コラム
2025年02月25日

中国視点で考える「DeepSeek」ショック-経済と対外関係にもたらす機会と脅威

経済研究部 主任研究員 三浦 祐介

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4――中国の対外関係にもたらす機会と脅威

1|対米関係では新たな対立の火種に
中国の対外関係に対する影響は、相手が西側諸国か新興国かで大きく異なりそうだ。

米国をはじめとする西側諸国との関係においては、対立の新たな火種となるだろう。純粋に技術的な観点からは、今回のDeepSeekショックに対する西側諸国の反応は必ずしも批判一辺倒ではない13。しかし、生成AIに代表されるハイテク領域は、単に経済的な競争だけでなく安全保障にも密接に関わることから、中国に後れをとることは容認されない。上述の通り中国は様々なハイテク分野で研究開発を強化し、様々な分野で西側の代替となりうる技術や製品を打ち出してきたが、今回、これに生成AIが加わった形だ(図表4)。このため、産業政策と規制強化の両面で、米国の優位を保つための対策が進むだろう。産業政策に関しては、遡れば2016年に当時のオバマ政権下から政策の重点に位置づけられたが、その重要性は、歴代政権を経て、第2次トランプ政権でも変わっていない14。規制強化に関しては、中国への情報漏洩に対する懸念から、DeepSeekによるサービスの利用を規制しており、同様の動きは他の西側諸国の間でも広がっている15。今後は、バイデン政権の任期終盤から検討が進んでいる汎用半導体および設備の対中輸出規制など、規制の拡大が予想される。もっとも、DeepSeekショックからも示唆されるように、米国の規制強化が中国の研究開発スピード加速を促している側面もあり、時間稼ぎにしかならないかもしれない。
(図表4)ハイテク産業における中国の成果や代表的企画など
 
13 「美股“七巨头”如何评价DeepSeek?投资者重估中国大型科技股潜力」.第一财经,2025年2月10日. https://www.yicai.com/news/102466826.html.。
14 主な政策として、オバマ政権では「全米AI 研究開発戦略計画」(2016年10月)、第1次トランプ政権では「米国AIイニシアティブ」(2019年2月)や「全米AI 研究開発戦略計画2019更新版」(同年6月)、バイデン政権では「全米AIイニシアティブ法」(2021年1月)や「全米AI 研究開発戦略計画2023更新版」(2023年6月)がある(岡村(2024))。
15 イタリアやオーストラリア、韓国、台湾などの国・地域で、アプリストアからの削除や行政機関での利用を禁じたほか、カナダやイギリス、EU主要国の間でも利用の制限を検討する動きがみられる("Italy Temporarily Blocks ChatGPT over Privacy Concerns." AP News, March 31, 2023. https://apnews.com/article/italy-blocks-deepseek-chatbot-artificial-intelligence-dc7e87835ed7a125b5e46614ddbd80d0.など)。
2|対新興国との関係強化やグローバルガバナンスへの影響力拡大にとっては有力な材料に
これに対して、新興国のDeepSeekに対する反応は、西側諸国とは異なり、少なくとも警戒感が急速に広まっている状況ではなく16、中国の対新興国外交にとって、自国への求心力を強める材料となりそうだ。とくに、中国が有するノウハウを活用すれば低コストで開発が可能で、かつオープンソースでそのノウハウに誰もがアクセス可能であるという言説は、新興国に対する新たな訴求ポイントとなるだろう。政治体制など敏感なトピックを規制対象とする中国式の生成AI管理のあり方も、西側諸国からすれば懸念の対象だが、新興国でそうなるとは限らない。一時期取り沙汰された中国製監視カメラのシステムと同様、国によっては魅力的にすら映るかもしれない。

新興国への影響力拡大の先に狙うのは、生成AI領域でのグローバルガバナンスにおける発言力の強化だ。中国は、13年に「一帯一路」構想の枠組みのもと新興国を中心とした関係強化に乗り出したが、当初目玉であった大型インフラ建設が行き詰まりをみせ、協力の中身は小粒なものへと変わっている。そうしたなか、中国が世界の生成AI開発競争において米国と並ぶ極となりつつあることは、経済的影響力を強めるうえで追い風となる17。中国自身も、23年に開催された第3回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムでは、「グローバル人工知能ガバナンスイニシアティブ」を提起し、新興国の代表としてグローバルガバナンスの枠組み形成に対して影響力を発揮しようとの思惑を露にしている18。生成AIの発展と社会への実装、そして法制度整備で世界の先頭集団にいることで、その実現に都合の良い条件は着実に整いつつある。
 
16 インドの財務省が公用の機器でDeepSeekの利用を控えるよう職員に指示したとの報道がある("India's Finance Ministry Asks Employees to Avoid AI Tools like ChatGPT, DeepSeek." Reuters, February 5, 2025. https://www.reuters.com/technology/artificial-intelligence/indias-finance-ministry-asks-employees-avoid-ai-tools-like-chatgpt-deepseek-2025-02-05/.)。
17 なお、デジタル分野での協力に関しては、2015年に「情報シルクロード」構想として提起された後、2017年に開催された第2回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムで「デジタルシルクロード」構想へと名を改めて再び提起されて本格的に始動し、デジタル関連のインフラやサービスなどの展開を中心に進められた(岩崎(2020))。

5――中国にとっての課題と日本にとっての課題

1|中国にとっての課題 : 生成AIのポテンシャルを最大化し、脅威を最小化できるか
今回のDeepSeekショックは、産業高度化や国際社会でのプレゼンス強化を目指す中国にとって朗報ではあるが、手放しで喜ぶことはできないだろう。今後は、生成AIの急速な発展に対して、中国政府がどのように臨むかが焦点となる。

例えば、生成AIに関する法制度の整備だ。中国は、2022年から既に段階的に関連する制度を導入してきたが、包括的な法制度はまだ存在しておらず、24年から「人工知能法」の制定に関する議論がスタートしたばかりだ。現状、フェイクニュース対策や依存予防のほか、上述の敏感なトピックに対する管理など、想定される悪影響を防ぐための規制的要素もみられるものの、全体的なスタンスとしては規制よりも推進に重きを置いたAI政策となっているようだ18。今後、生成AI普及による影響や、AI政策のスタンス、具体的な法制度の整備がどのような展開をみせるか、注視が必要だ。

また、雇用や所得格差に対する悪影響を緩和、予防するための対応も必要となる。重要なのは、農村戸籍を持つ人々への対応だ。中国では、出生地が都市か農村かによって戸籍の種類が分かれており、これが公共サービスや社会保障などの水準にも影響している。とくに農民工と呼ばれる都市で働く農村戸籍の労働者は、都市戸籍の労働者に比べて、教育などの面で十分な公共サービスを享受できていないことが問題となっている。制度的要因により教育機会に格差が生じた結果、AIの発展にキャッチアップできずに発展から取り残されることがないようにすることが求められる。戸籍制度改革はこれまでも着実に進められてきてはいるものの、AIの普及スピードに後れをとらないよう進めていけるかが課題となる。

このほか、経済政策の観点では、生成AI開発で再びその実力を見せつけた民営企業をどのように社会に位置づけるのか、中国政府は再考を迫られている。最近では、習近平総書記自らが、有力な民営企業家を招いて座談会を開催し19、民営企業の発展を支援する姿勢を強調するなど、民営企業重視の動きが強まっているが、かつては同様に発展を支援した後、民営経済が党の統治を脅かすほどの影響力を有するようになったことで、規制強化の方向に舵を切った。今後、党の統治と民営経済の発展がどのようなバランスで両立を実現するか、中国政府の試行錯誤や民営企業の模索が続くだろう。
 
18 川島(2025)
19 ハイテク関連の製造業や農牧業の主要企業である華為(Huawei)、比亜迪(BYD)、新希望(New Hope)、上海韋爾(Will Semiconductor)、杭州宇樹科技(Unitree Robotics)、小米科技(Xiaomi)のCEOが主な参加として発言したが、それ以外に、DeepSeekの梁文峰氏やAlibabaの元CEOの馬雲氏など参加していた。
2|日本にとっての課題 : 中国発生成AIと無関係ではいられず
日本としては、急速に台頭する中国発の生成AIとどのように向き合えばよいだろうか。

中国発生成AIに関していえば、DeepSeekなど中国企業が提供するサービスについては、中国への情報漏洩などの懸念から、利用に対して慎重となることは止むを得ないだろう。他方、公開されたソースコードや、米国企業のクラウド上で提供されたサービスを利用することで、そうしたリスクを回避しつつ、中国発生成AIを活用して生産性の向上を図る、あるいは日本での生成AI開発に役立てることはできる。生成AIを巡るグローバルガバナンスに関しては、国・地域によりスタンスが分かれるなか、中国のスタンスは日本に近いとの見方もある20。25年2月に開催された「人工知能アクションサミット」に代表されるように、日本も引き続き中国とともに国際的な枠組みの形成に積極的に参加していくことが求められる。経済、外交の両面で、中国発の生成AIと無関係ではいられないということだ。

だが、より重要なことは、中国がDXやGXといった世界の潮流を踏まえ、今後もハイテク分野で米国と同等、あるいはそれを超える成果をあげ、EVや生成AIに次ぐ様々な「中国発」が世界を席巻する可能性が高まっていることだ。かつての賃金上昇に始まり、不動産不況による経済の低迷や米中対立に伴う地政学リスクの高まりなど、弱さが目立つ中国経済だが、今回のDeepSeekショックは、ハイテクという強さも急速に備えつつあることを改めて世界に知らしめた。弱さと強さが併存する歪な構造の中国と、今後加速が見込まれるハイテク分野における世界のデカップリングに対してどう臨むか、日本企業は戦略をより深めていく必要に迫られているといえよう。
 
20 川島(2025)

【参考文献】
 
岩崎薫里(2020). 新型コロナで取り組みが加速する中国のデジタルシルクロード. リサーチ・フォーカス, No.2020-023. 日本総合研究所. https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=37464
江藤名保子(2023). 中国の国際戦略-経済、軍事、価値の領域から人工知能(AI)ガバナンスへ. 地経学研究所(IOG. https://instituteofgeoeconomics.org/research/2023111552593/
岡村浩一郎(2024). 第5章 米国の情報通信技術の研究開発政策―人工知能(AI)研究開発の推進―. デジタル時代の技術と社会 科学技術に関する調査プロジェクト報告書. 国立国会図書館. https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info:ndljp/pid/13383214
川島富士雄(2025). 中国生成AI規制における「規制と技術革新」の均衡点―中国AI戦略の把握に向けた一考察―. RIETIディスカッション・ペーパー・シリーズ, 25-J-005. 独立行政法人経済産業研究所. https://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/25j005.pdf
蔡昉(2024). 怎様看待AI就業衝撃? 新浪財経. https://finance.sina.com.cn/zl/china/2024-07-12/zl-inccvyac1048057.shtml
周黎安(2021). 人工知能対中国中等收入群体的影響. 研究簡報, (139). 北京大学光華管理学院. https://www.gsm.pku.edu.cn/thought_leadership/info/1007/2530.htm
総務省情報流通行政局情報通信政策課情報通信経済室(2024). デジタルテクノロジーの高度化とその活用に関する調査研究の請負成果報告書. https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/r06_01_houkoku.pdf
真家陽一(2023). 中国の人工知能(AI)政策と日本企業の戦略の方向性. 国際貿易と投資, (125). 一般財団法人国際貿易投資研究所. https://www.iti.or.jp/kikan125/125maie.pdf
李智慧(2024). 中国AI産業の最新動向及び日本企業への示唆. 378NRIメディアフォーラム. https://www.nri.com/jp/knowledge/report/files/000026677.pdf
渡部,晴人 & 池田, 信太朗(2025). DeepSeekインパクト——侮らず、正しく恐れ、利用せよ. 実業之日本フォーラム. https://forum.j-n.co.jp/narrative/7970/
 
Australian Strategic Policy Institute(ASPI)(2024). ASPI’s Two-Decade Critical Technology Tracker. Canberra: Australian Strategic Policy Institute. https://ad-aspi.s3.ap-southeast-2.amazonaws.com/2024-08/ASPIs%20two-decade%20Critical%20Technology%20Tracker_1.pdf
DeepSeek-AI(2025). DeepSeek-R1: Incentivizing Reasoning Capability in LLMs via Reinforcement Learning. arXiv. https://arxiv.org/abs/2501.12948
Georgieva, Kristalina(2024). AI Will Transform the Global Economy. Let’s Make Sure It Benefits Humanity. IMF Blog. https://www.imf.org/en/Blogs/Articles/2024/01/14/ai-will-transform-the-global-economy-lets-make-sure-it-benefits-humanity
Qwen Team(2024). QwQ: Reflect Deeply on the Boundaries of the Unknown. Qwen. https://qwenlm.github.io/blog/qwq-32b-preview/

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(2025年02月25日「研究員の眼」)

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経済研究部   主任研究員

三浦 祐介 (みうら ゆうすけ)

研究・専門分野
中国経済

経歴
  • 【職歴】
     ・2006年:みずほ総合研究所(現みずほリサーチ&テクノロジーズ)入社
     ・2009年:同 アジア調査部中国室
     (2010~2011年:北京語言大学留学、2016~2018年:みずほ銀行(中国)有限公司出向)
     ・2020年:同 人事部
     ・2023年:ニッセイ基礎研究所入社
    【加入団体等】
     ・日本証券アナリスト協会 検定会員

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