コラム
2023年08月04日

障害者差別解消法に関するWebセミナーを視聴して

このレポートの関連カテゴリ

文字サイズ

はじめに

ニッセイ基礎研究所が2023年6月に主催したWebセミナーが、放送大学の川島聡教授をお招きして、「改正障害者差別解消法のポイント-合理的配慮とは-」というテーマで開催された。この中で、2016年に施行した障害者差別解消法においては、(1)不当な差別的取扱い、(2)合理的配慮の不提供、という2つの差別があり、(1)については「正当な理由がある場合には、差別的取扱いをすることは許容される。」、(2)については「過重な負担がある場合は、配慮を提供しないことは許容される。」こと等が紹介された。

このWebセミナーを視聴して、20年以上も前のことを思い出し、感じることもあったので、これについて述べることにする。

海外で経験したこと

当時、私はNYに駐在していて、クラシック音楽が好きだったことから、足繫く、メトロポリタン歌劇場やカーネギーホール等の有名なオペラ劇場やコンサートホールに通っていた。ある日のコンサートは世界的に著名な指揮者とオーケストラによる公演で、カーネギーホールで開催され、公演プログラムの1つに「マーラーの交響曲第5番」が含まれていた。この曲の第4楽章のアダージェットは、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」のテーマ曲としても使用されて、大変人気になった曲である。また、「マーラーの交響曲第5番」においては、そこが一番の聞かせどころであるといえる。ところが、この日の公演のまさに第4楽章のアダージェットで静かな音が流れているときに、ペースメーカーの音が鳴り響いているという事態が起こった。観客全員のみならず、もちろん指揮者やオーケストラの演奏者も十分に認識できるものだった(なお、ペースメーカーの製造会社によれば、ペースメーカーの音が周囲の人々やさらには本人ですら感知できるようなレベルで鳴っていることはなく、この時はペースメーカー自体に何らかの異常が発生していたのではないかということである)。演奏終了後、指揮者は何事もなかったかのように、いつも以上に感じられるぐらいの笑顔で観客に応えていた。一方で、終演後に、日本人の若い女性が連れの年配の男性に対して、ひどく憤慨していたことも強い印象として残っている。

同じく20年以上前に、ドイツのベルリンのフィルハーモニーでは、観客の中で、何らかの障がいがあると思われる方が、公演中に時々、甲高い声を発している、という事象に遭遇した。それでもその方は、休憩時間後も含めて、公演を通して観客として参加していた。ただし、座席は端の席が割り当てられていた。周囲はドイツ人の観客ばかりなので、どのような反応だったのかよくわからないが、少なくとも殆どの人がそれを自然な形で受け入れていたように見受けられた。

これらを経験した当時の私自身の印象は、それまで日本ではこのような経験をしたことがなかったので、少し驚きはしたものの、さすがに欧米先進国は進んでいるのだな、という気持ちで、大変感動した覚えがある(なお、当時私が経験したようなことは、たまたまなのか、決して珍しいことではないことなのかは、よくわからない)。

日本においては

一方で、その後、日本に帰国してからのオペラ公演では、私自身の近くの座席で意味が聞き取れない声を発していた方がいたが、休憩後の後半の公演ではいなくなっていた、ということを経験した。恐らくは、周囲の顧客等からの意見もあって、劇場主催者等によって退場させられたのではないかと思われた。その後も数多く劇場やコンサートホール等に通っているが、NYやベルリンのようなことは経験していない。

日本においては、そもそもそのような方々の入場が基本的には許されていないのか、事前審査や相談等で一定の条件を満たさないために入場が認められていないのか、あるいはそのような方々が自主的に遠慮をしているのかはわからない。日本ではおそらくそのような方々は、そこで何らかの自己主張をしたら、周囲に迷惑をかけるからと考えて、つまり障がい者自らが配慮をして、コンサート等への観客としての参加を控えているため、このような問題があまり顕在化していないのではないかとも推測される。これに対して、欧米先進国では自己の権利をより積極的に主張してきているから、という背景もあったのかもしれない。

差別的取扱いと合理的配慮

今回の公開セミナーを視聴して、このようなケースで、もし日本においてそのような障がいがある方々を、本人が観客としての参加を希望しているのに(主催者や演奏者等が)受け入れていないとしたら、一定程度の合理的な理由がない限り、それは障がい者差別にあたるということを再認識させられた。

こうした事象は大変難しい問題を孕んでいる。先に述べたような障がいのある人も、音楽好きであればできればライブで演奏を楽しみたいからこそ、コンサート会場等に来たいと思っている。このような方々の思いは大切にしなければならない。一方で、観客の中には、せっかく多額のチケット代を払ってきているのだから、できるだけ音楽以外の雑音はない静寂をベースにした中で楽しみたいと思う人もいるだろう。クラシック音楽の演奏中には咳をすることも憚られるような雰囲気があるのも事実だと思われる。また、演奏者もできればそのような静かな環境の張りつめた緊張感の中で、演奏に集中したいと思っているだろう。日本においては特にその風潮が欧米諸国に比べて厳しいようにも思われる(このことは良き点でもあるといえるかもしれないが、そうでないと考える人もいるかもしれない)。主催者はこうした諸事情を考慮しながら、先に述べたような方々を観客として認めることや、実際に観客として参加した方々に発生するかもしれない各種の事態に対してどう対応していくのか、を適切に判断していかなければならないことになる。

個人的には、このような方々をできる限り暖かく受け入れてほしいと思っている。受け入れることができない場合には、「不当な差別的取扱い」にならないように合理的で適切な判断をしていかなければならない。この場合には、やはりそれぞれの方の症状の程度や、仮に身に着けている機器等が問題を起こす可能性がある場合であるならば、それがどの程度のものなのかということが関係してくることになるのだろう。常時あるいは頻繁に、声や音を出されるような状況であれば、そのような方々を観客として迎え入れることが困難なことは理解できる。ただし、そうでなくて時にしか声を出さないような状況なのであれば、主催者は公演者等の了解を得て、できる限りこのような方々を幅広く観客として認めていくことが求められることになる。一定程度の静寂さの中で音楽を鑑賞する、演奏するという観客や演奏者の思いや権利とのバランスをどのように図っていくのかということが重要になってくる。

実はこの問題は、観客が障がい者であるか否かに関係した話ではない、ともいえる。公演中に雑談を止めない人や携帯電話の電源を切らないで迷惑をかけるような人は、周囲の顰蹙を買って、退場を迫られることになる。あるいはたまたま体調が悪くて咳を頻繁にする人も、周囲の観客との関係もあり、退場を要請されることになるかもしれない。従って、これらのことは障がい者であるか否かに関わらず、基本的には共通の基準で判断されていくことが求められることになる。そうでなければ障がい者に対する不当な差別ということになってしまう。ただし、障がいが関係していないケースは基本的には本人のマナーや本人の体調管理等によるもので、基本的には本人によるコントロールが可能なものであるといえるのに対して、障がいに伴うものは本人のコントロールができないものだということを考慮する必要がある。必要であれば、座席の配置について、ベルリンのケースのように端の席や後方の席等にお座りいただくというようなことも選択肢として提示することで、障がい者を含めた関係者の理解を得ていくということも考えられるかもしれない1

また、こうした方々の観客としての参加を認める場合には、これらの方々に対する合理的配慮はどのような形で提供すればよいのかという課題も発生してくる。例えば、本人の了解等を得た上で、開演前の事前案内(アナウンスやチラシ等)で「そのような方が観客におられるのでご理解・ご配慮をお願いします」というようなことを伝えておくことが考えられる。そのように事前に全ての観客に周知しておけば、たとえ公演中に甲高いが発せられる等の事象に遭遇しても、驚かれることもなく、多くの人が事情を十分に理解して、納得しつつ公演を楽しむことができると思われる。
 
1 なお、通常の公演とは異なる形で、それほどの静寂さが求められないような形で、障がいがあるような方々も幅広く受け入れているような特別な公演が開催されていることは承知しており、これも1つの対応策ではあると思われるものの、求められているのはより幅広い通常の公演での対応の話である。

最後に

いずれにしても、20年以上前にはともかくも、現在において、欧米諸国でこのようなケースに対して、どのような取扱いがされているのかは知らない。もしかしたら、観客や演奏者の権利が優先される形で、より制限された形での運営に変更されているのかもしれない。

日本においても、こうした問題に対して、業界団体等による何らかの運営ルール等が既に策定されているかもしれないので、関係者にとっては今更何を言っているのかと思われるかもしれない。

ただし、実際には一律の基準設定等は難しく、ケース毎に事情が異なっているので個別に判断していかざるを得ないというのも事実かもしれない。今回のようなケースにおいて、何が「不当な差別的取扱い」にあたるのか、また過重な負担がない範囲での「合理的配慮」がどの程度求められるのか、について、大変難しい問題ではあると思うものの、一定程度明確化していくことが必要になっているものとも思われる。

聞くところによると、一般的に高齢に伴って、突然甲高い声を発するというような症状を発症する人が増えてくるということである。この問題は決して他人ごとではなく、自分自身が高齢になって、そのような症状を発症するかもしれないという自分自身の問題として捉えていく必要がある。

私自身がそうした症状を抱えるような状況になった場合であっても、周囲の理解が得られるのであれば、できればライブでクラシックの演奏会を鑑賞する機会を与えてもらえればと思っている。仮に公演中に数回程度の甲高い声等を発することがあったとしても、暖かく受け入れてもらえる寛容な社会であってほしいと思っている。

その意味で、こうした問題に対する社会全体の共通の認識や理解が広まって、適切なコンセンサスが醸成されていくことを切に願っている。 
Xでシェアする Facebookでシェアする

このレポートの関連カテゴリ

中村 亮一

研究・専門分野

(2023年08月04日「研究員の眼」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【障害者差別解消法に関するWebセミナーを視聴して】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

障害者差別解消法に関するWebセミナーを視聴してのレポート Topへ