2019年11月01日

スタートアップ・エコシステム形成に向けた政府・地方自治体の取り組み

中村 洋介

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1――はじめに

日本のスタートアップ企業に注目が集まっている。ここ数年、スタートアップ企業への資金流入額は増加傾向にある。大企業もベンチャーとの連携(投資、提携、共同研究等)を増やしている。投資リターンだけでなく、事業シナジーも見据えて投資を行うコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)の設立が増加する等、スタートアップ企業とのオープン・イノベーションに取り組む大企業が増えていること等が背景にある。

日本のスタートアップ企業を巡る環境は大きく改善してきたが、米国や中国の規模感と比較すると大きな差がある。先端技術が国家の競争力や安全保障にまで影響することもあり、科学技術や新産業の振興だけでなく、投資規制や輸出管理の強化に至るまで、イノベーションを巡る覇権争いが激しくなっている。こうした国際競争も睨みながら、成長戦略の一手として、日本政府もスタートアップ企業の支援策を進めている状況だ。
 

2――各国でスタートアップ・エコシステムの形成が進む

2――各国でスタートアップ・エコシステムの形成が進む

近年、世界中でスタートアップ企業に資金が流入してきた。AI(人工知能)やIoT(Internet of Things)等の技術革新、急速に進展するデジタル化の潮流、長らく続いている金融緩和・低金利環境等が背景にある。「ユニコーン1」と呼ばれる高い企業評価額のスタートアップ企業も生まれており、未上場企業ながらも巨額の資金調達を実施するようになっている。ユニコーンの国別分布状況(図表1)を見ると、米国だけでなく、中国やインド、イスラエルといった国でも大きなスタートアップ企業が産まれていることが見てとれる。各国の都市で、スタートアップ企業が次々に自律的に生まれ成長するようなスタートアップ・エコシステムの形成が進みつつあるのが現状だ。世界のスタートアップ・エコシステムを調査している米国のStartup Genome社によるスタートアップ・エコシステムのランキング(図表2)では、産業・金融・科学技術等で世界をリードしてきた米国や欧州の都市だけでなく、中国やイスラエル等の都市も上位にランク付けされている。
 
1 一般に、創業10年以内で企業価値が10億ドル以上(1ドル=110円換算で1,100億円)の未上場スタートアップ企業を指す。
(図表1)ユニコーンの社数/(図表2)世界のスタートアップ・エコシステムランキング
スタートアップ・エコシステムとして、世界のトップに位置付けられるのは、依然として米国のシリコンバレー(カリフォルニア州)である。隣接するサンフランシスコ(同州)にもスタートアップ企業が集積してきた。中国やインド等、世界中から優秀な人材が集まってきており、人材の流動性も高い。起業家育成に前向きで、優秀な人材や技術シーズを輩出してきたスタンフォード大学等の研究機関もある。有力なベンチャー・キャピタル(VC)が集まり、旺盛な資金需要を支えている。成功した起業家がエンジェル投資家として資金を供給するだけでなく、メンターとして投資先の起業家・経営陣にアドバイスを与える。グーグルやアップル、フェイスブック等、シリコンバレーで生まれた巨大IT企業が本拠地を構えるだけでなく、多くのグローバル企業が拠点を置いている。創業間もないスタートアップ企業を支援・育成するアクセラレーター、スタートアップ企業を専門とする弁護士等、支援者も層が厚い。起業家や投資家等によるコミュニティが形成され、そこで得られた人脈や情報等が新たなビジネスチャンスに繋がっていく。自律的に次々とスタートアップ企業が生まれ、投資家や支援者のサポートを受けながら成長していく。晴れて成功した起業家は、成功で得た資金を元手に、次の起業に挑戦したり、エンジェル投資家として後進を育てたりする。また、成長した企業が、スタートアップ企業に対して投資や買収を行う側に回る。仮に失敗したとしても、その経験や人材等が次の挑戦に活かされていく。こうした「循環」は、豊かな大自然の「生態系(エコシステム)」に例えられ、イノベーションを創出する1つの理想の形とされてきた。米国にはシリコンバレーだけでなく、ライフサイエンス系のスタートアップ企業が集積するボストン(マサチューセッツ州)の他、ニューヨーク(ニューヨーク州)やオースティン(テキサス州)等もスタートアップ企業が集まる都市として認知されている。

一方、中国のエコシステムが近年で急速に発展してきた。清華大学、北京大学等の大学や国の研究機関等を擁し、ハイテク企業を創出している首都・北京、外資系企業が多く集まる国際都市・上海、巨大IT企業アリババのお膝元である杭州(浙江省)等で有力なスタートアップ企業が集積している。また、深圳(広東省)はハードウェア系のスタートアップ企業が集まる都市として脚光を浴びている。エレクトロニクス産業が集積するこの都市からは、世界でもトップクラスのドローン開発・製造企業となったDJI等が生まれ育った。こうした環境が育まれてきた背景を見てみると、中国政府が「大衆創業、万衆創新」を掲げてイノベーション、スタートアップ企業育成に力を入れてきたこと、海外留学から帰国する「海亀族」と呼ばれる優秀な人材がスタートアップ企業に流入していること、キャッシュレス等の新しい技術が社会実装されるスピード感があること等が要因として挙げられる。もちろん、巨大な国内市場、豊富な投資資金も大きなサポート要因となっている。今や、中国国内だけでなく海外で活躍するスタートアップ企業も多い。バイトダンス(北京)の動画共有アプリTikTokは多くの日本の若者が使っているし、ライドシェアを手掛けるディディチューシン(北京)にはトヨタ自動車が出資した。日本にとっても、中国のスタートアップ企業はもはや無視出来ない存在となっている。

テルアビブをはじめとしたイスラエルのエコシステムは、「中東のシリコンバレー」と称される。AIやサイバーセキュリティ等の分野で注目される同国には、グーグルやインテル等のグローバル企業が研究開発拠点等を構え、海外から投資資金が集まる。同国スタートアップ企業の成功事例として有名なのが先進運転支援システム(ADAS)を手掛けるモービルアイである。同社は2014年に米国のニューヨーク証券取引所に上場、その後インテルに約153億ドルという巨額の金額で買収されたことで話題になった。政府のスタートアップ企業振興策も奏功した。代表的なものは、1990年代にVCの振興策として実施されたヨズマ・プロジェクトである。公的資金を投入し、米国等海外の有力VCが参加する10のVCが設立された。資金提供・経営支援を通じた多くのスタートアップ企業の育成だけでなく、民間VCの育成、海外投資資金の呼び込みに繋がり、同プロジェクトは大きな成功を収めたと言われている。また、研究者やエンジニア等、多くの高度人材が集まっているという特徴もある。冷戦終結で旧ソビエト連邦(ソ連)等から多くの移民が移住し、その中に科学者・技術者も多く含まれていた。学校教育でもSTEM(Science,Technology,Engineering,Mathematics)教育に力を入れており、プログラミング教育が進んでいる国の1つである。また、徴兵制により高校卒業後に男性3年間、女性2年間の兵役が義務付けられており、一部の優秀人材は最先端の研究開発を行う部門に配属される等、高度人材の育成に繋がっている面がある。兵役中に築いた人的ネットワークが、将来の起業活動に結びつくこともあるようだ。そして、失敗を許容しチャレンジすることを推奨する国民性も、旺盛な起業活動に繋がっていると指摘される。

東南アジアでもユニコーンが生まれている。ライドシェアを手掛けるグラブ(シンガポール)とゴジェック(インドネシア、ジャカルタ)が有名だ。両社は域内でしのぎを削っており、ライドシェアから食事の宅配サービス、決済サービス等へとビジネスを広げている。両社のスマートフォンアプリは、あらゆるサービスを提供する「スーパーアプリ」として進化しつつある。両社には、海外の投資家や事業会社もこぞって出資しており、グラブにはトヨタやソフトバンクグループ(ソフトバンク・ビジョン・ファンド)等、ゴジェックには三菱商事等の日本企業が資本参加している。

他にも、「スタートアップ・インディア」というイニシアティブを掲げてスタートアップ企業への支援に取り組んでいるインド(ベンガルール等)、2013年から「フレンチテック」と称される支援策を推し進めているフランス(パリ等)のように、様々な国がスタートアップ企業支援、エコシステム形成に注力している状況だ。
 

3――日本が取り組むスタートアップ・エコシステムの拠点形成戦略

3――日本が取り組むスタートアップ・エコシステムの拠点形成戦略

こうした世界的潮流の中、日本もスタートアップ・エコシステムの形成を後押しするような政策に取り組んでいる。今年の6月に閣議決定された成長戦略、及び統合イノベーション戦略2019では、スタートアップ・エコシステム拠点都市の形成に向けた集中支援を掲げた。内閣府、文部科学省、経済産業省が取りまとめた「Beyond Limits. Unlock Our Potential. ~世界に伍するスタートアップ・エコシステム拠点形成戦略~」において、その具体戦略を提示している(図表3)。
(図表3)スタートアップ・エコシステム拠点形成戦略 概要
エコシステム拠点都市を形成すべく、ランドマーク・プログラム招致等の集中支援を行う「グローバル拠点都市」を2~3箇所、地方創生と連携した支援も行う「推進拠点都市」を数ヶ所選定する。地方自治体や大学、民間組織によるコンソーシアムが形成されることを念頭に置いている。公表されているスケジュール案では、2019年中に予備調査等を行い、2020年1月中旬から2月中旬にかけて公募を受け付け、3月下旬に拠点都市を決定する予定としている。予備調査の項目には、その都市でのスタートアップ企業、VC等の投資家及び支援者、大企業や中堅企業の状況、地方自治体の取り組みや今後の計画、首長の姿勢、大学の活動状況の他、人口動態や交通アクセス、居住環境といった項目も含まれる。既に、公募に名乗りを上げている地方自治体もあり、選定プロセスが進むに連れて注目が高まるだろう。

また、具体戦略の中では、研究開発型スタートアップの支援を強化することも盛り込んでいる。足もと、世界中で人工知能(AI)、ロボティクス、バイオテクノロジー、素材、航空宇宙といった分野のように、大学等の研究成果をベースにした最先端技術を手掛ける研究開発型スタートアップ企業に注目が集まっている。成功すれば社会に大きなインパクトを与える一方、事業化までに長い時間と多額の資金が必要であり、難易度も高い。日本は「ものづくりに強い」、「科学技術立国」と称されながらも、研究開発型スタートアップ企業を生み育てる環境がまだまだ整っていないという課題認識の下、起業にチャレンジする研究者や起業家の背中を後押しすべく、資金調達面でのサポートを強化していく方針だ。施策の1つとして、日本版SBIR制度2(中小企業技術革新制度)の見直しが挙げられている。日本版SBIR制度は、多くの革新的な企業を生み出した米国のSBIR制度3(Small Business Innovation Research)を範とした制度で、中小企業等に対して研究開発のための補助金・委託費等を交付するものである。しかしながら、中小企業全般がターゲットとなっており、創業間もない研究開発型スタートアップ企業を重点的に支援しているわけではない。米国のSBIR制度は、今や世界で有数のバイオ製薬会社となったアムジェンやギリアド・サイエンシズ、掃除ロボットのルンバで知られるiRobot、通信・半導体関連のクアルコム等、いくつもの革新的な技術シーズを大きく花開かせてきた。一方の日本版SBIR制度は、中小企業の研究開発を後押しする効果はあったとしても、米国ほどのインパクトのある成果は出せていない。こうした背景、課題意識をもとに制度の見直しが盛り込まれ、足もとでは中小企業庁の検討会4にて議論が進められている状況だ。

他にも、スタートアップ企業からの公共調達の促進や、起業家教育やシーズ発掘・育成といった大学を中心とした環境作りに取り組むことを具体策に盛り込んだ。今後、本格的に対策が進められていくことに期待がかかる
 
2 1999年に施行された新事業創出促進法に盛り込まれた制度で、中小企業庁が所管する省庁横断的な制度。総務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省の7省が参加。各府省の研究開発に関する補助金・委託費等の中から、中小企業等への交付が可能で、その成果を活用して事業を行えるものを選び、特定補助金等として指定している。各府省が公募を行っており、特定補助金等の交付を受けた中小企業等は、日本政策金融公庫の低利融資や公共調達における入札参加の特例措置、特許料の減免等の支援策も受けることが出来る。2018年度の当初予算目標額は460億円。
3 1982年に開始された中小企業支援プログラム。国防総省、航空宇宙局(NASA)、国土安全保障省、運輸省、農務省、保健福祉省、環境保護庁、商務省、教育省、エネルギー省、国立科学財団(NSF)の11省庁が参加する省庁横断的なプログラム。各省庁の外部委託研究予算の一定割合(2017年度以降は3.2%)を同制度に充てることが義務付けられている。補助金が交付されるものと、委託契約となるものがある。フェーズIからフェーズIIIまで3段階に分けて支援が行われ、フェーズが進む毎に採択件数が絞り込まれていく。2017年度の予算規模は26億7,341万ドル(1ドル110円換算で約2,940億円)。その成果から、日本や英国(SBRI、Small Business Research Initiative)等が米国のSBIR制度をモデルとした制度を導入している。
4 中小企業庁 日本版SBIR制度の見直しに向けた検討会
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