コラム
2024年07月10日

英仏下院選を終えて-財政リスクを警戒すべきはどちらか?

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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ほぼ同時期に実施された英国とフランスの下院選はともに政権与党に厳しい結果に終わった。

しかし、英国は労働党が63%の議席を獲得する「圧勝」となったのに対して(図表1)、フランスは左派連合「新人民戦線(NFP)」と中道の大統領与党連合、極右の国民連合(RN)が票を分け合い3つの勢力に分裂した(図表2)。

投票率は対称的だった。英国の投票率は60%で公共放送のBBCによれば1885年以降で2番目に低かった。フランスの投票率は第1回が65%、第2回が63%で、仏紙ルモンドによれば第2回投票の得票率は1981年以来の高い水準であった。
図表1 2024年英国下院選結果
図表2 2024年フランス下院選結果

英国では労働党「圧勝」も幅広い支持を得たわけではない

英国では、労働党の議席増、保守党の議席減ともに歴史的な幅となったが、2019年の前回総選挙からの労働党の得票率は34%へと2ポイント上昇したに過ぎない。他方、保守党は、得票率を前回から20ポイント減らした。保守党から票を奪ったのはナイジェル・ファラージ氏が設立したReform UKだ。獲得議席こそ5議席に留まったが、第3党となった自由民主党を上回る14%の票を得て、保守党を追い詰めた。今回の下院選の影の主役は、自身も8回目の挑戦で初めて下院に議席を獲得したファラージ党首かもしれない。

英国の下院選挙は、各選挙区で最も票を得た候補者が当選する単純小選挙区制度であり、二大政党以外は票を得にくいとされる。実際、議席占有率と得票率の差が示すとおり、今回も選挙制度は労働党に有利に働いたが、二大政党以外の議席獲得数の多さでも記録的な選挙だった。

地域政党が一定の議席を占有するイングランド以外の選挙区でも変化があった。スコットランドではSNPの大幅な議席減は、労働党に有利に働いた。北アイルランドでは、カトリック系のシンフェイン党が7議席を維持する一方、プロテスタント系のDUPが3議席を減らし、初めてシンフェイン党が最大勢力となった。アイルランド共和国への併合を求め、英国王への忠誠の宣誓を拒否し、英国議会に登院しない党が第1党になったのである。

英国では労働党が圧勝したものの、投票率と得票率の低さは、幅広い支持を得た船出ではないことを意味する。

フランスの候補者調整は国民連合の多数派を阻止したが、問題先送りに過ぎない

フランスの下院選が、国民連合が第3勢力という予想外の結果となったのも選挙制度のマジックだ。すでに広く知られているとおり、大統領与党連合と左派連合は、第1回投票と第2回投票の間に、国民連合の阻止のために、第1回投票で第3位となった候補者の立候補を取り下げる調整を行った。

国民連合の得票率は、第1回の29.3%から第2回の32.1%に上昇しており、左派連合の28.1%と25.7%、大統領与党連合の20.0%と23.1%を上回っており、支持者の熱意が衰えた訳ではない。

候補者調整によって、バルデラ氏が首相の座を逃し、国民連合主体の政府を樹立する機会を阻まれたことは、早ければ1年後の下院の再選挙や2027年の大統領選挙に向けて、国民連合に有利に働く可能性がある。国民連合は、候補者調整によって、急ごしらえの左派連合を最大勢力に押し上げ、国民連合の議席獲得を阻み、大統領与党連合が議席を減らして議席が3勢力に分裂したことによる政治的な混乱の責任を、大統領と左派連合に転嫁できるからだ。

混乱の兆しはすでにある。最大勢力となった左派連合は、大統領に統治する権利を与えるように求めているが、大統領与党連合は、むしろ中道穏健派との協力を探ろうとしている。左派連合は、突然の解散総選挙の決定を受けて急遽結成された寄り合い所帯であり、急進左派の「不服従のフランス」、「共産党」から、環境政党の「ヨーロッパエコロジー・緑の党」、オランド前政権の与党だった中道左派「社会党」までをカバーする。財政拡張的な政権公約は4日間でまとめあげたが、統一の首相候補を立てることはできず、選挙結果が出た後も、まだ絞り込めていない。左派連合で最多議席を獲得した急進左派の不服従のフランスの創設者で主導的役割を果たすメランション氏は、過去3回、大統領選挙に立候補しており、首相就任にも意欲的だ。しかし、社会党と欧州エコロジー・緑の党は、分裂を深めかねないとして、メランション氏を首相候補とすることに消極的だ。EU懐疑主義、反ユダヤ主義などの主張は、社会党や緑の党の価値観とは相いれない。不服従のフランスが、左派連合で最多の議席を獲得したとは言え、議席は伸び悩み、左派連合の予想以上の議席増の主因が社会党の復調にあったことも候補者の絞り込みを難しくする要因だ。

少数与党であっても、憲法第49条3項に基づく首相権限で、議会の投票を回避して法案を通すことはできる。少数与党となった第2期のマクロン政権期に多用されるようになった。

しかし、議会における支持が広がらなければ、不信任を突きつけられることになる。

中道穏健派による協力も容易ではない

大統領与党連合が模索する極右と急進左派を除く中道の穏健派との協力も難航しそうだ。サルコジ政権の与党だった中道右派の共和党との協力に期待がかかるが、共和党は前向きではないとされる。下院選の得票率が示す通り、有権者の間に、反マクロンの機運が強いことを思えば、当然だろう。

左派連合の一角を占める社会党も、大統領与党連合から見れば、協力の余地を探るべき政党と言える。しかし、社会党は、左派連合としてマクロン改革の巻き戻しを掲げて選挙を戦い、議席を獲得した訳で、相当困難な選択である。

大統領与党連合にも、分裂含みの動きが出始めているとの報道もある。情勢は混沌としている。

英国でトラス政権期の混乱の再来はあるか?

フランスが、首相の指名、政府の樹立までに紆余曲折を辿る見通しであるのに対し、英国では選挙結果判明後、速やかに新政権が始動した。

スターマー政権の財務相には、「影の財務相」を務めていたレイチェル・リーブス氏が就任した。同氏は、中央銀行のBOE(イングランド銀行)のエコノミストとしての経歴を持つ。

リーブス財務相はすでにフル稼働状態にある。8日の就任後初の演説では、就任からの72時間で、財務省の職員に保守党政権の14年間で失われた成長に対する経済分析を依頼し、結果を受け取ったこと、7月9日に始まる新議会の夏季休会前までに保守党政権から継承する「歳出のレビュー」を提出するよう求めたことを明らかにした。

リーブス財務相は堅固な財政ルールを支持する立場だ。マニフェストに盛り込んだ投資支出を除いた経常収支の均衡化を目指すことと、政府の純債務のGDP比率を5年目までに引き下げるルールも堅持する方針を確認した。マニフェストの「勤労者への増税はしない」、つまり3大財源である所得税の基本税率、国民保険拠出(NICs)料率、付加価値税率(VAT)を引き上げない約束も守る構えだ。

しかし、別稿で触れた通り、英国の財政事情は厳しく、専門家は、いずれマニフェストの約束違反の増税をするか、約束している歳出の一部を削るか、借金を増やすかの選択を迫られると見ている。リーブス財務相は、財務省に作成を指示した「歳出のレビュー」によって取り組むべき課題の大きさが明らかになると話している。このレビューの結果をマニフェストで示した財政計画の見直しの理由とする可能性はあろう。

トラス政権期の大規模減税策が引き起こした財政混乱は、分裂した保守党内での主導権争いが背景にあり、長期国債を担保にレバレッジをかける年金基金の運用戦略が金融システムの緊張を増幅するメカニズムが働いた。政治家の金融システムへの理解の欠如がもたらした問題でもあった。

リーブス財務相は、14年振りの政権交代で満を持して登板し、BOEとも深いつながりを持ち、金融システムに理解が深い。財政危機を引き起こすリスクは低いと言えよう。

フランスも本格的な財政拡張は少なくとも当面は起きにくくなった

フランスも、別稿で触れたとおり、英国同様に財政赤字と政府債務残高が膨らんでいる上に、選挙戦で左右の勢力が財政コストの嵩む購買力回復策をアピールしたことで、ドイツ国債との利回り格差(スプレッド)が拡大するなど、財政リスクが意識されやすい状況にある。

しかし、目下、フランスが直面している問題は、政治的な膠着状態であり、左派連合や国民連合の公約も含めて、大きな政策の修正が見込める状況にはない。

現行憲法下(第五共和制)のフランスでは、議会が3分割され、政府が樹立できないのは異例の事態だが、欧州大陸では多党制の国も多く、議会選が行われてから、政府が発足するまでに数カ月かかるケースは少なくない。昨年11月に総選挙を行ったオランダでは、今月になって極右の自由党を含む4党連立政権がようやく発足した。先月、欧州議会選に合わせて総選挙を行ったベルギーも、政策の傾向に加えて、フランス語、オランダ語、ドイツ語という国内の公用語別に政党が存在するため、政権協議が長期化しやすい。前回の総選挙後も1年4か月を要したが、今回もかなりの時間がかかる見通しだ。

フランスは今年度、EUの過剰な財政赤字是正手続き(EDP)の対象となったが、加盟国が政権協議中で正式な予算が承認できない場合には、前年度の予算を踏襲して、基本的な政府の活動を維持するために必要な最低限の支出を盛り込んだ暫定予算を評価する形をとることになる。

議会の分裂によって、安定した政権の樹立が見込み難くなり、少なくとも当面は大幅な支出拡大も難しくなった。

フランスの財政リスクへの警戒度の目安となる対ドイツ国債利回り格差は、下院選の第1回投票前をピークに縮小しているが、解散総選挙発表前の水準は上回ったままだ。市場は、議会における多数派形成が進まず、議会が空転、政策が膠着状態に陥るリスクを警戒しつつ見守る姿勢をとっているようだ。

政治の安定をベースに指導力を発揮する局面にはマクロン政権期で一旦終止符か?

フランスでは選挙のたびに、国民連合の影響力が着実に高まってきたが、近年は大統領と議会の任期の一致と二回投票制で政治の安定が保たれ、EUでも指導力を発揮する構図が常態となっていた。

マクロン大統領は、それまでの保革の二大政党による政治の枠組みを壊して大統領に上り詰め、就任後は、欧州統合の深化を積極的に働きかけ、大国の指導者と当たり合おうとする一方、国内では痛みを伴う改革に取り組んだ。フランスが必要とする改革ではあったが、独断的・挑発的な政治手法は反発も招いた。さらに、政治的な安定を求めたはずの解散総選挙で、3つに分裂した議会という混沌を招いた責任は重い。

マクロン政権期で、政治の安定をベースに、フランスがEUにおいて指導力を発揮する局面は、一旦、終止符が打たれることになるのかもしれない。
 
 

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(2024年07月10日「研究員の眼」)

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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