2018年04月17日

国保の都道府県化で何が変わるのか(下)-制度改革の歴史から見えてくる論点

保険研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 三原 岳

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3|民主党政権期の議論
民主党政権期にも国民健康保険の財政問題が争点となり、制度改革が進められた。その流れは(1)後期高齢者医療制度の見直し論議、(2)子ども手当の地方負担論議――である。

まず、後期高齢者医療制度の見直しである。2008年に制度が発足した際、年齢による差別などが批判されたため、舛添要一厚生労働相は私案として、「(注:広域化された市町村)国民健康保険が県民健康保険に変わると思っていい」と述べる17とともに、見直しのための有識者会議を発足させた18。さらに、2009年8月の総選挙で大勝した民主党はマニフェスト(政権公約)に後期高齢者医療制度の廃止を明記し、政権交代後には有識者や関係団体の代表で成る「高齢者医療制度改革会議」を設置した。この中で、全国知事会は「積極的に責任を担う覚悟はある」としつつ、財政安定化に向けた国の支援を求めた19。この時点で全国知事会の態度は消極姿勢から条件付き容認に転じたと言える。

さらに、国民健康保険の財政制度は思わぬところから見直されることになった。発火点となったのは当時、民主党政権がマニフェストで訴えていた「子ども手当」を巡る財源問題である。国民健康保険との関係では2012年度予算編成で論点となった。

具体的には、子ども手当の充実を図る一環として、小宮山洋子厚生労働相が4,400億円の追加負担を地方に求めた20のに対し、地方六団体は「(注:現金給付は)地方に裁量の余地がない」などと反対した21。結局、子ども手当に関する国と地方の財政負担を2:1とする一方、国民健康保険に関する都道府県の財政負担を増やした。具体的には、国民健康保険の給付費に関する国庫補助金を34%→32%に引き下げる一方、都道府県の負担を7%→9%に引き上げた22

これらの経緯を見ると、子ども手当の地方負担問題が本来、子育て施策と無関係にもかかわらず、予算規模が大きい国民健康保険に飛び火し、最終的に民主党政権期も都道府県の財政負担を拡大させる路線が継続した。言い換えると、これまでの経緯と同様、国民健康保険の都道府県化を進めたいという厚生労働省の意図の強さとともに、これに全国知事会が反対した構図を確認できる。

しかし、全国知事会が条件付き容認に転換した意味は大きく、再度の政権交代を挟んで今回の都道府県化に繋がることになった。
 
17 2008年9月30日閣議後記者会見概要。
18 有識者で成る「高齢者医療制度に関する検討会」が2008年9月に設置され、2009年3月に論点整理を取りまとめたが、課題の列挙にとどまった。
19 全国知事会2010年12月20日「持続可能な国民健康保険制度の構築に向け国の財政責任を含めた本質的な検討を求める」。
20 子ども手当の創設時に年少扶養控除を廃止したことで、住民税に5,000億円程度の増収が生まれたため、これを地方負担の財源とするよう求めていた。
21 地方六団体2011年11月8日「子どもに対する手当に関する厚生労働省提案について」。
22 暫定措置の高額医療費共同事業と保険財政共同安定化事業を2015年度に恒久化することも盛り込んだ。
4|2015年成立の医療制度改革法
最後に、国民健康保険の都道府県化を決めた経緯である。2013年8月の社会保障制度改革国民会議報告書では、「時機を逸することなくその道筋をつけることこそが国民会議の責務」といった表現を用い、都道府県化の必要性を指摘しており、その過程では全国知事会が「医療保険における最後のセーフティネットである国保が持続可能な制度となるよう、抜本的な改革に市町村とともにしっかり取り組んでいく考えである」としつつ安定財源の確保を要請23したことで、国民健康保険に対する財政支出拡大が都道府県化に向けた一つの条件となった。

しかし、厳しい財政状況の下、財務省は税金投入の拡大に難色を示した24。結局、国民健康保険の財政運営を2018年度から都道府県化する際、3,400億円の国費を追加投入することが決まり、その財源としては、社会保障目的で引き上げた消費税収の一部として1,700億円を充当することになった。

さらに残りの1,700億円については、(1)後期高齢者医療制度に対する被用者保険の支援金について、案分ルールを2017年度以降、段階的に人頭割から全面総報酬割に変更25、(1)(2)(1)の結果、相対的に豊かな健康保険組合の負担が増え、協会けんぽの負担が減るため、協会けんぽの国庫補助率を当分の間16.4%と定める一方、準備金残高が法定分を上回った際、超過相当額を国庫補助から減額、(3)その結果、浮く国費2,400億円のうち、1,700億円を国民健康保険に投入――という内容で決着した26

こうした経緯を振り返ると、全国知事会は国民健康保険の都道府県化を受け入れる代わりに、国の財政支援を求める姿勢を明らかにし、消費税の引き上げと高齢者医療費を巡る複雑な「操作」を経て、計3,400億円の追加財政投入がなされ、都道府県化が実現したと言える。
 
23 全国知事会2013年4月24日「社会保障制度改革国民会議における国民健康保険の議論について」。
24 財政制度等審議会2013年1月21日「平成25年度予算編成に向けた考え方」。
25 当初は100%加入者割だったが、2010年度から特例措置として、3分の1を総報酬割とした。
26 浮いた財源のうち、700億円は高齢者医療費拠出金の負担が重い健保組合の支援に充当することとなった。
 

4――1980年代以降の都道府県化に向けた歴史から分かること

4――1980年代以降の都道府県化に向けた歴史から分かること

1|一つの節目としての都道府県化
以上の経緯を見ると、2018年度の都道府県化が30年以上の歴史を経ており、今回の制度改正が一つの大きな節目であると理解できる。

こうした点は当局者の発言でも裏付けられる。例えば、三位一体改革の時に「国保財政の安定には運営の広域化が必要であり、そのためには積年の悲願である都道府県の本格的な運営参加が不可欠。実施に当たって、従来から最大のネックである不交付団体27への財源手当も税源移譲により対応できる。都道府県単位の財政運営に向けた第一歩となった。」28という総括がなされており、後期高齢者医療制度の見直し論議でも「大きな流れとして供給も保険の費用負担も(注:都道府)県単位に考えるのが適当」29といった声が出ており、厚生労働省にとって今回の制度改正は「積年の悲願」を実現したと言えるかもしれない。
 
27 不交付団体とは地方交付税を受け取っていない団体。都道府県の財政負担をカバーする財源を地方交付税で措置したとしても、東京都などの不交付団体は恩恵を受けられないが、地方への税源移譲は不交付団体も対象となるため、その違いとメリットを強調していると見られる。
28 国民健康保険七十年史編集委員会(2009)『国民健康保険七十年史』国民健康保険中央会p499。当時、国民健康保険課長だった厚生労働省の唐澤剛官房審議官の寄稿。
29 2008年10月2日記者会見における厚生労働省の江利川毅事務次官の発言。「大きな流れ」として、都道府県が医療計画を策定している点、協会けんぽの保険料が2008年10月から都道府県単位化した点を挙げた。
2|背景と過程の考察
こうした都道府県化に至る背景や経緯を単純化すると、以下のように説明できるであろう30。当初、国民健康保険の対象者としては農林水産業従事者や自営業者が想定されていたが、産業構造の変化を受けて、これらの人の割合は減少した。一方、人口の高齢化が進んだ結果、会社を辞めた勤め人が国民健康保険に多く流入し、高齢者医療費の増加が国民健康保険の財政を悪化させた。

さらに、1980年代以降に経済成長率が鈍化し、国の財政が悪化したため、国庫補助を抑制・削減する代わりに、国民健康保険に関する都道府県の役割を増大させる改革が少しずつ進められるようになった。今回の都道府県化は一つの集大成と言える。

しかし、その過程で関係者の調整は難航した31。具体的には、全国知事会は負担増に反対し、途中から国の財政支援を条件とする「条件闘争」に転じた一方、国の財政支援の拡大には財務省が難色を示した。

このため、厚生労働省としては、少しずつ都道府県の負担を拡大したり、国の財政支援をパッチワークで積み重ねたりする漸増主義的な改革を積み上げることになり、その30年間に及ぶ利害調整の結果として、図1のように保険料と税金が絡み合う複雑な財政構造が生まれたのである。
 
 
30 産業構造の変化や雇用形態の多様化に伴う非正規雇用者の拡大も国民健康保険の財政悪化の一因として見逃せない。さらに、国民健康保険を支援する方策として、被用者保険からの財政調整が同じ時期にスタートした。いずれも重要な論点だが、ここでは議論を整理するために考察の対象から外した。
31 ここでは詳しく触れないが、被用者保険からの財政調整が同時に進んでおり、健康保険組合連合会などの意見も反映する必要があった。
 

5――おわりに

5――おわりに

では、都道府県化を経た後、図2で示した構造が変化するのであろうか。実際には高齢者と非正規雇用で構成する国民健康保険の脆弱な財政基盤に変わりはなく、高齢者医療費の増加など厳しい財政運営を迫られる。

しかも、(上)(中)で指摘した通り、都道府県と市町村は負担と給付の「見える化」と医療提供体制の構築に取り組む必要もある。この点の難しさと重要性を理解するため、再び歴史を振り返ることで、本レポートを締め括りたい。

実は、「国民健康保険の運営主体を都道府県とするか、市町村とするか」という点については、古くて新しい問題である。具体的には、国民皆保険に向けて準備を進めていた1950年代にも議論されており、厚生省国民健康保険課長だった伊部英男は以下のように振り返っている32
局議で一番もめたのは(注:市)町村を単位にするか、(注:都道府)県を単位にするか(略)。とにかく健保組合と医師会を考えると、健保組合には医師会に対抗するような政治力はないわけですね、率直にいうと。(略)そうすると、やはり町村長をそちらに結びつけて、医師会とのバランスをとらないと、健康保険全体の動きはどうなるかということは基本にあった。
つまり、医師会の政治的なパワーが強いため、地元に影響力を持つ市町村長を健康保険組合と同じ費用の支払い側に引き入れることで、政治力を持つ医師会とのパワーバランスを図りたかったと説明しているのである。

ここで言う「医師会」が日本医師会を指すのか、地方の医師会を示しているのか判然としないが、医師会との関係については、都道府県が現在、別の形で直面している。具体的には、(上)(中)で述べた通り、都道府県は医療行政に関する「総合的なガバナンスの強化」が図られる33中で、国民健康保険の財政運営だけでなく、2025年の医療提供体制を定める「地域医療構想」の推進が求められており、都道府県は病床再編などについて、地元医師会との対話や調整、そして時には対峙を迫られる可能性がある。

(中)では今回の制度改革に際して、都道府県が病床削減に繋がりかねない医療計画(及び地域医療構想)とのリンクを避けた可能性を指摘したが、医療行政の地方分権化を一つの意義とした今回の制度改革を通じて、保険財政と提供体制の両面を見据えた医療行政に向けた都道府県の責任は大きいと言える。

一方、伊部課長は専門誌の対談で、市町村を中心に据えた理由として、「(注:市町村は)住民の日々の生活の進歩、福祉の向上に直接関係し、最も密着した仕事をする点にある」と指摘している34

この点について見ると、「最も密着した仕事」という市町村の役割は今も変わらない。具体的には、制度改革後も引き続き「最も密着した仕事」として予防・保健事業や保険料の徴収などを担うことになるし、「見える化」された負担と給付の関係を住民に説明する最前線を担うのは引き続き市町村である。さらに市町村は介護・福祉行政の責任主体として位置付けられており、当時に比べると市町村の役割は格段に大きくなっている。

今回の都道府県化は1961年の国民皆保険以来の「50年ぶりの抜本的な改革」となる35。今後、都道府県と市町村が国民健康保険をどう運営するのか。さらに、負担と給付の関係を住民にどう説明し、提供体制を含めて負担と給付のバランスをどう取るのか。難しい舵取りを迫られる都道府県と市町村の意欲と実力が問われる。
 
 
32 小山路男編著(1985)『戦後医療保障の証言』総合労働研究所pp281-282。
33 総合的なガバナンスのイメージや論点については、拙稿レポート「都道府県と市町村の連携は可能か」を参照。
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=57965
34 『地方財務』1957年5月号。
35 『社会保険旬報』2612号 2015年8月11日における厚生労働省の唐澤剛保険局長インタビュー。
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保険研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

三原 岳 (みはら たかし)

研究・専門分野
医療・介護・福祉、政策過程論

(2018年04月17日「基礎研レポート」)

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【国保の都道府県化で何が変わるのか(下)-制度改革の歴史から見えてくる論点】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

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