2019年08月13日

認知症大綱で何が変わるのか-予防重視の弊害、共生社会の実現に向けた課題を考え

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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4認知症バリアフリーの推進・若年性認知症の人への支援・社会参加支援~4つ目の柱~
4番目の柱では、移動や消費、金融、小売など様々な生活環境を改善することで、認知症の人が暮らしやすい社会を形成する「認知症バリアフリー」の考え方が示されており、2006年制定のバリアフリー新法(高齢者障害者移動等円滑化促進法13)など既存の法律に基づく取り組みと数値目標に言及したほか、中山間地域における人流・物流を確保するために自動運転移動サービスの実証・社会実装を進めるとした。

さらに、▽誰もが安心して通行できる幅の広い歩道等の整備、▽踏切道に取り残された認知症高齢者の歩行者を救済するため、検知能力の高い障害物検知装置や非常押しボタンの設置、▽高速道路の逆走事故を防ぐため、分岐部の対策、料金所開口部の締切――なども掲げた。

ソフト面では、バス運転手など現場の職員が認知症の人に対応できるような接遇ガイドラインを作成・周知するとともに、事業者による研修充実・適切な接遇の実施を推進するとした。さらに、一定の規模以上の公共交通事業者に対し、認知症の人を含む高齢者などへの対応について、接遇・研修の在り方を含む計画の作成、取り組み状況の報告・公表を義務付けるとしている。交通安全の確保でも、安全運転支援機能を有する自動車を前提として高齢者が運転できる免許制度の創設に向け、2019年度内の方向性を得るとした。

認知症の人が住みやすい社会を形成するため、地域の見守り体制整備や住宅確保の必要性にも触れており、2016年3月改定の住生活基本計画で定めた「高齢者人口に対する高齢者向け住宅の割合4%」など既存施策の数値目標を反映させた。さらに、認知症サポーターなどで構成する支援チームが認知症の人やその家族を支援できるようにする仕組み(チームオレンジ)の構築などに言及しており、チームオレンジを全市町村で整備するという目標を掲げた。

民間企業の取り組みを後押しする観点に立ち、民間企業を認証・表彰する仕組みの創設も盛り込んだ。具体的には、認知症に関する取り組みを実施している民間企業が「認知症バリアフリー宣言」(仮称)を公表し、宣言した企業を認証する仕組みを検討するとしたほか、▽認知症の人の意見を踏まえて開発された商品・サービスの登録システムや開発支援や事例収集、▽食品購入・飲食に不自由しない生活環境の整備に向けた官民連携の取り組み支援と事例の拡大、▽買い物しやすい決済システムの検討、▽成年後見制度で支援を受ける人の財産のうち、日常的な支払いに必要な金銭とは別に通常使わない金銭を特別な預金として預託する「後見制度支援預金」の導入推進、▽高齢者が保有している不動産を担保として生活資金を融資する「リバース・モーゲージ」の普及――などに言及した。

さらに、成年後見人制度の促進も掲げており、2019年5月に策定された「成年後見制度利用促進基本計画に係るKPI」を継承し、2021年度末時点の計画を盛り込んだ。

このほか、認知症に関する様々な民間保険の推進策として、認知症の発症に備える保険の普及に加え、認知症の人が鉄道事故などを起こした場合に備えるため、認知症の人や監督義務者(家族等)を被保険者とする民間の損害賠償責任保険の普及に向けて、各保険会社の取り組みを後押しすると定めた。この関係では、神戸市が認知症の人が起こした事故の費用を補填する民間保険への加入を支援するなど独自の施策を2019年度から本格化させており、こうした事例の収集や政策効果の分析に取り組むとしている。

若年性認知症の人に対する支援としては、相談窓口の設置に加えて、相談支援などを行う若年性認知症支援コーディネーターの配置・強化が規定されたほか、若年性認知症の人の有病率や実態把握、対応策に関する調査研究に取り組む旨も盛り込まれた。

社会参加支援の関係では、認知症の人が支えられる側だけでなく、支える側として役割と生き甲斐を持って生活できる環境づくりが必要とし、地域活動などの重要性にも言及した。
 
13 元々、建築物を対象とした法律と、交通事業者に対する法律が別々だったが、2006年に統合された。
5|研究開発・産業促進・国際展開~5つ目の柱~
認知症の発生プロセスなど明らかになっていないことが多いため、研究開発の重要性を強調したほか、関連産業の振興に努める方針にも触れている。具体的には、日本医療研究開発機構(AMED)による支援を通じて、予防法や診断法、治療法、認知症の診断や治療効果の評価に役立てる「バイオマーカー」の開発、リハビリテーションモデル、介護モデル、BPSD(行動・心理症状)の予防法などの研究開発を推進する旨が盛り込まれた。

さらに、生活の質を反映したアウトカム評価を含めて、定期的に認知症の人や家族の実態を把握するための調査、家族負担軽減に焦点を当てた研究、ADL(日常生活動作)などの維持向上を図るための研究開発なども規定している。

このほか、AMEDを中心とした研究の推進を通じて、認知症の発症と進行の経緯、危険因子、予防因子を明らかにするほか、認知症の人を登録する仕組みを構築することで、認知症発症前の人、軽度認知障害の人、認知症の人が研究や治験に参加する際に容易に登録できる仕組みを構築するとしている。産業界の認知症に関する取り組みの機運を高め、官民連携やイノベーションの創出・社会実装を推進する方針も盛り込んだ。数値目標ではバイオマーカーの実証実験を3件以上で取得すると定めた。

では、認知症大綱は過去の施策と比べて、何が違うのだろうか。以下、(1)予防を重視した施策の内容、(2)首相官邸主導による策定プロセス――の2点に関して特色を考察する。
 

4――認知症大綱の特色

4――認知症大綱の特色~(1)予防を重視した施策の内容~

1新オレンジプランとの対比で浮き彫りになる予防重視のスタンス
過去にも認知症関係施策については、オレンジプランと呼ばれる「認知症施策推進総合戦略」が2012年9月と2015年1月に渡って2回策定され、(1)認知症への理解を深めるための普及・啓発の推進、(2)認知症の容態に応じた適時・適切な医療・介護等の提供、(3)若年性認知症施策の強化、(4)認知症の人の介護者への支援、(5)認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくりの推進、(6)認知症の予防、診断、治療、リハビリテーション、介護などモデルの研究開発、成果普及、(7)認知症の人やその家族の視点の重視――という7つの政策が進んでいた。

これと対比させると、大綱の特色が浮き彫りになる。具体的には「共生」とともに「予防」を重視した点であり、大綱の作成論議が始まった時点で浮き彫りになっていた。例えば、2018年12月に「認知症施策推進関係閣僚会議」(以下、関係閣僚会議)が設置された際、会議の締め括りに際して、安倍晋三首相は「認知症の予防に関する研究とその成果を実用化するための取組」「認知症を発症しても、住み慣れた地域で安心して暮らすための『認知症バリアフリー』の取組」を進めると述べた14。ここでの注目は「予防」「共生」の順番で施策を進めるとしていた点であり、認知症大綱の策定プロセスが予防重視でスタートしたことを窺わせる。

こうした形で予防を重視した背景には、増大する社会保障費に対する危機感があった。2018年10月の経済財政諮問会議(議長:安倍首相)では、民間議員から認知症予防の必要性を訴える資料が示されたほか、「かかってからの治療が難しい認知症や生活習慣病を中心とした病気への予防と健康寿命の延伸が何よりも重要」との発言があった15

予防の強化を通じて、関連ビジネスの振興を重視する考え方もあったとみられる16。例えば、第1回関係閣僚会議で安倍首相は「介護産業の発展や世界全体の健康増進に貢献していくことも重要」と述べていた17。この点については、新オレンジプランで見られなかった「研究開発・産業促進・国際展開」という柱が認知症大綱で立てられていることに表れている。

以上のような経緯を踏まえて、5月16日の会合で公表された素案18では、「70 歳代での発症を10 年間で1 歳遅らせる」という数値目標を盛り込むとともに、注釈の形で「有病率におきかえると 10年間で相対的に約1割の低下となるので6年間で相対的に6%の低下」「70~74 歳における2018年有病率3.6%を3.4%に、75~79 歳における有病率10.4%を9.8%に2024年までに低下させる」という数字を示した。さらに、根本匠厚生労働相も記者会見で、「通い」の場の充実などを通じて、「十分実現可能性のある目標」と述べていた19
 
14 2018年12月25日第1回認知症施策推進関係閣僚会議議事録を参照。
15 2018年10月5日経済財政諮問会議資料、議事要旨を参照。
16 2019年6月19日『毎日新聞』参照。
17 2018年12月25日第1回認知症施策推進関係閣僚会議議事録を参照。
18 2019年5月16日第3回認知症施策推進のための有識者会議「今後の認知症に関する政府の取組み(案)」を参照。
19 2019年5月17日根本大臣会見概要
2当事者団体と与党の反発による修正
しかし、大綱の議論が進むにつれて、予防重視の方針、中でも数値目標に対する反発が強まった。認知症の効果的な予防法は確立されておらず、当事者団体から「偏見を助長し、自己責任論に結びつきかねない」といった反発が出たのである20。与党内でも批判が強まり、自民党では「エビデンスがないのに、どうやって予防の目標を立てるのか」といった疑問が示された21ほか、公明党も菅義偉官房長官に提出した提言で、予防の必要性に言及しつつも、「認知症の人が予防を怠っているという誤った受け止めをされることのないよう、十分な配慮を行う」必要性を主張した22

こうした声を受けて、数値目標に関する注釈の部分は撤回された。さらに、「予防」の定義について、「『認知症にならない』という意味ではなく、『認知症になるのを遅らせる』『認知症になっても進行を緩やかにする』という意味」という形で明確にした。根本厚労相も「(筆者注:KPIを)目標とするのではなくて、予防の取り組みを行った、その結果としてそうなることを目指す旨、表現ぶりを修正することにしました」「認知症になっても希望をもって日常生活を過ごせる社会を目指し、認知症の人や家族の視点を重視しながら『共生』と『予防』を車の両輪として推進していきたい」と説明した23

しかし、それでも「70歳代での発症を10 年間で1歳遅らせることを目指す」という方針自体は維持されているほか、これまで触れた通り、「共生」と並んで「予防」が車の両輪に位置付けられており、予防が重視されている点に変わりはない。

では、お膝元の与党から批判を浴びる状況がなぜ生まれたのだろうか。この点を把握する上では、首相官邸主導による策定プロセスという2つ目の特色を見る必要がある。
 
20 2019年6月1日『社会保険旬報』No.2749、2019年6月1日認知症の人と家族の会による総会アピールを参照。
http://www.alzheimer.or.jp/wp-content/uploads/2019/05/20190601soukai_appeal.pdf
21 2019年6月4日『共同通信』配信記事を参照。
22 2019年5月29日公明党「認知症施策トータルビジョン」。
23 2019年6月4日根本大臣会見概要。
 

5――認知症大綱の特色(2)

5――認知症大綱の特色(2)~首相官邸主導による策定プロセス~

1整合性が取れなかった予防重視の方針
認知症大綱の策定プロセスを巡る特徴は首相官邸主導だった点である。具体的には、2013年9月に発足していた「認知症高齢者等にやさしい地域づくりに係る関係省庁連絡会議」を改組する形で、官房長官をトップとする関係閣僚会議が2018年12月に発足した。さらに、関係閣僚会議の下に首相補佐官を座長、厚生労働省医務技監を座長代理、関係省庁の局長・審議官クラスで構成する「幹事会」を設置したほか、具体的な議論を進める場として有識者会議や専門委員会を置いた。

つまり、従来の2つのオレンジプランでは厚生労働省が主体的な役割を担ったのに対し、今回の大綱は首相官邸主導による政治プロセスが採用された。首相官邸主導による政策形成プロセスは1990年代後半から志向されてきた改革の結果であり、省庁ごとの縦割りに陥りがちな政策の統合性を高めたり、意思決定のスピードを早めたりするメリットがある反面、既存施策との整合性が取れないなどのマイナス面を伴う時がある。

実際、予防重視の方針は既存の施策と整合しておらず、先に触れた通り、当事者団体や与党の批判を招くことになった。予防の数値目標についても、厚生労働省が十分な裏付けとなるデータを持っていなかったことが明らかになっている24

以上のような経緯を総合すると、数値目標の設定も含めて予防重視の方針が打ち出されたのは、首相官邸主導で議論が進んだ結果と言える。さらに、大綱の策定プロセスに関する各種報道25を見ると、当事者団体や与党の反発は政府にとって「想定外」であり、既存施策との整合性を取らずに議論が進みがちな首相官邸主導のマイナス面が現われたと判断できる。
 
24 認知症大綱が策定された直後の6月20日に開催された社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)介護保険部会で、厚生労働省は年齢別の認知症有病率のデータを把握しているが、発症年齢のデータを持っていないことを明らかにしたという。2019年6月28日『シルバー新報』を参照。
25 2019年6月19日『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』。
2通常とは異なる流れになった基本法との関係
もう1つ、首相官邸主導によるプロセスを考える視座として、認知症基本法との関係を見てみよう26。実は、認知症に関する基本法を制定する動きが議員の間で以前から始まっており、公明党の議論が先行していた。具体的には、公明党は2018年9月、「認知症施策推進基本法」の要綱を公表し、(1)目的、基本理念、(2)認知症の日(9月21日)、月間(9月)の制定、(3)国、自治体、国民など関係者の責務、(4)国、自治体による基本計画策定、(5)基本的な施策、(6)国、自治体の推進体制――といった内容を定めていた27

この時点で想定されていたのは、超党派による議員立法であろう。がん対策基本法など多くの議員立法による基本法は与野党の合意を経ることが多く、実際に公明党の山口那津男代表は「国会に出すからには幅広い合意をつくり出し、自民党をはじめ理解を頂ける政党に働き掛けることを検討したい」との期待感を示していた28

しかし、最終的に基本法案は与党だけで提出されたほか、基本法も大綱の根拠法として制定される見通しである。この結果、通常の「超党派の基本法制定→国の計画策定」という段取りではなく、「国の大綱策定→与党の基本法案提出」という流れを辿った。与党は野党にも協議を呼び掛けるとしている29ため、最終的には超党派による立法になる可能性があるが、少なくとも現時点では過去の基本法とは異なる動きを見せている。

では、以上のような内容と策定プロセスの特色を持った認知症大綱をどのように評価したらいいのだろうか。最初に懸念材料を指摘することとし、新オレンジプランとの比較を通じて、(1)当事者中心主義の減退、(2)予防が偏見を生み出す危険性――の2点を考察する。
 
26 認知症基本法については、拙稿レポート「議員立法で進む認知症基本法を考える」を参照。
27 公明党ウエブサイト2018年9月30日「『認知症』法案で骨子案」。
https://www.komei.or.jp/komeinews/12033/
28 同上。
29 2019年7月1日『社会保険旬報』No.2752を参照。野党では2019年7月の参院選に際して、国民民主党が認知症基本法の制定を公約に掲げた。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

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