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2025年06月06日

高水準の賃上げをもたらしたのは人手不足か、物価高か

基礎研REPORT(冊子版)6月号[vol.339]

経済研究部 経済調査部長 斎藤 太郎

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1―春闘賃上げ率は2年連続の5%台

連合の「2025春季生活闘争 第5回回答集計結果」によれば、2025年の平均賃上げ率は5.32%(前年実績比+0.22%)、ベースアップに相当する「賃上げ分」は3.75%となった。2025年の春闘賃上げ率が、33年ぶりの高水準となった2024年(5.10%)に続き5%台となることはほぼ確実とみられる。

本格的な賃上げが実現した背景には、賃上げ率を左右する労働需給、企業収益、物価の3要素がいずれも大きく改善していることがある。

有効求人倍率は横ばい圏で推移しているが、引き続き1倍を大きく上回る水準となっており、失業率が2%台半ばで推移するなど、労働需給は引き締まった状態が続いている。また、法人企業統計の経常利益(季節調整値)は過去最高を更新し、消費者物価上昇率は3%台で高止まりしている。

2―労働需給のひっ迫は10年以上続く

賃金に関して特に強調されることが多いのは、人手不足に伴う賃金上昇圧力の高さである。たとえば、日本銀行が2025年1月に公表した展望レポートの5つのBOXのうち、4つが労働供給制約や労働需給に関するものであった。

人手不足が賃上げを後押ししていることは確かだ。しかし、賃上げが本格化し始めた2023年以前から労働需給の引き締まった状態は続いていた。有効求人倍率は2013年終盤に1倍を上回った後、2018年から2019年にかけては1.6倍台と現在の1.2倍台を上回る水準まで上昇した。

近年は民間求人サービスの利用が増加しており、ハローワーク(公共職業安定所)の求人・求職を集計している有効求人倍率が必ずしも労働市場全体の需給動向を反映しなくなっている可能性がある。

ただし、足もとの失業率は2%台半ばで推移しており、コロナ禍前の2%台前半と比べればやや高い。

労働需給の引き締まった状態はコロナ禍を除けば10年以上にわたって続いている。企業収益もアベノミクス景気の2017年頃から過去最高水準の更新が続いていた。この数年で大きく変化したのは物価上昇率である。

3―人手不足でも低迷する労働生産性

企業の人手不足感が極めて強いことは確かだが、実態として人手が不足しているかは議論の余地がある。

一般的に、景気回復期に最終需要が拡大し、それに対応するために企業が労働力を増やそうとするが、最終需要の拡大に労働力の確保が追いつかない場合に、企業の人手不足感が高まることが多い。この場合、最終需要の増加ペースが労働投入量の増加ペースを上回ることにより、労働生産性(最終需要/労働投入量)の上昇ペースは加速する。逆に、景気後退期に最終需要が落ち込んだ場合、企業は労働力を削減しようとするが、雇用調整はそれほど柔軟に行うことができないため、企業の雇用過剰感が高まることが多い。この場合、最終需要の減少ペースが労働投入量の減少ペースを上回るため、労働生産性の上昇ペースは低下する。

ところが、最近は人手不足感が極めて強い状態が続いているにもかかわらず、労働生産性の上昇ペースは緩やかなものにとどまっている[図表1]。また、コロナ禍以降、労働生産性が明確に上昇しているのは、宿泊・飲食サービス業、運輸・郵便業の2業種に限られ、労働生産性の水準がコロナ禍前(2019年平均)を上回っているのは宿泊・飲食サービス、建設業の2業種にすぎない。日銀短観の雇用人員判断DIは全ての業種でマイナス(不足超過)となっているが、労働生産性からみると実態的には必ずしも人手不足とは言えない業種も多い。

人口減少、少子高齢化という人口動態面からの構造的な人手不足は今後も続く公算が大きい。その一方で、足もとの人手不足は労働生産性の上昇を伴ったものとなっていないため、景気が悪化した場合には循環的に人手不足感が急速に弱まる可能性もあるだろう。
[図表1]労働生産性と雇用人員判断DIの関係

4―物価高が賃上げ要求の引き上げにつながる

最近の高水準の賃上げは労働需給、企業収益、物価の全てが揃ったことによって実現したが、決め手になったのは人手不足よりも物価高と考えられる。

振り返ってみれば、アベノミクス景気の頃から労働需給、企業収益を中心に賃上げをめぐる環境は良好だった。それにもかかわらず2022年まで賃上げがほとんど行われなかった一因は、組合側の要求水準が低かったことだ。

連合傘下組合の賃上げ要求と実績の関係をみると、雇用情勢が厳しさを増した1990年代後半以降、組合が賃上げよりも雇用の確保を優先したこともあり、定期昇給分(ベースアップなし)に相当する1%台後半から2%台の要求、実際の賃上げ率はそれを若干下回る水準という期間が長く続いた。

アベノミクス景気が始まった2013年以降、過去最高益を更新する企業が相次ぎ、企業の人手不足感が大きく高まるなど、賃上げをめぐる環境は大きく改善した。しかし、賃上げ要求は3%程度、実際の賃上げ率は2%程度(ベースアップではほぼ0%)にとどまっていた[図表2]。
[図表2]春闘賃上げ率の要求と実績の関係
賃上げ要求水準が上がらなかった背景には、デフレマインドが払拭されていなかったことがある。デフレ期にはベースアップがなくても物価の下落によって実質賃金が上昇したため、賃上げを要求する必要性が低かった。2013年の異次元緩和開始以降、少なくともデフレではなくなり、賃上げがなければ実質賃金が目減りするようになった。しかし、デフレマインドが根強く残っており、賃上げの重要性が十分に認識されることはなかった。

2022年以降は消費者物価が一時約40年ぶりの高い伸びとなり、賃上げがなければ実質賃金が大きく目減りしてしまうことが誰の目にも明らかとなった。こうした状況のもとで、2023年以降は賃上げ要求が大きく引き上げられ、それに応じて実際の賃上げ率も大きく高まったのである。

ここで、労働需給、企業収益、物価が賃金にどのような影響を与えるかを定量的に把握するために、多変量自己回帰(VAR)モデルを推計した。推計結果をみると、賃金への影響が最も大きいのは物価(消費者物価)で、企業収益(経常利益)、労働需給(雇用人員判断DI)がそれに続く形となっている[図表3]。
[図表3]物価、労働需給,企業収益が賃金に及ぼす影響
人手不足と賃上げの連動性が必ずしも高いと言えないことは、足もとの業種別の人手不足感(日銀短観の雇用人員判断DI)と賃金上昇率の相関が必ずしも高くないことからもうかがえる。たとえば、賃金上昇率(一般労働者の所定内給与)は2023、2024年の2年間で4.0%(産業計)上昇したが、人手不足感が特に強い飲食・宿泊サービス業、建設業の賃金上昇率はそれぞれ3.8%、3.4%と平均を下回っている。賃上げの根底に人手不足があることが確かだが、人手不足感の強さが賃上げ率に直結しているわけではない。

5―トランプ関税で2026年の賃上げ率は大幅低下へ

日本経済は緩やかな回復が続いてきたが、米国が発動した相互関税により先行き不透明感が高まっている。景気が悪化すれば、賃上げを巡る環境も悪化し、2026年の春闘賃上げ率が大きく低下することは避けられない。

賃上げを決める3要素のうち、人手不足感については人口動態面の要因によって高止まりする可能性もあるが、人手不足感の強さは必ずしも賃上げの主因とは言えない。企業収益が悪化し、物価上昇率が鈍化すれば、賃上げ率は大きく下がるだろう。ただし、より重要なのは実質賃金の上昇率であり、名目賃金の伸びが大きく下がったとしてもそのこと自体を過度に悲観する必要はない。

春闘賃上げ率は2023年以降に大きく高まったが、消費者物価上昇率が高止まりしていることから、現時点では実質賃金上昇率のプラスが定着するには至っていない。先行きについては、物価上昇率の低下によって名目賃金の伸びは鈍化する可能性が高いが、実質賃金の上昇が持続的・安定的なものとなれば、個人消費を下支えすることが期待される。

2026年の春闘賃上げ率が前年を下回ることは避けられそうもないが、物価上昇率を上回るベースアップが確保できるかが注目される。

本資料記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と完全性を保証するものではありません。
また、本資料は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2025年06月06日「基礎研マンスリー」)

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経済研究部   経済調査部長

斎藤 太郎 (さいとう たろう)

研究・専門分野
日本経済、雇用

経歴
  • ・ 1992年:日本生命保険相互会社
    ・ 1996年:ニッセイ基礎研究所へ
    ・ 2019年8月より現職

    ・ 2010年 拓殖大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2012年~ 神奈川大学非常勤講師(日本経済論)
    ・ 2018年~ 統計委員会専門委員

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