2022年06月06日

イギリスの不妊治療の現状とは?-イギリスの生産性は日本と比べて高く、特に35歳未満では13%ポイントの差-

生活研究部 研究員・ジェロントロジー推進室・ヘルスケアリサーチセンター 兼任 乾 愛

文字サイズ

1――はじめに

初稿では1、2022年4月より日本において不妊治療の保険適用が開始されることに際し、過去の特定不妊治療の助成事業の変遷を振り返り、制度の影響や不妊治療成果の限界についての特徴を紹介した。また、前稿では2、米国の不妊治療の現状についても紹介し、日本よりも治療実績件数が低いにも関わらず、日本より10%ポイントも高い生産率であることが判明した。本稿では、さらに日本の不妊治療の実態について評価するため、イギリスの制度の変遷や不妊治療成果についての現状を整理し、日本と比較検証したい。

尚、本稿は基礎研レター「不妊治療の現状とは?」における全3回のうちの第3回目にあたり、日本の現状は第1回、アメリカの現状は第2回を参照されたい。
 
1 乾愛(2022)基礎研レター「日本の不妊治療の現状とは?」2022年3月1日
2 乾愛(2022)基礎研レター「米国の不妊治療の現状とは?」2022年5月20日

2――イギリスの不妊治療に対する経済的支援

2――イギリスの不妊治療に対する経済的支援

イギリスの不妊治療に対する経済的支援は、全国民に提供されている包括的な医療サービス(National Health Service ; NHS)3においてまかなわれている。イギリスの医療保障制度は、全国民を対象とした現物給付方式が採用されている。不妊治療に対する経済的な支援についても、NHSにより、医療費が100%カバーされる仕組みとなっている。しかし、実際に適用となる要件は、NHSを管轄するコミュニティーレベルの運営組織Clinical Commissioning Groups;CCGs)4ごとに大きく異なる。例えば42歳未満であれば年齢を制限せず治療期間を2年間とするものや、36歳未満であれば2年間、36歳から42歳までは1年間と治療期間を限定するもの、胚移植は1回とするものから最大3回まで認めれれるもの、パートナーの両方に子どもがいる場合には適用外となるなど、CCGsごとに適用される年齢や治療内容・回数、属性などの要件が大きく異なるのが現状である。
図表1.CCGsごとにおける適用回数(イングランド及びウェールズ) また、不妊治療の総治療件数に対するNHSの適用割合は、イングランドでは35%、スコットランドでは62%という記述もある。5これは、イングランドでは残りの65%、スコットランドでは残りの38%が不妊治療における適用を受けられていないことを示している。

さらに、図表1の通り、CCGsごとの不妊治療の適用回数をイングランド・ウェールズ内だけでみると、適用されない地域(薄橙)もある中で、最大3回まで適用される地域(深緑)も存在する。

つまり、イギリスでは全国民に対し包括的な医療サービスが提供されているにも関わらず、実際の不妊治療に関する適用には地域による偏りが大きいと言える。

これらイギリスの特徴と比較すると、日本では不妊治療に対する医療保険の適用要件は一律決まっているため、受けられる治療内容や回数、さらには自己負担額の差異も生じないことが特徴と言えよう。
 
3 NHS website(2022), https://www.nhs.uk/conditions/social-care-and-support-guide/
4 NHS website(2022), https://www.england.nhs.uk/commissioning/who-commissions-nhs-services/ccgs/
5 Abcivf(2022), Can you get IVF on the NHS if you already have a child?,page, 10行目参照

3――総治療実績件数の年次推移(日英比較)

3――総治療実績件数の年次推移(日英比較)

次に、「Fertility treatment 2019」6に公表されている1992年から2019年の不妊治療実績件数7について図表2に示した。1991年頃の総治療実績件数はイギリス7,360件、日本では11,546件と、日本の方が4,186回ほど多く実施されていたが、28年後の2019年になるとイギリス78,476 件、日本458,101件という結果であった。この30年近くでイギリスの不妊治療の実施件数は約10倍に、日本では約40倍に増加し、2019年において日英を比較すると、日本ではイギリスの5.8倍も多く実施されていることが明らかとなった。また、人口規模を補正するため、1991年及び2019年の各年人口数に対する比率(人口千対)8を示すと、1991年ではイギリス0.12回、日本0.09回、2019年ではイギリス1.16回、日本3.6回という結果となった。人口に対する不妊治療の実施率は、1991年当初はイギリスの方が比率が高いが、2019年には2.44回の差で日本の方が高い比率になっていることが明らかとなった。
図表2.総治療実績件数年次推移(日英比較) 総治療実績件数は、日本では特に2012年頃から急伸しており、これは2011年に特定不妊助成事業で初年度に適用される治療回数が2回から3回へ引き上げられことに起因する。また、2016年頃から停滞しているのは、特定不妊治療助成事業において年齢制限が加えられたことが要因と推察される。一方でイギリスでは全体を通してゆるやかな伸び方となっている。イギリスの不妊治療に対するNHSの適用には、年齢や治療内容・回数における要件がCCGsごとに大きくことなることは上述の通りであるが、加えて婚姻関係にない者や、既に子どもがいる者には適用されないなど属性に対する要件もかなり厳しく地域差が存在する。さらに、イギリス国内で不妊治療を提供するための施設の許認可を請け負うHFEAによると9、2019年に認可された不妊治療施設は106か所10しかなく治療の受け皿も少ないことが治療実績件数が伸びない要因と推察される。
 
6 Human Fertilisation &Embryology Authority(2022)「Fertility treatment 2019」Fertility treatment 2019: trends and figures, UK statistics for IVF and DI treatment, storage, and donation,Published: May 2021.)
7 本稿で記す不妊治療実績件数とは、総治療周期数のことを示し、治療周期数とは、「月経開始から次の月経開始までを1周期ととらえ治療する回数のことを示す。含まれるデータは、体外受精・人工授精・胚移植等である。
8 人口比(人口千対)の算出は、(1995年及び2019年度の不妊治療実績件数 / 人口実績値 *1000
尚、治療実績件数は人数ではなく回数であるため、ひとりが複数回実績値を計上している可能性があるので、飽くまでも人口規模を考慮した際の参考値として取り扱うことに留意。
また、イギリスの人口は、World Poppulation Review,United Kingdom Populationより、1991年及び,2019年の総人口を用いた。https://worldpopulationreview.com/countries/united-kingdom-population 日本の人口は、国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料「表1-1総人口および人口増加」より1991年及び2019年の総人口実績値を用いた。
9 HEAF, State of the fertility sector 2020/21,In2020/21,103 clinics were licensed by the HFEA to provide fertility treatment. https://www.hfea.gov.uk/about-us/publications/research-and-data/state-of-the-fertility-sector-2020-2021/#:~:text=In%202020%2F21%2C%20there%20were,licensed%20to%20provide%20storage%20only.
10 尚、2020年(公表最新値)のイギリス国内における不妊治療提供クリニックの数は103か所と減少している。

4――年齢別生産率(日英比較)

4――年齢別生産率(日英比較)

続いて、日英の不妊治療における生産率を比較するため、「Fertility treatment 2019」が公表している2019年イギリスのART(生殖補助医療)生産率と、日本産科婦人科学会が公表している2019年ARTデータから算出した日本の生産率11を、図表3に年齢別に示した。
図表3.年齢別生産率(日英比較) 2019年日英の年齢別生産率を比較すると、35歳未満ではイギリス32%に対し日本19%と13%ptもの差が認められ、日英共に年齢が上昇すると生産率は著しく低下している。

全年齢を通じて、イギリスの生産率が日本と比べて高い要因として、精子提供や卵子提供が認められ12、代理出産13や死後生殖14、独身女性や同性愛者などの不妊治療が禁止されていないこと15があげられる。日本のように配偶者間での不妊治療を続けても、不妊要因が卵子や精子因子の場合は妊娠確率をあげることはできないが、卵子や精子のドナー提供があれば妊娠確率の上昇がをあげることが期待できる。

これらの幅広い治療方法が、特に妊娠効果が期待しやすい35歳未満における生産率の13%ptもの乖離を生み出しているものと推察される。日本では生命倫理や医療倫理の観点からドナー提供については認められていないが、諸外国との生産率の差異を生み出す要因については検証する必要があろう。
 
11 本稿における生産率とは、「総治療周期数」から「分娩(出産)」に至った割合を算出したものである。
12 GOV.UK,Legal rights for egg and sperm donors. https://www.gov.uk/legal-rights-for-egg-and-sperm-donors
13 GOV.UK, Surrogacy;legal rights of parents and surrogates. https://www.gov.uk/legal-rights-when-using-surrogates-and-donors,
14 死後生殖とは、生前に凍結保存された卵子や精子を用いて、生殖補助医療を施すことを示す。以下、イギリスの「Family & Low」参照、https://www.familyandlaw.eu/tijdschrift/fenr/2020/04/FENR-D-19-00008
15 NHS, Having a baby if you are LGBT+, https://www.nhs.uk/pregnancy/trying-for-a-baby/having-a-baby-if-you-are-lgbt-plus/

5――まとめ

5――まとめ

本稿では、イギリスにおける不妊治療の特徴を日本と比較検証した。その結果、イギリスの医療保健サービスでは居住地域により不妊治療の適用要件が大きく異なり、不妊治療施設も限られていることから治療実績件数の伸び率はゆるやかである。しかし、生産率の日英比較をすると、イギリスの方が日本より生産率が高く、特に35歳未満では13%ptもの差が生じていたことが明らかとなった。イギリスは、卵子・精子提供等が認められているため、特に妊娠効果が期待しやすい35歳未満において効果が顕著にあらわれたものと推察される。日本では慎重な姿勢とはなるが、諸外国との生産率の差にこれらの治療方法の違いが影響している可能性が示唆される結果となった。

これまでに、基礎研レター「不妊治療の現状とは?」全3回を通じて、米国やイギリスの不妊治療の現状を整理しながら、日本と比較してきたが、日本は不妊治療に対する経済的支援体制は充実しているものの、治療者の年齢構造が高いことにより治療の生産性が諸外国と比べ低くなっていることが浮き彫りになった。日本では、2022年4月に不妊治療に対する保険適用が開始されたばかりであるが、望む者が妊娠できるような不妊治療体制を整えるには、経済的支援体制のほかに、早期受療行動へのアプローチや企業の両立支援体制などの視点についても検討していく必要があろう。
Xでシェアする Facebookでシェアする

生活研究部   研究員・ジェロントロジー推進室・ヘルスケアリサーチセンター 兼任

乾 愛 (いぬい めぐみ)

研究・専門分野
母子保健・高齢社会・健康・医療・ヘルスケア

経歴
  • 【職歴】
     2012年 東大阪市 入庁(保健師)
     2018年 大阪市立大学大学院 看護学研究科 公衆衛生看護学専攻 前期博士課程修了
         (看護学修士)
     2019年 ニッセイ基礎研究所 入社
     2019年~大阪市立大学大学院 看護学研究科 研究員(現:大阪公立大学 研究員)

    【資格】
    看護師・保健師・養護教諭一種・第一種衛生管理者

    【加入団体等】
    日本公衆衛生学会・日本公衆衛生看護学会・日本疫学会

(2022年06月06日「基礎研レター」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【イギリスの不妊治療の現状とは?-イギリスの生産性は日本と比べて高く、特に35歳未満では13%ポイントの差-】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

イギリスの不妊治療の現状とは?-イギリスの生産性は日本と比べて高く、特に35歳未満では13%ポイントの差-のレポート Topへ