2022年05月11日

まるわかり“実質実効為替レート”-“50年ぶりの円安”という根深い問題

基礎研REPORT(冊子版)5月号[vol.302]

経済研究部 上席エコノミスト 上野 剛志

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1―円のREERは50年ぶりの低水準に

実質実効為替レート(「REER」と表記)は一般的に「通貨の実力」などと説明されるが、より厳密に言えば、「自国の財・サービス価格の海外の財・サービス価格に対する相対価格(割安・割高度)」を示し、その状態をもたらしている為替レートと言い換えることもできる。具体的には、2国間の為替レートに内外物価変動による通貨の購買力変化を反映したうえで、貿易ウェイトで加重平均したものだ。そして、為替レートが下落したり、海外よりも物価上昇率が低かったりする場合に下落する。

円のREERの推移を見ると[図表1]、直近2月の値は50年前の1972年2月以来の低水準に当たる。当時はドル円レートが1ドル305円という割安水準にあった。
[図表1]円の名目・実質実効為替レート
次に円のREERについて大きなトレンドを捉えると、1995年4月をピークとして長期にわたって下落基調にある。ただし、直近の名目実効レート*1がピークから15.3%下落したに過ぎないのに対し、REERの下落幅は55.9%に達している。海外の消費者物価指数*2がこの間に約2倍に上昇したのに対し、日本の消費者物価指数が横ばい圏に留まったことで、REERが大幅に押し下げられた形になっている。
 
*1 ある国の貿易額における相手国別の割合をウェイトとして用いて、それぞれの国の通貨との2国間為替レートを加重平均して算出する。一般的には外貨建て名目為替レートベースで、基準時点を100として計算される。
*2 BIS実質実効レート(Broad指数)対象国の各消費者物価指数を日本の貿易シェアで案分して計算。

2―下落の背景と影響

1|下落の背景
ただし、本来、購買力平価の考え方に基づけば、円のように「相対的に低インフレ国の通貨は相対的に購買力が上昇しているため、名目実効レートが上昇して、インフレ格差分の下落圧力が相殺される」はずだ。それにもかかわらず、円の名目実効レートが下落した背景には、まず日銀による金融緩和の常態化によって金利が極めて低位に抑えられてきたことが挙げられる。この間海外では日銀ほど極端な緩和策が採られなかったうえ、度々金融引き締めが行われて金利が上昇してきた。最近も顕著だが、海外での金融緩和縮小・引き締め時には内外金利差が拡大し、円安圧力が高まってきた。

また、国際収支の構造変化によって円の実需が減少したことも、名目実効レートの下落に繋がっている。貿易収支面では、企業の生産拠点の海外シフトによって輸出数量が伸びづらくなった一方で、世界的な需給のタイト化によって原油高となったことで輸入額が高止まりした結果、この10年程度の日本の貿易収支はほぼゼロに落ち込み、外貨を円に交換する「円転需要」の減少に繋がった。また、コロナ禍発生に伴う訪日客の急減によって、近年、旅行収支の黒字が急減したことも「円転需要」の減少に繋がっている。

一方、金融収支では、企業の海外シフトに伴って子会社等への投資である直接投資額が伸び、円を投資用の外貨に交換する「円投需要」が増加したことが円の下落要因になっている。つまり、円のREER下落の原因は、日本が低成長・物価低迷を脱せず、日銀が大規模な緩和を常態化させるなか、企業がより成長の見込める海外へ生産拠点をシフトさせたことに加え、原油価格が高止まりしたことで円の実需が減少したこととまとめられる。
2|下落の影響
次に円REER下落の日本経済への影響に目を転じると、プラス面としては、まず輸出への好影響が挙げられる。REERは「自国の財・サービス価格の海外の財・サービス価格に対する相対価格」を示すことから、同レートが下落すれば国内での生産コストが相対的に割安になり、「輸出数量の増加」や「輸出採算の改善」効果が生まれる。また、円安による収益改善を織り込んで株価が上昇することで、株を多く保有する富裕層を中心に、消費における一定の「資産効果」も発生する。

さらに、円安になることで日本への旅行コストが割安となり、「インバウンド消費(サービス輸出)が増える」効果があるほか、海外からの利息・配当収入の円換算額が嵩上げされる効果もある。

ただし、既述の通り、企業の生産拠点の海外シフトが進んだことで、円安にもかかわらず、輸出数量は伸び悩んでいる。また、コロナ禍で訪日客が途絶えたことでインバウンド消費も消滅しているため、円安のプラス効果は近年低減している。

一方、マイナス面としては、輸入コストの増加が挙げられる。名目為替レートの下落や海外での物価上昇によって、自国の財・サービス価格に対して海外の財・サービス価格の相対価格が上昇するためだ。そして、輸入コストの増加は、商品への価格転嫁が進まない場合には企業収益の悪化要因となり、転嫁が進んだ場合には物価の上昇を通じて家計の実質賃金を押し下げる要因になる。

たとえ、REERの下落によって輸出企業を中心に収益が改善したとしても、家計の実質賃金が下落して消費が低迷するのであれば、バランスを欠き、経済の好循環や国民生活の改善は見込めない。

現に、1995年から2020年にかけて、日本の実質賃金は約8%も下落しており、国際的に見て、賃金の低迷ぶりが際立っている[図表2]。
[図表2]主要国の賃金・物価の変化(1995→2020年)
日本の賃金低迷の原因について、企業収益を切り口として見てみると、まず、賃金の原資となる企業の稼ぎである「付加価値」が伸び悩んでいる。直近2019~20年度はコロナ禍による急激な収益悪化という特殊事情があったため、2018年度の付加価値を見ると、1995年度の水準に対して13.4%増に留まる。これは年率換算で0.5%増に過ぎない。一方、この間に企業の人件費は増加したものの、その増加率は付加価値の伸びより低く、年率換算で0.1%増に留まる。付加価値の増加率を人件費の増加率が下回ったため、付加価値に占める人件費の割合である労働分配率は大きく低下している。この構図は、リーマン危機からの回復期にあたり、REERも大きく下落した2009~18年度について特に顕著である[図表3]。
[図表3]付加価値に占める人件費・配当・社内留保の割合(全業種)
一方で、2009~18年度にかけて配当と社内留保(内部留保へ回す利益)の付加価値に占める割合は明確に上昇している。特に円安の恩恵を受けやすく付加価値増加率の高かった自動車や生産用機械では、「労働分配率低下、配当・社内留保率上昇」という傾向が顕著になっている[図表4]。
[図表4]付加価値に占める人件費・配当・社内留保の割合(自動車種)
つまり、賃金低迷の背景には、企業による付加価値創出の伸び悩みに加えて、株主配当や内部留保積み増しへの付加価値分配が優先されてきたことがある。とりわけ円安が収益の追い風になってきた輸出産業でこの優先傾向が強い。

3―REERの行方と求められること

1|REERの行方
最後にREERの行方を考えると、自然体で行けば、今後少なくとも2年程度はさらに下落に向かう可能性が高い。人々の予想物価上昇率の低い日本の物価上昇率が海外の物価上昇率を超えることは考えづらいうえ、日銀が金融緩和を継続する一方で海外の主要中央銀行が金融引き締めを続けることで、内外金利差が拡大し、円安圧力になりやすいためだ。従って、輸出環境はさらに改善する一方で、家計の実質賃金はますます圧迫されることが予想される。

なお、家計への悪影響や世論の悪化を受けて、政府・日銀が人為的に円のREER下落を止めに行くシナリオも否定はできないが、ハードルは高めだ。政府が円買いドル売り介入をするためには米政府の理解がカギになるが、現在の米国にとっての最優先課題であるインフレを抑えるためには、輸入物価を押し下げるドル高の方が好都合のため、理解を得られるかは不透明だ。米国の理解がない場合でも日本の単独介入は可能だが、これまであまり効果を発揮してこなかった。また、日銀が円安を止めるために金融緩和を縮小したり、引き締めに転じたりすれば、市場金利が上昇して景気の逆風になるうえ、政府の利払いを増加させ、財政政策の余地を狭めてしまう。
2|REER下落に対して求められること
今後、円のREERがさらに下落に向かうことを前提とした場合、最も求められることは賃金の上昇だ。企業が生産性を高めて付加価値を増加させ、従業員に適切に利益増加分の還元を行えば、REER下落による実質賃金の下落が回避できる。もちろん、従業員にも生産性向上に向けた取り組みが求められるし、政府も生産性向上・適切な利益分配に向けての環境・枠組み作りが求められる。

そして、賃金が持続的に上昇に向かえば、経済の好循環が起こり、予想物価上昇率の上昇や需給ギャップの改善を通じて、物価上昇率も底上げされるだろう。

その後、持続的な物価上昇を受けて日銀が金融緩和の出口戦略を開始すれば、名目実効レートが上昇してREERも持ち直すことが期待される。これまで出来てこなかっただけに難易度は高いが、目指すべき理想形として念頭に置いておきたい。
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経済研究部   上席エコノミスト

上野 剛志 (うえの つよし)

研究・専門分野
金融・為替、日本経済

経歴
  • ・ 1998年 日本生命保険相互会社入社
    ・ 2007年 日本経済研究センター派遣
    ・ 2008年 米シンクタンクThe Conference Board派遣
    ・ 2009年 ニッセイ基礎研究所

    ・ 順天堂大学・国際教養学部非常勤講師を兼務(2015~16年度)

(2022年05月11日「基礎研マンスリー」)

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