コラム
2024年06月19日

グローバル・エリートの盲点-ブレグジットを思い起こさせるフランスの政治情勢-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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欧州議会選後のマクロン大統領の解散・総選挙の決定で、フランスの政治が突如として世界の金融市場のリスクとして浮上した。

解散・総選挙は大統領と少数の側近が決めたとされるが、比例代表制の欧州議会選とは異なる結果が出ると読んで賭けに出たのだろう。下院選では1回目の投票で有効票の絶対多数、有権者の4分の1以上の票数を獲得する候補者がいなければ、選挙区の有権者数の12.5%以上の票を獲得した候補者が2回目の決戦投票に進む。今回は6月30日が第1回投票、7月7日に第2回投票が予定されている。マクロン大統領は、自身が勝利した直近2回や2002年の大統領選のように、決戦投票では極右の国民連合(RN)の勝利を阻む力が働くと期待した訳だ。

裏目に出そうなマクロン大統領の賭け

しかし、マクロン大統領の賭けは裏目に出る可能性は濃厚だ。

解散・総選挙を決めた後の世論調査のすべてで、大統領与党連合(ENS)は、極右の「国民連合(RN)」、RN阻止のために幅広い左派が結集した「新人民戦線(NFP)」の3つのブロックのうち、大差での3番手と出遅れている。

大統領の与党連合とともに急進的な政党の抑止力となるはずの右派の共和党(LR)は、シオティ党首がRNとの選挙協力に動こうとし、左派の社会党は、極右阻止のため、急進左派の不服従のフランス、共産党と環境政党連合のエコロジストなどとともにNFPに加わった。

現時点では、多くの選挙区で決戦投票は極右対左派連合の構図となり、RNが相対多数を占める可能性が高くなっている。

第5共和制のフランスでは、左派のミッテラン大統領政権期(1986~1988年、1993~1995年)と右派のシラク大統領政権期(1997~2002年)に、大統領と議会の多数派、首相の党派が異なるコアビタシオン(保革共存)を経験している。

しかし、今回起こり得るのは、中道の大統領と、右派と左派が拮抗し、大統領与党が少数派という前例のないより複雑なねじれの構図だ。6月11~13日に調査会社クラスター17により実施された調査によれば、下院の定数577議席に対して、RNは現在の88議席から195~245議席に躍進、NFPも151議席から190~235議席へ増加、他方、ENSは251議席から70~100議席への減少が予想されている。下院選挙後のフランスの政権運営の混乱は桁外れに大きくなるおそれがある(図表)。
世論調査結果に基づく仏下院選の予想獲得議席数の配分

左右の2大勢力は価値観では大きく対立も、ともに財政コストの嵩む購買力回復策をアピール

解散・総選挙の決定以降、フランスの国債利回りは上昇し、ユーロ圏のベンチマークであるドイツ国債との利回り格差(スプレッド)が拡大した。リスク評価の下方修正を示す動きだ。フランスの長期国債の格付けは、財政指標の悪化を理由に、5月31日には米大手格付け会社のS&PによってAAからAAマイナスに引き下げられたばかり。総選挙後、大統領の政権基盤の脆弱化が見込まれることに加えて、二大勢力化しているRNとNFPが、マクロン大統領が進めてきた親ビジネスの改革路線の修正、財政の悪化やインフレの再燃につながる公約を競い合っていることは、市場参加者に不安を抱かせている。

左右の2大勢力は、移民への姿勢や価値観の隔たりは大きいが、ともに有権者の最大の関心事である購買力回復のために財政コストの嵩む政策を掲げる。

NFPはバラマキ色、大企業・富裕層との対決色が色濃い

NFPの公約は、現時点ではRNよりも具体的であり、ばらまき色が色濃い。購買力回復策としては法定最低賃金を手取りの月収で現在の1500ユーロ未満の水準から1600ユーロ(169円換算で27万円相当)まで引き上げるほか、賃金や年金のインフレ連動化、公務員給与の10%の引き上げ、最低老齢年金の引き上げなどの対策が並ぶ。

マクロン大統領が進めた受給開始年齢の引き上げなどの年金改革の撤回は、政権樹立後15日間で実施する優先項目の1つである。失業保険改革や移民改革など他のマクロン改革も撤回する。

財源として、マクロン大統領が廃止した富裕税は再導入、所得税や相続税の累進性の強化、優遇税制の廃止、社会保障費雇用主負担分の引き上げなどを掲げており、大企業や富裕層との対決姿勢も強い。

NFPは、グリーンや社会政策などでEU共通の政策も公約に盛り込んでおり、反EUではないが、EUの財政ルールは拒否の構えだ。

RNは付加価値税の大幅引き下げを計画。一部の公約は財政規律を意識し修正も

NRは未だ詳細な公約を公表していないが、下院選に向けて公表した8項目の行動計画のトップに「購買力の支援」を据える。公約の目玉は、エネルギーと食品の付加価値税率の20%から5.5%への大幅な引き下げだ。経済財務省の試算として、この政策のコストは年間240億ユーロ(GDP比0.9%)と報じられている。フランスの2023年の財政赤字のGDP比が5.5%とEUの基準値を大きく超え、政府債務残高は同110.6%とギリシャ、イタリアに次いで高い。財政事情に照らせば、大規模過ぎる減税策である。

他方、年金については、NRの持論は、マクロン改革の撤回、支給開始の60歳への引き下げだが、総選挙が視野に入ってからトーンダウンしている。付加価値税の引き下げも生活必需品については延期の方向だ。

EU懐疑主義も抑制的だ。8項目の行動計画の1つに「フランスの主権の尊重」があるが、EU批判は過剰な規制にほぼ絞り込まれている。

RNは、議会第1党と首相ポストが視野に入ったことで、市場の激しい反応を引き起こし、有権者を遠ざけることのないよう、EUへの対決的姿勢を弱め、財政規律を意識し、軌道修正し始めているようだ。

ブレグジットの国民投票との類似性

ル・メール経済財務相は、NFPとRNの政策を手厳しく批判し、いずれかが勝てば財政危機が起こると警告したと報じられている1。この報道を耳にして思い出したのが、2016年、英国のキャメロン首相(当時)が支持離れを食い止めるために、EU離脱の是非を問う国民投票という賭けに打って出た時のことだ。首相を筆頭とする残留派は、EU残留によるベネフィットよりも、離脱によるコストを訴える「恐怖プロジェクト」を展開し、予想外の離脱という結果を招いた。

EU離脱を巡っては、残留派の主張が概ね正しかったように、ル・メール経済財務相の見立ては、特にNFPについては正しく、RNも現実路線への軌道修正がなければ、当てはまることになるだろう。同氏は、22年秋の英国の大規模減税策に端を発したトラス政権期の混乱のようなシナリオもあり得るとの見方を示したが、第1回投票でNFP対RNの構図が鮮明になれば、先行きへの不透明感から、市場が激しく反応することは十分に想定できる。

他方、左右から批判を浴びるマクロン政権の改革だが、多くはフランスが必要とするもので、マクロン政権期の経済パフォーマンスは相対的に良好だ。大統領が推進してきた外国企業の誘致やスタートアップ支援も成果を挙げている。欧州議会選挙を前にドイツのショルツ首相と連名でまとめた欧州の主権の強化のために次の立法サイクルでEUが取り組むべき課題に関する提言2もフランスの利益にかなうものだ。

しかし、購買力の低下に悩む庶民は、マクロン政権の政策の成果やEUの改革を進めることによる利益を実感してはいないのだろう。マクロン大統領は大企業・富裕層の大統領というイメージが根強く、庶民との溝は埋めがたいほど広がっている。大統領の政治手法が、突然の解散・総選挙の決定が象徴するとおり、独断的であることも、溝を広げた。与党連合はマクロン大統領が一期目の大統領選挙のために立ち上げた政党を母体とし、歴史が浅い。元々弱かった政権の基盤は、すでに分裂の様相を呈し始めている。RNの支持基盤は広がりやすく、NFPの攻勢も関心を集めやすくなっている。「恐怖プロジェクト」では流れを変えることはできそうもない。

英紙フィナンシャル・タイムスは、仏産業界は、マクロン大統領与党を見限りつつあり、大企業・富裕層をターゲットとする増税を計画するNFPをより強く警戒し、RNに接近し始めていると報じている3
 
1 John Irish and Elizabeth Pineau “Macron: France facing 'very serious' moment as far-right and far-left lead polls” Reuters , June 15 2024
2 “Macron and Scholz: we must strengthen European sovereignty” Financial Times May 28 2024
3 Leila Abboud, Adrienne Klasa and Sarah White “French businesses court Marine Le Pen after taking fright at left’s policies” Financial Times, 18 June 2024

対応を迫られるEU

今年3月、3カ月後に欧州議会選を控えるベルギー・ブリュッセルを訪問した際、グローバル化や欧州統合から利益を得ているグローバル・エリート達の論調に一般の市民の意識との乖離を感じ、違和感を覚えた。

欧州議会選の結果は、全体で見ると、中道右派と中道派、中道左派が過半数を確保し、現職のフォンデアライエン欧州委員会委員長の続投が有力視されるなど、専門家らの見立て通りの展開となっている。

しかし、超国家機関であるEUは、加盟国と権限を分け合っているため、加盟国の同意があってこそ円滑に機能する。政策領域の拡大や地域的な拡大にも加盟国の同意が必要である。ドイツとともに欧州統合の牽引役となってきたフランスの内政が混乱すれば、EUが次の課題とする安全保障や競争力の問題に意義のある成果を出すことは難しくなる。

フランスの政治はいずれEUにとって悩ましい問題となり得るが、その時期は2027年の次の大統領選挙というのが、グローバル・エリート達のコンセンサスであった。欧州議会選の結果を受けたマクロン大統領の賭けという予想外の展開で、その時期は大幅に前倒しされた。盲点を突かれたグローバル・エリート達は、英国の2016年の国民投票時のように、なすすべもなくフランスの有権者の選択を見守り、その結果に対応しなければならない。
 
 

(お願い)本誌記載のデータは各種の情報源から入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本誌は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。

(2024年06月19日「研究員の眼」)

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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