2019年10月23日

認知症施策の「神戸モデル」は成功するか-事故費用の補償制度の内容や課題を考える

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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1――はじめに~認知症施策の「神戸市モデル」とは~

認知症の早期診断を支援するとともに、認知症の人が事故を起こした際の費用を救済する神戸市の施策が2019年度から本格始動した。事故時の救済制度については、愛知県大府市などが導入しているが、神戸市の施策は早期診断から相談、費用補償、理念を定めた条例制定など包括的であり、負担と給付の関係を市民に理解してもらう手立てとして、超過課税として個人市民税均等割を1人当たり年400円引き上げた点も注目されている。本稿では国も「神戸モデル」として注目する施策の全体像と特色を把握するとともに、財源確保など今後の課題を論じる1
 
1 本稿の執筆に際しては、神戸市保健福祉局高齢福祉部介護保険課の方々、上村敏之氏(関西学院大教授)、藤澤陽介氏(早稲田大学教員)の御協力を頂いた。ここに感謝したい。
 

2――神戸モデルの特色

2――神戸モデルの概要

神戸モデルの概要は図の通りである。具体的には、(1)65歳以上の市民が無料で診断を受けられる検診制度、(2)認知症と診断された人については、市が保険料を負担して最高2億円の給付を受けられる損害賠償保険制度、(3)事故時に24時間365日で相談を受けられるコールセンターの設置、(4)認知症の人が行方不明になった場合、GPS(衛星利用測位システム)で捜索してもらえるサービスの提供(ただし一部自己負担あり)、(5)認知症の人が起こした事故に市民が遭った場合、最高3,000万円を支給する見舞金(給付金)制度、(6)約3億円と予想されている財源を確保するため、1人当たり市民税均等割を超過課税として年間400円上乗せ、(7)認知症の人が住みやすいまちづくりの理念と、引き上げた市民税の使途を定める条例制定と財源を管理する基金の設置――といった点が挙げられる。
図:認知症に関する神戸モデルの概要
このうち、(1)の早期診断は第1段階の「認知機能検診」と第2段階の「認知機能精密検査」に分かれる。まず、第1段階では65歳以上全員を対象に、診療所や病院などで幅広く診断を受けられるようにしており、もし第1段階で認知症の疑いがあると分かった場合、第2段階の詳しい検査を専門医療機関で受けられる。いずれも費用を市役所が負担し、高齢者本人の負担はゼロである。

さらに、(2)の損害賠償保険では認知症の人が起こした事故で本人や家族の賠償責任が発生した場合に支給する仕組みであり、自動車事故などを除いて最高2億円(死亡・後遺障害は42~100万円)の給付を受けられる。(5)は賠償責任の有無に関わらず支給する仕組みで、最高3,000万円が給付される。

このように認知症の人が起こした事故を補償する制度としては、神奈川県大和市、愛知県大府市、福岡県久留米市、東京都中野区と葛飾区などで導入、または導入に向けた検討が進んでいる2。以下、神戸方式の特色を浮き彫りにするため、同様の他の自治体の事例を考察する。
 
2 大和市ウエブサイト「はいかい高齢者等SOSネットワーク」、大府市ウエブサイト「大府市認知症高齢者等の見守り及び個人賠償責任保険事業実施要綱」、久留米市ウエブサイト「久留米市認知症高齢者等個人賠償責任保険」を参照。中野区、葛飾区の取り組みは2019年2月15日『シルバー新報』を参照。なお、制度の詳細については、一部を省略して記述する。
 

3――同様の他の自治体の事例

3――同様の他の自治体の事例

神奈川県大和市の「はいかい高齢者賠償責任保険」では、認知症で行方不明となる可能性がある人を事前に把握するネットワーク制度の登録者を対象に、その人が事故などを起こし、本人や家族に損害賠償責任が発生した場合、最高3億円(死亡・後遺障害の場合は最高50万円)を補償する。損害賠償に関する保険料については、市が負担する。

愛知県大府市の制度でも、市が保険料を負担。見守りネットワークに登録された認知症の人などが起こした事故について、本人や家族が損害賠償責任を負った場合、最大1億円、死亡・後遺障害82万5,000円の補償を受けられる仕組みである。

さらに、福岡県久留米市は市の見守りネットワークに登録した認知症の人を対象に、同様の仕組みを導入しており、賠償費用は最高3億円。東京都葛飾区、同中野区も同様の制度の導入に向けて検討しており、最高補償額は葛飾区が5億円、中野区が3億円。葛飾区の対象者は見守りネットワークの登録者、中野区は認知症と診断された40歳以上の人の事故補償をカバーする。

以上のように見ると、賠償の対象者や金額に差異はあるが、保険料を市が負担する形で、認知症の人が起こした事故による損害を補償する共通点を見出せる。

では、こうした事例と比べて、神戸モデルの何が特色と言えるのだろうか。以下、(1)高齢者全員を対象とした早期診断、(2)損害賠償保険と見舞金による補償範囲の広さ、(3)市民税均等割引き上げによる財源確保、(4)神戸市認知症の人にやさしいまちづくり条例(以下、認知症まちづくり条例と表記)による理念の明記、(5)当事者を含めた合意形成――の5点を論じる。
 

4――神戸モデルの特色

4――神戸モデルの特色

1高齢者全員を対象とした早期診断
神戸モデルの特色の1番目としては、65歳以上の全市民を対象に幅広く診断を実施している点である。認知症ケアでは認知症の人の生活状態を維持するため、専門職による早期介入の必要性が以前から論じられており、損害賠償保険制度と早期診断をセットにしている点が特色の一つである。
2損害賠償保険と見舞金制度による補償範囲の広さ
第2に、補償範囲の広さである3。認知症の人が起こした事故の損害賠償については、JR東海を巡る裁判が世間の耳目を集め、神戸市を含めた他の自治体が損害賠償保険制度を導入する契機となった。具体的には、90歳代の男性が線路内に入って亡くなった鉄道事故に関連し、JR東海が家族に対して約720万円の損害賠償を請求。最高裁で家族が逆転勝訴した裁判4であり、認知症の人が起こした事故の損害賠償をカバーするという点では、神戸モデルも他の先行自治体と同じ考え方に立っている。

ただ、神戸モデルの場合、全市民を対象とした手厚い見舞金(給付金)制度5も作っており、補償範囲が他の自治体と比べて手厚く広いと言える6
 
3 損害賠償保険制度の運営について、市は三井住友海上火災保険と契約している。
4 事故は2007年12月に発生し、裁判は2016年3月の最高裁判決まで続いた。裁判の経緯については、事故で亡くなった男性の遺族が記した高井隆一(2018)『認知症鉄道事故裁判』ブックマン社を参照。
5 大和市の制度でも偶然の事故で他人に怪我をさせ、結果として180日以内に死亡した場合、被害者に対して15万円の見舞費用が支払われる。
6 制度の詳細や法的な側面については、窪田充見(2019)「神戸市の『認知症の人による事故に関する救済制度』について」『法律時報』通巻1,135号を参照。
3市民税均等割引き上げによる財源確保
3番目として、施策の費用を賄うため、市民税均等割を引き上げることで、市民が負担と給付の関係を理解しやすい制度設計にしている。具体的には、2018年3月に施行された認知症まちづくり条例では認知症施策のために3年間、個人市民税均等割を年400円引き上げる方針に加え、▽引き上げた財源の使途を診断、事故費用などに限定、▽相当額を基金で区分管理――することが明記されている7

さらに税金の引き上げに際しては、所得に応じて課す応能性ではなく、均等割の引き上げによる応益性を重視し、平等に広く負担を求める形を採用した。

その点で言うと、負担と給付の関係が明確な社会保険料に近い制度設計になっており、市民にとっては「困ったときはお互い様」という連帯感を持ちつつ、負担と給付の関係性を意識しやすい構造になっている。
 
7 基金の根拠規定は「神戸市民の福祉をまもる条例」に定められている。
4認知症まちづくり条例による理念の明記
第4に、上記の政策の根拠として、認知症まちづくり条例を制定した点である8。基本理念として、「認知症の人の尊厳が保持され、意思が尊重され、社会参加を促進し、安全に安心して暮らし続けられるまちを目指す」「認知症の人とその家族のより良い生活を実現するために必要な支援を受けられ るよう、まち全体で支える」という2点を掲げ、市の責務や市民・事業者の役割を定めている。

こうした理念は認知症施策を進める上で重要である。例えば、損害賠償保険制制度は「認知症の人が社会のリスク要因なので、事故の費用を社会全体でカバーする」と受け止められかねない側面があり、これは認知症の人を「社会のお荷物」と見なす偏見を助長しかねない危うさと紙一重である。

しかし、認知症施策の理念を条例として定めることで、「認知症の人が起こす事故は本人や家族に責任を負わせられないため、その費用(保険料)を地域全体で負担する賠償制度が必要」という理念を強調できるようになっていると言える。
 
8 なお、愛知県大府市も2017年12月に「認知症に対する不安のないまちづくり推進条例」を制定している。
5当事者団体を含めた合意形成
第5に、施策を進める上で、関係者との合意形成を進めた点である。例えば、施策の検討委員会には当事者団体の関係者が加わっていたほか、市民税引き上げの是非を最終的に判断した市議会、第1段階の認知機能検診を担当する医療機関など幅広い関係者との合意形成が図られている。
 

5――神戸モデルの課題

5――神戸モデルの課題

最後に、神戸モデルの課題として、「当事者参画を含めた地域づくりの視点」「財政の安定性確保」の2点を指摘したい。第1の点については、認知症まちづくり条例の理念を少しずつ進めることであり、医療・介護事業者や民間企業、市民組織などとの連携も求められる。例えば、診断制度について言えば、2018年度までに全市町村で設置が義務付けられた「初期集中支援チーム」9との連携がスムーズに行けば、より効果的な早期介入が可能となるかもしれない。

第2に、財政の安定性確保も課題である。具体的には、認知症の人が起こした事故について全国的なデータが整備されていない中で、損害賠償や見舞金(給付金)の支出が予想よりも増えた場合、財源不足に見舞われる危険性がある。その一方、収入については民間の損害保険と異なり、税額を頻繁に変えるのは難しいため、財源不足に見舞われた際、税額の変更を含めて財政を今後どう運営していくのか、重要な課題となる。
 
9 初期集中支援チームは認知症の人やその家族に対して、早期診断・早期対応に向けた支援を実施することを目的とし、医師や看護師などの専門職で構成する。
 

6――おわりに

6――おわりに

いくつかの自治体において、早期診断の促進や行方不明時の捜索等と併せて、認知症の人の事故を補償する民間保険への加入を支援する取組が始まっている。これらの取組について事例を収集し、政策効果の分析を行う――。今年6月に政府が決定した認知症施策推進大綱では、こうした文言が盛り込まれた。ここで言う「いくつかの自治体」に神戸モデルは含まれていると考えられ、視察に訪れた大口善徳厚生労働省副大臣(当時)も全国拡大に期待感を示したという10。それだけ神戸モデルは先進的な事例であり、多くの示唆を含んでいる。

しかし、まだ制度は始まったばかりであり、本稿で挙げた課題をクリアしつつ、神戸モデルが一層、充実することを期待したい。
 
10 2019年5月21日『毎日新聞』『神戸新聞』を参照。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
     1995年4月~ 時事通信社
     2011年4月~ 東京財団研究員
     2017年10月~ ニッセイ基礎研究所
     2023年7月から現職

    【加入団体等】
    ・社会政策学会
    ・日本財政学会
    ・日本地方財政学会
    ・自治体学会
    ・日本ケアマネジメント学会

    【講演等】
    ・経団連、経済同友会、日本商工会議所、財政制度等審議会、日本医師会、連合など多数
    ・藤田医科大学を中心とする厚生労働省の市町村人材育成プログラムの講師(2020年度~)

    【主な著書・寄稿など】
    ・『必携自治体職員ハンドブック』公職研(2021年5月、共著)
    ・『地域医療は再生するか』医薬経済社(2020年11月)
    ・『医薬経済』に『現場が望む社会保障制度』を連載中(毎月)
    ・「障害者政策の変容と差別解消法の意義」「合理的配慮の考え方と決定過程」日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク編『トピック別 聴覚障害学生支援ガイド』(2017年3月、共著)
    ・「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策』(通巻第20号、2015年7月)ほか多数

(2019年10月23日「保険・年金フォーカス」)

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