Matter”のグリーン憲章に署名する企業は着実に増加しており、これは、企業による従業員のcommunity well-beingの改善に向けた対応と整理できよう。

こうした米欧での取組み事例をみると、日本企業における年金運営を通したcommunity well-beingとfinancial well-beingの取組みはかなり手薄と言わざるを得ない(前掲図9)。
(図11)米国DCプラン加入者のサステナビリティ選好
 
4 CNBC, “Should employers offer financial education to their workers? More are saying yes amid the Great Resignation”, PUBLISHED MON, APR 25 2022.
5 Morgan Stanley at Workのホームページを参照。
6 Make My Money Matterのホームページを参照。

5――ステークホルダー資本主義と国民主役のESG投資

5――ステークホルダー資本主義と国民主役のESG投資

日本企業にとって、年金をレバレッジにして従業員のwell-beingの改善に努めることは重要な課題である。視点をさらに広げれば、企業年金運営の活性化は、新しい資本主義やステークホルダー資本主義を具現化するうえでも、重要なステップと言える7

企業年金の加入者(受益者)を考えれば明らかだが、彼らは投資先企業の間接株主であるだけでなく、企業の従業員であり、また消費者や地域住民の顔も併せ持っているので、本来、投資先企業のステークホルダーの代表として、コーポレートガバナンスに関与することが理想である(図12)。責任投資やESG投資に関して、エンゲージメントというと、投資家による企業との対話がすぐに思い浮かぶが、本来、機関投資家が行うエンゲージメントには、投資先企業との対話だけではなく、最終受益者との対話も含まれる。受益者との対話はインベストメントチェーンのスタート地点であり、ここでアセットオーナーが受益者のサステナビリティやESGに関する選好・価値観を把握しないことには、インベストメントチェーンのリレーがそもそも始まらない。

責任投資やESG投資において、年金基金などのアセッオーナーは受益者の「魂」を踏まえて行動する必要があり、その魂を込めた自らの投資方針をアセットマネージャーにしっかり伝達してはじめて、インベストメントチェーンのリレーが実現する。アセットマネージャーが、ESG投資の受け皿をいくら用意しても、魂のリレーがなければ、「仏作って、魂入れず」であり、残念ながら、これが日本のESG投資の現状である。
(図12)インベストメント・チェーンと企業のステークホルダー
「魂」の円滑なリレーは、ステークホルダー資本主義を具現化するうえで重要なステップであり、これは、「国民の声を聴く新しい資本主義」、あるいは、「国民主役のESG投資」と言い換えることができよう。その実現には、まず、母体企業が年金運営の抜本的な改革を通して、(1)従業員(受益者)に対する投資教育によって金融リテラシーの改善を進めるとともに、(2)従業員のサステナビリティに対する選好や価値観の調査把握など従業員エンゲージメントの強化を通して、年金資産のESG投資の推進を進めていくことが重要である。

「国民主役のESG投資」の推進に向けた企業の取組みは、「SDGs祭り」の次なる必須ステップである。企業が従業員のfinancial well-beingやcommunity well-beingの改善を通して、「国民主役のESG投資」を推進・サポートすることは、長い目で見て「企業自身のSDGsの達成」を容易にすると考えられる。

特に若い世代へのエンゲージメントは重要である。ESG投資は長期的な視点から企業の持続可能性やリスクを評価してリターンの確保を目指すものであるため、高齢層よりも(長期投資が可能な)Z世代やミレニアル世代の方がESG投資に向いている。実際、世界的にみて高齢化比率の高い日本では、ESG投資(サステナブル投資)が敬遠される傾向がみられる(図13左)8。また、日本の消費者のサステナビリティ志向が低い――次世代につなぐためにできることをしている人の割合が低い――のも、高齢化比率と関係しているようにみえる(図13右)。このことは、日本の高齢化比率の高さが、ESG/SDGsの促進にとって逆風になっている可能性を示唆している。したがって、日本では、こうした逆風をはねのけながらESG投資を推進していく必要があり、そのためには、企業による年金システムを活用した、若い世代へのエンゲージメントを強力に推し進めることが不可欠である。20~30年後に企業経営を担うZ世代やミレニアル世代がESG投資を知らずして、企業によるSDGs貢献が実現するシナリオを想像することはできない。
(図13)高齢化率と人々のサステナビリティ志向
他方、高齢層への働きかけを軽視してよいわけではない。ESG投資は、持続可能性を重視するという点で、「未来・次世代につなぐ投資」と言い換えることができ、その意味では、本来、高齢層の間で相続の受け皿としてもっと認識が高まってもよいはずである――遺産対象と考えれば、投資ホライゾンを長期化できる――。国税庁の統計から、相続財産の内訳をみると、土地の割合が長期的に低下する一方、現預金の割合が高まっている(近年は30%強)9。この間、有価証券の割合は約15%で推移している。相続財産において、現預金から有価証券へのシフト、有価証券内でのESG投資商品へのシフトの余地は大いにあると考えられる。「次世代が住みやすい地球環境や社会の構築・維持」という視点を相続に取り入れる、すなわち「孫子(まごこ)のためのESG投資」という発想を高齢層の間でどう広げていくかは資産運用業界(ならびに政府)にとって大きな課題と言えよう。
 
7 木村武・中曽宏、「受益者の魂を反映した責任投資のリレーを実現せよ」、金融財政事情2022年年6月14日.
8 一般にライフサイクルの末期に近づいていくにしたがって、金融資産構成については、価格変動リスクの少ない(流動性の高い)現預金や個人向け国債などの割合を高めていくことが合理的と考えられる。
9 国税庁「令和2年分相続税の申告事績の概要」を参照。
 
 

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日本生命保険相互会社 執行役員/PRI(国連責任投資原則)理事 木村 武

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(2022年09月07日「基礎研レポート」)

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