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2――集合的意思決定における集団思考
中央銀行における集合的意思決定である金融政策は、政策決定会合における投票により決定されるため、中央銀行総裁の考えや分析にのみ左右されることはない。しかしながら、集団思考に基づく意思決定が、政策決定による結果に対する無責任、結果倫理の欠如を生む可能性があるならば、欧州中央銀行の合議での満場一致原則に近づき、集団思考を排除するべく、中央銀行総裁の公平なリーダーシップがもとめられる8。
5 以下の論文は、カナダ中央銀行、イングランド銀行、欧州中央銀行、スウェーデン中央銀行、米国FRBの五つの中央銀行の票決結果を精査し、委員会制の下での集合的意思決定に関する四つのタイプのモデルのうち、どれが当て嵌まるかについて理論的、実証的に分析し、コンセンサスを目指す委員運営モデルを支持した。四つのタイプとは、賛成大多数をもとめるコンセンサス・モデル、議長が恣意的に議題を選択、設定するアジェンダ設定モデル、議長の提案がそのまま通る独裁者モデル、そして中位者の選好が議決を左右する過半数決定モデルである。Riboni, A., and F. J. Ruge-Murcia. “Monetary Policy by Committee: Consensus, Chairman Dominance, or Simple Majority?” Quarterly Journal of Economics 125(1), 2010, pp. 363-416.
6 Ball, L. “Ben Bernanke and the Zero Bound.” Contemporary Economic Policy 34, 2016, pp. 7–20.
7 真珠湾攻撃などの誤った政治的政策決定につながる集団の心理的傾向をモデル化した以下の研究が嚆矢である。Janis, I. Groupthink: Psychological Studies of Policy Decisions and Fiascoes, 2nd edition, Houghton Mifflin Company, 1982.
8 “Everyday Economics”(Speech at Nishkam High School, Birmingham, 27 November 2017)などに見られるように、金融市場のみならず、公衆との対話を推し進めるイングランド銀行のチーフ・エコノミストが、以下の講演で中央銀行の陥り易い四つの心理的バイアス(Preference bias, Myopia bias, Hubris bias, Groupthink bias)の一つとして集団思考を挙げている。Haldane, A. G. “Central Bank Psychology.” Speech at Leadership: Stress and Hubris Conference hosted by the Royal Society of Medicine, London 17 November 2014.
3――デジタル通貨とデジタル・プライバシー
とりわけ、脱税や犯罪、マネーロンダリングなどの反社会的活動の手段として、取引履歴の匿名性が担保される紙幣は悪用の可能性がある。ヨーロッパで急速に広がるキャッシュレス化には、単位当たりの保有コストの低く、反社会的活動に好都合である高額紙幣の廃止も寄与している。
一方、デジタル通貨は、中央銀行の台帳を通じたコンピュータ処理により、情報のフローによる速やかな決済を可能にする。さらには、中央銀行のマイナス金利政策の制約となってきた紙幣の保有コストというゼロ下限制約を無効とする利点がある9。
ところが、デジタル通貨は情報のフローであり、仮想通貨に頻出する紛失や流出の可能性が高いため、貨幣の匿名性の担保を毀損し、取引履歴の捕捉を可能にする。そのため、わたしたちが交換手段としてデジタル通貨を用いる場合、わたしたちの取引履歴が第三者に捕捉されることになり、プライバシーの保護が問題となる。
デジタル通貨の実用性について、日本銀行をはじめとして多くの中央銀行で実験が始まっている。真に情報としての貨幣が法定通貨として流通するとき、公と私の境界に関わる貨幣のもつ匿名性の在り方が問われる。既にインターネット・ビジネスが行っているように、データの提供者の一挙手一投足がリアル・タイムで第三者に捕捉される時代に、従来までのプライバシー権の考え方自体の再定義が必要となる。
日本国憲法第13条で規定されるプライバシー権は、「新しい人権」のひとつである。19世紀の末にはじめて、法的保護の対象となった。グーグルやフェイスブックなどが発達した現在のインターネットの環境においては、むしろプライバシーは幻想に過ぎず、情報の目的は人々にコミュニケーションの口実を与えることにあるという考えが広まりつつある10。
デジタル通貨の場合も例外ではない。紙幣や硬貨の形態に代わって、中央銀行の台帳上での操作を通じてマイナス金利への誘導を容易にするデジタル通貨を、中央銀行が発行する事態も現実味を帯びつつある。情報としてのおカネが百花繚乱する現代において、通貨の番人たる中央銀行が向き合わなければならない問題は、貨幣とは何かについて再定義することにある11。
デジタル通貨のもつ利点を活かすためには、貨幣の匿名性を毀損する必要がある一方、プライバシーの保護を訴えると、デジタル通貨の利点が殺がれるという、トレードオフの関係が成立している。デジタル通貨の導入には、あらためて金融規制を含めて様々な法体系の整備を伴う法秩序の再構築を伴うはずである。そのとき、憲法の番人である最高裁判所と同じく、中央銀行の集合的意思決定を掌る総裁はじめ政策委員全ての国民審査も議論に上ることになろう。
9 Barrdear, J. and M. Kumhof. “The Macroeconomics of Central Bank Issued Digital Currencies.” Bank of England Working Paper No. 605, 2016.
10 アンドレアス・ワイガンド『アマゾノミクス: データ・サイエンティストはこう考える』(土方奈美訳)、2017年、文藝春秋;「デジタルプライバシー」『朝日新聞グローブ』2018年3月4日。
11 グリーン・ファイナンスとの関連で気候変動のリスクについてかつて言及したイングランド総裁は、先進国の中央銀行総裁のなかでいち早く、デジタル通貨への否定的な態度を表明した。Carney, M. “The Future of Money.” Speech at the inaugural Scottish Economics Conference, Edinburgh University, 2 March 2018.
おわりに
人工知能に取って代られる職業が注目される昨今、機械学習の進展により人工知能を搭載したロボットやアンドロイドが、カルテや判例を読み込むことによって、優れた医者や弁護士の職を奪う可能性が指摘される。中央銀行総裁の職が、人工知能に取って代られることはないだろうか。
エリートへの信認の下、民主主義の赤字として許容されてきた中央銀行制度が今後、エリートからの権利の剥奪をうたう経済政策のポピュリズムの反動を免れるという保証はない。現代の中央銀行総裁には、貨幣に関する該博な知識・知見のみならず、集団思考に陥らない集合的意思決定をリードしていく資質が問われる。デジタル・プライバシーの定義をはじめ、デジタル通貨の導入に伴う法体系の整備のため、国民審査の導入の是非について議論が必要なとき、物事の正否についてバランス良く論理的に判断するリーガル・マインドをもった中央銀行総裁が望まれる。
12 各総裁に関するウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/より。
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上智大学経済学部 教授
竹田 陽介
研究・専門分野
(2018年03月15日「基礎研レター」)
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