2020年11月30日

骨太方針に盛り込まれた「社会的処方」の是非を問う-薬の代わりに社会資源を紹介する手法の制度化を巡って

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

文字サイズ

1――はじめに~社会的処方の功罪を考える~

政府内では現在、「社会的処方」(Social prescribing)の制度化に向けた議論が進んでいる。これはストレスや孤立などを感じている人に対し、医師が薬の代わりに患者団体などコミュニティの資源などを紹介することで、その人に生き甲斐や社会参加の機会などを持ってもらう方法であり、英国などで実施されている。

こうした社会的処方について、今年7月の骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針)でモデル事業の実施方針が唐突に盛り込まれたのを受け、社会保障審議会(厚生労働相の諮問機関)では介護報酬への反映も視野に入れた議論が展開されている。

しかし、筆者自身としては、(1)英国と医療制度が大きく違う、(2)ソーシャルワークの違いが不鮮明――という2つの点で、診療報酬への反映など本格的な制度化には慎重な姿勢が求められると考えている。

以下、社会的処方の発祥地である英国の事例を見つつ、社会的処方の概念を整理し、国内での実践例や制度化に向けた議論も概観する。その上で、2つの疑問点を中心に、制度化に向けた論点、その是非を問う。
 

2――社会的処方とは何か

2――社会的処方とは何か

1|英国における社会的処方の淵源と定義
社会的処方について、モデル事業を実施する――。今年7月に閣議決定された骨太方針で、こうした文言が盛り込まれた1。骨太方針に至る政府、自民党内の議論、あるいは制度化に向けた現在の検討状況は後に回すとして、社会的処方の概要を最初に整理しよう2。社会的処方はsocial prescribingの翻訳であり、源流は英国に求められる。英国の医療保障制度であるNHS(国民保健サービス、National Health Service)のウエブサイトを見ると、以下のような形で社会的処方が説明されている(訳文は筆者)。
 
社会的処方とは、個人に最適化されたケアを提供する構成要素の一つである。社会的処方はローカルな諸機関にとって、人々をリンクワーカー(link worker)に紹介する方法である。リンクワーカー達は「何が私にとって大事なのか」に焦点を当て、人々の健康と幸福に関して全体的なアプローチを取りつつ、人々に時間を提供する。リンクワーカー達は人々をコミュニティのグループや法定サービスと結び付け、実践的で感情にあふれた支援を提供する。

つまり、社会的処方とはリンクワーカーを通じて、コミュニティのグループなどの社会資源を紹介することで、その人の健康状態や満足度を高めることを企図している。英国内では元々、1980~1990年代からコミュニティレベルで取り組みがなされていたが、2006年の政府文書‘Our health, our care, our say’で示されたのを受けて、関心が集まるようになった。

しかし、こうした抽象的な説明では伝え切れないし、リンクワーカーという存在も説明しなければならないため、具体的な事例を幾つか紹介しよう。

まず、筆者が5年前、英国で働く日本人家庭医(GP、General Practitioner)の澤憲明氏から聞いた話である3。英国の医療制度で家庭医は全人的かつ継続的なケアを提供する「プライマリ・ケア」の担い手として、患者の生活・健康を支援する上で重要な役割を果たしており、様々な症例・状況の患者と接している。

そうした中、澤氏は症例件数の少ない難病の患者と接した際、その患者の雰囲気や言葉を通じて、難病の苦労を周囲に理解してもらえない寂しさに気付いたという。さらに、澤氏が悩みを話し合えるような患者団体の存在を尋ねたところ、その患者は「患者団体の会費が払えないので、参加できない」と訴えた。そこで、澤氏は患者団体に電話し、会費の値下げを約束させたという。その後、患者は患者団体に足を運んだらしく、暫らくして患者が診療所を再訪した際、「今は同じ状況にいる友達ができて幸せ。ありがとう」と喜んだとのことである。

この事例を通じて、社会資源を紹介する社会的処方の概略と意義をご理解いただけると思う。つまり、この患者にとっては難病という医学的な問題は解決していないかもしれないが、薬や医学的な処置の代わりに、病気の悩みを分かち合える患者団体を紹介してもらうことで、QOL(生活の質)が向上したことになる。

実際、NHSのウエブサイトを見ても、社会的処方の主な対象として、慢性疾患などで長期的に支援を要する人、メンタルヘルス面での支援が必要な人、孤立・孤独を感じている人、複雑な問題を持った人を例示している。例えば、仕事のストレスや孤独感で不眠を訴えている人に対し、睡眠薬を処方しても対症療法に過ぎず、不眠を解決しようとすると、ストレスを生み出している原因を考える必要がある。そこで、社会的処方の考え方に立てば、患者の趣味や生き甲斐に近いサークルやコミュニティカフェなどを紹介することで、そのストレスを解消する方策が考えられる。

しかし、医師がコミュニティのサークルやグループを知っているとは限らない。むしろ、こうした社会資源を知っているのはコミュニティで暮らす人々であり、GPから紹介を受けた非医療職の住民が社会資源の紹介を受け持つ。これが上記で言う「リンクワーカー」である。英国医師会の資料ではリンクワーカーの役割について、GPや患者、患者の家族をボランティアやコミュニティレベルのサービスに繋ぐことと紹介しており、ビジネスや就労支援などを通じて社会課題の解決を図る「社会的企業」(social enterprise)も「処方先」の対象として挙げている。

実際、澤氏の論考4では社会的処方を実践した事例として、下記のようなケースを挙げている。
 
  • 往診を頻繁に要請する高齢女性に対し、訪問を重ねるうちに、その訴えの裏に孤独があることが分かり、女性の趣味に合わせて散歩クラブを紹介した。
  • うつ病、不安症、睡眠障害、アルコール依存などで相談に来る中年男性に対し、リンクワーカーを通じて生活保護の申請をサポートしてもらった。さらに孤独による不安も明らかになったため、リンクワーカーからソーシャルクラブを紹介してもらった。

以上のような事例を通じて、社会的処方やリンクワーカーのイメージをつかんで頂けたと思う。そのイメージは図1の通りであり、こうした社会的処方は英国の保健福祉政策の一環としても重視されている。具体的には、リンクワーカーに対して、財政的な支援が講じられるようになったほか、澤氏の診療所では電子カルテを通じて、リンクワーカーへの紹介情報、あるいは地域資源を紹介したリンクワーカーからの情報が電子カルテを通じて、関係者で共有されているという。さらに、GPやプライマリ・ケアの将来像を描いた2016年の政府文書“General practice Forward View”でも、実践的でコミュニティに機軸を置いた形での支援が可能にすると指摘している。

このほか、同様の取り組みがオランダやオーストラリアでも始まっている。このうち、オランダでは住民で構成する「ソーシャルヴァイクチーム(SWT、社会近隣チーム)」を中心とした地域の支え合いの取り組みについて、患者の相談を幅広く受け付けるオランダのGPが関与するようになっているという。
図1:社会的処方のイメージ
 
1 正確な文言は「かかりつけ医等が患者の社会生活面の課題にも目を向け、地域社会における様々な支援へとつなげる取組についてモデル事業を実施する」という表現であり、脚注で「『いわゆる社会的処方』と呼ばれる取組」と紹介されている。
2 英国やオランダの事例はNHSのウエブサイト(https://www.england.nhs.uk/personalisedcare/social-prescribing/)に加えて、NHS England and NHS Improvement(2020)‘Social Prescribing and community-based support’、British Medical Association(2019)‘Social Prescribing’、Department of Health(2016)‘General Practitioner Forward View’、Department of Health(2006)‘Our health, our care, our say’を参照。邦語文献では、西岡大輔ほか(2020)「社会的処方の事例と効果に関する文献レビュー」『医療と社会』Vol.29 No.4、高守徹(2019)「英国で取組みが進む社会的処方」『損保ジャパン日本興亜総研レポート』Vol.74、西岡大輔・近藤尚己(2018)「医療機関における患者の社会的リスクへの対応」『医療経済研究』Vol.30  No.1、人とまちづくり研究所が2020年3月に公表した「高齢者の社会的リスクに関する基礎的調査研究事業」報告書(老人保健事業推進費等補助金)、国際長寿センターが2019年3月に公表した「多様な主体による高齢者支援のための連携実態と地域住民の参画を促すための公的支援に関する国際比較調査研究報告書」を参照。
3 東京財団ウエブサイト2015年9月18日掲載の澤氏との対談(上)。
https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1150
4 2020年11月17日『朝日新聞Globe+』に掲載された澤氏の論考。
https://globe.asahi.com/article/13934697
2|健康の社会的決定要因との関係
こうした社会的処方の基底には「健康の社会的決定要因」(social determinants of health)という考え方がある。これは個人の健康を考える際、病気など個人の医学的な問題に加えて、個人を取り巻く周辺の環境にも配慮し、健康に悪影響を及ぼす環境的、社会的な要因を取り除いていく考え方である。

例えば、職場のストレスで精神的に落ち込んだり、不眠症になったりしている人に対し、その人の健康管理に努めるだけでは限界がある。むしろ、ストレスを生み出している要因、例えばパワーハラスメントとか、上司との人間関係、仕事と育児の両立などに配慮しなければ、その人のストレスは解決しない。このように「原因の原因の原因の…」といった形で、不健康を生み出す原因をさかのぼって探り当て、その解決策を考えるのが健康の社会的決定要因である。

健康の社会的決定要因に関しては、国内外で数多くの研究成果が公表されており、▽経済的な貧困と無関係な公務員でさえ、階層が死亡率に影響する、▽貧しい世帯に育った人の死亡率が高い、▽子ども時代の豊かさが栄養摂取や身体状況に影響を与える――といった知見が蓄積されつつある5

さらに、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本、Social Capital)」と呼ばれる地域の繋がりを増やすと、住民の健康度や満足度が改善するという研究がある6

国内でも健康の社会的決定要因が地域の健康づくりに取り入れられつつあり、東京都足立区が実施している「子どもの健康・生活実態調査」では年収300万円未満などに該当する生活困難世帯の子どもはそれ以外の世帯に比べると、虫歯や肥満が多い傾向が明らかになっており、所得格差が健康に影響を与えている可能性が意識されている。
 
5 健康の社会的決定要因は健康格差を引き起こす点でも問題視されており、論文や文献が多い、例えば、近藤克則(2017)『健康格差社会への処方箋』医学書院、同(2005)『健康格差社会』医学書院、NHKスペシャル取材班(2017)『健康格差』講談社現代新書、Michael Marmot(2015)“The Health Gap”〔栗林寛幸監訳(2017)『健康格差』日本評論社〕、近藤尚己(2016)『健康格差対策の進め方』医学書院、川上憲人・橋本英樹・近藤尚己編著(2015)『社会と健康』東京大学出版会など。
6 例えば、Ichiro Kawachi et.al(2013)“Global Perspectives on Social Capital and Health”[高尾総司ほか監訳(2013)『ソーシャル・キャピタルと健康政策』日本評論社]など。
 

3――社会的処方で期待されている効果

3――社会的処方で期待されている効果

では、社会的処方はどんな効果が期待されているのだろうか。英国におけるパイロット事業の成果7として、慢性疾患の患者や家族がコミュニティの活動に関わることを通じて、自立的になって孤立感を解消できたと説明されている。さらに病院の利用が減ってコスト縮減効果を期待できる点なども言及されている。

このほか、社会的処方の論文や研究をレビューした論文8によると、41件の研究や報告のうち、25件でメンタル面の改善が見られたとしており、就労や就学に向けた機能面の維持・改善、心理的な健康の改善、生活の質の向上、自己肯定感などの高まりなどの効果が示されているという。さらに、医療サービスの利用減などサービス利用の最適化が23件、社会的な関係性の改善が21件、身体面の改善が16件、長期療養に関連するコストの減少が6件に及んだという。

しかし、実証研究の蓄積は十分と言えず、研究やレポートのレビュー論文では「成功または金額に見合う価値(value for money)を伴うと判断できる十分なデータを欠いている」9といった評価も見られる。このため、現時点では十分なエビデンスが示されているとは言えないようだ。
 
7 Chris Dayson et.al‘The social and economic impact of the Rotherham Social Prescribing Pilot’
8 Emily S Rempel et.al(2017)’Preparing the prescription’ British Medical Journal 7(10)。
9 Liz Bickerdike et.al(2016)’Social prescribing’ British Medical Journal 7(4)
Xでシェアする Facebookでシェアする

保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【骨太方針に盛り込まれた「社会的処方」の是非を問う-薬の代わりに社会資源を紹介する手法の制度化を巡って】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

骨太方針に盛り込まれた「社会的処方」の是非を問う-薬の代わりに社会資源を紹介する手法の制度化を巡ってのレポート Topへ