2021年03月31日

「自立したインド」実現へ、モディ政権が国産化政策に梃入れ

経済研究部 准主任研究員 斉藤 誠

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(保護主義的な貿易政策を継続)
モディ政権の貿易政策には、輸入抑制について言及した「自立したインド」が打ち出される前から保護主義的な動きがみられていた。具体的には、国産化推進の名の下に一部の輸入品に対する関税率の引き上げやされたことが挙げられる。
(図表9)携帯電話製造関連部品のPMP進捗状況 インド政府は2017年4月に「段階的製造プログラム(PMP: Phased Manufacturing Programme)」を導入した(図表9)。PMPは携帯電話に使用する各種部品の輸入に対する基本関税率を段階的に引き上げることによりインド国内での製造を促す政策である。PMPは一部の品目で基本関税率の引き上げが予定より遅れたものの、現在は全て基本関税率が引き上げられている。携帯電話製造は裾野の広い業界であるだけに、完成品メーカーだけでなく、部品メーカーのインド進出の加速が期待される。
(図表10)電子機器部門の関税の変更(21年2月2日から有効) また昨年10月には、テレビ用液晶パネルの半製品に5%の関税を課したほか、今年2月には公表された2021年度国家予算案では、幅広い品目に対する関税が変更されることが明らかとなった。インド政府は80品目の免税を撤廃した前年に続いて、今年は400品目に及ぶ関税を見直すとし、国内生産と輸出拡大を支援する考えを示した。電子機器分野については、携帯電話のカメラやリチウムイオン電池、照明器具、太陽光発電設備などの部材の関税が引き上げられる(図表10)。

特に太陽光発電設備5の基本関税率については、21年度予算案公表の際に段階的製造プログラム(PMP)を導入することが示された。今後は2022年4月から太陽光モジュールと太陽電池セルの基本関税がそれぞれ40%、25%に引き上げられる予定となっている。太陽光発電モジュールはPLIスキームの対象にもなっており、輸入関税の引き上げと合わせて国内生産に弾みをつけたいところだ。

このほか、非関税措置としてインド工業規格(BIS)の適用6や輸入ライセンス制度7を設ける動きもある。昨年以降、前者については玩具、後者については車両用タイヤやカラーテレビ、防衛関連品、冷媒を利用したエアコンに規制が適用されている。こうした様々な規制を活用することによって輸入を抑制して製造業の成長を後押ししようとする政府の動きは強まってきている。
 
5 インド政府は2030年までに電力の4割を再生可能エネルギーで賄うという政府目標を立てており、2029年度までに必要となる太陽光の発電能力は280ギガワット(再生可能エネルギー全体では450ギガワット)と推計されている。この目標を達成するには太陽光発電能力を毎年25ギガワット拡大させる必要があるが、現在インドの太陽光発電セクターは輸入に依存(太陽電池およびモジュールの約8割が中国から輸入)しており、また将来的に海外からの設備供給が停滞する事態を避けるためにも、国内の製造拠点の創設は重要な課題となっている。
6 インド工業規格(BIS)は日本工業規格(JIS)に相当する独自の品質基準であり、2020年はBISの適用範囲の拡大に向けた動きがみられた。主に中国から輸入する玩具、鉄鋼、化学製品、電子製品、重機などの371品目を対象にインド工業規格(BIS)が品質基準の導入について検討がなされ、このうち玩具が今年1月からBIS基準の適用を開始している。
7 インドでは輸出入を行う者に対して輸入業者・輸出業者コードの取得を義務付けており、また動植物、種子、化学品、通信機器などに輸入制限品目があり、個別にライセンスを取得する必要がある。2020年には車両用タイヤやカラーテレビ、防衛関連品、冷媒を利用したエアコンが新たに輸入制限の対象となった。
(中印国境を巡る対中強硬策)
昨年5月にインドと中国の国境地帯であるラダック地方で両国の軍隊による小競り合いが発生した。両国の対立は収まる気配を見せず、6月の印中国境のガルワン渓谷における軍事衝突では死傷者が事態となった。インド国民の間では反中感情が高まり、中国製品のボイコット運動が広がると、インド政府も経済制裁を打ち出して対立姿勢を強めていった。

インドの対中政策の変化は軍事衝突がきっかけとなって鮮明になったが、実はその少し前から既に兆候は表れていた。まずインド政府は昨年4月に海外直接投資(FDI)規制を変更し、インドと国境を接する国の企業からの投資は全て政府の承認を必要とし、自動認可ルートを利用できなくした。この規制変更は中国人民銀行がインド最大の住宅ローン会社HDFCの株式1.01%を取得したことが判明した直後に決定されこと、またパキスタンとバングラデシュからの投資は以前から政府承認が必要であったことから、コロナショックで弱体化したインド企業の中国資本による買収を牽制するための措置とみられている。
(図表11)インドのモバイルブラウザ市場シェア 軍事衝突後の6月、インド政府は中国からの輸入品に対する全数検査を実施して通関に遅れが生じたほか、サイバー空間の安全確保を目的として動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」や通信アプリ「WeChat(ウィーチャット)」「UC Browser」など中国が関与する59種類の携帯電話アプリの使用禁止を決定した。その後も9月に118、11月に43のアプリが禁止対象として新たに加えられると、今年1月には(昨年6月に発表した)中国製アプリの禁止措置の恒久化が決定した。実際に、インドのモバイルブラウザ市場シェアをみると、インドで一定の人気を保っていたUC Browserのシェアが昨年6月の中国製アプリ禁止措置を境に急低下しており、利用者が減少している様子が分かる(図表11)。

またインド政府は7月に公共調達の規制を強化した。インドと国境を接する国の企業が公共調達の入札を行う際には、事前に当局に登録し、承認を得なければならなくなった。政府は防衛と国家安全保障の強化が目的と述べたが、中国企業を政府調達から排除することを念頭に置いた動きであることは明白だった。

今年に入ってインド政府がラダック地方の係争地の1つであるパンゴン湖周辺から両軍が撤退することで合意したことを発表しており、現在は両国間の緊張は限定的ながら緩和の兆候がみられている。しかしながら、ガルワン渓谷など睨み合いを続く地域では撤退などの緩和の動きはなく、印中関係の冷え込みは容易には解消しないとみられる。
(通商政策ではRCEP交渉から離脱したが、二国間FTAには前向きな姿勢も)
昨年11月、日本や中国、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)などが参加する東アジア地域包括的経済連携(RCEP)協定が(交渉から離脱した)インドを除く15ヵ国で合意・署名された。インドはRCEP交渉参加国との間で多額の貿易赤字を抱えており、RCEP協定下の関税削減や共通の原産地規則によって中国やASEANからの輸入が増加する懸念があったほか、自国が強みを持つサービス貿易の自由化に関する要求が受け入れられなかったことが交渉離脱の主因とみられている。

仮にRCEP協定に加盟した場合、インドは東アジアの生産ネットワークに組み込まれることになる。中国からの生産シフトを探る企業の投資を呼び込むことが期待できるものの、インド政府は魅力的な代替生産拠点として評されるASEANに投資が集まるとみて、デメリットの方が大きいと判断したものとみられる。

しかし、インドはFTA自体に消極的という訳ではない。インド政府はRCEP交渉から離脱したことで二国間協議への関心を新たに示した。米インド貿易協定の交渉は,米国が2019年6月にインドへのGSP(一般特恵関税制度)の適用を終了してから本格化し、インド政府は米国との交渉に前向きな姿勢を示している。またオーストラリアとニュージーランドとのFTA交渉は復活しつつあり、EUとの間では交渉再開の道を探っている。このほか、バングラデシュ、カナダ、コロンビア、GCC(湾岸協力会議)、イラン、イスラエル、ロシア主導のユーラシア経済連合、ウルグアイ、ベネズエラ、モーリシャスとの間では二国間貿易交渉が行われている。

RCEPを離脱したインドにとって、貿易黒字の相手である米国との関係が現在最も重要であるが、バイデン氏の米大統領選勝利によって貿易協定の風向きは変わりつつあるようにみえる。米国はバイデン政権下においても、「自由で開かれたインド太平洋」を推進するという基本路線を継続して、4カ国戦略対話(日米豪印、Quad)を通じた米国とインドの協力関係は強化されることとなりそうだ。しかし、現在のところバイデン政権における通商政策の優先順位は低く、また通商政策においては中国やEUが優先されるため、米インド貿易協定が進展するかどうか、先行きは不透明である。
 

4――インド製造業の成長と競争力の評価

4――インド製造業の成長と競争力の評価

ここではモディ政権とそれ以前のインド製造業の成長の軌跡を見てみよう。
(図表12)インドの製造業生産 インドの製造業生産(名目ベース)は2014~2018年にかけて概ね10%程度で成長した後、2019~2020年は金融機関の貸し渋りや新型コロナの感染拡大の影響を受けて減少している。またGDPに占める製造業の割合は15%前後で緩やかな低下傾向にある(図表12)。これはインド経済の牽引役がサービス業であることを反映している。モディ政権の製造業振興策「メイク・イン・インディア」では、①製造業の成長率を年間+12~14%に引き上げる、②2022年までにGDPに占める製造業のシェアを16%から25%まで引き上げる、といった目標を掲げられていることを踏まえると、現在のところ製造業の振興策は十分な成果を挙げることはできていない。
一方、世界に占める製造業生産(名目ベース)のシェアをみると、インドは2014年からデータが追える2019年にかけて上昇傾向が続いており、モディ政権発足前の2013年からの6年間で0.7%ポイント増加している(図表13)。このシェア拡大はインドの製造業が世界に対して高い成長を続けたこと反映したものである。製造業の世界シェアは中国と米国が大きな割合を占めていることに変わりないが(図表14)、インドの製造業の世界市場における存在感は高まっているものとみられる。なお、この製造業の世界シェアは単に生産規模の大きさを表したものであり、各国の製造業の競争力を比較するものではない。
(図表13)インドの製造業生産(世界シェア)/(図表14)製造業の世界シェア(2019年)
そこで主要工業製品(大分類)について、輸出競争力の強さを示す貿易特化係数 (純輸出額/(輸出額+輸入額))の推移を見てみよう。パソコンや産業用機械を含む「一般機械」と携帯電話や周辺機器を含む「電気機器」は圧倒的な輸入超過が続いている一方、「輸送機器」は2010年代から輸出が輸入を上回って推移している(図表15)。2014年以降をみると、大きな変化はみられないが、直近3~4年に限ってみると一般機械と電気機器に僅かに改善の動きがみられる。

次に上記の主要工業製品を中分類に分けて、貿易赤字上位5品目の貿易特化係数をみると、直近2年間で無線通信機器、デジタルカメラが上下に大きく振れている一方、貿易赤字上位3品目の集積回路とコンピュータ関連製品、電話機は底這いで推移しており、改善の動きは見られない(図表16)。
(図表15)インド主要工業製品(大分類)の貿易特化係数/(図表16)インド主要工業製品(中分類)の貿易特化係数
それではモディ政権下で製造業振興が全く進んでいないかというと、改善の兆候が表れている部分は確かにある。多額の貿易赤字を計上する携帯電話の輸入について、携帯電話本体と携帯電話部品に分けてみると、携帯電話本体の輸入が2014年をピークに減少傾向にある(図表17)。これはサムスンやフォックスコンなどがインドに最終製品の組立拠点を築き、生産を開始したためである。しかし、インドの携帯電話産業は裾野産業が弱いため、携帯電話部品は輸入が急増したが、2017年に導入した携帯電話製造関連部品の段階的製造プログラム(PMP)によって電子部品の生産が増加すると(図表18)、携帯電話部品の輸入は2018年から減少傾向を辿るようになった。そして今後は「自立したインド」キャンペーンで導入したPLIスキームにより携帯電話や電子部品の更なる生産拡大が見込まれる。中期的には携帯電話の貿易収支が改善に向かうのではないだろうか。
(図表17)インドの携帯電話の輸入額/(図表18)電子機器セクターの生産推移

5――モディ政権の国産化推進の行方と課題

5――モディ政権の国産化推進の行方と課題

これまでのメイク・イン・インディアでは、モディ政権は構造改革や規制緩和などを通じてビジネス環境を改善させることにより、国内外から投資を呼び込み、製造業の生産と輸出の拡大を促してきた。また、その対象は25分野もの産業が選ばれていたため、やや総花的である上、企業に対するインセンティブが弱い印象があった。

そして、現在モディ政権は「自立したインド」という新しいスローガンを打ち出し、コロナ以降のインドが進むべき道筋を示し、現下の厳しい局面を乗り切ろうと取り組んでいる。「自立したインド」キャンペーンとして打ち出された経済対策のなかでは、電子機器や医療機器など焦点を絞って導入したPLIスキームが政策の目玉である。インド政府は同スキームを用いて企業の設備投資意欲を掻き立て、また関税や非関税障壁を用いて輸入を抑制することにより、製造業が国内生産を増やすように促している。政府の力強い後押しを受ける電子機器などの一部のセクターは一定の成果を上げるのではないだろうか。

しかし、「自立したインド」には、これまで以上に輸入代替を進めようとする姿勢が目立つ。割安な海外製品の利用を控え、割高なインド製品の利用を増やすと、製造コストの増加に伴い販売価格が上昇、価格転嫁できないメーカーは利益を圧迫することになり、結果的にインド経済の成長力が削がれてしまうことが懸念される。また外資企業が保護主義的な貿易政策に嫌気を差して背を向ける恐れもあるほか、コロナ禍で財政が厳しい状況にあるなかでPLIスキームなど補助金による後押しを継続することが難しくなるかもしれない。

もっとも、インドは経済自由化以前に輸入代替工業化を指向して失敗した過去があるだけに、同じ轍を踏むことは考えにくい。インドは貿易の自由化と規制緩和による正攻法では製造業が期待ほど伸びない状況が続くなか、現在の米中対立の長期化とコロナ禍のサプライチェーン再編の動きを好機と捉え、補助金政策と保護主義的な貿易政策によって製造業の成長を阻む壁を一気に乗り越えようとしているように見受けられる。この政策路線の成否が明らかになるまでには数年を要するだろう。
 
 

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経済研究部   准主任研究員

斉藤 誠 (さいとう まこと)

研究・専門分野
東南アジア経済、インド経済

経歴
  • 【職歴】
     2008年 日本生命保険相互会社入社
     2012年 ニッセイ基礎研究所へ
     2014年 アジア新興国の経済調査を担当
     2018年8月より現職

(2021年03月31日「基礎研レポート」)

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