2021年09月03日

奴雁の中央銀行-中央銀行のCultureと民主主義-

大阪経済大学経済学部教授 ニッセイ基礎研究所 客員研究員 高橋 亘

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1――はじめに

中央銀行は、独立して金融政策を行う一方で、政策について国民に説明する責任(Accountability )を負っている。世界的には金融危機以降、中央銀行の役割が増大したことから、その施策には国民の理解が一層必要となっている。民主主義社会で中央銀行の施策が、国民の理解を得るためには世論を意識することが必要である。しかし中央銀行の政策や業務は、技術的専門的でもあり容易には国民の理解を得難い面がある。また、政治的に独立して政策を決定すべき中央銀行が世論を意識しすぎれば、本来の政策決定のあり方と矛盾も生じてしまう。

社会のなかで中央銀行の働きがより理解されるためには、中央銀行自身が理解されなじみのある存在になることが望ましいとも指摘される。中央銀行のあり方やその社風ともいうべきCultureをどのように表現するかについては、中央銀行自身模索してきた面がある。日本銀行の前川春雄総裁は、中央銀行のあり方を「奴雁(どがん)」に例えたが、これは日銀の伝統というべきCultureをよく表している。社会や経済の変化のなかで、伝統も時代の波に洗われていくべきものでもあるが、伝統は組織のidentityにも通じるだけに、それをいかに維持し進化させていくべきかは、答えの定まらない難しい問題である。本稿では、こうした問題意識を念頭に「社会の中での中央銀行」との視点から、中央銀行を巡る環境変化 を見た後、Cultureと中央銀行、民主主義と中央銀行の関係について試論的に論じていく。最後に、国民の中央銀行への理解を得る手段としてはやはりAccountabilityの強化が重要だが、伝統を踏まえつつあるべき姿を探索していくうえには、第三者検証、歴史的検証を踏まえていくことが一つの方策ではないかと、これもまた試論的に提言している。

2――中央銀行を巡る環境変化

2――中央銀行を巡る環境変化2

中央銀行は、世界的に1990年代に金融政策の決定の独立性を与えられ、社会の注目を浴びるようになったが、その存在感が増したのは、2008年の世界金融危機以降であろう。

かつての中央銀行は、今日ほど注目を浴びる存在ではなかった。

1990年代に法制度的に独立性を与えられる以前の中央銀行は、多くの中央銀行が政府の影響下にあり金融政策等の問題で議会や社会に直接対峙するのは政府であり、中央銀行ではなかった。この背景には、経済、特に金融については様々な規制、介入があり、それらは主に政府による指令的な行政によってなされてきたということがある。

1990年代に、中央銀行による金融政策が注目され、中央銀行に独立性を与えられた背景には、1980年以降金融政策によってインフレがコントロールされたという実績がある。同時に、1990年代以降、世界的に規制緩和が進み、規制や介入などの指令的な行政ではなく市場の自由な働きを尊重し、市場メカニズムを通じて政策を運営するという金融政策の役割が重要になってきたという事情があろう。

もっとも、そうした状況でも中央銀行の施策は、金融政策や他の業務についても以下のような事情から、それほど注目されるべきものではなかった。

まず金融政策については、中長期的な視点から予防的に行われるべきという性格がある。実際、金融政策の効果がGDPなどの実体経済や物価に効果が表れるには時間を要する。また、予防的な政策には、政策が成功してもその効果が実感されにくいという宿命がある。

一方中央銀行の業務の使命は、銀行券の発行や銀行間の決済を通じて経済全体に資金を円滑に流通させることだが、銀行券が滞りなく流通することは当然とされてきたし、銀行の資金決済も一般の国民に直接利用されるものではなく目に触れにくい。

そもそも中央銀行の政策・業務は経済社会インフラの整備・運営という側面があり平常時に注目を浴びるべきものではなかった3。中央銀行の存在が注目を浴びるようになったのは、わが国では1990年代からの金融危機と経済停滞の長期化、世界的には2008年の金融危機以降である。

まず金融政策以外では、銀行の経営破綻に伴い中央銀行が銀行救済に乗り出すことが求められ、その後金融安定が中央銀行の重要な使命となり中央銀行の政策の守備範囲が拡大した。

一方、金融政策面では、財政政策への注目度の後退により金融政策がマクロ政策として唯一のものとされるようになった。財政政策は、社会保障関連費の増大などによる財政の硬直化により景気政策としての弾力的な運営は制約され、さらに経済の成熟化から財政乗数が低下するなどマクロ政策としての役割が低下した。一方これとは対照的に、金融政策はインフレコントロールの成功により1990年代以降の安定的な景気拡大をもたらしたものと評価され、マクロ政策として唯一のもの(only game in town)とまでいわれるようになった4

その後も金融危機以降の長期に亘る経済停滞(secular stagnation)によって生じた金利のゼロ金利制約(ZLB:zero lower bound)から非伝統的な金融政策(unconventional monetary policy)が採用され、ルールに基づき金利を操作する従来の運営に比べ裁量的になり、外部からの干渉を招きやすくなった。また資産の大量購入と、金融政策を先行きまで約束するフォワードガイダンス(forward guidance)の採用は、株価等の資産価格への波及を早め影響を強めた。このため、為替や株価等を意識した政策への要求も高まり金融政策への注目度をあげた。

非伝統的な政策では、コミニュケーション(communication)によって人々に中央銀行の政策が理解されることが必要であり、中央銀行自身もその拡充に努めてきた。だがその際には政治的に中立的な立場から政策を行うという中央銀行の立場(あり方)が理解されることが重要である。しかし、実際には政治からの干渉を受けやすくなる一方、金融政策がもたらしたとされる資産価格の上昇と実体経済の不振が格差を生み、中央銀行の政策や、中央銀行自身にも批判的な見方も強まっている。
 
2 Haldene(2021)は過去30年の中央銀行を巡る環境変化を中央銀行員の立場から見ており興味深い。それを読むと、イングランド銀行も日本銀行も同じような環境変化に見舞われ中央銀行員は類似した経験・感想を抱いていたことがわかる。
3 金融政策は「金融調節」を通じて実行されている。「金融調節」とは金融市場に資金を行き渡らせ資金決済に不都合を生じさせないために金融市場の資金の過不足を調整するものだが、経済社会インフラの運営的な側面があり、それ自体世間に注目されるものではない。また「金融調節」は技術的な側面も多い。こうした性質が理解されず、学界では金融政策について金融調節の延長で説明する日銀の説明を「日銀理論」として異端視する主張もある。これも、日銀への理解の妨げになってきた(「日銀理論」については髙橋(2013a)参照)。
4 もっとも最近では、金融政策の効果に行き詰まりがみられる一方、ゼロ金利のもとでは、財政コストが低下したことから、財政赤字の累増にもかかわらず財政政策が重要視されるようになってきている。

3――金融政策の非民主主義的性格

3――金融政策の非民主主義的性格

金融政策や中央銀行に対して人々の理解が求められるようになる中で、人々の金融政策への理解に妨げになりかねないのが、金融政策のもつ非民主主義的性格である。FRBの六代目の議長マーチン(William Martin)は中央銀行による金融政策の役割を「パーティの最中にパンチボールをとりあげること(”Order the punch bowl removed just when the party was really warming up ”)」と述べている。これは、景気の絶頂期に、それに水を差すように金融引き締めを行わねばならない金融政策の宿命を表しているが、引き締め政策ばかりでなく緩和政策でも金融政策の効果がフルに表れるのには時間がかかることから、社会は短期的な景気浮揚のために過剰な緩和を求めがちになる。またインフレや資産価格のバブルといった副作用は不確実で時間を経て顕現化するため、中長期的な副作用への警戒が十分でなければ短期的な金融緩和への誘惑が生まれる。民主主義社会では確実な目先の効果とその先の不確実で目にみえない副作用の間では短期的な誘惑に傾きがちになる。

金融政策は国民の理解を得ようとすれば、世論を考慮することが必要となる。しかし世論は短期的な効果に傾きがちである。そうであると特にバブルの時期のように世論が高揚し時代の「空気」が作られている時期にはその対処は一段と難しく、マーチン議長のようにパンチボールを引き揚げるのには躊躇も生まれてしまう。無論、世論については、社会の「全体意思」であっても「一般意思」とは言えないのではないとの議論ができる5。また、「世論」が、人々の好き・嫌いの「感情」や気分を表す「空気」のようなものであるのに対し、「輿論」こそが人々の個人としての責任が伴う「意見」や「考え」を表す「天下の公論」である6として、これを重視すべきとの考えもあろう。しかし「世論」を「輿論」や「一般意思」でないとして排せば独善に陥る危険がある。中央銀行からの発信によって人々の期待に働きかけることが重視されるようになれば、世論や輿論、また意思の性格に関らず対峙しなくてはならない。この問題はマーチン議長の時代より政策が即座に人々の期待に働きかけなくてはならない現在のような状況では、重要だが一段と難しい問題となっている。
 
5 世論が重視されるのは、それが民主的な意思決定の反映と考えられるからであろう。民主的な意思形成の方法については、憲法論の立場からも多数決が正当であるとの見方が有力である(清宮(2021))。しかし坂井(2015)は経済学の立場から、多数決が必ずしも唯一の決定方法ではないことなどを論じている。
6 「世論と輿論」の議論は、佐藤(2008)に負っている。なお佐藤は政治の輿論と世論に対する考え方として、第19代内閣総理大臣の原敬の以下の言葉を紹介している。
輿論とは、政治にとっては背いてはならないもの、喚起すべきもの、賛成を促すべきものとして捉えている。(中略)「世論」というものは「騒然」として「喧しき(やかましき)」ものであり、したがって時には「煽動」されたり、また逆に「鎮静」されるべきものとされていた。(住友陽文「近代日本の政治社会の展開」『日本史研究』)

4――中央銀行とCulture

4――中央銀行とCulture

また、文化人類学的な視点から、中央銀行と社会の間には、Culture Gapがありこれが、中央銀行への理解の妨げになっているとの指摘もある。

日本銀行金融研究所に客員研究員として滞在したAnnelise Riles教授7は、その体験にも基づく著作("Financial Citizenship: Experts, Publics, and the Politics of Central Banking ")のなかで、中央銀行の社風ともいうべきCultureを正面からとりあげている。どこの国でも中央銀行は独特のCultureを有し、閉鎖的な存在とされがちである。前述のように1990年代後半まで中央銀行の多くは、政府のコントロールの下にあり、人々と直接対峙することはなかった。このためCultureが問題になることもなかった。しかしその後、中央銀行は政府の干渉を排し政策を自主的に決めるように独立性を強めた。当初その独立性は、金融政策についてのみであったが、2008年の世界金融危機を経て、金融安定についても責任をもつなど権限を強めてきている8。また金融政策自体も、従来のインフレのコントロールを超えて、いわゆる非伝統的な金融政策の実行によって、金融危機の後遺症の解消や、その後の景気回復に従来以上の大きな任務を担ってきている。それでは任務が広がり強力化した中央銀行を誰がどのようにコントロールするのか?この問題を巡って、米国では”Audit Fed”、英国では”People’s QE(Quantitative Easing)”というように、中央銀行への反発も強まり政策の民主的コントロール(Democratic Control)の要求が強まっている。こうした状況で中央銀行が孤高の存在であることは許されるのか。 Riles教授は、現在中央銀行に注がれる厳しい目は、一種のCultureギャップに起因していることを示唆する。独立した中央銀行は、Accountability(説明責任)を果たすものとして、政策等について積極的に情報提供を行っている。ただCultureギャップは、Accountability(説明責任)の達成を構造的に難しくする根深い問題であるとする。

経済学者にとってRiles教授が投げかけた革新的な視点の一つは、経済学で通常軽視されるCultureに焦点を当てたことであろう。歴史のある多くの会社がそうであるように、中央銀行は独特のCultureを持つ。また多くの職業がそうであるように、中央銀行に働く中央銀行員も社会的使命を自覚している。Cultureはそうした社会的使命を反映、自らの仕事が何らかの公的な意義を持つと考え、それがCultureとなっている。組織は社会的使命を共有する共同体でもある。そこには自ずと自らを律する規範(Norms)が生まれる9

中央銀行である日本銀行のあり方を示すものとして、福沢諭吉が提唱した「奴雁」が引用される。これは、日銀のなかで最も敬愛される第24代前川春雄総裁が、日銀の100周年で紹介したものであるが、社会のなかで中央銀行の役割やあり方をよく表していると思われる。
 
「奴雁とは群雁野に在て餌を啄むとき、 其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、 之を奴雁と云ふ。」
(福沢諭吉「民間雑誌」1874年)
 
中央銀行の役割を雁のリーダーに例えたこの言葉が表しているのは、専門知によって中長期を見渡すことを期待される中央銀行の孤高の姿でもある。

組織のCultureはidentity であり、組織としてのgovernanceの最重要部分も形成する。Cultureは一方で伝統一般がそうであるように時代による変化も必要とされるがnormsとして自己規律につながるだけに変化させることは難しくまた望ましくない面もある。それでは、どの部分がどの程度、どのように変わるべきか、また変えるべきかについては模索していくしかない。答えの定まらない課題だけに、自己変革を進めるうえでも、後述の第三者検証、歴史的検証などを活用し批判に向き合っていくことが望ましくまた現実的ではないだろうか。
 
7 専門は法学・文化人類学(Legal anthropology)。現在、米国Northwestern大学the Roberta Buffett Institute for Global StudiesのExecutive Director。本書は前職Cornell University、Jack G. Clarke ’52 Professor of Far East Legal Studies時に執筆。” Changing Politics of Central Banking” というResearch Projectを主宰し、中央銀行について経済学・法学・政治学・文化人類学等の学際的な研究を精力的に行ってきている。日本銀行金融研究所客員研究員として滞在し、著作では滞在時の日本銀行での体験にも言及している。
8 中央銀行への政治的干渉の増大から、中央銀行の独立性が弱まったとされるわが国とは対照的に海外では、機能的に強力になった中央銀行をいかにコントロールすべきかが問題意識に上っている(例えばTucker(2018))
9 孤高である中央銀行には貴族的な側面が必要であり、その規範はNoblesse Obligeに例えられることもある(これは筆者と対面したときのAmartya Sen教授の指摘である)。このような規範は、一見時代遅れのようではあるが、これまで中央銀行の組織の自律性を保ってきたという点で重要である。
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大阪経済大学経済学部教授 ニッセイ基礎研究所 客員研究員 高橋 亘

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