2019年03月05日

ブレグジットはどうなるか?-日本経済・企業にとっての英国EU離脱のリスクは何か

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

このレポートの関連カテゴリ

文字サイズ

1――はじめに

英国の欧州連合(EU)離脱の期日である3月29日23時(英国時間)が近づいている。

「有力なシナリオがない」状況は、前回、英離脱についてレポートをまとめた18年12月末時点と変わりがないが、英国議会下院では、1月15日のメイ首相の離脱協定案否決以降、複数の議員提出の動議の採決などが行われたことで、確認できたこともある。
図表1 離脱協定否決後の英国議会下院の動き
本稿執筆時点では、3月12日までにメイ首相の離脱協定の修正案の採決が行われる予定だ。ブレグジットを巡るスケジュールは、これまでも再三修正されており、極めて流動的だ。それでも、離脱を延期する場合には、離脱手続きを定めたEU条約第50条の3項の規定1に従い、EU27カ国の全会一致の承認を必要とすることから、3月20~21日に予定される定例のEU首脳会議に焦点を合わせる必要がある。今後の2週間で、離脱期日とその後に何が起こるか形となってくる。

英国は果たしてどのような形でEUを離脱するのか、それともしないのか。日本経済・企業にとってのリスクは何か。ロンドン・ブリュッセル出張(2月17日~22日)で得た印象を交えて、現時点での見方をまとめた。  

2――3つのシナリオの実現の可能性と課題

2――3つのシナリオの実現の可能性と課題

18年12月のレポート2では、メイ首相の協定案に基づく「合意あり離脱」の他に、「合意なき離脱(ノー・ディール)」、メイ首相の合意よりも「ソフトな離脱(ノルウェー・プラス)」、「EU離脱の撤回(ノー・ブレグジット)」の選択肢について検討した。

ここにきて、離脱期日での「合意なき離脱」の選択肢は一旦封印され、「ソフトな離脱」の選択肢も消えた。離脱期限の延期は不可避な情勢だ。離脱撤回につながる「再国民投票」は、野党・労働党が動議を提出する見通しとなるなど、以前よりも現実味を帯びているが、可能性が高いとは言えない。消去法的に最も可能性が高いのはメイ首相の協定案に基づく「合意あり離脱」である。

そこで、以下では、「合意なき離脱」、大きな方向転換となる「再国民投票」、これまでの路線の延長上にある「合意あり離脱」という3つのシナリオの実現可能性とその背景、問題点について整理する。
 
2 伊藤(2018b)
1|合意なき離脱
(1)実現可能性-いったん封印
離脱期日の「合意なき離脱」の選択肢は一旦封印された。2月26日に、メイ首相が、1) 3月12日までに離脱協定の修正案の採決を行う、2) 12日までに修正協定案が可決されていない場合には、13日までに「合意なき離脱」の是非を問う採決を行う、3) 下院が「合意なき離脱」を拒否した場合、14日に短期間の離脱延期の是非を問い、承認された場合には、EUに期限延期への同意を求め、必要な法整備を行う方針3を示したからだ。

この方針によって、12日までの下院の修正協定案の採決の結果は不透明ながら、仮に否決しても、「合意なき離脱」にはならず、期限延期となることがほぼ確定した。「合意なき離脱」が下院の賛成多数を得られないことは、既に、1月29日の保守党のスペルマン議員ら超党派による「合意なき離脱を拒否する」動議が賛成318票対反対310票で承認されたことで確認されている。メイ首相が26日に示した方針は、もともと労働党のクーパー議員ら超党派が準備していた動議に沿うものだ。2月27日の下院は、この動議を賛成502対反対20の大差で承認している。この動議に反対したのは20名の保守党議員、他に80人が棄権した。

この採決の結果が示すのは、「離脱延期」という選択肢は封印すべきであり、「合意なき離脱」も辞さない強硬な立場を採る議員は、650人の下院議員のうちの少数派であることだ。
(2)課題-EU懐疑主義を背景とする根強い支持
「合意なき離脱」の封印は、あくまでも「一時的」なものだ。メイ首相が方針を表明した26日の答弁で、離脱期限の延期は、5月23~26日に予定する欧州議会選挙後の新会期が7月2日に始まることから、延期は「6月末までの短期、1回限り」としている。

メイ首相は下院の答弁で、「合意なき離脱」を完全に封印するには、離脱協定を承認し「合意あり離脱」するか、「離脱撤回」が必要だが、「離脱撤回」は16年の国民投票で示された民意を裏切ることになるため、「すべきでない」と繰り返し強調した。再国民投票への動きを牽制する一方、強硬離脱派に支持を迫っている訳だ。

ビジネス界の強い反対にも関わらず、強硬離脱派が「合意なき離脱」の選択肢を手放さないのは、対EUでの交渉上の切り札になると考えているからばかりでなく、離脱を支持した有権者が望んでいるからでもある。

例えば、メイ首相が示した3月12日からの一連の採決のスケジュールを示した上で、「議員はどのように投票すべきか」を尋ねた世論調査でも、「合意なき離脱」を支持する割合は最も高い(図表2)。国民投票で離脱に票を投じた有権者の間では、保守党支持の離脱支持者の場合は41%が「合意なき離脱」を支持する。離脱を支持した有権者は、「合意なき離脱」の悪影響は誇張され過ぎている、あるいは、EUに圧力をかければ「より良い合意」を引き出すことができるので、「合意なき離脱」の選択肢を排除すべきではないと考えている。合意なき離脱が、英国に深刻な打撃を及ぼしかねないことや、英国が移民制限を断念するなどの方針転換をしない限り、EUが再交渉に応じるつもりがないという真実は伝わっていない。
図表2 世論調査:3月12日からの下院採決に議員はどう投票すべきか
EU離脱を巡る真実が伝わり難いのは、何十年にもわたって英国の政治家がEUを非難してきた蓄積があるからだろう4。さらに離脱派のキャンペーンでの「いいとこどり」のスローガン、さらに、離脱協議にあたってメイ首相も用いてきた「悪い合意よりも合意なしの方がまし(No Deal is better than a bad deal)」というわかりやすいフレーズも浸透している5

強硬離脱派は、メイ首相の合意では16年の国民投票での公約だった「コントロールを取り戻す」ことが出来ないと批判するが、それは、製造業のサプライ・チェーンの寸断や、アイルランド紛争再燃のリスクなど多大な犠牲を払うことを回避するために妥協が必要だったからだ。

現在、英国が陥っている混乱の根本の問題は、離脱派が国民投票で、大きなコストを払わなければ、実現できない公約が、あたかも容易に実現できるかのように訴えたことにある。

2月27日になって、英国政府は、「合意なき離脱」の影響評価に関するわずか12ページの文書を公表し、「政府は18年9月から特に12月以降、合意なき離脱の準備を加速」しているが「政府が一方的に悪影響を緩和するには残り時間が少ない」として、政府の対応が十分進んでいないことを暗に認め、「企業や個人が対応を怠れば影響は増幅する」と結論付けている6

EUからコントロールを取り戻すことが、コストを伴わずに実現できると訴え、その事実を認めない離脱推進派は無責任だが、「合意なき離脱」のリスクを管理しきれていない政府が、混乱が生じれば企業や個人の対応不足のせいとするのも無責任だ。仮に、合意なき離脱を選ぶとしても、混乱を最小限に抑えるための法整備は必要であり、合意なき離脱でも期日通りに実現するのは難しいというのが現実だ7

「合意なき離脱」の可能性は3つのシナリオで最も低くあるべきであり、そうあるだろうと思っている。
 
4 英国がEU離脱を選んだ背景については伊藤(2018a)p.65参照。なお、筆者がブリュッセルで参加したセミナーでは、あるEUの高官が、英国が現在陥っている難局を「英国のEU懐疑派は長年にわたってEUを批判してきたツケを払わされている」と表現した
5 伊藤 (2018b)p.10
6 HM Government (2019)
7 英シンクタンクCentre for European Reform( CRR)のDirectorのCharles Grant氏やInstitute for GovernmentのSenior ResearcherのTim Durrant氏などが指摘している。
2再国民投票
(1)実現可能性-上がっている
再国民投票の可能性は高いとは言えないが、昨年12月20日に示された欧州司法裁判所(ECJ)の「一方的な離脱通知撤回を可能」とする判断8、1月16日のメイ政権の不信任案否決、2月27日の下院の採決を経て、徐々に現実味を帯びるようになってきた。

最大野党の労働党は、離脱戦略を巡って与党・保守党以上に分裂してきたが、2月27日にコービン党首は、「保守党の有害な協定案による離脱や破滅的な合意なき離脱を阻止するため、人々の投票(a public vote)を支持する」声明文を出した9

この局面での労働党の方針転換には2つの背景がある。1つは、優先的な選択肢としてきた総選挙による政権交代と「ソフトな離脱」への軌道修正という選択肢が、共に下院で否決され、封じられた結果だ。1月16日にはメイ政権の不信任案が賛成306対反対325で否決されている。2月27日には、コービン党首が提出した「恒久的で包括的な関税同盟残留、単一市場との緊密な調和などを確保するためにEUに将来の関係の政治合意の修正を交渉する」ソフトな離脱案も賛成240対反対323で否決された。

方針転換のもう1つの背景は、2月18日以降、国民投票を支持しない等10の党の方針を批判した合計9名の労働党議員の離党がある。離党した9名のうち8名の議員は、「合意なき離脱」を排除しない党方針を批判して保守党を離党した3名の議員とともに、「独立グループ(TIG)」を形成している。11人という規模は、保守党の314議席、労働党の245議席には大きく及ばないが、スコットランド民族党(SNP)の35議席に続き、自由民主党(LDP)と並ぶ。調査会社・ユーガブが2月22~23日に行った「TIGが次期総選挙で候補者を擁立したケースを想定した」支持率の調査11ではTIGは18%で、保守党36%、労働党23%との差が縮まる。特に労働党とLDP から支持者を奪っている。下院議員は単純小選挙区制で選出されるため、二大政党以外の政党の議席獲得数は世論調査での支持率よりも抑えられる傾向にある。世論調査も、調査会社・オピニアムが2月28日~3月1日に行った調査12では、TIGの支持は5%で、保守党37%、労働党33%と大きく差がついており、影響を受けているのはむしろ保守党だ。このようにTIGの評価はまだ定まらないが、労働党が、国民投票支持派の離党のドミノのリスクに危機意識を高める役割は果たしたことは間違いないだろう。

本稿執筆時点では、労働党が、メイ首相の協定案に最終的な判断を国民投票に委ねるという条件で賛成する修正動議を提出する準備を進めているようだ13。仮に、「メイ首相の協定の受け入れか離脱撤回か」という国民投票があれば、離脱撤回となる可能性は高そうだ。オピニアムのメイ首相の協定に基づく離脱か残留かを問う国民投票を想定した世論調査では、「残留」が46%で「メイ首相の協定による離脱」の36%をリードする。ただ、図表2の世論調査では「離脱撤回」は、「合意なき離脱」、「合意あり離脱」と並ぶ支持を得ているが、「国民投票を条件とする離脱協定の賛成」は、わかりにくいためか、あまり支持を得ていない。

再国民投票の実現可能性は現時点では高くはない。現時点では、労働党の動議が議会の過半数を得られる目処が立っていないからだ。現在の議会下院の構成(図表3)では、労働党が再国民投票の動議で一致し、その他の野党が賛同しても、保守党とDUPが反対すれば、過半数に届かない。実際には、労働党からも反対票が投じられる見通しであり、それを超える保守党からの賛成が必要になってくる。しかし、現時点では、保守党内での再国民投票支持への目立った動きはない。強硬離脱派は、当然「合意なき離脱」という選択肢を除外する国民投票には反対するだろうし、メイ首相は、国益最優先の判断が求められるが、保守党の分裂につながるような選択はしそうにない。
図表3 英国議会下院の構成
 
8 伊藤 (2018b)p.8
9 https://labour.org.uk/press/jeremy-corbyn-responds-tonights-brexit-votes/。なお、コービン党首はa public voteという用語を用いたが、再国民投票の議論では、前回の国民投票で用いられたreferendumではなく、people’s voteと表現されることも多い。
10 反ユダヤ主義や急進左派への傾斜も離党の理由として挙げている。
11 YouGov / Times Survey Results, Fieldwork: 22nd - 23rd February 2019(https://d25d2506sfb94s.cloudfront.net/cumulus_uploads/document/tz1pyhcbhb/TheTimes_190224_VI_Trackers_w.pdf
12 Opinium / Observer, “Political Polling, 26th February 2019”(https://www.opinium.co.uk/political-polling-26th-february-2019/
13 Rutter, Jill, “There are still big questions about a Second Brexit Referendum”, Institute for Government Comment,1  March 2019 (https://www.instituteforgovernment.org.uk/blog/there-are-still-big-questions-about-second-brexit-referendum)
Xでシェアする Facebookでシェアする

このレポートの関連カテゴリ

経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【ブレグジットはどうなるか?-日本経済・企業にとっての英国EU離脱のリスクは何か】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

ブレグジットはどうなるか?-日本経済・企業にとっての英国EU離脱のリスクは何かのレポート Topへ