2020年07月13日

「GAFAの次に来るもの」と「ポストデジタル資本主義」

立教大学ビジネススクール 大学院ビジネスデザイン研究科 教授 田中 道昭

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9│「会社の芯からSDGsに対峙する」時代の到来
SDGsとは2015年の国連総会で合意された「持続可能な開発目標」のことである。17の目標とそれを達成するための具体的な169のターゲットで構成されている。17の目標とは「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」など今世界規模で問題視されている社会課題の解決を目指すものである。国連に加盟する193カ国は、これらを2030年までに解決することを目指している。
 
これを受けて日本でもSDGsの取り組みが始まっている。日本企業はSDGs経営をうたい、CSR(企業の社会的責任)やESG(環境・社会・ガバナンス)といった言葉も浸 透している。ただし、日本では現状、本業とは別の、社会貢献活動にとどまっているように見受けられる。悪くいえば「片手間」である。
 
しかし世界に目を転じれば本業の一環として、つまり会社の芯からSDGsに対峙している企業の例を見つけることができる。もともと、CSRやESGを評価するランキングでは下位に甘んじていたアマゾンですら、そうなのである。2019年、アマゾンはEVトラックを10万台導入すると発表した。EV車はガソリン車よりも環境負荷を軽減することができる。単に10万台トラックを購入するだけなら、ガソリン車のほうが安くあがる。しかしアマゾンは目先のコスト減よりも、遅ればせながら地球環境への配慮を見せたのである。ビジネス・ラウンドテーブルが表明した「ステークホルダー資本主義」への転換を実践してみせた格好である。
 
ここでは「寄付をする」「CSR活動をする」といった間接的なレベルではなく、本業を通じてSDGsに貢献している点が重要である。だからこそ、大きなインパクトを生み出せるのである。理想は、開発、生産、製造、物流といったすべてのバリューチェーンにおいて、SDGsを意識すること。それが実現すれば、本業を発展させることが、すなわちSDGsへの貢献につながる。そのような体制で取り組むことが、「会社の芯からSDGsに対峙する」ということである。
10│「データの時代」と「プライバシーの時代」の両立
日本は、データの利活用及びプライバシーの重視について、周回遅れが否めない現状にある。しかし周回遅れには周回遅れの強みがある。それは、データ重視、プライバシー重視の両方を見据えながら、これを両立させていくような第三の軸をリードできる可能性があることである。
 
ここでのヒントはカスタマイゼーションである。ユーザーひとりひとりが、データの利活用による利便性向上をどこまで望んでいるのか、あるいはどこまでプライバシーの保護を求めているのか。テクノロジーの進化は、あらゆる産業においてカスタマイゼーションを可能にしたが、それはプライバシーの領域でも同様のはずである。また、Society 5.0が「経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」であり「人々が快適で活力に満ちた質の高い生活を送ることができる社会」であるならば、日本こそがデータとプライバシーの両立をリードする存在になるべきだと、筆者は考える。
 

3――人間中心主義としての「ポストデジタル資本主義」

3――人間中心主義としての「ポストデジタル資本主義」

日本政府が策定した「Society 5.0」は、その理念として「人間中心主義」を掲げている。内閣府は、Society 5.0についてこう説明する。
 
「これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。人が行う能力に限界があるため、あふれる情報から必要な情報を見つけて分析する作業が負担であったり、年齢や障害などによる労働や行動範囲に制約がありました。また、少子高齢化や地方の過疎化などの課題に対して様々な制約があり、十分に対応することが困難でした。Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノ がつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重しあえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります」
 
この説明からもうかがえる人間中心主義こそ、「GAFAの次に来るもの」、また「ポストデジタル資本主義」の行方を示すものである。
 
「ポストデジタル資本主義」の特徴として、「自由と私有」とともに各種ステークホルダー価値が重視される、プライバシー重視が基本となりデータ所有者として「個人」が復権を果たす、各種ステークホルダー価値や気候変動などSDGsに掲げられているような課題と対峙することがパーパスとして求められる、そして「個人をエンパワーメントする」 というボトムアップ式の新たなシステムが中央集権型プラットフォームに代わって中核を担うといった点を挙げることができる。まさに、人間中心主義がその根底を成していると言えよう。
 
コロナ禍の「戦時下」において統制を受けてきた私権、プライバシー、個人の尊厳という重要な事項について、ポストコロナの「平常時」においても、普段から制約を受けても仕方のないものであると考えるようになるのか。それとも、コロナショックの前には、あまりにも当たり前過ぎて価値が理解できていなかった事柄について、真価を理解し、それを尊重するような世界を創っていこうとするのか。個人の繁栄や自由は失われる一方、国家が強大化していくことにただ身を委ねるのか。グローバルにサプライチェーンを構築しても結局は無力であったと本国内で完結する枠組みに収束させていくのか。さまざまなテーマに対して、ポストコロナにおいては、重要な方向性が打ち出されることになるであろう。
 
筆者は、そこで多くの人達が真剣に考え、自らの生命をかけて自ら見出していくことになる尊い答えは、「全体主義的監視か、市民の権利か」といった二元論的なものでは決してなく、地球や人類を本当にサステイナブルに進化させていくための、ポストデジタル資本主義的な、真に人間中心主義的なものであってほしいと心から切望している。
 

4――もしもSociety 5.0の人間中心主義を定義するなら

4――もしもSociety 5.0の人間中心主義を定義するなら

もしも、アマゾンCEOのジェフ・ベゾスがSociety 5.0の人間中心主義を定義したら、どうなるだろう。筆者は、そんなことを考える。
 
シンガポールのDBS銀行は、デジタル化にあたって、こう考えた「ジェフ・ベゾスが銀行をやるとしたら、何をする?」。そこから逆算する形で、彼らは「会社の芯までデジタルに」「従業員2万2000人をスタートアップに変革する」などの大胆な方針を導き出した。同じように、「アマゾンのジェフ・ベゾスが日本におけるSociety 5.0の人間中心主義を定義したら」と考えてみることは、面白い示唆を与えてくれる。
 
ヒントとなるキーワードは「マクロ宇宙」と「ミクロ宇宙」である。「マクロ宇宙」とは「地球上で最も顧客第一主義の会社」というアマゾンのビジョンや、「宇宙を目指す」といったベゾスの壮大な世界観を表現するのに適切な言葉である。一方、「ミクロ宇宙」とは、ミクロ的で小さな宇宙のことを指し、ひとりひとりの人間やひとつひとつの細胞を表す言葉である。ベゾスは顧客第一主義を「聞く」「発明する」「パーソナライズする」と定義し、「顧客をその人の宇宙の中心に置く」ことをパーソナライゼーションとしてきた。「顧客ひとりひとりの宇宙に対応する」という意味においては、人間中心主義とも言えよう。この考え方を援用すると、ベゾスはおそらく「地球上で最も人間中心の国になる」ことをマクロ宇宙とし、ミッション・ビジョンとして定義してくるだろう。そしてミクロ宇宙においては「ひとりひとりを宇宙の中心におく」ことが、人間中心主義だと定義する。
 
こうした壮大な考えを社会実装するのは大変なことであろう。しかしテクノロジーの進化にともなって商品中心主義でしかありえなかったものがカスタマーセントリックになってきている中、Society 5.0においても「ひとりひとりを宇宙の中心に置く」カスタマーセントリックを実行に移していくことが求められる。
 
ここで強調したいのは、例えばプライバシーのあり方も、テクノロジーによってカスタマイズが可能になる時代だということである。何をされるのが快いのか・不快なのか、便利なほうがいいのか、プライバシーを守ったほうがいいのか。ひとりひとり、無限のグラデーションを持つ。こうしたカスタマイゼーションを推進する思想こそ人間中心主義であり、日本はこれから国をあげて取り組むべきものである。データか、プライバシーかではなく、そのバランス。これからはひとりひとりが、そのバランスを選べる時代なのである。
 
「GAFAの次に来るもの」 を考察するに当たって、このようにアマゾンのジェフ・ベゾスをモチーフにせざるを得なかったことは皮肉なものである。もっとも、先に述べた通り、ジェフ・ベゾスをメンバーに含む米国のビジネス・ラウンドテーブルがステークホルダー資本主義を提唱し始めたように、彼らが本気で価値観をパラダイムシフトして事業展開していくのであれば、「GAFAの次に来るもの」 はGAFAのような企業から生み出される可能性が高いと考えられる。「人間中心主義」とは、結局、ひとりひとりの個性やその集合体としての多様性を活かそうとする価値観をもっているか否かが重要である。そこに本当に哲学・こだわり・想いをもっているか否かが問われているのである。
 

5――「DAY1」の精神

5――「DAY1」の精神

ベゾスは毎年決算発表に合わせて株主向けの「株主レター」を公開しているが、今年は4月16日に『2019年 株主レター』が公開された。注目すべきは、ベゾスが「まだDAY1でしかない」と同株主レターを締めくくっている点である。
 
「DAY1」とは、「(創業して)まだ1日目」という意味である。ベゾスは、講演やインタビューなど様々な機会をとらえても、「DAY1」について語っている。「DAY1のバイタリティを保つ」ことが極めて重要ということである。対照的に「DAY2」もまた、創業当時の精神を忘れ衰退していく「大企業(病)」を非難する文脈として、ベゾスがよく口にする言葉である。「DAY1」は、アマゾンの公式ブログのタイトルにもなっている。また、ベゾスのデスクがある建物には、必ず「DAY1」という名前が付けられている。それほどまでにベゾスがこだわっている、アマゾンを理解する上で最も重要なキーワードの一つが「DAY1」なのである。
 
さらに、『2019年 株主レター』には、『1997年 株主レター』が添付されている。毎年公開されるベゾスの株主レターには、必ず、この『1997年 株主レター』が付けられている。23通目となる今回も、例外ではない。なぜ、毎年、株主レターに『1997年 株主レター』が添付されるのか。1997年と言えば、アマゾンがナスダックに上場した年である。また同年、売上高では前年度比800%以上増というすばらしい業績を達成した。確かに、1997年は、1994年に創業・設立したアマゾンが大きな成長を達成した節目の年である。しかし、それが理由ではない。
 
理由は、ベゾスが『1997年 株主レター』で「DAY1」を唱えたからである。上場を果たし成長を遂げた状況にあっても、まだ「創業して1日目」にしか過ぎない、その創業のバイタリティを保たなければならない、さもなければ衰退するのみ、ということである。ベゾスは、この「DAY1」の精神を、毎年株主に向けて表明する。創業時の精神を決して忘れないという決意が込められたものが、添付される『1997年 株主レター』なのである。
 
アマゾンのような時価総額で世界トップを争う企業であっても、「(創業して)まだ1日目」「常にDAY1」だと言うのである。「DAY1」の精神は、私たち日本や日本企業が「GAFAの次に来るもの」を見据えながら、初心に帰るという意味において、また企業DNAまでも刷新させるようなデジタルトランスフォーメーションを進化させSociety 5.0を実現していく上でも、必ず銘記しなければならないものであろう。
 
 

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田中 道昭

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(2020年07月13日「基礎研レポート」)

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