2021年05月10日

コロナ後のEUの財政ルール~成長指向は強まるか?

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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欧州連合(以下、EU)は、過去の危機で、深い傷痕を残した教訓を生かすべくコロナ危機に対応してきた。とりわけ、復興基金「次世代EU」での合意は、欧州統合史に刻まれる大きな一歩として歓迎されたが、本格稼働前の段階から有効活用されないリスクが意識され始めている1。補助金の利用にあたっては、グリーン化やデジタル化、格差是正といったEUとして掲げる政策課題の解決に確実に利用されるよう様々な制約が課される。補助金は、失業率が高く、コロナ禍の打撃が大きいイタリアやスペインなどに厚めに配分されるが、厳しい利用条件を満たせず、せっかくの補助金をフル活用できない可能性がある。復興基金の3,600億ユーロ(2018年価格)の融資枠も、EUの政策課題への適合や計画との整合性が求められる上に、EUの財政ルール上の扱いが不透明なために利用が伸びない可能性が指摘される。
 
1EUによる加盟国の財政政策支援策と各国の財政政策、復興基金の制度設計の概要に関しては、「欧州復興基金の実相-米国流の‘Go Big’は望めない」(https://www.nli-research.co.jp/files/topics/67311_ext_18_0.pdf?site=nli)」(ニッセイ基礎研究所 Weeklyエコノミスト・レター 2021-3-25)等をご参照下さい。
EUの財政ルールは、実質GDPがコロナ前の水準を回復するまでは、一時停止措置が継続される見通しで、解除は早くても2023年と見られる。財政ルールの適用再開にあたっては、問題点の見直しを行った、新たなルールが適用される見通しだ。EUの財政ルールの始まりは、1993年11月1日に発効したEUの創設に関する基本条約(マーストリヒト条約)にある。過剰な財政赤字の予防と是正に関する条項と、財政赤字のGDP比3%、政府債務残高の同60%を基準値とする議定書が盛り込まれた。具体的な手続きは、1997年6月に採択された安定・成長協定(SGP)で規定された。

コロナ前に適用されていた財政ルールは、オリジナルのSGP(SGP1.0)を、2011 年 12 月と2013年5月施行の合計8つの法制で強化したものだった。SGP1.0は、過剰な政府債務残高を軽視し、過剰な財政赤字の是正メカニズムが機能せず、財政危機の連鎖的拡大を許した。その反省から、過剰な政府債務残高の削減に関わるルールの明確化や、マクロ経済不均衡との一体監視、ユーロ導入国の予算案の事前審査制度などを導入した。ルールの見直しが、2012年10月の欧州安定メカニズム(ESM)の常設化に至る資金繰り支援の枠組み整備と並行して進められたこともあり、財政の基盤が最も強固で、なし崩し的な財政移転同盟化を警戒するドイツの意向が強く働いた。SGP2.0に期待されたのは、過剰債務国の債務削減の加速と、次の危機に向けた財政出動余地の確保だったが、十分な効果は上がらなかった。過剰債務国の成長が抑制されたためだ。そして、コロナ危機では、過剰債務国ほど財政赤字拡大と経済の縮小による2019~2020年の政府債務残高GDP比の上昇幅が大きく、圏内の格差は一段と拡大してしまった(図表)。

EUは、当面、危機対応の経済対策と復興基金の起動を優先する方針であり、SGP3.0の議論は始まっていない。専門家らの提言も、財政赤字と政府債務残高の基準値の撤廃、別の指標への置換えなど数値目標に関わるものや財政ルールのガバナンスのあり方まで幅広く、意見も集約されていない。その中にあって広く共通するのは、SGP3.0は、SGP2.0よりも簡素で、課題解決のための投資や改革を促す成長指向のものであるべきという基本認識だ。
図表:コロナ禍によるユーロ導入国の政府債務残高の変化
SGP3.0は、議論する首脳の顔ぶれの変化によって、これまでとは違う力学が働き、成長指向が強まるかもしれない。ドイツのメルケル首相は今年9月の総選挙後、政界を引退する。コロナ対策の迷走もありCDU・CSUの支持率は急低下、緑の党が5ポイント差に迫る。緑の党主体の左派政権への交代の可能性も浮上する。緑の党は、欧州全体のグリーン化投資を促すようなルールの改定には積極的姿勢を採るだろう。

フランスのマクロン大統領も、来年春に大統領選挙を控えるが、支持率では2017年の前回大統領選挙で決選投票を競ったルペン氏の後塵を拝する。極右とみなされるルペン氏だが、自らを中道の愛国主義者と位置づけ、国境と市民を守るという主張で支持を呼び掛ける。前回の敗北の原因になったユーロ離脱論も封印した。ルペン氏は、マクロン大統領が主張してきた共通予算やユーロ圏財務相など財政統合の深化には消極的だろうが、加盟国の裁量の余地を拡大する成長指向の財政ルールへの修正は支持するのではないか。

イタリアでは今年2月、かつてECB総裁としてユーロを守ったドラギ氏が首相の座についた。ドラギ政権は、左右を横断する政党が支え、経済政策などの中核ポストはテクノクラート(専門家)が担う。ドラギ首相とテクノクラートらの指導力で、イタリアの立場が「財政ルール逃れの常習犯」から、復興基金の有効活用に結びつくような運用や、成長指向のSGP3.0作りなどに積極的に貢献する「ユーロ圏の財政改革のリーダー」に変わるとすれば、ユーロ圏は、これまでより遙かに安定するだろう。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2021年05月10日「ニッセイ年金ストラテジー」)

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