2018年06月19日

職業安定業務統計からみられる労働需給~人手不足と賃金の動向~

大阪経済大学経済学部教授 小巻 泰之

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1――はじめに

有効求人倍率の大幅な上昇は今次の景気回復局面での大きな特徴である。また、同指標の上昇を労働需給の改善とみて、アベノミクスの効果として評価されている。有効求人倍率は全国のハローワーク(公共職業安定所)における求職、求人、就職の状況を取りまとめたもので、「職業安定業務統計」に含まれる指標の一つである。「平成14年求職者総合実態調査」(厚生労働省)によれば、求人に応募した方法(複数回答)をみると、「ハローワークの紹介で応募」60.2%、「新聞広告・求人情報誌等(雑誌を含む)を見て応募」39.0%等、とハローワーク経由での応募が過半を超えている。ただし、従来から有効求人倍率は限定的な労働需給を反映している(野口2016)とされてきたように、労働市場の全体を表現したものではない。たとえば、高度な専門性が求められる職種(たとえば、航空機のパイロットが含まれる「航空機・船舶の運転」等の職種)には求人数は極端に少なく、全ての職種の労働需給を代表するものではない。

とはいえ、同統計の大きなメリットは労働市場における需要と供給のマッチング状況を示すと同時に、求人側(企業)及び求職者(労働者)の行動を観察できることである。しかも、地方の一部の労働局では、求人や求職側それぞれの希望される賃金水準に関するデータについて開示している。そこで、本論では求職、求人、就職の状況を取りまとめた「職業安定業務統計」から読み取れる労働市場の状況を整理し、有効求人倍率の上昇の背景とその要因について検討する。本論では特に以下の2点について考慮する。

第1に、求職者の内、どの程度の就業者がハローワークの窓口から求人紹介を受けているのか、また紹介を受けた求職者の内どのくらいが雇用関係を結ぶことになるのか、といった観点から労働需給の動向についてみてみる。ここでは佐々木(2007)にならって、サーチマッチング・モデルを用いて、求職者がどのようにして就業機会を得ているのかについて分析する。

第2に、労働需給の逼迫が賃金の上昇にどの程度結びついているのかについて検討する。東京労働局では求人及び求職者の希望する平均賃金水準を公表している。賃金は労働需給の調整により決定されると考えれば、求人賃金は労働供給の増加(求職者の増加)により賃金水準が低下することが期待される。他方、求職者の希望する賃金水準は求人の増加により上昇すると考えられる。このような状況が確認できるのかについて、一般常用、常用的パートに区分して検討する。
 

2――ハローワークでの労働需給

2――ハローワークでの労働需給

2.1 労働需給のマッチング
公共職業安定所での労働需給のマッチング状況について、ここでは佐々木(2007)にならって、サーチマッチング・モデルを用いて分析する。

ハローワークでの求人への求職者の行動にはどのようなものが考えられるだろうか。まず、求職者はハローワークに登録することが必要となる。登録しないと求人の紹介を受けることはできない。求職者が窓口に求人の紹介を求めると、当該企業の他、類似した企業の紹介を受ける場合もある。このような求職者が窓口で求人を求める行動については「職業安定業務統計」の求職者1人当たりの紹介件数を用いることにより観察できる。求人を紹介されるには、求職者はハローワークの窓口に行かざるを得ず、また窓口での紹介件数が多いほど求職者が就職できる確率も高まるのではないかと推察される。

では、登録した求職者は求人に対してどのような行動をとるのであろうか。「平成14年求職者総合実態調査」(厚生労働省)によれば、全求職者のうち求人に応募した者は80.8%となっている。

そこで、以下3つの観点から考えてみたい。

第一に、ハローワークでの紹介件数が多いほど就職できるのかである。このような状況は、以下のように表現できる。
 
lnq_t=αln(int)_(t-1)+μ_t  (1)
 
ただし、lnq_tは求人数に占める就職件数である求人充足率、ln(int)_(t-1)は求職者1人当たり求人の紹介件数(見方を変えると求人倍率と同じ)を意味する。ここでは同時性バイアスを考慮して1期ラグの変数としている。
 
第二に、求職者の能力が低いと判断されると採用されないのか、である。求人、求職がともに充足されない場合が考えられる。「平成14年求職者総合実態調査」(厚生労働省)によれば、ハローワークの窓口で紹介の手続きをとらなかった求職者は全体の18.9%とされている。応募しなかった理由は、求職者の内、79.1%は希望する条件を満たす求人がなかったとしている。あるいは、求人に応募した場合であっても、同一の求人に複数の求職者からの応募があった場合には、採用されない可能性が高まる。

他方、求人を出した企業の都合でいえば、仮に求人に応募があった場合でも、その応募者の能力が当該企業の限界的な生産性より低いと判断された場合には採用されず、求人が満たされることはない。あるいは、求職者からの応募が全くなかった場合も求人はそのまま残ることも考えられる。一方、求人数の増加は求職者にとって選択肢が増加することを意味しているが、ある企業へ応募する確率は低下すると考えられ、就職件数が減少することが考えられる。そのため、求職者を引き付けるために企業は賃金を引き上げる可能性がある。しかし、企業によっては限界的な労働生産力が上昇しなければ、新たに採用するとは限らない場合もある。こうした結果、充足されなかった求人と求職者については、有効求人(求職者)から当該月の新規求人(求職者)を引いたストックとしての求人と求職者として計算でき、その比率は市場逼迫率と呼ばれている。ただし、市場逼迫率と求人充足率の関係は一意で決まるものではない。市場逼迫率が上昇し、また新規求人が加わる場合、新規求職者の就職先の選択肢が増え、1つの求人に応募する求職者がかえって減少するかもしれない。この場合には求人充足率は低下するであろう。あるいは、求人数が増加することにより、求人をどうしても充足したい場合は賃金の引上げなど待遇の改善を図る企業も出てこよう。その場合は、求職者1人当たりの限界的な費用と限界的な収益を勘案して求人を取りやめる企業も出てくるかもしれない。この場合にも求人充足率は低下するとみられる。そこで、市場逼迫率と求人充足率との関係式(2)についても推計する。
 
lnq_t=αlnδ_t+ε_t (2)
 
ただし、lnδ_tは市場逼迫率を示す。ここでは,推定される市場逼迫率の符号はマイナスとなることが期待される.
 
最後に、就職件数は、求人と求職のどちらの影響が大きいのか、について確認する。単純にハローワークでの求職者が増加する場合、就職件数はどうなるであろうか。求職者の就職意欲の高まりが就職件数を高めるかどうかは求職者と求人された仕事内容とのマッチング次第の面が考えられ必ずしも求職者数が増加したからといって就職件数が高まるわけではない。ただし、職種によっては求職者の増加が就職件数の改善につながることも考えられる。他方、求人数が増加すれば、就職件数が上昇(低下)するのかは、求人を出している企業の置かれた環境に依存すると考えられる。企業がハローワーク以外にどこでも求人を満たすことができる場合には、ハローワークでの紹介者を必ずしも採用する必要もない。他方、求人数の増加は求職者にとって選択肢が増加することを意味しているので、ある企業へ応募する確率は低下すると考えられ、就職件数が減少することが考えられる。求職者を引き付けるために企業は賃金を引き上げる可能性がある。この場合、企業にとっては限界的な労働生産力が上昇しなければ、新たに採用するとは限らないため、この場合にも求人充足率は低下することとなる。もっとも、求職者を必ず得ようする場合には、企業は採用基準を下げて求人を充足しようとし、求人充足率が上昇する場合もありうる。では、こうした求職者側と求人側のどちらの要因の方が強く作用するのであろうか。ここでは、以下のような式()について推計することとする。
 
lnf_t=αln(shoku)_t+βln(jin)_t+ε_t(3)
 
ただし、lnf_tは就職件数、ln(shoku)_tは有効求職者数、ln(jin)_tは有効求人数を意味する。
2.2 賃金の調整
賃金は労働の対価であると同時に、その水準や方向性は労働市場の需給バランスにより決定されると考えられる。労働需給が逼迫すればするほど求職者は高めの賃金水準を望む一方、求人側は賃金水準をできる限り抑えたいと考えるであろう。そこで、求職者及び求人それぞれが希望する賃金は労働市場における需給で調整されると考え、式(4)及び式(5)について推計することとする。
 
ln(w_(d,t))= α(ln(jin)_t/ln(shoku)_t) +ϵ_t (4)
 
ln(w_(s,t) )= α(ln(jin)_t/ln(shoku)_t) +ϵ_t (5)
 
ただし,w_(d,t)は求人の希望する賃金水準、w_(s,t)は求職者の希望する賃金水準を示す。Ln(shoku)_tは有効求職者数、ln(jin)_tは有効求人数であることから説明変数は有効求人倍率を意味する。東京労働局の求人賃金は求人票の所定内賃金の上限・下限の平均値が公表されていることから、ここでは上限と下限の平均値を用いる。
 
他方、求職者及び求人それぞれが希望する賃金水準には乖離がある。この乖離は市場における労働需給の変動によりその乖離幅が調整されると考えられる。労働需給が逼迫すれば求人と求職者の希望する賃金格差が縮小することが期待される一方、求人賃金の上限と下限の格差についても縮小することが考えられる。そこで以下のような式(6)及び式(7)について推計する。
 
ln(w_(d,t)-w_(s,t) )= α(ln(jin)_t/ln(shoku)_t) +ϵ_t (6)
 
ln(w_(d,t上限)-w_(d,t下限) )= α(ln(jin)_t/ln(shoku)_t) +ϵ_t (7)
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