コラム
2019年02月04日

オフィス全面禁煙のコンプライ・オア・エクスプレイン-健康経営から全面禁煙を考える

江木 聡

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東京都が受動喫煙防止条例を制定するなど喫煙に対する世間の風当たりは強まる一方である。事業所においては健康経営1に対する関心の高まりもあって、喫煙ルームを撤去し全面禁煙に踏み切る企業も増えている。タバコとは無縁で受動喫煙を危惧している筆者としては、禁煙強化の流れを個人的に大いに歓迎している。しかし、事業所の全面禁煙を健康経営の推進として捉えたとき、本当に望ましい施策なのか一度よく考えてみる必要があるのではないかと感じている。
 
タバコを吸う人で健康への害を知らない人がいるだろうか。タバコを吸うたびに手にするタバコの箱にはタバコの害がこれでもかと言うほど注意喚起されている。今タバコを吸っている人はおよそタバコの害を理解した上で吸っているのだ。実際、タバコを吸う医師も少なくない。タバコを吸う人にとって、タバコは百害あってもその個人の文脈では一理があるということだろう。一理とは例えば、嗜好に対する自己決定、意図的な休息の機会やストレスの解消、喫煙によって実際にがんを発症するかは遺伝子や体質など個体差の影響も大きいという主張、「日本人男性の肺がんの約4割を占める扁平上皮がんは喫煙との関連は強いが、日本で最も発生頻度が高く全体の約6割を占める腺がんは喫煙以外の原因との関連が強い」(国立がん研究センター)2という研究など様々であろう。
 
オフィスの全面禁煙に際し注意が必要なのは、タバコを吸うという行為が、置かれた職場環境、人間関係やストレス等とバランスをとるためにその人にとって欠かせない手段である場合、その職場環境等を変えずにタバコだけ取り上げてしまうと、ストレスを高めてバランスを失う場合があるかもしれないということである。従業員の生産性向上を狙うという健康経営の立場からは、必ずしも全面禁煙が望ましいとは言い切れないと考える。
 
オフォスの全面禁煙は、タバコを「やめたい」と考えている人にとっては、やめる良いきっかけになる(図表1)。一方、「やめたくない」、「本数を減らしたい」という人にとっては厳しい職場環境を強いられることになる。全面禁煙によって「やめたくない」人がタバコをやめる訳ではなく、場所や時間をかえて吸い続ければ、会社の狙いの一つである従業員の健康度の向上は達成されない。
【図表1】 喫煙の意思
健康管理上、タバコはやめた方が良いことに議論の余地はないだろう。健康経営の観点でも、事業所の全面禁煙は象徴的であり、対外的にも取組み姿勢のアピールとしてわかり易い。しかし、健康経営における現実的なあるべき姿(ゴール)とは、果たしてすべての従業員がタバコをやめることなのだろうか。図表1の現実を踏まえれば、禁煙が望ましいことを推奨しながらも、選択の余地を認めるべきではないか。喫煙ルームを完備し、吸い終わった後の「呼出煙」抑制に配慮した行動を喫煙者に要請するなど、職場の受動喫煙の問題も適切な対応は可能なはずだ。健康経営は経営の一手法であるから、医師による健康管理の視点だけでなく、個人の自己決定に対する尊重や、受動喫煙という物理的環境にとどまらない、望ましい職場の心理状況の形成を含めて、経営の幅広い視点から意思決定する必要があると考える。
 
そこで、禁煙を推進しながらも選択の余地を認める一つの手法として、コーポレートガバナンス・コードの「コンプライ・オア・エクスプレイン」という手法を活用することを提案したい。コンプライ・オア・エクスプレインとは、従うべき行動やベストプラクティスを示しながらも、個々の事情に照らして従う(コンプライ)ことが適切でないと考えれば、「従わない理由」を説明(エクスプレイン)することによって、従わない選択を許容する手法である。つまり、個々の事情が異なる事柄に対してはその事情を尊重しながら、全体としては時間を掛けて望ましい方向に持っていく進め方の知恵である。健康を対象にしても、従業員個人によって思想や考え方、生活習慣、体質、遺伝子が皆違っているのだから、この手法は適用できる。
 
会社は従業員に対し、まず禁煙が原則望ましいことを示した上で、禁煙が難しいという人には喫煙ルームを活用してもらうと同時に、禁煙が難しい事情を説明してもらう。事情の確認が形を変えた禁煙の強制にならないよう、ラインの上位者や人事部ではなく、例えば産業保健スタッフに面談してもらうやり方もあるだろう。従業員は、頭ごなしではない丁寧な会社の対応に信頼感を高めるという効果も期待できる。確認されたタバコを吸う事情に、会社で働くことに起因する内容があれば、会社は介入して解決を図るのである。その結果、従業員に強制することなく、禁煙に誘導していくことができるケースも出てくるであろう。あくまでタバコを吸うという自己決定を貫く人にはその選択肢を認めることが必要ではないだろうか。健康経営における健康とは従業員のものだから、会社はそれに直接介入することは難しいが、会社環境を望ましい形に整備することで各人の健康度を向上させる方向付けはできる。タバコをやめる理由も人それぞれであり、そのタイミングがいつ訪れるかも人それぞれだろう。会社は個人の意思を尊重しながら、タバコをやめたいと思ったときにいつでもサポートできる準備をしておくのである。会社がこのような取組みを継続すれば、タバコを吸い続けると決めていた人の気持ちを動かしていくかもしれない。タバコを吸わない筆者が、タバコをテーマとして会社に望む健康経営とはこのような姿である。

健康は個人差が大きいので、そもそも一律の施策は効果が薄く、健康経営は個に合わせる取組みが理想である。例えば、産業医による全従業員の面接などが好取組として挙げられる。しかし、資源の制約から一定の限界もあるだろう。従って、次善の策として選択肢を示すことで一律の施策の弊害を抑制してはどうか。

健康経営は経営の一手法である。事業所の全面禁煙は、健康すなわち禁煙という健康管理の単純な視点からだけでなく、事業所の物理的・心理的環境の整備といった幅広い経営の視点から検討することが望ましいと考える。健康は従業員自身のものであり、健康経営の施策は従業員に選択肢を与えることを基本とすべきではないだろうか。
 
1 「健康経営」は、特定非営利活動法人健康経営研究会の登録商標。
2 「科学的根拠に基づくがんリスク評価とがん予防ガイドライン提言に関する研究」(2006) 国立がん研究センター 社会と健康研究センター https://epi.ncc.go.jp/can_prev/evaluation/783.html
 
 

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江木 聡

研究・専門分野

(2019年02月04日「研究員の眼」)

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