2023年06月07日

「安いニッポン」から考える日本の生産性

基礎研REPORT(冊子版)6月号[vol.315]

山下 大輔

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※ 本稿は、「『安いニッポン』から考える日本の生産性」(23年4月、基礎研レポート)を再構成したものであり、参考文献を含め、詳細は上記レポートを参照されたい。
 

1―はじめに

日本は、かつては、物価が高い国とされたが、近年では「安いニッポン」と言われるように、先進国の中で必ずしも物価が高い国でなくなった。「安いニッポン」は、市場で決まる名目為替レートの減価(円安)による影響が大きいとも考えられるが、90年代後半以降を均してみると、自国と外国の財・サービスの交換比率(相対価格)を示す実質為替レートが減価する(つまり他国と比較して物価が安くなる)傾向にある。
[図表1]日本のビッグマック実質為替レート
たとえば、ビッグマックの価格でみると、2000年4月には米国より2割程度高かったが、2023年1月には4割程度安くなった。また、OECDの購買力平価(PPP)レートから計算すると、1995年には米国の2倍近かった日本の物価は、2022年には米国よりも3割程度安くなった。

本稿では、内外価格差を示す実質為替レートと生産性の関係を通して、「安いニッポン」現象の要因を考える。
[図表2]OECD・PPPによる日本の実質為替レートの推移

2―実質為替レートと生産性の関係

1|バラッサ・サミュエルソン仮説
一般に、国内で取引される財・サービスは、海外と貿易可能なもの(貿易財)とそうでないもの(非貿易財)に分けられる。サービスの多くは非貿易財と考えられる。そして、物価は、貿易財の物価と非貿易財の物価で構成されている。

ここで、貿易財は海外と貿易されているので、競争を通じて、一物一価が成立すると仮定すると、実質為替レートは非貿易財の内外価格差によって決まるといえる。つまり、貿易財に比べて非貿易財の価格がより上昇する国ほど、実質為替レートは増価する。

また、各産業の生産性が、一国の名目賃金を各産業の財・サービスの物価で割った各産業の実質賃金で決まるとすると、実質為替レートは、実質為替レートが貿易財と非貿易財の生産性の二国間の差を反映して決まることとなり、非貿易財に比べて貿易財の生産性がより上昇する国ほど、実質為替レートが増価することとなる(バラッサ・サミュエルソン仮説)。

たとえば、自国の貿易財を生産する産業において生産性が向上し低コストで生産できるようになったとしよう。それを踏まえて、貿易財の販売価格が低下する場合もあれば、貿易財産業の労働者の賃金が引き上げられる場合もあるだろう。

まずは、自国の貿易財産業が生産性の上昇を背景に、生産した財・サービスの価格を引き下げる場合を考えよう。自国の貿易財産業の価格低下により価格競争が激化すれば、外国の貿易財は、価格の低下圧力にさらされる。もし外国の貿易財産業で生産性に変化がなければ、外国の貿易財産業の売上が減少し、貿易財産業に従事する労働者の賃金が低下する要因となる。賃金の低下により、貿易財産業で従事する労働者が貿易財産業から非貿易財産業に移動すれば、非貿易財産業における労働者の労働供給が増加することになるため、非貿易財産業の労働者の賃金にも低下圧力がかかる。サービス産業などの非貿易財産業は、労働集約的である場合が多く、生産コストに占める人件費の割合が大きいため、賃金の低下が結果として価格の低下につながる。よって、自国の貿易財産業の生産性向上による貿易財価格の低下は、外国の賃金や物価の低下を引き起こす。また、生産性が向上した自国の貿易財産業が、貿易財産業の販売価格を変えない代わりに、貿易財の生産に従事する労働者の賃金を引き上げた場合には、貿易財産業の高い賃金を求めて、非貿易財産業の労働者が貿易財産業に移動しようとするため、非貿易財産業の労働供給が減少し、非貿易財産業でも賃金上昇圧力が働く。その結果、非貿易財産業の物価が上昇し、自国の一般物価を上昇させる。
2|データによる検証
貿易財と非貿易財の物価の推移をみると、米国やユーロ圏、英国では、貿易財と非貿易財の双方で物価が継続的に上昇しているが、とりわけ非貿易財のほうが物価の上昇度合いが大きいことがわかる。他方、日本については、貿易財の物価は2010年代半ばまで低下を続け、それ以降横ばいになっており、非貿易財の物価は1995年以降安定的に概ね横ばいで推移し続けており、欧米とは対照的だ。
[図表3]貿易財と非貿易財の物価の推移
次に、名目賃金について、日本では貿易財産業では概ね横ばいで推移する一方、非貿易財産業では低下する傾向にあった。他方、米国等では、貿易財産業、非貿易財産業ともに継続的に上昇していた。また、実質労働生産性の動きを比較すると、日本、米国、ユーロ圏、英国の全てで、貿易財産業の労働生産性は上昇する一方で、非貿易財産業の生産性は横ばいのままであった。
[図表4]貿易財と非貿易財の名目賃金の推移
[図表5]貿易財と非貿易財の実質労働生産性の推移

3―日本へのインプリケーション

まず、日本の貿易財産業と非貿易財産業の物価や賃金に着目すると、90年代後半以降、経済のグローバル化の進展、とりわけ中国などのアジアの新興国の貿易拡大に伴い、日本の貿易財産業は価格競争にさらされ、貿易財の物価は低迷した。貿易財産業の不振や経済のサービス化の進展により、労働者が貿易財産業から非貿易財産業に移動し、非貿易財産業の賃金が低下した。賃金の低下により、非貿易財産業の物価は上昇しなかった。日本の貿易財産業の実質労働生産性は上昇したが、付加価値の増加よりも労働投入量(就業者による総労働時間)の減少の寄与が大きく、付加価値創出は不十分だった。

他方、米国等では、貿易財産業の実質労働生産性は同様に上昇したが、その主な要因は付加価値の増加であった。また、米国等もアジア新興国の貿易財産業の成長の影響に直面したはずだが、貿易財産業の物価や貿易財産業の賃金は上昇していた。

この点を考察すると、米国やユーロ圏、英国は、日本よりも、技術革新による新製品の開発などを通じた製品差別化が進んでいた可能性を指摘できる。

また、非貿易財産業の労働生産性が横ばいで推移し、経済のサービス化の進展などの要因で非貿易財産業の就業者数が増加していることを踏まえると、貿易財産業の賃金上昇が非貿易財産業の賃金を上昇させ、非貿易財産業の物価の上昇をもたらした可能性が示唆される。
[図表6]貿易財産業の実質労働生産性上昇率の寄与度分解
[図表6]貿易財産業の実質労働生産性上昇率の寄与度分解
日本では非貿易財産業の物価が上昇しなかったのに対して、米国やユーロ圏、英国では非貿易財産業の物価が上昇し、それが結果として、日本の実質為替レートの減価傾向を生み出した。

もし、「安いニッポン」が、海外に比べて日本の貿易財産業が十分な付加価値を生み出せておらず、その原因が新製品の開発や製品差別化実現に必要なイノベーションを起こせていないことから生じているのであれば、「安いニッポン」現象は日本の貿易財産業への警鐘と受け止めるべきだろう。

なお、海外に比べて物価が安くなることには、生産拠点としての日本の魅力向上や海外からの観光客増加といったメリットがある。とりわけ、海外からの直接投資の増加は、海外の優れた技術の獲得やイノベーション促進の機会となる。

貿易財産業の付加価値創出力の低下が日本の課題であるならば、「安いニッポン」の利点を活用しながら、製品差別化や新製品の開発などを通じた非価格面での競争力の向上が求められている。
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(2023年06月07日「基礎研マンスリー」)

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