2018年12月27日

ノー・ブレグジット(離脱撤回)という選択肢-経済合理性はあるが、分断は解消しないおそれ-

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1――はじめに-未だ不透明な離脱の道筋、将来の関係-

英国時間2019年3月29日23時(中央ヨーロッパ時間2019年3月30日0時、日本時間30日午前8時)の英国の欧州連合(EU)離脱まで残すところ90日余りとなった。

しかし、英国が、どのような経路で離脱するのかも、EUとどのような関係を築くのかも決まらないまま2018年は終わろうとしている。

11月25日のEU首脳会議で「離脱協定1」と「将来の関係の政治合意(以下、政治合意)2」が正式に承認されたが、英国議会下院での採決は、大差の否決を回避するためのメイ首相の判断で、当初予定されていた12月11日から年明け後に延期されたからだ。

英国議会下院は、クリスマスと年初の休会が開けた1月7日に離脱協定の審議を再開、14日の週に採決を行う予定だ(図表1)。英国の離脱法が1月21日を交渉の決裂や合意なしを判断する期限としているため再延期は難しい。

メイ首相がEUとの17カ月にわたる協議の末にまとめた「離脱協定」と「政治合意」は、英国以外の27のEU加盟国の全会一致を必要とする「離脱期限の延長」をしない前提に立つ限り、秩序立った離脱を確実に実現する唯一の選択肢だ。

議会には「合意なき離脱(ノー・ディール)は回避すべき」とのコンセンサスがある。それでも、ノー・ディールにつながりかねない協定案への不支持が多数を占めるムードに変化の兆しはない。

以下では、そもそも、なぜメイ首相の協定案は支持されないのか、仮に英国議会下院が協定案を否決した場合に浮上する選択肢の実現可能性や問題点、さらに世論調査の結果などから、離脱選択から2年半が経過した英国の現状を考察する。
図表1 英国のEU離脱手続きのこれまでの流れと離脱期限までのスケジュール
 
1 Agreement on the withdrawal of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland from the European Union and the European Atomic Energy Community, as endorsed by leaders at a special meeting of the European Council on 25 November 2018(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/759019/25_November_Agreement_on_the_withdrawal_of_the_United_Kingdom_of_Great_Britain_and_Northern_Ireland_from_the_European_Union_and_the_European_Atomic_Energy_Community.pdf
2 POLITICAL DECLARATION SETTING OUT THE FRAMEWORK FOR THE FUTURE RELATIONSHIP BETWEEN THE EUROPEAN UNION AND THE UNITED KINGDOM(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/759021/25_November_Political_Declaration_setting_out_the_framework_for_the_future_relationship_between_the_European_Union_and_the_United_Kingdom__.pdf
 

2――メイ首相の協定案

2――メイ首相の協定案-期限通り秩序立った離脱を実現する唯一の選択肢がなぜ支持されないか-

1|背景としての議会の分裂
メイ首相の協定案は、後述の通り、ヒトの移動の自由を制限し、規制の権限を取り戻すために単一市場からは離脱するものの、財については自由貿易圏を形成するなど、離脱推進派と、もともとは残留を望んでいた穏健離脱派の折衷案という性格がある。

離脱による英国経済や社会へのダメージを抑えるべく、EU市場へのアクセスを確保するため、妥協した部分もある。

メイ首相の協定案は、離脱派と残留派の主張の折衷案であり、EUに対する妥協案でもあるために支持は低い。

しかし、英国が置かれている現状に照らし合わせると、メイ首相が強調するとおり、「実現可能で最善の合意(best possible deal)」でもある。

メイ首相の協定案への支持が低い根本の原因は、そもそもEU離脱のあり方を巡って、議会が分裂しており、折衷案に歩み寄ろうという機運がないことにある。

保守党内の強硬離脱派は、協定案はEUに譲歩し過ぎており、離脱の意味を損なうと批判する。メイ首相が12月11日の採決を延期したことへの反発から、12月12日にはメイ首相に対する保守党の下院議員による党首不信認投票が行われた。結果は、信認票が200、不信任票が117でメイ首相の続投が決まり、向こう1年間、メイ首相が信認を問われることもなくなった。しかし、メイ首相は、信認投票を前に、22年の次の総選挙は、党首として臨まない方針を示すことで、辛うじて逃げ切った面もある。保守党内でメイ首相の協定案に潜在的に不満を持つ議員の数は117と考えられる。

メイ政権に閣外協力している北アイルランド地域政党・民主統一党(DUP)は、協定が次節で触れる北アイルランドと英国の他の地域との分断につながることに不満を抱く。

残留派や野党から見れば、協定案は、国民投票での離脱派の公約が実現困難であることを証明するものであり、与党・保守党には政権を担う能力がないことを示すものである。最大野党・労働党は、9月の党大会で議会否決の場合、総選挙を求める方針を確認している。労働党の支持者は、党内には「再国民投票」で、もう一度民意を問い、残留への道を拓くべきとの意見も根強い。自由民主党(LDP)は17年の総選挙の時点でも「再国民投票」を主張しており、第2党のスコットランドの地域政党・スコットランド民族党(SNP)も、単一市場、関税同盟残留という「より穏健な離脱」を求める立場だ。離脱撤回への布石となる再国民投票も支持する(図表2)。
図表2 英国下院の議席配分とメイ首相の協定案への姿勢
2|アイルランド国境管理のバックストップの恒久化への懸念
保守党内の強硬離脱派やDUPが問題視するのは、離脱協定の付属議定書として盛り込まれたアイルランドの国境管理のバックストップだ。

バックストップとは、2020年末まで現状を維持する「移行期間」の終了時に、アイルランドと北アイルランドの国境の厳格な乖離を回避する代替案で合意しない場合に発動される安全策だ。

EU側は、バックストップとして、北アイルランドをEUの関税同盟に残す提案をしていたが、英国の分断につながるとの立場から英国が拒否、結局、協定案は、(1)北アイルランドを含む英国全体が「関税同盟」に残る3、(2)北アイルランドはEU単一市場での製品の自由な流通のための特別な規制の調和を図るという内容にまとまった。また、バックストップに代替する選択肢として、(3)現状を維持する「移行期間」を2020年末以降、最大2年間延長を認める条項も盛り込まれた4

「関税同盟」の詳細は、「英国とEUが構成する共同委員会が成文化する」ことになっているが、英国にとっては、(1)によって、移行期間終了後も通商権限が制限され、EUルールへの適合を求められる状況が長期化すること、(2)によって北アイルランドと英国の他の地域との規制の分断が生じること、(3)を選んだ場合でも、主権の制限が長期化するおそれがある(図表3)。
図表3 離脱協定のバックストップを巡る合意内容と英国にとっての問題点
とりわけ、強硬離脱派は、バックストップの停止を英国が一方的に停止できない5ことを警戒している。この規定により、EUが恒久的に英国を関税同盟に留め、EU規則に縛り続けるとの懸念が強い。12月4日に「議会侮辱にあたる」との動議が可決されたことを経て、12月5日に全文公開を迫られたコックス法務長官のメイ首相への法的助言6も、この懸念を裏付ける内容だった。

現実には、バックストップの恒久化は「行き過ぎた懸念」という面もある。EUは、そもそもバックストップとして英国全体が関税同盟に残留することは望んでいなかった。コックス法務長官の法的助言でも「EU法にとっても快適な安住の地では決してない」としている。いずれにせよ、離脱推進派のEUへの不信感はそれだけ強いということなのだろう。

12月11日の採決を延期し、12日の保守党の党首不信認投票を経て、13日の首脳会議に参加したメイ首相は、EUに対してバックストップの「期限を設ける」ことを要望したとされる。しかし、バックストップとしての意義を失わせる要望をEUが受け入れるはずがない。

結果として13日の首脳会議の声明7には、速やかに将来の関係の協議を進め、バックストップの発動を回避する努力をすること、発動された場合にも一時的な措置となるよう速やかに作業する方針を明記するに留まった。すでに離脱協定でも示されていることの確認に留まっており、懸念を払拭するには至っていない。
 
3 離脱協定のアイルランドと北アイルランドに関する議定書の第6条
4 離脱協定の第132条及びアイルランドと北アイルランドに関する議定書の第3条
5 離脱協定のアイルランドと北アイルランドに関する議定書の第20条
6 Groffrey Cox, Attorney General, “Legal Effect of the Protocol of Ireland/ Northern Ireland”, 13 November 2018(https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/761852/05_December-_EU_Exit_Attorney_General_s_legal_advice_to_Cabinet_on_the_Withdrawal_Agreement_and_the_Protocol_on_Ireland-Northern_Ireland.pdf)。当初政府は一部を非公開としていた。
7 European Council (2018)
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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