コラム
2018年09月07日

「健康経営」で企業価値はどうしたら向上するのか-コーポレートファイナンスの観点から-

金融研究部 常務取締役 部長 兼 投資助言室長   安孫子 佳弘

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1.「健康経営」とは何か

「健康経営」1とは何かについてはNPO法人健康経営研究会が定義しているが、本稿では、企業が従業員の健康を積極的に管理・指導することにより、従業員の健康増進を図り、モラルアップ、生産性アップ、費用削減等を達成し、結果として、企業業績および企業価値の向上を実現する経営戦略と解釈し、私見を述べたい。

「健康経営」の考え方は至極真っ当で、実現できれば素晴らしいものである。多くの企業の創意工夫により「健康経営」が推進され、企業価値の向上が実現できればと思う。

しかし、実際に、どのような「健康経営」推進の具体策が企業価値を向上させるのかとなると、案外難しい。具体策はどのように選べば良いのであろうか。
 
1 「健康経営」はNPO法人健康経営研究会の登録商標

2.「健康経営」推進に向けての政府の取り組み

2013年6月、政府は「日本再興戦略(JAPAN is BACK)」を閣議決定したが、この中で「国民の健康寿命の延伸」があり、ここで「健康経営」が提示されている。2014年に改定された「日本再興戦略」では、「健康経営」の普及に向けて、「健康経営」に取り組む経営者に各種インセンティブを提供するとした。例えば、健康増進の取り組みが企業間で比較できるよう評価指標を構築する、東京証券取引所で健康経営に積極的に取り組む企業を株式市場で評価するため、新たに健康経営銘柄を設定する、企業の従業員の健康増進に向けた優良取り組み事例を選定・表彰する等である。加えて、「コーポレート・ガバナンスに関する報告書」や「CSR報告書」などに「従業員などの健康管理や疾病予防等に関する取り組み」を記載させ、「健康経営」を促している。

また、政府は2013年4月、健康寿命延伸分野の市場創出および産業育成を図ることを目的に、官民一体となって検討する経済産業省が事務局の「次世代ヘルスケア産業協議会」を健康・医療戦略推進本部の下に設置した。さらにその下の「健康投資ワーキンググループ」によって「健康経営」推進に向けた具体策を進めることになった。

しかし、これらの取り組みは、「健康経営」の具体策ではなく、各企業が「健康経営」推進を創意工夫するインセンティブを付与する仕組み作りである。「健康経営」を実現していく具体策策定が難しいことは、政府のこうした取り組みを見ると、逆説的に良く分かる。

政府主導による「健康経営」推進の具体策としては「ストレスチェック制度」が挙げられる。2014年6月25日に公布された「労働安全衛生法」改正によって、「ストレスチェック」「面接指導」の実施などを義務付ける「ストレスチェック制度」が創設され、2015年12月1日から、「ストレスチェック制度」が従業員数50人以上の企業や事業所で実施されることとなった。

3.コーポレートファイナンスで判断する具体策の取捨選択方法について

各企業の「健康経営」の取り組みは、運動会の開催、スポーツクラブ補助、残業圧縮、普通休暇取得推進、時差出勤、社内食堂の健康メニュー、人間ドック補助、禁煙手当支給等、幅広く、多種多様である。各社に概ね共通しているのは、「健康経営」のための会議体設置や責任者の任命であるが、これは企業において、会社の全体的な取り組みを推進、達成するための仕組み作りであり、約束事のようなものである。
 
さて、「健康経営」推進の多種多様な具体策であるが、様々なアイデアが出てくる中で、社内の会議で議論し、具体策から良さそうなものを選定し、責任者が意思決定するというのが一般的であろうが、企業価値の向上という観点から、コーポレートファイナンス理論での考え方を踏まえると、どのような具体策が企業価値の向上に資するのかを考えてみたい。
 
コーポレートファイナンスでは、投資等の個々の具体的計画(プロジェクト)について、キャッシュフローやリスクを想定して、金額ベースの価値(正味現在価値、Net Present Valueという、以下NVP)を算出して、実施するかどうかを意思決定していく。具体的には、将来の各期キャッシュフロー見込みや費用、投資の段階的投入等、詳細で現実的なシナリオを想定し、各種リスク等を踏まえた上で特定の割引率を設定し、税効果等を加味してNPVを算出する。NPVがプラスの場合、実施OKとなる。(注)コーポレートファイナンスでのプロジェクト評価手法の概要は末尾の【参考】を参照
 
重要な点は、基本的に、企業の重要な全ての活動、稼働中のプロジェクトや今後の計画は、キャッシュフローに換算でき、キャッシュフローのリスクを想定すれば、各プロジェクトのNPVが算出できるということである。概念的には、それぞれのプロジェクトのNPVの合計が、企業活動全体の価値となり、企業全体の借入等の負債を差し引けば、株主資本の本源的な価値が算出できる。勿論、各種想定は想定時点で必ずしも正しいとは限らないので、事後的に進捗状況等の結果を見て、適宜修正して、経験則を蓄積しつつ、今後のために、より的確な想定にしていくべきものである。
 
実際の各企業の時価は株主資本の本源的価値を中心に、金融市場動向や投資家動向、様々なニュースによって変動していると考えられる。多くの株式アナリストは、その本源的価値を踏まえて、実際の株価と市場動向等を見極めて、株価の割高、割安を判断している。

要するにコーポレートファイナンスでの考え方では、各企業の個々のプロジェクトは、それぞれのNPVがプラスだと企業価値を向上させ、NPVがマイナスだと企業価値を毀損していることになる。

4.「健康経営」推進の具体策の評価について

「健康経営」の各具体策(プロジェクト)について、上記のようなコーポレートファイナンスでの考え方を踏まえて評価する場合、どうなるのであろうか。

「健康経営」の各具体策では、必ずしもキャッシュフローと関係ない場合もあろうが、企業が何らかの行動を起こしている場合、キャッシュフロー想定に何らかの影響があると考えられる。

例えば、「健康経営」の具体策を会議で検討している場合、その具体策を検討している会議の時間分だけ、参加している従業員や経営者の人件費を費消していると考えられる。各会議に関し、各人の時間給を換算して想定コストを算出することは可能だ。人件費は固定なので関係ないという見方もあろうが、他の仕事をしないで参加しているので、会議に参加している時間は人件費を費消・支出していると考えるのが合理的である。また、会議室使用等についても、会社が負担するオフィス賃料や光熱費等を含め、各種経費も各プロジェクトの経費として適切に配分し、費用として想定すべきものであろう。つまり、長々と結論も出ない会議をしている場合は企業価値を毀損している可能性が高い。
 
一般的に、投資や費用の方が金額を適正に算出しやすい。運動会開催とかスポーツクラブ補助、人間ドック補助、禁煙手当支給等は費用の具体的金額が算出しやすい。

難しいのは具体策による効果や成果の確認とキャッシュフロー換算であろう。運動会を開催して、どのくらい従業員の健康が増進でき、働くモラルがアップし、生産性が上がったかを計測するのは実際は難しいと思う。運動会開催前後での生産性、健康度合いの変化を見てもおそらく効果は確認できないであろう。運動会を例にしたのは、別に運動会をやるべきではないということではなく、「健康経営」に真剣に取り組むのであれば、具体的な効果を期待できる具体策を考えるべきであり、可能な限り数値で効果の確認ができるものを選ぶべきではないかということである。効果が確認できないプロジェクトはリスクが相当高く、こうしたプロジェクトに費用をかけると、NPVがマイナスとなり、企業価値を毀損することとなる可能性が高い。
 
また、当然のことながら、プロジェクトは計画して終わりではなく、定期的に進捗状況を確認する必要があり、継続して確認する仕組み作りも重要である。「健康経営」は「経営管理の対象」であり、Plan-Do-Check-ActサイクルのCheckがないというのは「経営管理」しているとは言えない。従って、「健康経営」推進の具体策は、金額ベースでなくとも、少なくとも数値で改善度合いを定期的に確認できるプロジェクトである必要があると思う。

政府が「健康経営」推進と言っているから形だけでもやらなければならないとか、「コーポレート・ガバナンスに関する報告書」や「CSR報告書」などに「健康経営」について何も書けないと格好悪いとか、そういう消極的な「健康経営」はいただけない。そうした企業の「健康経営」の具体策は、お金だけ使って具体的効果が確認できず、実効性もなく、単にコストや人件費等を費消し、企業価値を毀損している可能性が高いと思われる。

では、どのような「健康経営」推進の具体策が企業価値の向上に効果的なのであろうか。少なくとも以下のような要件が必要だと考えられる。
 
(1)定期的に数値で効果を検証できること
具体策の実施によって、従業員の健康が改善するという数値での検証ができることが極めて重要である。これがないと効果の検証ができず、PDCAサイクルを回せない。

(2)長期的に継続できること
「従業員の健康」というものが改善対象なので、効果を単年度で確認するのは困難であると考えられるので、少なくとも3年以上、継続して実施できる具体策であること。

(3)効果があると従業員が納得できるものであること
従業員の積極的な協力なくして、「従業員の健康」が良くなるはずもなく、多くの従業員が「それは健康に良いよね」という納得感のある具体策であること
 
以上のような要件を考えると、いくつか有効な具体策が考えられる。
 
A.定期健康診断結果に基づく本気の健康指導
例えば、生活習慣病罹患者および予備軍等を健康診断で特定し、健康指導を徹底するというのは「健康経営」のベースとなる基本中の基本であると思う。定期的な健康診断で数値の改善度合いも確認でき、毎年継続することができる。健康に対する改善効果もあると広く認められており、従業員の納得感も得られる。実際に多くの企業が既に実施している具体策でもある。各企業の実態にあった効果のある健康指導の具体策の強化や推進と何より継続が重要である。

筆者も個人的経験であるが、5年ほど前に、体重を13kgほど減らし、人間ドックで毎年指摘されていた数多くの要改善項目が正常数値化した。人によるのかもしれないが、体重の正常値へのコントロール(多くの場合、減量)は健康改善効果が大きいと思う。
 
B.徹底的な禁煙推進
愛煙家には申し訳ないが、喫煙は健康には悪いという見解が一般的であり、特に「ESG」とか「健康経営」とかを標榜する企業においては、禁煙を強く推進するという具体策は不可欠であろう。更に、他の従業員への健康被害や臭い等の迷惑等、指摘される喫煙の弊害は多く、喫煙のために席を頻繁に離れるというタバコ休憩も問題視されている。現代の企業において、従業員の禁煙を推進しない理由はないと思われる。

喫煙禁止等の社内ルールの変更であれば、費用も最小限であろうし、禁煙補助をするだけなら、費用も限定的であろう。喫煙者数や禁煙後の健康改善度合いも数値で管理しやすい。禁煙推進は、おそらく健康への改善効果も高いので、NPVは高く、企業価値向上への貢献度は高いと思われる。勿論、喫煙は個人の権利という意見もあるが、依存性、常習性もあることから、「従業員の健康」を守るという観点から、禁煙推進は公益性もあり、合理的方策と言えよう。各企業は、実効性のある「健康経営」具体策として、禁煙を強く推進すべきだと思う。
 
C.正しい健康関連情報の発信
最後に、正しい健康情報の発信が極めて重要であると思う。世の中には健康に良いという商品やサービスが数多く紹介されている。またテレビ番組や書籍、Webサイト、SNSにも健康に関する情報が溢れている。従業員や消費者にとって、果たして何が本当に健康に良いのか悪いのか分からない状況になっている。各企業または医療関係者等の専門家の方には是非とも正しい健康情報を発信するとともに、誤った情報の是正を迅速にやってもらいたい。

企業において、従業員への正しい健康情報の発信は、「従業員の健康」を守る観点からも大切である。コストが限定的で、従業員からのニーズも期待でき、継続しやすいと思う。具体的効果についても、社内イントラネット等でも従業員アンケート等で確認する等の方法が考えられ、満足度等は継続的に数値でフォローしやすいと思われる。
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金融研究部   常務取締役 部長 兼 投資助言室長

安孫子 佳弘 (あびこ よしひろ)

研究・専門分野
資産運用、運用リスク管理

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