2021年11月10日

共同富裕に舵を切った中国-文化大革命に逆戻りし経済発展が止まるのか?

三尾 幸吉郎

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1――問題の所在

習近平政権が「共同富裕(皆が共に豊かになる)」に舵を切った。そして、「共同富裕」の実現に向けて国民の自由を制限し、中国共産党による統制を強化する動きが目立ってきている。アリババ集団など巨大ネット企業などに対する独占禁止法違反を理由とした罰金の徴収、芸能人に対する税務調査強化や罰金の徴収、富裕層の財産に対する課税強化や富豪による第三次分配(高額寄付)の奨励など金持ち崇拝(拝金主義)を戒めるような動きがでてきたのに加えて、高価なことで庶民の生活を苦しめてきた“新三座大山1(教育、不動産、医療)”の退治に乗り出したりしている。さらには、習近平思想を小中高校で必修化したり、オンラインゲームでは未成年者の利用時間を制限したり、ライブ配信では芸能人などを応援する“投げ銭(おひねり)”を未成年者には禁止したりと、若年層への教育的指導も目立ってきている[図表-1]。

大成功を収めた企業家を戒めるような動きを見ると、“反革命分子”と見做された高官が三角帽子をかぶらされて自己批判したり組織的・暴力的な吊るし上げを受けたりした文化大革命を思い出す。文化・娯楽にまで教育的指導を行なうさまを見ると、伝統的な古典演劇だった京劇が文化大革命で変質し革命模範劇になったことを思い出す。さらに習近平思想の必修化と聞くと、文化大革命で紅衛兵2が常に携帯していた『毛沢東語録3』を思い出す。そして文化大革命を発動した毛沢東が唱え始めた「共同富裕」に焦点が当たり、習近平政権がその実現に向けて動き出すと宣言したことから、文化大革命へ逆戻りするのではないかとの懸念が浮上することとなった。

そこで本稿では、毛沢東時代にまでさかのぼって「共同富裕」の歴史を振り返った上で、習近平政権が目指す「共同富裕」とはどんなもので、毛沢東や鄧小平のそれとはどう違うのかを、習近平政権が公表した文書や習近平国家主席の重要講話などから分析し、中国が文化大革命に逆戻りすることはあるのか、そして「共同富裕」に向かうことで中国経済はどんな影響を受けるのかを考察することとしたい。
[図表-1]最近の統制強化の動き
 
1 新民主主義革命期における中国では、庶民を苦しめる帝国主義、封建主義、官僚資本主義の3つを三座大山と呼んでいた
2 文化大革命期に毛沢東によって動員された全国的な学生運動だが工場労働者を含むこともある
3 毛沢東の著作から抜粋された短文を集めて編集した語録で、政治,思想教育を進める際の教材として使われた。文化大革命が発動された1966年に一般向けの出版が開始された。中国名は『毛主席語録』。

2――習近平政権が誕生する前の「共同富裕」

2――習近平政権が誕生する前の「共同富裕」

1|「共同富裕」と「4つの近代化」の対立
改革開放が始まる前の中国には、社会主義の本質的要求である「共同富裕」を最優先する毛沢東と、「4つの近代化(工業、農業、国防、科学技術の4つの分野で近代化を目指す改革)≒改革開放」を旗印として経済発展を最優先する鄧小平らの路線対立があった。

毛沢東が「共同富裕」という言葉を初めて使ったのは、1953年12月の中国共産党中央委員会で「中国共産党中央による農業生産協同組合の発展に関する決議(中共中央关于发展农业生产合作社的决议)」を採択したときのことである。毛沢東が用いた「共同富裕」という表現がとても分かりやすかったため、多くの農民や商工業者に受け入れられるとともに、社会主義に対する理解とあこがれを深め、社会主義の実現に向けて一般庶民を結束させる求心力となった。一方、鄧小平らは社会主義の本質的要求である「共同富裕」を尊重してはいたものの、社会主義の初級段階において「共同富裕」を目指すと「共同貧困」に陥りかねないとの懸念を持っていた4 。そして、改革開放前の中国において最高指導者の地位にあった毛沢東は、「共同富裕」を損なうと考えた政策措置には断固として反対したため、1962年頃から鄧小平らが進めていた「4つの近代化」を許容することができず、1966年8月には「司令部を砲撃せよ」と題した評論を人民日報に掲載し、文化大革命を始めることとなった5

その結果、文化大革命(1966~1975年)による経済の停滞で、改革開放が始まる前の中国は極めて貧しい国となった。経済的な豊かさを示す一人当たりGDPを見ると[図表-2]、改革開放が始まった1978年の中国は156ドルで世界138ヵ国中の135位と、下にはブルンジ、ネパール、ソマリアの3ヵ国しかなかった。その20年前(1960年)には90ドルで世界101ヵ国中の84位と、下にはインドやアフガニスタンなど18ヵ国があったので、そもそも貧しかった中国がますます貧しくなったことが分かる。
[図表-2]中国の成長率と一人当たりGDPの推移
 
4 鄧小平は後に歴史的経験をまとめる際、「私たちは社会主義の道を歩むことを堅持し、根本の目標は共に豊かになることである。しかし平均的な発展は不可能であり、過去に平均主義を行って、‘大鍋飯’を食べて、実際には共に立ち遅れ、共に貧しくなり、私たちはこのような損をした」と述べている
5 「改革開放」前の中国経済に関しては『3つの切り口からつかむ図解中国経済』(20~22ページ)を参照ください
2|「共同富裕」から「4つの近代化≒改革開放」へ
1976年9月に毛沢東が亡くなり、同年10月に四人組(江青・張春橋・姚文元・王洪文)が逮捕されると、文化大革命は終焉を迎えた。しかし、文化大革命が終わった後も、社会主義の本質的要求である「共同富裕」を最優先するか、それとも経済発展を最優先する「4つの近代化」かの路線対立は続いた。鄧小平らが「実践は真理を検証する唯一の基準だ」として「4つの近代化」を進めようとした一方、毛沢東の後任として最高指導者に就任していた華国鋒らが「2つのすべて(すべての毛主席の決定は断固守らねばならず、すべての毛主席の指示には忠実に従わなければならない)」を主張していたからである。

その路線対立に終止符を打ったのが「実事求是(現実に基づいて物事の真理を追究する意)」こそが毛沢東思想のエッセンスであると主張し「2つのすべて」を排除した鄧小平だった。1981年に胡耀邦が中国共産党主席に就任すると、鄧小平は「先富論」と称する基本原則を唱えて、「一部の地域や一部の人々が先に富みを得てもよく、あとで他の地域や他の人々を助けて、徐々に共同富裕に到達することにしよう」として、社会主義の本質的要求である「共同富裕」を最終的に目指すことに変わりないものの、まずは経済発展を最優先して「4つの近代化」を進めることとした。そして、広東省の深圳,珠海,汕頭と福建省のアモイを経済特区に指定するなど「一部の地域」の発展を先行させることとし、農民や企業の経営自主権を拡大してよく働き成果を挙げた「一部の人々」が富めるようにした。その結果、国民の労働意欲が高まり、中国経済は勢いよく発展し始めた。

しかし、成果を挙げた「一部の地域」や「一部の人々」が富を得て豊かになる一方、そうでない「他の地域」や「他の人々」は取り残されたため、地域間格差、都市と農村の格差、都市内の格差が広がっていった。さらに、計画経済から市場経済へ移行する過程では、権限を悪用して巨万の富を得る党幹部や官僚が増え、彼らが次第に特権階級化していくと、取り残された地域や人々の間に不満が蓄積していくこととなった。そして、1989年には天安門事件(六四)が発生、学生による民主化要求を巻き込んで過熱したため人民解放軍が武力行使する事態となり、「4つの近代化」を旗印とした改革開放は一時中断することとなった。

その後、ソビエト連邦が崩壊(1991年)して社会主義が深刻な危機に直面した1992年1~2月、鄧小平は改革開放の再起動に動き出し、武漢、深圳、珠海、上海などを視察して改革開放の重要性を説く「南巡講話」を行った。そして、1992年10月に開催された第14回共産党大会では、ソ連が失敗した原因は経済の不振にあったと総括し、「政治的には社会主義、経済的には市場経済」との方針を定め、1993年11月に開催された第14期3中全会では「社会主義市場経済体制を確立する上での若干の問題に関する決定」を採択して、改革開放への道筋を確かなものとしていった。

そして、改革開放が始まってから習近平政権が誕生(2012年)までの経済成長率は年平均10%の高成長となり、一人当たりGDPではフィリピン、インドネシア、タイなどの東南アジア諸国を次々に追い越して、インドの4倍を超えるレベルに達し、2012年には6,317ドルと世界210ヵ国の中で110位と、中所得国(第3分位)へと急速に発展し、世界第2位の経済大国となった[図表-2]。
3|鄧小平の後継者たち(江沢民、胡錦涛)と「共同富裕」
1997年2月に鄧小平が亡くなったあと実権を掌握した江沢民は、鄧小平の改革開放路線や「先富論」を基本的に継承することとなった。「効率性と公平性を考慮する。市場を含む各種の調整手段を用いて、先進化を奨励し、効率を促進し、合理的に所得格差を引き離し、二極化を防止し、徐々に共同富裕を実現する」と述べており、「共同富裕」を尊重しつつもそれを先送りしている。その結果、在任中(六四天安門事件の影響が薄れた1991~2002年)の経済成長率は年平均10.2%と高成長を続けることとなった。一方、「共同富裕」に向けては西部大開発を打ち出して地域間格差の是正を目指したり、小康社会(ややゆとりのある社会)の実現に向けて努力したりしてはいたものの目立った成果を挙げることは叶わず、地域間格差、都市と農村の格差、都市内の格差は広がり[図表-3,4]、環境の悪化が進み6、腐敗・汚職の蔓延に歯止めを掛けることもできなかった。

江沢民のあとを引き継いで2002年に最高指導者となった胡錦涛は、人を基本とし持続可能な発展を目指す科学的発展観を唱え、「人民の根本的利益を党と国家のすべての活動の出発点と足場として、人民の主体的地位を尊重し、人民の最初の精神を発揮し、人民の各種の権益を保障し、共同富裕の道を歩み、人民の全面的な発展を促進し、人民のために発展し、人民によって発展し、発展の成果を人民が共有することを旨としなければならない」として、「共同富裕」をより重視した政治を実行に移した。その結果、地域間格差は大幅に縮小し、都市と農村の格差拡大や都市内の格差拡大にも歯止めが掛かり[図表-3,4]、環境汚染にも改善の兆しが見られたが7、腐敗・汚職の蔓延に歯止めを掛けることはできなかった。なお、在任中(2003~2012年)の経済成長率は年平均10.6%と高成長を続けることとなったが、その背景には2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟したことで、輸出と対内直接投資の急拡大という追い風が吹いたことがあった。
[図表-3]地域間、都市と農村の所得格差の推移/[図表4]都市内部の所得格差推移
以上のように習近平政権が誕生する前の中国では、社会主義の本質的要求である「共同富裕」か、それとも経済発展を最優先する「4つの近代化≒改革開放」かの路線対立があったものの、「共同富裕」は恒に意識せざるを得ない理念であり続けた。そして、「共同富裕」を重視する度合いをランク付けすると、毛沢東>胡錦涛>江沢民≧鄧小平という順番になると筆者は整理している。
 
6 例えばPM2.5大気汚染の平均年間暴露(マイクログラム/立方メートル)で見ると、1990年から2000年にかけては悪化傾向だった
7 例えばPM2.5大気汚染の平均年間暴露(マイクログラム/立方メートル)で見ると、2011年までは悪化傾向だったが、2012年以降は改善傾向に転じた

3――習近平政権が目指す「共同富裕」の方向性

3――習近平政権が目指す「共同富裕」の方向性

1|習近平政権における「共同富裕」の位置づけ
それでは習近平政権は「共同富裕」をどう位置づけているのであろうか。すなわち、毛沢東のように経済発展を脇に置いてでも今すぐに実現すべき理念と考えているのか、それとも鄧小平やその後継者たちのように経済発展を成し遂げたあとに達成すべき長期目標と考えているのか、という問題である。習近平政権が「共同富裕」をどう考えているかに関してはまだまだ不明な点も多いが、ここもとの公式文書や発言からおぼろげに見えてきたこともある。現時点で筆者は、習近平政権の「共同富裕」の位置づけは、下記3点から毛沢東のそれよりも鄧小平のそれに近いと考えている。

第一に習近平国家主席が現在の中国を「社会主義初級段階」と認識している点である。2020年10月に開催された「第14次国民経済・社会発展5ヵ年計画(2021~2025年)および2035年長期目標の策定に関する党中央の提案(以下、提案稿と称す)」に関する説明会で習近平国家主席は、「わが国は依然として、また長期的に社会主義初級段階にあり、わが国は依然世界最大の発展途上国で、発展が依然わが党の執政興国の第一に重要な任務である」と述べるとともに、第一に重要な任務は発展であると明言した。社会主義初級段階というのは鄧小平時代の1987年に提示された概念で、社会主義初級段階においては「4つの近代化≒改革開放」が主な任務とされている。さらに同説明会では、「わが国経済には長期の落ち着いた発展を維持する希望と潜在力があり、(中略)、2035年までに経済総量または1人当たり所得の倍増目標を実現することは完全に可能である」とも述べている。2035年までに所得を倍増させるためには年平均5%弱で経済成長することが必要となる。2010年代の経済成長率が年平均6.8%だったことから低い目標のように感じるかも知れないが、一人当たりGDPが世界の中位に達した中国にとっては極めて高い目標である。世界各国の一人当たりGDPを20パーセンタイルずつ5分位に分けて分析すると、中位となる第3分位にあった国の経済成長率は、1980年代が年平均3.7%、1990年代が同3.0%、2000年代が同4.2%、2010年代が同2.1%に留まり、前述の同5%弱がいかに高い成長目標であるかが分かる[図表-5]。したがって、中国の現状を社会主義初級段階と認識し、第一に重要な任務を発展とし、世界平均を大きく上回る成長を目指していることから考えて、習近平政権が経済発展を脇に置いてでも「共同富裕」に邁進するとは考えづらい。
[図表-5]世界の経済成長率(実質、年平均)
第二に習近平政権が「画一的な平均主義」を明確に否定している点である。21年8月17日に開催された中央財経委員会第10回会議では、「共同富裕」に対する取り組みの歴史を振り返って、「改革開放後、わが党はプラス・マイナス両方面の歴史経験を深刻に総括し、貧困に至るのは社会主義ではないと認識し、伝統体制の束縛を打破し、一部の人・一部の地域が先に豊かになることを認め、社会の生産力の解放・発展を推進してきた。第18回党大会以降、党中央は、人民全体の共同富裕の段階的実現を更に重要と位置づけ、有力な措置を採用して民生を保障・改善し、脱貧困堅塁攻略戦に打ち勝ち、小康社会を全面実現し、共同富裕促進のために良好な条件を創造した。我々は、正に第2の百年奮闘目標に向けて邁進しており、わが国社会の主要矛盾の変化に適応し、人民の日増しに増大する素晴らしい生活への需要を更に好く満足させるには、人民全体の共同富裕の促進を、人民のために幸福を謀る注力点とし、党の長期執政の基礎を不断に打ち固めなければならない。共同富裕は人民全体の富裕であり、人民大衆の物質生活・精神生活がいずれも富裕になることであり、少数の人の富裕ではないし、画一的な平均主義でもなく 、共同富裕を段階的に促進しなければならない。勤労・イノベーションで富裕に至ることを奨励し、発展の中での民生の保障・改善を堅持し、人民の教育程度を高め、発展能力を増強するために更に包摂的で公平な条件を創造し、上層への移動のルートを円滑にし、更に多くの人のために富裕に至るチャンスを創造し、人々が参加する発展環境を形成しなければならない。基本経済制度を堅持し、社会主義初級段階に立脚し 、2つのいささかも揺るがない8を堅持し、公有制を主体とし、多様な所有制経済の共同発展を堅持し 、一部分の人が先に富むことを認め、先に富んだ者が後の者の富裕化を牽引・援助し、勤勉な労働、合法な経営、大胆な起業で富んだ者が人々を牽引することを、重点的に奨励しなければならない」としている。したがって、現段階を「社会主義初級段階」と認識した上で、毛沢東時代に行われた「画一的な平均主義」を排除するとともに、「一部分の人が先に富むことを認める」とし先富論に基づく経済運営を継続する指針を示していることから、毛沢東の「共同富裕」よりも鄧小平のそれに近い位置づけにあると考えられる。

第三に習近平政権が「共同富裕」を長期目標としている点である。中央財経委員会第10回会議で「共同富裕を段階的に促進しなければならない」としているのに加えて、前述した2020年10月開催の説明会で習近平国家主席は、「共同富裕は社会主義の本質的要求であり、人民大衆の共通の期待である。われわれが経済・社会の発展を図るときは結局のところ人民全体の共同富裕を実現するものである。(中略)。現在、わが国は発展不均衡・不十分の問題が依然際立ち、都市農村間、地域間の発展と所得分配の格差が比較的大きく、人民全体の共同富裕促進は長期にわたる任務である。しかし、わが国が小康社会を全面的に完成し、近代的社会主義国家を全面的に建設する新たな征途を開くのに伴い、われわれは必ず人民全体の共同富裕促進をより際立つ位置に据え、しっかりと地を踏みしめ、根気よく頑張り、この目標に向かって一段と積極的に努力しなければならない。このため提案稿は2035年までに社会主義の近代化を基本的に実現する長期目標の中で“人民全体の共同富裕でより明確な実質的進展を得る”ことを打ち出し、人民の生活の質を改善する部分で“共同富裕を着実に後押しする”ことを特に強調し、幾つかの重要な要求と重大な措置を打ち出している。このような記述は党の総会文書の中では初めてのことである」と述べている。したがって、習近平政権は「共同富裕」をすぐに実現すべき理念ではなく長期目標と考えていると見てよいだろう。

但し、前述した2020年10月開催の説明会で習近平国家主席は、「現在、わが国社会の主要矛盾はすでに人民のますます高まる生活のニーズと、不均衡・不十分な発展の間の矛盾に転換し、発展における矛盾と問題は発展の質の面に体現されている。これはすなわちわれわれが必ず発展の質の問題をより際立った位置に据え、発展の質と効率の向上に力を入れることを要求するものである」として発展の質を重視する方向性を示しており、歴代の最高指導者よりも経済成長率の高さに対する執着は小さいといえる。さらに21年1月に中央党校で行った講話9の中で習近平国家主席は、「人民大衆に共同富裕が単なるスローガンではなく、目に見え、触れることができ、実感できるものだという事実を切実に感じさせなければならない」と述べており、長期目標であるとは言え、共同富裕を着実に後押しするための施策を今すぐ具体的に打ちだし、2035年には明確な実質的進展を得ることで、一般庶民から見ても「共同富裕」が単なるスローガンではなかったと証明する必要性が生じてしまった。したがって、このまま貧富の格差が縮まらないようだと、習近平政権は「共同富裕」の実現に向けてスピードアップせざるを得なくなるかもしれない。この点には細心の注意を払わなくてはならないだろう。

以上のことから、習近平政権における「共同富裕」の位置づけは、毛沢東のそれとは一線を画しているものの、歴代の最高指導者よりも強く、前述の「共同富裕」重視度ランキングに習近平を加えると、毛沢東>習近平>胡錦涛>江沢民≧鄧小平という順番になると筆者は整理している。
 
なお、鄧小平を右端におくのは間違いかもしれない。時代背景が明らかに変化しているからだ。鄧小平が実権を掌握していた1990年前後の中国は、経済的な豊かさを示す一人当たりGDPが世界で下から5分の1(第5分位)という極めて貧しい国であり、経済規模を表す名目GDPは日本の8分の1に過ぎなかった。しかし、現在の一人当たりGDPは中の上(上から見て20~40%に位置する第2分位)まで豊かになり、名目GDPも日本の約3倍で世界第2位の経済大国となっている。さらに、鄧小平時代に比べて貧富の格差が大幅に拡大、環境汚染や腐敗・汚職も深刻化しているので、前述したように「実事求是」を重んじる鄧小平が現状をどう判断するか分からないからである。鄧小平が生きていればもしかすると、「先富論」の前半(一部の地域や一部の人々が先に富みを得てもよく)の時代は終わったので、後半(あとで他の地域や他の人々を助けて、徐々に共同富裕に到達することにしよう)」に軌道修正するべきだと主張していたかもしれない。したがって、習近平政権が「共同富裕」に舵を切ったことで、鄧小平の意向に反するとは断定できない面がある。むしろ、現実に基づいて物事の真理を追究する「実事求是」で「共同富裕」に舵を切ったとすれば、習近平国家主席は鄧小平の教えに最も忠実な後継者といえるのかもしれない。実際、習近平国家主席は前述した提案稿の説明の中で、「前進方向と奮闘目標をはっきりと指し示すだけでなく、事実に即して取り組むものであり、発展法則に合致したもので、必要性と可能性を共に考慮しており、これは取り組みの中で積極的かつ適切に把握し、人民全体の共同富裕促進の道を絶えず前に向かって突き進むのに有利である」と述べており、鄧小平が尊重した「実事求是」と「摸着石頭過河(踏み石を探って川を渡る)10」の考え方は習近平政権にも根付いているようだ11。したがって今後は、「共同富裕」に舵を切ったことで新たに生じる現実に基づいて物事の真理を追究し、経済発展と「共同富裕」の最適バランスへと導けるか、習近平政権の「実事求是」と「摸着石頭過河」の実践力が試されることになる。鄧小平の忠実な後継者になれるか否かはおいおい判明してくることだろう。
 
8 この表現は国有企業のみならず民間企業への支援がいささかも揺らいでいないことを意味する
9 21年1月11日に中央党校の「省部レベル主要指導幹部党19期5中全会精貫徹専門課題検討班」開業式で行った重要講話
10 摸着石頭過河とは、必ず突破しなければならないことだが、確証がないものについては、しばらくは実践を重んじ、創造を重んじ、大胆に模索し、勇気をもって切り開くよう励まし、経験を得て見定めてから、再び押し開くように前進すること
11 2013年11月開催の中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議で決定された「改革の全面的深化における若干の重大な問題に関する中共中央の決定」でも、改革を全面的に深化させるためには、これまでの改革開放の実践が重要な経験を提供しており、「実事求是」や「摸着石頭過河」などを挙げて、中国の特色ある社会主義制度の完成・発展を推進するとしている
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