2018年03月15日

民主主義の赤字としての中央銀行を誰が掌るべきか

上智大学経済学部 教授 竹田 陽介

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2――集合的意思決定における集団思考

金融政策は、政策委員の議決による集合的意思決定である。多くの中央銀行において成文化された議決方法は、政策決定会合で投票権を有する委員の過半数による採決による。しかしながら、実際の政策決定過程では、満場一致を含む大多数の委員による賛成(コンセンサス)を目指す議論運営がなされていると考えられる5。コンセンサスを得るためには、委員の意見がどれくらいばらついているかが問題となるが、金融政策以外の集合的意思決定においてそうであるように、声の大きい人の意見が通り易い一方、多くの参加者は、強い意見をもつ人の判断を鵜呑みにし、自前の情報を獲得し、合理的な判断を行うために必要なコストを節約しようとする。こうした傾向を、集団思考と呼ぶ。かつて日本銀行の消極的な金融緩和を強く否定していたベン・バーナンキ氏が、自らがFRB議長となったのち、FRBの量的緩和策に消極的な態度をとった経緯として、FRB内部の意思決定における集団思考の弊害が指摘された6。合議による集合的意思決定が集団思考に陥り易い状況は、団結力のある集団において、メンバーに発言の機会を平等に与える公平なリーダーシップが欠如し、構成員の社会的背景が均一化するなど構造的な組織上の欠陥が見られ、また集団外部からの強い脅威に晒される状況に置かれる場合である7

中央銀行における集合的意思決定である金融政策は、政策決定会合における投票により決定されるため、中央銀行総裁の考えや分析にのみ左右されることはない。しかしながら、集団思考に基づく意思決定が、政策決定による結果に対する無責任、結果倫理の欠如を生む可能性があるならば、欧州中央銀行の合議での満場一致原則に近づき、集団思考を排除するべく、中央銀行総裁の公平なリーダーシップがもとめられる8
 
5 以下の論文は、カナダ中央銀行、イングランド銀行、欧州中央銀行、スウェーデン中央銀行、米国FRBの五つの中央銀行の票決結果を精査し、委員会制の下での集合的意思決定に関する四つのタイプのモデルのうち、どれが当て嵌まるかについて理論的、実証的に分析し、コンセンサスを目指す委員運営モデルを支持した。四つのタイプとは、賛成大多数をもとめるコンセンサス・モデル、議長が恣意的に議題を選択、設定するアジェンダ設定モデル、議長の提案がそのまま通る独裁者モデル、そして中位者の選好が議決を左右する過半数決定モデルである。Riboni, A., and F. J. Ruge-Murcia. “Monetary Policy by Committee: Consensus, Chairman Dominance, or Simple Majority?” Quarterly Journal of Economics 125(1), 2010, pp. 363-416.
6 Ball, L. “Ben Bernanke and the Zero Bound.” Contemporary Economic Policy 34, 2016, pp. 7–20.
7 真珠湾攻撃などの誤った政治的政策決定につながる集団の心理的傾向をモデル化した以下の研究が嚆矢である。Janis, I. Groupthink: Psychological Studies of Policy Decisions and Fiascoes, 2nd edition, Houghton Mifflin Company, 1982.
8 “Everyday Economics”(Speech at Nishkam High School, Birmingham, 27 November 2017)などに見られるように、金融市場のみならず、公衆との対話を推し進めるイングランド銀行のチーフ・エコノミストが、以下の講演で中央銀行の陥り易い四つの心理的バイアス(Preference bias, Myopia bias, Hubris bias, Groupthink bias)の一つとして集団思考を挙げている。Haldane, A. G. “Central Bank Psychology.” Speech at Leadership: Stress and Hubris Conference hosted by the Royal Society of Medicine, London 17 November 2014.
 

3――デジタル通貨とデジタル・プライバシー

3――デジタル通貨とデジタル・プライバシー

貨幣の形態は、便利さの歴史である。受容性は高いが運搬し難い貴金属から、軽量だが偽造の危険性のある紙幣や、決済までの時間がかかる小切手などへ形態が変化してきた現在、情報処理技術の長足の進歩により、デジタル・データによる決済がそれらに取って代わりつつある。

とりわけ、脱税や犯罪、マネーロンダリングなどの反社会的活動の手段として、取引履歴の匿名性が担保される紙幣は悪用の可能性がある。ヨーロッパで急速に広がるキャッシュレス化には、単位当たりの保有コストの低く、反社会的活動に好都合である高額紙幣の廃止も寄与している。

一方、デジタル通貨は、中央銀行の台帳を通じたコンピュータ処理により、情報のフローによる速やかな決済を可能にする。さらには、中央銀行のマイナス金利政策の制約となってきた紙幣の保有コストというゼロ下限制約を無効とする利点がある9

ところが、デジタル通貨は情報のフローであり、仮想通貨に頻出する紛失や流出の可能性が高いため、貨幣の匿名性の担保を毀損し、取引履歴の捕捉を可能にする。そのため、わたしたちが交換手段としてデジタル通貨を用いる場合、わたしたちの取引履歴が第三者に捕捉されることになり、プライバシーの保護が問題となる。

デジタル通貨の実用性について、日本銀行をはじめとして多くの中央銀行で実験が始まっている。真に情報としての貨幣が法定通貨として流通するとき、公と私の境界に関わる貨幣のもつ匿名性の在り方が問われる。既にインターネット・ビジネスが行っているように、データの提供者の一挙手一投足がリアル・タイムで第三者に捕捉される時代に、従来までのプライバシー権の考え方自体の再定義が必要となる。

日本国憲法第13条で規定されるプライバシー権は、「新しい人権」のひとつである。19世紀の末にはじめて、法的保護の対象となった。グーグルやフェイスブックなどが発達した現在のインターネットの環境においては、むしろプライバシーは幻想に過ぎず、情報の目的は人々にコミュニケーションの口実を与えることにあるという考えが広まりつつある10

デジタル通貨の場合も例外ではない。紙幣や硬貨の形態に代わって、中央銀行の台帳上での操作を通じてマイナス金利への誘導を容易にするデジタル通貨を、中央銀行が発行する事態も現実味を帯びつつある。情報としてのおカネが百花繚乱する現代において、通貨の番人たる中央銀行が向き合わなければならない問題は、貨幣とは何かについて再定義することにある11

デジタル通貨のもつ利点を活かすためには、貨幣の匿名性を毀損する必要がある一方、プライバシーの保護を訴えると、デジタル通貨の利点が殺がれるという、トレードオフの関係が成立している。デジタル通貨の導入には、あらためて金融規制を含めて様々な法体系の整備を伴う法秩序の再構築を伴うはずである。そのとき、憲法の番人である最高裁判所と同じく、中央銀行の集合的意思決定を掌る総裁はじめ政策委員全ての国民審査も議論に上ることになろう。
 
9 Barrdear, J. and M. Kumhof. “The Macroeconomics of Central Bank Issued Digital Currencies.” Bank of England Working Paper No. 605, 2016.
10 アンドレアス・ワイガンド『アマゾノミクス: データ・サイエンティストはこう考える』(土方奈美訳)、2017年、文藝春秋;「デジタルプライバシー」『朝日新聞グローブ』2018年3月4日。
11 グリーン・ファイナンスとの関連で気候変動のリスクについてかつて言及したイングランド総裁は、先進国の中央銀行総裁のなかでいち早く、デジタル通貨への否定的な態度を表明した。Carney, M. “The Future of Money.” Speech at the inaugural Scottish Economics Conference, Edinburgh University, 2 March 2018.
 

おわりに

おわりに

2018年3月現在の主な中央銀行総裁ないし議長の顔ぶれは、米国FRBジェローム・パウエル議長(ジョージタウン大学ローセンターで法務博士(専門職)取得)、欧州中央銀行マリオ・ドラギ総裁(マサチューセッツ工科大学で経済学博士号取得)、イングランド銀行マーク・カーニー総裁(オックスフォード大学で経済学博士号取得)、日本銀行黒田東彦総裁(東京大学法学部在学中に司法試験合格、オックスフォード大学で経済学修士号取得)など12。法律を専門的に学んだ中央銀行総裁は、日米に見られるに止まる。

人工知能に取って代られる職業が注目される昨今、機械学習の進展により人工知能を搭載したロボットやアンドロイドが、カルテや判例を読み込むことによって、優れた医者や弁護士の職を奪う可能性が指摘される。中央銀行総裁の職が、人工知能に取って代られることはないだろうか。

エリートへの信認の下、民主主義の赤字として許容されてきた中央銀行制度が今後、エリートからの権利の剥奪をうたう経済政策のポピュリズムの反動を免れるという保証はない。現代の中央銀行総裁には、貨幣に関する該博な知識・知見のみならず、集団思考に陥らない集合的意思決定をリードしていく資質が問われる。デジタル・プライバシーの定義をはじめ、デジタル通貨の導入に伴う法体系の整備のため、国民審査の導入の是非について議論が必要なとき、物事の正否についてバランス良く論理的に判断するリーガル・マインドをもった中央銀行総裁が望まれる。
 
12 各総裁に関するウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/より。
 
 

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(2018年03月15日「基礎研レター」)

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