2020年10月07日

健康寿命の延伸とは?

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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Q1.「健康寿命」という言葉を最近、耳にしますが、どういう意味ですか?

■健康寿命とは一般的に「医療・介護が必要のない状態」の意味
健康寿命には様々な定義、計算方法が存在します。政府が毎年、公表している健康寿命は「日常生活に制限のない期間の平均」を指しており、一般的に「医療・介護が必要のない状態」と言えます。平均寿命だけでは、高齢者の生活・健康状態や生活の質(QOL)を把握しにくいため、こうした指標が用いられるようになりました。

平均寿命と健康寿命の差は図表1の通りです。男性で7~8年、女性で12~14年の差が生まれていることが分かります。少し割り切って説明すると、この差が「医療・介護を必要とする状態」と言い換えることも可能になります。
図表1:健康寿命と平均寿命の推移

Q2.「健康寿命」がなぜ注目されるようになったのでしょうか?

高齢期の生活の質を高める目的のほか、社会保障費の抑制などの波及効果を期待
こうした健康寿命が注目されるようになったのは、厚生省(当時)が2000年に決定した「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」で健康寿命の延伸をうたった辺りからです。近年では2019年に閣議決定された骨太方針で「人生100年時代」を見据えた対応策として、健康寿命の延伸を掲げつつ。その意義としてとして下記のような点を強調しました。

・個人の健康を改善することで、個人のQOLを向上し、将来不安を解消する。
・健康寿命を延ばし、健康に働く方を増やすことで、社会保障の「担い手」を増やす。
・高齢者が重要な地域社会の基盤を支え、健康格差の拡大を防止する。
・生活習慣の改善・早期予防や介護・認知症の予防を通じて、生活習慣病関連の医療需要や伸びゆく介護需要への効果が得られる。
・社会保障制度の持続可能性にも繋がり得るという側面もある。

つまり、健康寿命の延伸を通じて、個人の生活の質を高める効果に加えて、健康に働ける高齢者が増えることで、生産年齢人口の減少や社会保障費の増大にも対応できるとされています。

さらに、この時の骨太方針に明文化されていませんが、毎年6月頃に閣議決定されている過去の骨太方針を振り返ると、「規制改革等を通じて民間活力を発揮させ、健康関連分野における多様な潜在需要を顕在化させることで、経済成長の活力としていく」(2014年)、「巨大な潜在的需要や、市場化に伴う雇用創出も見込まれ、将来の日本の成長の中核となることが期待される」(2013年)といった文言が入っており、ヘルスケア関連産業の育成という意図も込められていたと言えます。

Q3.健康寿命の延伸に関して、どんな目標、施策が想定されているのでしょうか?

■2019年のプランでは3年以上の延伸目標を規定
厚生省(当時)が最初に作成した「健康日本21」では、健康寿命などの延伸に向けて、「栄養・食生活」「身体活動・運動」「高齢者」など9分野について2010年までの目標を定めました。例えば、高齢者では「外出について積極的な態度をもつ人の増加」「日常生活における歩数の増加」などの点で目標が示されました。

その後、2012年に改定された「健康日本21(第2次)」では10年間の目標として、「平均寿命の増加分を上回る健康寿命の増加」が掲げられたほか、男性で2.79年、女性で2.95年だった都道府県別格差の縮小方針などが示されました。さらに施策の数値目標が定められ、高齢者分野では「介護保険サービス利用者の増加の抑制」「低栄養傾向の高齢者の割合の増加の抑制」「地域のつながりの強化」といった点について目標が盛り込まれています。

近年は上記で紹介した通り、生産年齢人口の減少や社会保障費の増加といった課題に対応するため、健康寿命の延伸が重視されており、厚生労働省が2019年に定めた「健康寿命延伸プラン」では、2016 年で男性72.14 年、女性74.79 年とされる健康寿命を2040年までに男女ともに3年以上引き上げる目標を掲げつつ、健康づくり施策に関して、2025年までの工程表が示されました。
図表2:「通いの場」に関する数値目標のイメージ 詳細は末尾に示したリンク先をご覧頂きたいのですが、「次世代を含めたすべての人の健やかな生活習慣形成」「疾病予防・重症化予防」「介護予防・フレイル対策、認知症予防」の3分野について、施策と数値目標を掲げました。具体的には、行動経済学の「ナッジ」(肘で軽く突くことを指す)と呼ばれる手法を用いた健診率の向上、高齢者が気軽に体操などを楽しめる「通いの場」の充実などに言及しており、これらの目標や内容は2019年に閣議決定された骨太方針に反映されています。

中でも、厚生労働省が重視しているのは「通いの場」です。これは住民やボランティアによる運営の下、高齢者が体操や運動などを気軽に楽しめる場を指しており、図表2のような数値目標を示しています。

Q4.健康寿命の延伸政策に課題はないのでしょうか?

■要介護者などへの配慮が必要
先に触れた通り、健康寿命を延伸すれば、個人の生活の質が上がるだけでなく、元気な高齢者が増えることで、働ける高齢者の増加とか、医療・介護費の抑制、関連産業の育成などの効果が期待できるとされており、誰にとってもハッピーな絵が描かれています。

しかし、いくつかの論点が指摘されています。第1に、医療経済学の蓄積を見ても、健康づくりがマクロの医療費抑制に繋がることを実証した研究は少なく、どこまで費用抑制を期待できるのか分からない面があります。例えば、医療分野での実証研究が蓄積しているアメリカでは、「健康状態が改善されるだけでなく、医療費抑制効果もある医療行為(cost-savings)」は少なく、健康づくりによる医療費抑制の効果は見出しにくいとされています(津川友介『世界一わかりやすい「医療政策」の教科書』)。実際、有識者で構成する厚生労働省の「健康寿命の延伸の効果に係る研究班」による報告書(2019年3月)でも「『健康寿命の延伸により医療費にどのような影響があるか』というひとくくりの問いは、注意深く受け止める必要がある」「(筆者注:介護費に関しては)医療に比べて、より効果を期待できるのではないか」と指摘するにとどめています。

第2に、「健康」になることを強調し過ぎるマイナス面です。具体的には、健康寿命延伸の目的として、「費用抑制」を前面に出しつつ、健康づくりの重要性を強調し過ぎると、病気や障害(ここでは法令上の表記に沿って「障害」と表記します。以下同じ)のある人が「費用が掛かる人」と見なされてしまい、生きにくさを感じてしまうかもしれない点です。

実際、医療政策の専門家から「健康寿命という概念は、認知症や重度の障害者、病気を持っている『健康ではない個人』の生存権を侵害する危険があります」「健康は義務ではない。権利です。健康は義務だという考え方はナチズムと通じる」といった批判が出ています(2019年1月27日『BuzzFeed News』における日本福祉大学名誉教授の二木立氏インタビュー)。

ここで言う「ナチズム」は何やら不穏な響きですし、少し唐突な感じも受けますが、生まれて欲しい人や長生きして欲しい人を選別する「優生思想」と言い換えてもいいと思います。優生思想は1920年代~1940年代頃に注目された世界的な潮流であり、日本を含めて世界各国で障害者の断種政策などが実施されました(米本昌平ほか編著『優生学と人間社会』)。

もちろん、こうした優生思想的な考え方は現在、否定されていますが、コスト縮減のため、医療・介護を必要としない期間を伸ばす必要性を強調し過ぎると、障害者や難病の人が「社会のお荷物」のように受け止められてしまい、優生思想の要素が全面に出る危険性は認識する必要があります。

さらに、厚生労働省OBからも「(筆者注:健康づくりが)高齢者医療費の適正化という経済的価値に従属するとすれば、不健康な者・健康の保持に向けて自己管理ができない者は、文字どおり『穀潰し』(穀=経済)ということになる』」「『健康』の観念がより大きな生きづらさをもたらすことを恐れずにはいられない」との懸念が示されています(堤修三『社会保障改革の立法政策的批判』)。

第3に、国家が健康づくりを過度に強制するような事態になった場合、国民の自由を侵害する危険性がある点です。実際、「健康日本21」のウエブサイトでは《12の誤解・疑問と回答》というコーナーの中で、健康日本21が個人の自由を侵害する危険性に言及しつつ、下記のように記しています。
 
健康日本21は、国民に対して、健康に関する情報提供を行うとともに、個人の健康づくりのための環境整備を行うものであり、国民に対して一定の生活習慣を押しつけようとするものではない。もとより、健康のためにどのように行動するかは、基本的に国民の自由な意思に基づく選択に委ねられている。

ただ、国民の選択の前提として、生活習慣病の危険性やこれらの疾病と生活習慣との関連性のような健康に関する正確な情報が十分に提供されていることが必要である。健康日本21では、このような情報提供をその推進方策の重要な柱としている。

つまり、個人の自己決定をベースとしつつ、選択肢を広げるための情報提供、環境整備に力点を置いているとしています。言い換えると、健康寿命の延伸論議については、国家が国民に対して「健康」であるよう強制する危険性があるため、国民の自由とのバランスが欠かせないということです。

もちろん、できるだけ心身ともに「健康」な状態で長生きしたいという願望を持つのは自然な感情です。このため、こうした個々人の選択肢を広げる政策・制度が必要になるし、民間企業や市民団体が健康寿命の延伸に向けて自主的に活動する意義も大きいと思います。

しかし、費用抑制の観点に立ち、健康寿命の延伸を言い過ぎると、生まれ付きの障害や難病のある人や不治の病気になった人が生きにくさを感じるマイナス面には配慮する必要があります。

なお、今回の「ジェロントロジーを学ぼうコーナー」でも「健康寿命」を「医療・介護を必要としない状態」にとどめず、要介護状態の高齢者が自己決定できる環境づくりなども論点としています。
※ 健康寿命に関する動向や論点が分かるウエブサイト
 

※ その他ジェロントロジー関連のレポートはこちらからご確認下さい。
https://www.nli-research.co.jp/report_category/tag_category_id=15?site=nli
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2020年10月07日「ジェロントロジーレポート」)

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