2019年03月05日

ブレグジットはどうなるか?-日本経済・企業にとっての英国EU離脱のリスクは何か

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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(2)課題-時間の制約、分断深めるリスク
仮に、労働党の修正動議が通り、メイ首相の協定案の承認を国民投票に委ねる場合には、3カ月の期限の延期では時間が足りない。国民投票の法整備には最低でも21週間が必要とされており14、メイ首相が、代替的な選択肢としている6月末まで(13週間)の延期では足りない。

6月末を超える期限の延長を行う場合の欧州議会選挙への対応について、再国民投票のキャンペーンを展開する「People’s Vote」の再国民投票への道筋を示した文書で15、19年5月の欧州議会選挙への対応については、1) 再国民投票で速やかに合意し、関連法を整備して、欧州議会選挙よりも前、あるいは議会選と同日に実施する、2) 政府が再国民投票を6月ないし7月初に行なうため、欧州議会選挙の実施を延期することを申し入れ、離脱撤回が支持された場合には、欧州議会選挙を行う、3) 英国も5月23~26日の期間に欧州議会選挙を行い、離脱が支持されれば、英国の欧州議会議員は撤退する、などの解決策があるとしている。

再国民投票を行うとすれば、どのような選択肢、制度で行うかの合意も必要になる。選択肢を2択にするのか、3択にするのか、まず残留か離脱かを問い、離脱が選ばれたらメイ首相の協定か、合意なき離脱かを問う二回投票制にするかなど、専門家の間でも意見は分かれる16

世論調査は、再国民投票では、推進派が望む「離脱撤回」という結果が得られる可能性が高いと示唆するが、16年の国民投票の時も「残留」多数という予想が大勢だったことを思えば、確実とは言えない。

メイ首相の合意案によってEU離脱の条件が明らかになった今こそ改めて民意を問うべきというのが再国民投票派の主張だが、強硬離脱派は、1項で紹介した通り、メイ首相の合意案が悪いのは交渉の仕方が悪いのであり、「合意なき離脱」も辞さない構えを崩していない。

強硬離脱派は、「再国民投票で離脱の決定を覆せば社会不安が起きる」と警鐘を鳴らす。離脱によるベネフィットを得ようとすれば、コストも伴うことを説明せず、離脱が上手く進まなかった責任を転嫁するような言動に終始すれば、再国民投票は問題の解決策とはならない。18年12月のレポートでも触れた通り、分断を深めるだけに終るだろう。

英国では、2016年の国民投票や2015年のスコットランド住民投票を含む国内外の過去の事例を分析した上で、公平性と透明性を確保する方法、キャンペーンのルールなどの提言もまとめられている17。仮に再国民投票に進むのであれば、こうした成果が生かされることを期待したい。
 
14 “How would a second referendum on Brexit happen” Institute for Government Explainers, December 21, 2018 (https://www.instituteforgovernment.org.uk/explainers/second-referendum-brexit)
15 People’s Vote (2019)
16 Sargeant, Renwick, and Russell(2019)
17 Independent Commission on Referendums(2018)
3|合理あり離脱
(1)実現可能性-最も高い
3つの選択肢のうち、最も可能性が高いのは、1月15日に賛成202票対反対432票という大差で否決された離脱協定と政治合意が修正の上、承認される可能性だ。図表2の世論調査でも、「離脱協定に賛成し合意あり離脱をする」は、僅差で「合意なき離脱」に次ぐ支持を集めている。

下院の承認を得るために必要な修正は「アイルランドの厳格な国境管理を回避する安全策の代替案への置き換え」に絞られている。強硬離脱派は、アイルランドの国境の安全策が、離脱後も英国を恒久的にEUの関税同盟に留め、北アイルランドと英国の他の地域との規制の乖離を生じさせるリスクを批判し、安全策に期限を設けるか、英国の一方的な撤回の権限が法的に保証されることを望んでいる。1月29日の下院で「代替案に置き換えられれば離脱協定を支持する」との動議が、賛成318票対反対310票で承認されている。1月15日の採決でメイ首相の協定に反対票を投じた強硬離脱が提示した条件であり、政権協力するアイルランドの地域政党・民主統一党(DUP)の支持も、代替案についてメイ首相がEUから譲歩を引き出せるかに掛かっている。仮に、強硬離脱派のすべてが賛成しなくても、秩序立った離脱を優先すべきとの立場を採る労働党の議員にある程度賛成の動きが広がれば、可決は可能だ。

しかし、EUも、メイ首相の協定に基づく離脱を望んでいるが、離脱協定の再協議には応じない構えを崩す気配はない。

そもそも、安全策は、様々な代替案を検討した上で、現在の形に落ち着いた。

しかも、安全策は、離脱協定が発効した場合、2020年末の移行期間終了までに、「厳格な国境管理の回避」の方策が見つかっていない場合に発動されるものだ。期限を設定したり、一方的な撤回を認めたりすれば、もはや安全策ではなくなる。しかも、「将来の関係」の協議が難航した場合には「1回限り、移行期間の1~2年間の延長18」という選択肢もある。

強硬離脱派が、安全策を理由に協定に反対、「合意なき離脱」を辞さない立場を採ることには大いなる矛盾がある。「合意なき離脱」は、「厳格な国境管理の回避」という課題の解決策にならないからだ。

そもそも、現在の離脱協定でも、アイルランドの国境の安全策の時限性は強調されている。メイ首相の強い要請に応じて、EU側が、英国議会の承認を促すために、法的拘束力のある付属文書を付け加える譲歩に応じると報道されているが、本質が変わる訳ではない。

採決を前に、英国からは閣僚らがブリュッセルを訪問して、EUと交渉し、交渉の成果をコックス司法長官ら法律の専門家が判断する手続きを踏むと伝えられている。

例え、内容が本質的に変わらないとしても、1) 法律の専門家の判断という裏付けを得た付属文書を得ることで、EUから譲歩を引き出したと主張できること、2) 否決すれば、離脱延期や、決定が国民投票に委ねられ、離脱の決定が覆され兼ねないという「消去法的な選択」で、多数の強硬離脱派や、混乱が今まで以上に長期化することを嫌う労働党議員が、修正協定案の支持に回る可能性は高まってきている。
(2)課題-EUとの複雑な交渉
強硬離脱派の妥協や労働党議員の一部の賛成を得て3月12日までに修正協定案が可決されたとしても、離脱期限は、協定の承認が当初の予定よりも3カ月遅れた19ことで、関連する法整備のための短期の延長が必要となる可能性は濃厚だ。

そもそもEU離脱は、EUとの将来関係についての複雑な交渉の出発点に過ぎない。「合意あり離脱」が、期日ないし期限延期後の6月末までに実現しても、その後も、EU離脱に関わる先行き不透明な状態が年単位で続く見通しだ。

「合意あり離脱」の場合、少なくとも20年末までは、激変緩和のために現状を維持する移行期間に入る。しかし、移行期間は、アイルランド国境の厳格な管理の回避策も含めた「将来の関係」の協定をまとめるための時間だ。離脱期限が延期されても、離脱協定上の移行期間の終了時期は20年末のままだろう。離脱協定の承認が遅れたことで、将来の関係のための協議に費やす時間は短くなる。

先述の通り、移行期間は、1回限り、1~2年の延長も可能だが、その決定の期限は20年7月1日に到来する。今から1年余りのうちに「合意ありか、なしか」、「延期ありか、なしか」という現在と同じような議論が再び熱を帯びることになりそうだ。

移行期間の延期の場合には、EUとの拠出金の問題も浮上する。移行期間中は、EUに拠出金を払うことになっており、20年末までは、現行の2014~20年のEUの多年次予算枠組みで約束した金額を支払うことで合意している。しかし、21年以降は、新しい多年次予算枠組みに移行するため、英国の拠出金のベンチマークはない。移行期間の延長は、EU予算への新たな拠出を巡る協議を必要とし、EUからのコントロールの奪還はさらに遅れ、離脱派の不満を募らせる要因となり得る。
 
19 協定案の採決は当初12月11日に予定されていた。
 

3――日本経済・日本企業にとってのリスク

3――日本経済・日本企業にとってのリスク

1|注目を集める日本企業の動き
離脱戦略の迷走が続く英国では日本企業の対応への関心も高まっている。

筆者のロンドン滞在中、2月18日から19日にかけて、英メディアは、ホンダが2021年中にスウィンドン工場での生産を終了20するという発表を、労働党議員の離党とともにトップで伝えていた。ホンダの生産停止は、従業員は約3500人だけでなく、サプライ・チェーンで直接結びつく子会社や協力会社も含めると、潜在的には7000人ほどの雇用に影響を及ぼすとされている。2月3日には、日産自動車が、欧州向け次期型「エクストレイル」は、同モデルのグローバルな生産拠点である九州工場で生産することを発表、16年に発表した英国サンダーランド工場での生産計画の撤回21>に続く形となった。ホンダや日産自動車の決定は、英国のEU離脱が主因ではなく、グローバルな生産体制の最適化のための判断に基づく。日本とEUの経済連携協定(EPA)の発効で、2027年には日本国内で生産した乗用車の関税がゼロに引き下げられることも影響している。それでも、EU離脱は、製造業、そして離脱を強く支持した製造業を基盤とする地域に打撃が大きいとの懸念を裏付ける材料としてクローズアップされやすい。
 
20 2019年02月19日付ニュースリリース「グローバル四輪車生産体制の進化について」(https://www.honda.co.jp/news/2019/c190219b.html
21 2019年02月3日付ニュースリリース「英国における次期型「エクストレイル」の生産について」(https://newsroom.nissan-global.com/releases/release-41181d20da4d17b77ed88d70080b88aa-190203-01-j?lang=ja-JP
2|日本にとっての欧州・英国
日本の貿易相手国、あるいは製造業企業の事業活動にとっては、北米とアジアが2大市場であり、欧州は第3の市場という位置づけだ。外務省の集計によれば22、国外で展開する日本企業の拠点数(現地法人と支店・事務所等の合計)で見ても、アジアの5万2860拠点(うち中国に3万2349拠点)、北米の9417拠点(うち米国に8,606拠点)に対して、欧州は中東欧と旧ソ連を合わせて7446拠点である。

欧州では、英国に986拠点があり、ドイツの1814拠点に続く。在英国の日本企業の拠点は、製造業の358拠点のほか、卸売業・小売業の125拠点、金融業・保険業の83拠点など幅広い業種にわたる。

うち、在英国の製造業は、3月の「合意なき離脱」による物流の混乱や関税・通関手続き復活などに備えた在庫の積み増しなどの対応を迫られてきたが、方針があいまいなままの短期の延期で「合意なき離脱」の選択肢が排除されないということになれば、再度、対応を講じる必要に迫られる。「合意あり離脱」でも、EUとの将来の関係についての協議の進展に合わせて対応をして行く必要がある。英国とEUの関税や通関手続き、規制の乖離が実際にどのタイミングで生じるのかなど先行き不透明な状態は続く。

金融業の場合は、英国が早くからEU圏内で自由にサービスを提供できる「単一パスポート」の圏外に去る方針を表明してきたことに対応して、すでにEU圏内に拠点の新設や増強をし、EU圏内の顧客との契約の移転などに着手している。「合意なき離脱」であれば、業務や人員配置、契約の移転などの対策を前倒しすることになる。「合意あり離脱」の場合には、移行期間も利用して、英国とEUとの協議、特にEU側の規制の対応に沿って、必要な業務の移管を進めることになるようだ。

日系企業は、国際金融センター・ロンドンを中心に、法律や会計、人材など専門的なサービス業が集積している英国を、欧州の情報収集拠点としても活用してきた。この点でも、英国がEUを離脱すれば、少なくとも欧州の情報収集、とりわけEUの規制改革動向の把握のためにEU圏内を厚くする必要に迫られそうだ。
 
22 外務省領事局政策課海外在留邦人数調査統計平成30年要約版による(https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000368754.pdf
3|日本経済・企業にとってのブレグジット
英国のEU離脱には、英国やEUで活動する企業は、事業の内容に応じて対応を迫られることになるが、日本経済全体への影響は、欧州は、米国、アジアに次ぐ第3の市場であることから、世界的な金融システム危機を引き起こすようなことがない限り、限定的だろう。

英国のEU離脱が、金融システム危機を引き起こすことは、今後、離脱がどのような経路を辿ったとしても回避されるだろう。金融業は、先行して「合意なき離脱」も含めた対応を求められ、中央銀行のイングランド銀行(BOE)が厳しいシナリオに基づく銀行のストレス・テストを実施している。EU側も、「合意なき離脱」の場合、金融システムの安定維持に必要な措置は、限定的、時限的に講じる準備をしている23

英国がEU離脱か残留かを問う国民投票を決めてからの3年余り、この問題をフォローしてきて、ブレグジットが、日本への影響は日本企業の欧州市場への戦略に関わるものになるという思いを深めている。

自動車産業に限らず、グローバルな競争は激化しており、新たな技術の対応や研究開発投資の増大、規制への適合などを迫られており、生産体制の最適化への厳しい判断を常に求められている。国民投票で離脱を選択してから2年8カ月にわたる事業環境の先行きに対する視界不良が、「合意あり離脱」という穏当なプロセスを辿った場合を想定しても、これからまだ数年単位で続く英国は、拠点再編の対象となりやすい。

日本企業は、英語を母語とし、親ビジネス的な環境を形成する英国を、多様で複雑な欧州におけるビジネスのゲートウェイとして活用してきた。ブレグジットによって、英国とEUにそれぞれの拠点を置くことを迫られれば、欧州ビジネスのコストは増加するが、それに見合う収益の増加は約束されていない。

日本経済・企業にとってのブレグジットのリスクは、北米、アジアに次ぐ第3の市場である欧州が、ますます遠くなることではないだろうか。
 
23 European Commission, “Brexit: European Commission implements “no-deal” Contingency Action Plan in specific sectors”, 19 December 2018(http://europa.eu/rapid/press-release_IP-18

<参考文献>
 
・伊藤さゆり(2018a)「世界金融危機とユーロ危機」(須網隆夫+21世紀政策研究所〔編〕「英国のEU離脱とEUの未来」第3章、日本評論社

・伊藤さゆり(2018b)「ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢」ニッセイ基礎研レポート2018-12-27(https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=60467?site=nli

・HM Government (2019), Implications for Business and Trade of a No Deal Exit on 29 March 2019 (https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/781768/Implications_for_Business_and_Trade_of_a_No_Deal_Exit_on_29_March_2019.pdf 26 February 2019)

・Independent Commission on Referendums(2018)“Report of the Independent Commission on Referendums”July 2018(https://www.ucl.ac.uk/constitution-unit/sites/constitution-unit/files/182_-_independent_commission_on_referendums.pdf)

・People’s Vote (2019) “Roadmap to a People’s Vote: The Route Opens Up”, January 2019(https://d3n8a8pro7vhmx.cloudfront.net/in/pages/17059/attachments/original/1546957735/PVRoadmap_v2_final.pdf?1546957735)

・Sargeant, Renwick, and Russell(2019), “If there’s a second referendum on Brexit, what question should be put to voters?”, UCL The Constitution Unit blog, September 13, 2018 (https://constitution-unit.com/2018/09/13/if-theres-a-second-referendum-on-brexit-what-question-should-might-be-put-to-voters/#more-7039)
 
 

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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

(2019年03月05日「基礎研レター」)

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