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1――概要
ECBが公表した内容は、「金融政策戦略の声明」およびその内容を解説した「金融政策戦略の概要」である。また同時に金融政策戦略に気候変動対応を含める際の行動計画も公表し、記者会見を行っている。
声明のポイントは以下の通り。
【ECBの新金融政策戦略】
(1) 外部環境の大きな変化により金融政策の実施には課題がもたらされている
(2) ECBの金融政策はEU一次法により規定・拘束され、主要目的は物価安定の維持である
(3) 物価安定目標の評価指標としてはHICPが適切であるが、帰属家賃も考慮する
(4) インフレ目標を0%より高く設定することでバッファーを設けることは重要である
(5) インフレ目標は「中期的に2%」が最良で、上下(正負)の乖離は対称的に扱う
(6) 金利に実効的な下限があるため、負の乖離には強力・持続的な手段が必要とされる
(7) 金融政策戦略は中期志向であり、短期的な乖離は許容される
(8) ECBはインフレ率を中期的に2%で安定させるよう金融政策を実施することをコミットする
(9) 金融政策の決定は比例性・潜在的な副作用を含む関連要因の総合評価に基づき実施する
(10) 気候変動は物価安定に大きな意味を持ち、金融政策評価に気候変動要因を包括的に組み込む
(11) 金融政策の決定内容に関する情報伝達は新戦略を反映するようになされる
(12) 金融政策戦略は定期的に評価し、次回は2025年に行う予定
2――新戦略の評価:タイミングはサプライズだが、内容は想定内
戦略の変更内容として主なものは、「2%物価目標の設定」「物価指標への帰属家賃の考慮」「気候変動への取り組み」が挙げられるが、これらはいずれも公表前からECBでの検討が報じられていた事項であった。公表タイミングはサプライズだったものの、内容は概ね想定通りであったといえる。
「2%物価目標の設定」については、従来は「2%に近いがやや下回る」として高インフレを主に警戒しる文言であったが、低インフレの定着も平等に警戒する目標となった。むしろ、実効的な名目金利の下限(the effective lower bound on nominal interest rates)を明示し、その際は強力・持続的な政策を実行する可能性に言及したことは、低インフレを高インフレより警戒する内容になったと言えるだろう。ECBは金利の大幅引き下げの副作用(例えば金融機関の収益悪化)を認識1>しており、マイナス金利を含めた低金利政策がインフレ促進に寄与する限界(下限)を強く意識した文言となっている2。現在、この下限近くにあると見られることから、戦略上、低インフレの定着懸念があれば強力・持続的な緩和が許容されるが、コロナ禍からの出口においてもハト派的な政策を持続されるのかが注目される。なお質疑応答では、インフレ目標に関して、オーバーシュートによる「平均2%」を目標とするFRBと「中期2%」を目標とするECBでは考え方が異なるという点に言及している。ただし、2%を大きく下回る(期待)インフレの下での金融政策運営としては、FRBもECBも強力・持続的な緩和政策が正当化されるため、その点では類似していると考えられる3。
「物価指標への帰属家賃への考慮」は、従来のHICP(Harmonized Indices of Consumer Prices:EU基準の消費者物価指数)では考慮できなかった消費者負担を補完する(HICPとしては当面、帰属家賃を考慮した指数が公表されない4ので、その間はECBが独自に考慮する)ものであり、今後の不動産市況(特に家賃)がより金融政策に反映されるようになったと言えるが、ラガルド総裁が記者会見でも述べているように、現時点においては、ユーロ圏では帰属家賃を考慮することで、金融政策スタンスが変更されるものではないと言える。
「気候変動への取り組み」は、ラガルド総裁の着任当初より言及されてきた分野である。今回は気候変動へのコミットメントおよび工程表の公開がされている。具体的な手段が公表されたわけではないが、多様な分野にわたる取り組み内容が明らかになった。
1「金融政策戦略の概要」では、中央銀行は原則として名目金利を無制限に引き上げることができる一方、マイナス金利への引き下げは、有効性が失われる「リバーサルレート」が存在する可能性などから限界があるという非対称性に言及している。
2「金融政策戦略の概要」では、限界に触れる一方でフォワードガイダンス、長期資金供給オペ、マイナス金利、資産購入といった新しい金融政策手段が、「部分的」に下限制約を克服してきた点も指摘している。
3 ECBは2%目標からの下方乖離(負の方向への乖離)を懸念する姿勢を強めていることから、逆に2%を大きく上回る(期待)インフレの下では、FRBが(平均2%に近づけるため)インフレ率の下方乖離を志向する一方で、ECBは大胆な(強力・持続的な)引き締めではなく、相対的にマイルドな引き締めにとどまるという違いが生じ得る可能性はあると見られる。
4「金融政策戦略の概要」によれば、理事会はHICPに帰属家賃を含める工程表の勧告(recommend)を決定している。工程表によれば、(1)近似ウエイトによる内部分析・法的作業、(2)帰属家賃を含む実験的四半期HICPの公表(2023年頃)、(3)四半期指数の公表(2026年まで)、(4)月次かつタイムリーな指数公表が予定されている。
3――金融政策戦略の声明
- (1) 前回2003年の戦略見直し以降、ユーロ圏および世界経済は大きな構造変化を経験している
- 生産性の伸びの鈍化、人口動態、世界金融危機の後遺症が実質金利の均衡水準を押し下げ、これに関連し、成長率のトレンドは低下した
- ECBや他の中央銀行では、主に政策金利の変更によって目標が達成できる余地は小さくなっている
- 加えてグローバル化、デジタル化、環境の持続可能性に対する脅威、金融システムの変化は金融政策の実施に課題を与えている
- (2) ECBの金融戦略はEU条約とEU機能条約5により示されている責務(mandate)により規定され拘束される
- ECBの主要な目的はユーロ圏の物価安定の維持である
- 物価安定目標を損なうことなく、ユーロシステムはEUの一般的な経済政策を支援し、EU条約3条に示されている同盟としての目標達成に貢献する必要がある
- これらの目標には、バランスのとれた経済成長、完全雇用と社会的進歩を目指す競争力の高い市場、高い水準での環境の質の改善および保護が含まれる
- ユーロシステムは信用機関の監督や金融システム安定の管理当局による政策が円滑に実施されるよう貢献する
- (3) 理事会はHICPが物価安定目標の達成を評価する適切な物価指標であることを確認した
- しかしながら、理事会は持ち家の家賃費用をHICPに含めることが家計のインフレ率を表す指標としてより良いと認識している
- HICPに持ち家の帰属家賃を完全に含めることは複数年のプロジェクトであるとの認識から、理事会は、当面、補完的な一連のインフレ指標のなかで持ち家の帰属家賃の推計が含まれるインフレ指標も考慮する
- (4) 0%より高いインフレのバッファーは、不利な出来事が生じた場合の利下げ余地と、名目金利のトレンド水準を押し上げることによるデフレリスクに対するバッファーとなる
- 2003年以降の経験は、インフレバッファーのマクロ経済的な重要性を強化している
- 特に均衡実質金利がかなり低下傾向にあるため、もしこれが持続すれば、名目金利の実効的な下限により、より頻繁に金融政策運営が制約されることになるだろう
- ユーロ圏内の国家間におけるマクロ経済の調整促進、名目賃金の下方硬直性、計測バイアスもまたインフレバッファーを正当化する
- (5) 理事会は、物価安定は中期的に2%のインフレ目標が最良だと考えている
- 理事会のこの目標に対するコミットメントは対称的である
- 対称的とは、理事会は目標からの負の乖離も正の乖離も等しく望まないという意味である
- 2%のインフレ目標はインフレ期待に対する明確なよりどころとなり、物価安定を維持するために不可欠である
- (6) インフレ目標の対称性を維持するため、理事会は実効的な(名目金利の)下限の影響を考慮することが重要だと認識している
- 特に、経済がこの下限に近づいている場合、インフレ目標からの負の乖離が定着するのを避けるために、強力・持続的な金融政策手段が必要とされる
- このため、インフレ率が一時的に目標をやや上回る期間が生じる可能性もある
- (7) 理事会は、金融政策戦略の中期的な方向性を確認した
- これは不可避といえる短期的なインフレ目標からの乖離、金融政策の経済やインフレ率への伝播の遅れや不確実性は許容するものである
- 中期志向のもと、インフレ率の目標からの乖離に対する適切な金融政策の反応は、その文脈に応じ、乖離の原因や大きさ、持続性を考慮して柔軟に実施される
- これは理事会がその金融政策決定にあたり、物価安定の追求に関連する他の考慮事項にも対応することを許容するものである
- (8) ECBは中期的にインフレ率を2%で安定させるという目標を達成するよう金融政策を実施することをコミットする
- 主要な金融政策手段は政策金利である
- 実効的な政策金利の下限を認識し、理事会はまた、特に、フォワードガイダンス、資産購入、長期資金供給オペを必要に応じて用いる
- 理事会は新たな課題が生じた際には、柔軟に対応し、必要があれば物価安定目標の追求の新たな手段を検討する
- (9) 理事会は、決定の比例性や潜在的な副作用の評価を含む金融政策の決定について、すべての関連要因の総合評価に基づいて行う
- この評価は経済分析と通貨・金融分析という2つの相互作用のある分析からなる
- この枠組みでは、経済分析は実質・名目の経済動向に焦点をあて、通貨・金融分析は金融政策伝達経路や金融の不均衡や通貨要因による中期的な物価安定へのリスクに焦点をあて通貨・金融指標を分析する
- 広く普及した、経済と通貨・金融動向でのマクロ経済・金融連関(macro-financial linkage)の役割は、2つの分析の相互依存性が完全に織り込まれていることを要求している
- この枠組みは2003年以降のECBが経済分析と通貨分析で経験してきた変化、金融政策の伝達経路を監視(monitor)する重要性や物価安定の前提に金融安定があるという認識を反映している
- (10) 気候変動は経済・金融システムの構造的・循環的な作用に影響を与えることを通じて、物価安定にとって大きな意味(implications)を持つ
- 気候変動への取り組みは世界的な課題であり、EUの優先課題である
- 理事会はその責務のなかで、EUの気候変動目標に沿う形で、気候変動と脱炭素への移行が金融政策と中央銀行におよぼす影響についてユーロシステムが最大限考慮することにコミットする
- したがって、理事会は野心的な気候変動への行動計画にコミットする
- 金融政策評価に気候変動要因を包括的に組み込むことに加え、理事会は、情報開示(disclosures)、リスク評価、金融政策枠組み、企業部門購入プログラム、担保に関する金融政策の枠組みの設計も調整する
- (11) 声明、記者会見、報告書、議事録を通じた金融政策決定の情報伝達(communication)は改定された戦略を反映するように調整される
- これらは、より広範囲の市民に向けた階層化・視覚化された伝達方法によって補完され、それはECBの行動が市民の理解と信頼を得るにあたって不可欠なものである
- 戦略見直しの間に開催された広聴(listening)イベンドの成功体験のように、理事会は対外(outreach)イベントをユーロシステムの市民交流の構造的な特徴にするつもりである
- (12) 理事会は金融政策戦略の妥当性を定期的に評価し、次回の評価は2025年を予定している
5 EUの憲法にあたる一次法。
(2021年07月13日「基礎研レター」)
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03-3512-1818
- 【職歴】
2006年 日本生命保険相互会社入社(資金証券部)
2009年 日本経済研究センターへ派遣
2010年 米国カンファレンスボードへ派遣
2011年 ニッセイ基礎研究所(アジア・新興国経済担当)
2014年 同、米国経済担当
2014年 日本生命保険相互会社(証券管理部)
2020年 ニッセイ基礎研究所
2023年より現職
・SBIR(Small Business Innovation Research)制度に係る内閣府スタートアップ
アドバイザー(2024年4月~)
【加入団体等】
・日本証券アナリスト協会 検定会員
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