2021年04月07日

経済安全保障の視点で見る「中央銀行デジタル通貨(CBDC)」

基礎研REPORT(冊子版)4月号[vol.289]

総合政策研究部 准主任研究員 鈴木 智也

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1―経済安全保障とは

昨年来、中央銀行が発行する法定デジタル通貨(Central Bank Digital Currency、以下CBDC)に政治的な関心が集まっている。日本でも昨年、政府の財政・経済政策の基本方針を記す「骨太の方針」に、CBDCに関する内容が初めて盛り込まれた。背景にあるのは、経済安全保障の考え方だ。

経済安全保障は、一般的に「経済」と「安全保障」が交差する領域の問題として捉えられる。概念的には、自然災害や感染症対策、他国への対抗策など、多様な意味合いで使用される言葉であるが、政策の方向性(政策類型)は、次の3つに整理される*。

まず1つ目は、経済ツールを活用して地政学的な国益を追求する「エコノミック・ステイトクラフト(以下、ES)」だ。これは、経済的な手段を活用して他国に影響力を行使し、国家の戦略的な目標を追求するための外交術である。これには、禁輸措置や金融制裁、サイバー攻撃などの敵対的な措置だけでなく、資金援助などの友好的な措置も含まれている。

2つ目は、産業や経済の強化を通じて、国家のリスク対処能力を向上させる「経済レジリエンス」の構築だ。これは、深刻な危機に直面した際に、致命傷を回避し、被害を最小化して迅速に回復するための免疫システムである。例えば、新型コロナウイルス感染症への対応や企業活動の維持を目的としたサプライチェーンの見直し、他国のES行使に対抗するためのサイバー・セキュリティ強化や自国産業の育成などが挙げられる。

3つ目は、自国の優位と平和を構築するための「ルール形成」への関与だ。これは、有利な競争環境を確保するため、自国繁栄の基盤となる国際秩序を、自ら作り上げていく手法である。具体的には、環境規制やデジタル規制の国際展開、技術やモノ・サービスの国際標準化などの活動がある。近年は、市場競争が起こる前にルールが決まる傾向が強く、重要性が増している。
 
* 中村直貴(2020 年)『経済安全保障-概念の再 定義と一貫した政策体系の構築に向けて-』経済産 業委員会調査室

2―警戒対象は、デジタル人民元

近年注目を集めるAIや量子情報などの新技術には、現在の安全保障環境を変える力がある。CBDCは、そうした技術を応用した発明品の1つであり、新たな経済秩序の構築につながる可能性を秘めている。

そのようなCBDCの研究開発で先行する中国は、デジタル人民元と呼ばれるCBDCを、2022年の北京冬季オリンピックまでに発行する計画を明らかにしている。日米欧など主要先進国は、このような中国の動きに対して、強い警戒感を抱いており、国際会議の場などを通じて、たびたび中国を牽制する発言を繰り返している。

ただ、日本などが持つ脅威認識は、数年単位の時間軸で捉えられたものではない。CBDCを経済安全保障の観点から考えるためには、長期的な視点で捉えて行くことが肝要である。
(1)短期:人民元の国際化は難しい
中国のデジタル人民元構想は、人民元の国際化を進め、米ドル基軸の国際体制に挑戦することを目指しているとの見方がある。しかし、これを短期間で実現することは容易ではない。なぜなら、中国は依然として、資金流出に対して脆弱であり、市場ルールへの介入や金融機関への規制措置の導入などを通じて、急激な資金流出に歯止めを掛けているのが現状だからだ。

中国が人民元の国際化を進めるためには、金融システムの健全性や金融政策の有効性を高めておく必要がある。しかし、肥大化したシャドーバンキングや膨張した企業債務などの問題を抱えているため、解決には相応の時間を要し、その試みは漸進的なものにならざるを得ない。従って、数年単位の短期間のうちに国際化を実現することは、困難だと考えられる。
(2)足元で注視すべき3つの動き
ただ、それでも気になることが3つある。1つ目は「一帯一路との関係」だ。一帯一路は、2013年に習近平国家主席が提唱した国家戦略であり、アジアから欧州・アフリカまでを結ぶ広大な範囲を、自らの経済圏に組み込む壮大な構想である。これらの地域では、中国企業が本土から労働者を連れて行くという、紐付きのインフラ整備が行われて来た。仮に、中国がこの地域でデジタル人民元の利用を拡大する意図と手段を持てば、その利用は速やかに拡大して行く可能性がある。これまでにも、一帯一路は「債務の罠」としてESに利用されて来た過去があり、他国への干渉力を強化する手段として利用される可能性は、十分に考えられる。

2つ目は「国内ガバナンスの改善」だ。中国人民銀行の前総裁である周小川氏は、デジタル人民元発行の目的について、主に国内のリテール決済基盤を強化し、外国為替取引の透明性を高め、中国における通貨主権(ドル化の阻止)と為替制度を守ることにあると発言している。これは、デジタル人民元が中国の経済レジリエンスの強化につながることを意味する。金融システムに課題の多い中国では、ガバナンスの改善が直ぐに進むと考えることは難しいが、少なくとも、その実現を早める効果は期待できるだろう。

3つ目は「国際標準化の動向」だ。中国は現在、自国の仕様を国際標準にすることを目指す「中国標準2035」という中期戦略を策定している。CBDCについては、すでに相互運用性やセキュリティなどに関する議論が進められており、世界的な発行を視野に入れた動きが活発化している。この取組みは、まさにルール形成への関与そのものであり、CBDCの標準化に関する議論が、中国主導で進む可能性があることを示唆している。
(3) 長期:国際秩序を変える可能性
仮に、これら3つの取組みが奏功した場合、日本を取り巻く安全保障環境は、大きく変わる可能性がある。

例えば、中国がデジタル人民元を国外に展開した場合、すなわち、当該国通貨がデジタル人民元に代替される「人民元化」が進んだ場合、中国はESを展開することが容易になる。例えば、CBDCには、発行や流通に関わる全ての情報が記録されるという特徴があるため、当局は取引情報を解析することで、(理論的には)個人の趣味嗜好から資産移動まで把握することができる。仮に、当局が自らに批判的な外国政府要人の個人情報を把握し、故意に流出させたとすれば、その国の政権は、スキャンダルで国民の信頼を失うことになるかもしれない。また、中央管理型のシステムであるデジタル人民元は、特定の個人や地域を対象として、取引停止や資産凍結などの措置を取ることもできるだろう。今後、デジタル人民元が浸透して行けば、米国が多用する金融制裁を、中国が行使するようになるかもしれない。そうなれば、経済的に強く結びついた国が、中国の意向に背くことは、さらに難しくなると考えられる。

一方で、他国通貨をデジタル人民元に置き換える「人民元化」は、国家の通貨主権を奪うものであり、完全な代替を実現するハードルは高い。より現実的には、デジタル人民元の基盤システムが中国から輸出されて、当該国がそれを用いて自国通貨をデジタル化する場合の方があり得るだろう。しかし、その場合であっても、中国による干渉力は強化され得る。例えば、中国が輸出に際して、技術情報をブラックボックス化し、セキュリティホールを仕掛けたとすれば、情報を不正に抜き取り、バックドアから攻撃を仕掛けることも容易になる。これは、米国が中国製品の一部を、政府調達から排除しているのと同じ懸念だ。ただ、CBDCはネット特有の性質( 伝播スピードや複製コストの低さなど)を持つため、攻撃を受けた際の影響が甚大かつ広範囲に及ぶ可能性が高く、より大きな問題となり得る。

また、デジタル人民元の技術が国際標準となった場合には、デジタル領域における中国の優位性は、さらに強化される。例えば、ネットワーク効果の働きやすいデジタルサービスは、サービス展開で先行したものに有利であり、技術基盤との親和性の高いサービスを迅速に展開できる中国企業は、それだけで優位に立てる。また、国際標準は、技術やサービスを国際展開するうえでも有利に働く。例えば、WTO協定には、国内規格の策定で国際規格の優先を定めたものや、政府調達の仕様を国際規格に基づくよう定めたものがあり、ひとたび国際標準が形成されれば、各国はそれに従う必要がある。そのため、中国が国際標準を獲得すれば、後からCBDCを発行しようとする先進国には、障害となる可能性が生まれる。

なお、中国は人民元を国際化するため、国際銀行間決済システム(以下、CIPS)を、2015年に稼働させている。これは、米国主導の国際銀行間通信協会( 以下、SWIFT)を迂回する代替システムにもなるため、米国の金融制裁を回避する手段となる。CIPSが将来的にCBDCと連携し、利便性の高いシステムとなって行けば、SWIFTを通じて取引されている国際送金の一部は、CIPSに代替される可能性が高まる。そうなれば、基軸通貨国として様々な恩恵を享受して来た米国は、その特権の一部を失うことになるだろう。

人民元が基軸通貨となるには、まだ多くの課題が残されているが、このような中国の動きは、既存の国際秩序を塗り替える可能性があり、今後の動静が注目される。
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総合政策研究部   准主任研究員

鈴木 智也 (すずき ともや)

研究・専門分野
経済産業政策、金融

経歴
  • 【職歴】
     2011年 日本生命保険相互会社入社
     2017年 日本経済研究センター派遣
     2018年 ニッセイ基礎研究所へ
     2021年より現職
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会検定会員

(2021年04月07日「基礎研マンスリー」)

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