2019年11月19日

ユーロ圏の長期停滞リスクと財政政策

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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7~9月期のユーロ圏の実質GDPは前期比0.2%、ドイツは同0.1%

ユーロ圏経済の低調な推移が長引いている。11月14日に公表されたユーロ圏実質GDP(速報値)は前期比0.2%(前期比年率0.9%)と4~6月期の同0.2%(同0.8%)に続いて年率1%割れの低調だった。

主要4カ国を比べると(図表1)、景気後退の瀬戸際にあるドイツとイタリアがともに同0.1%(年率0.3%)と低く、フランス、スペインも前期比0.3%(前期比年率1.0%)、同0.4%(同1.7%)と勢いは鈍っている。

ドイツは、事前の段階で広く予想されていた2四半期連続のマイナス成長という定義上の景気後退を辛うじて回避した。今回改定された4~6月期は同マイナス0.1%から同マイナス0.2%(同マイナス1.0%)に下方修正された。7~9月期に落ち込みをカバーすることは出来ておらず、内容的には事前の予想と大きく違う訳ではない。ドイツ経済の成長スピードは18年から大きく鈍ったが、19年に入って成長が止まった。ドイツ連邦統計局は、需要項目別の内訳を未だ発表していないが、個人消費、政府消費支出、輸出、建設投資は増加、輸入は横這い、機械設備投資はマイナスと説明している。在庫削減も成長を押し下げたものと推察される。

イタリアの実質GDPは18年初から一進一退が続いている。イタリアは、世界金融危機の後、ユーロ危機による二番底に陥ったこと、その後の回復も鈍かったために、実質GDPの水準は08年の1~3月期をおよそ5%下回っている。失業率も9.9%と高留まっており(図表2)、活動の水準では、イタリアがドイツよりも深刻だ。

ドイツ、イタリアに比べると、フランスとスペインが堅調を保っている理由は、製造業と財の輸出への依存度が高くないことによって説明できる。フランスでも需要面では外需、製造業はマイナス成長となっており、その幅も拡大しているが、個人消費と固定資本投資、サービス業は堅調を保っている。スペインの7~9月期も、内需の強さと外需の弱さが鮮明だった。
図表1 ユーロ圏GDP(国別)/図表2 ユーロ圏失業率

さらに長期化が予想されるユーロ圏の低成長、低インフレ

さらに長期化が予想されるユーロ圏の低成長、低インフレ

ユーロ圏経済の低調な推移はさらに続く見通しだ。

本稿執筆時点での当研究所のユーロ圏の実質GDPの見通しは、19年1.2%、20年1.1%、21年1.3%だ。本格的な景気後退こそ回避されるものの、1%台半ばの潜在成長率に届かない推移が続く。インフレ率の見通しも、19年1.2%、20年1.2%、21年1.5%で、当面は欧州中央銀行(ECB)が物価安定の目安とする「2%未満でその近辺(below, but close to, 2% )」を下回る推移が続く。

EUの欧州委員会が11月7日に公表した「秋季経済見通し」も実質GDPが19年1.1%、20年1.2%、21年1.2%、インフレ率が19年1.2%、20年1.2%、21年1.3%で低成長、低インフレの長期化を予想する。欧州委員会は、毎年冬(1月)、春(5月)、夏(7月)、秋(11月)の年4回経済見通しをまとめる。欧州委員会は、19年初の「冬季経済見通し」での19年の経済予測の大幅な下方修正の後、連続で見通しを引き下げてきた(図表3)。19年初の時点では、成長鈍化は天候や、乗用車の新たな燃費試験法(WLTP)の導入などの一時的な要因の影響が大きく、その剥落とともに、20年には潜在成長率並みの成長に回復すると予想していた。しかし、7~9月期の実績が示すとおり、18年後半の成長を押し下げた一時的な要因が剥落した後も成長の勢いは戻っていない。欧州委員会は、21年まで潜在成長率とECBのインフレ目標を下回るとする「秋季経済見通し」で、従来の「早期回復シナリオ」を放棄、「低空飛行が今後も続くシナリオ」に軌道修正した。
図表3 欧州委員会の実質GDP予測の変遷/図表4 ユーロ圏インフレ率

成長・物価の見通しの悪化を先取りしたECBの包括緩和パッケージ

成長・物価の見通しの悪化を先取りしたECBの包括緩和パッケージ

欧州中央銀行(ECB)は、成長・物価の見通しの悪化を先取りする形で、9月12日の政策理事会で「包括的緩和パッケージ」をまとめた。

ECBは、18年12月に国債等の資産を買い入れる量的緩和の拡大停止を決めたものの、19年に入ってからは3月の政策理事会で年内利上げの可能性を排除、6月に上半期中の利上げの可能性を排除、7月には政策の先行きを示すフォワード・ガイダンスに利下げバイアスを付加するなど、緩和縮小から緩和の再拡大への方針転換を余儀無くされ、9月理事会での5本柱の「包括緩和パッケージ」の決定に至った(図表5)。

9月理事会では、フォワード・ガイダンスも変更され、政策金利は、「物価目標への収斂がしっかりと見通せるまで、現在の水準かそれよりも低い水準に維持」する方針を前面に打ち出し、「少なくとも20年末まで」といった期限に関する文言を削除した。純資産買入れについても、「政策金利の緩和効果を強化するために、必要な限り、利上げ開始直前まで継続する」とした。「買入れ停止後の次の一手が利下げ」といった今回のような動きを封じようとの狙いが読み取れる。

9月の包括緩和は、利下げから純資産買入れ再開、超過準備の一部をマイナス金利の適用外とする「階層方式」の導入まで、メニューの幅の広さという点で市場の予想を超えた。

その一方、「包括緩和パッケージ」の決定を巡って、かつてないほど、政策理事会のメンバー間で意見が割れたことも議事要旨から確認できる(図表7)。
図表5 ECBの政策理事会の決定内容/図表6 ECBのフォワード・ガイダンス(19年9月修正後)/図表7 包括緩和パッケージへの政策理事会メンバーの見解
まず、9月の段階で追加緩和の必要については「全員」が、複数の政策を組み合わせることについては「殆ど」のメンバーが賛成、フォワード・ガイダンスから特定の期限を削除することについても「広く」賛成が得られたようだ。

5本柱の政策のうち、従来からの方針の延長である資産買入れの再投資の継続については「全員」が賛成、広く予想されていた利下げについても「極めて多数」が賛成した。9月に開始したターゲット型資金供給第3弾(TLTROⅢ)については、今年3月に期限を2年とし、6月に10bpポイントの金利を上乗せする方針を決めていたが、9月理事会で上乗せ金利撤回と期限の3年への延長という条件緩和を決めた。この措置にも「大多数」が賛成したとされる。

他方、理事会内で反対が多かったのは、「明確な過半数」に留まった純資産買入れの再開と「過半数」に留まった階層方式の導入だ。純資産買入れは、11月1日から、月額200億ユーロの買入れを開始、先述のフォワード・ガイダンスの通り、終了期限は定めていない。階層方式は、法定準備金の6倍までの金額をマイナス金利の対象外とするという内容だ。

純資産買入れへの賛成派は、インフレ目標実現への強い意志を示す政策手段として欠かせないと主張し、反対派は「不測の事態に用いる最後の手段とすべき」、「効率的な政策手段ではない」、ターム・プレミアムが一段と圧縮され、「金融機関の経営が圧迫される」などの懸念を表明した。
 
階層方式については、「適切に調整されなければ、市場金利の上昇という副作用を招き兼ねない」などの多くの留保条件が示されたとされる。

9月の包括緩和パッケージは、2011年から8年にわたり3代目のECB総裁を務めたドラギ前総裁の「置き土産」だ。政策金利のフォワード・ガイダンスや純資産買入れがオープン・エンド型となったことで、11月1日に発足したラガルド新総裁率いる新体制は、直ちに何らかの政策決定に動く必要はない。しかし、ドラギ総裁率いる執行部が異論を押し切ったとされる「包括緩和パッケージ」の決定で政策理事会内の対立は深まっている。また、ドラギ総裁の8年間の平均インフレ率は1.2%と、インフレ目標の達成という面で、前の2代の総裁から大きく見劣りする(図表9)。

「階層方式」を導入したとは言え、中銀預金金利でマイナス0.5%まで深堀りし、国債市場が国ごとに分断されたままのユーロ圏ではECBの追加緩和余地はそもそも乏しい。

ラガルド新体制のECBは、当面、追加的な緩和よりも、ドラギ総裁体制下で拡大した政策手段の効果と副作用の検証を進めること、「2%未満でその近辺(below, but close to, 2% )」と下方バイアスが掛かったインフレ目標の変更など戦略の見直し、そして政策理事会内の対立解消に重点を置かざるを得ないだろう。
図表8 ECB政策金利/図表9 ECBの資産残高
図表10 ユーロ圏最高格付け国債の利回り曲線/図表11 ユーロ圏のインフレ率

高まる「財政余地」あるドイツの財政出動への期待

高まる「財政余地」あるドイツの財政出動への期待

金融政策の限界、副作用への警戒が強まる一方で、長期停滞リスクへの政策対応の手段としての財政政策への期待は高まっている。

特に、景気停滞が目立つ一方、財政余地が大きいドイツの財政出動への期待は高い。EUの財政ルールでは、財政赤字名目GDP比3%、一般政府債務残高の同60%以下、景気循環要因と(民営化などの)一時的要因を除いた構造的財政収支の均衡を求める。一般政府債務残高が基準値以内で、構造的財政収支が黒字が、拡張的財政政策を実施してもルール違反と見なされない「財政余地を有する国」となる。この定義に基づいて、「財政余地」を有すると見なされるのは、ユーロ圏の主要5カ国ではドイツとオランダの2カ国である。政府債務残高の名目GDP比が2018年時点で136.2%のイタリアはもちろんのこと、フランス、スペインも「財政調整を要する国」である(表紙図表参照)。

欧州委員会は、経済見通しに合わせて、財政スタンスを「構造的財政収支対潜在GDP比」の前年差で判断しており、プラスマイナス0.25%のレンジは「中立的」とする。「秋季経済見通し」では、ユーロ圏全体は19年はマイナス0.1%、20年はマイナス0.2%で概ね「中立的」と判断した(図表12)。ドイツは、景気減速が明確になっても、中期的にも財政均衡目標を堅持する方針を崩していないことから、緊縮的な運営を継続している印象が強いが、構造的財政収支の前年差は19年マイナス0.3%、20年マイナス0.4%で、欧州委員会は「やや拡張的」と判断している(図表13)。18年の連立政権発足時の合意に基づく家計向けの減税や気候変動対策などが予定されているためだ。
図表12 ユーロ圏構造的財政収支前年差/図表13 ドイツ構造的財政収支前年差
ドイツの対応は、ドイツ経済の低迷長期化によって景気減速圧力が強まることを懸念する近隣諸国や、債務危機対応で強化・複雑化したルールの下で緊縮バイアスがかかりやすい財政政策をカバーするために過度の負担を強いられてきたECBには、踏み込み不足に映る。

しかし、ドイツでは自動車産業を中心とする製造業の調整は深く、長期化の様相を呈しているが、建設業やサービス業が鈍化という範囲に留まっている現段階では、景気対策は時期尚早という思いが強いようだ。ドイツ政府の経済諮問委員会(5賢人委員会)も、経済の先行きに慎重な見方を示しつつ、財政の自動安定化機能も働くため、景気刺激策を積み増す必要はないとの立場を採る。
 

ドイツは本格的な財政出動なくとも製造業を取り巻く環境激変に対応できるか

ドイツは本格的な財政出動なくとも製造業を取り巻く環境激変に対応できるか

ドイツの主力産業である自動車産業の不振は、米中間の自動車関税の引き上げや、中国の需要減速、厳格化される規制への適合が難しいディーゼル車の販売の落ち込みなど複合的な要因が影響している。北欧や西欧では、気候変動への対応を政策的な優先課題と考える有権者の割合も高く、消費者の行動も変化している。しかも、自動車産業は、つながる(コネクティッド)、自動運転(オートノマス)、シェアリング・サービス、電動化(エレクトリック)の頭文字をつなげた「CASE」という造語で表現される100年に1度の大変革期にある。世界金融危機後の景気後退局面でも、技術の継承の観点から、ドイツ・メーカーは、人員削減に慎重な立場をとってきたが、ここにきて人員削減の動きが出つつある。足もとの販売の不振が、単に、短期的な循環による調整ではなく、より構造的な変化に伴うものであると認識しているシグナルだろう。

ドイツは、本格的な財政出動がなくとも、自動車を中心とする製造業を取り巻く環境の激変に適応できるのか、20年以降の欧州経済の最大の注目点の1つだ。
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2019年11月19日「Weekly エコノミスト・レター」)

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