2018年03月15日

民主主義の赤字としての中央銀行を誰が掌るべきか

上智大学経済学部 教授 竹田 陽介

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はじめに

洋の東西を問わず時を問わず、中央銀行とは「通貨の番人」である。通貨とは通常、法定通貨を指す。かつての金本位制の下で本源的貨幣であった金などの貴金属は商品価値としての貨幣であったのに対して、モノやサービスとの交換価値しか有さない貨幣が、現代における法定通貨というおカネである。しかし、現代におけるおカネは、法定通貨ばかりではない。ビットコインなど分散型台帳を利用した諸々の仮想通貨、中国のIT企業などが発行し信用評価を付与する機能を伴う決済通貨など、「情報」という形態をもつおカネが、機能を拡大し、範囲を拡張している。

中央銀行が通貨の番人ならば、わたしたちの法秩序を維持する法体系において要となる「憲法の番人」は、最高裁判所である。現在、わが国においては、最高裁判所長官は内閣が指名し、天皇が任命する手続きとなっているのに対して、中央銀行総裁は内閣の任命、議会の承認を必要とする違いがある。

しかしながら、英米を比較しても、民主主義における両者の社会的機能には多くの共通点が見出される。中央銀行は、物価の安定と金融システムの安定という貨幣経済の秩序をもたらす社会的使命の下、選出された中央銀行総裁および政策委員のメンバーが合議による集合的意思決定を行う。一方、三権分立の下、行政および立法から独立した司法を掌る最高裁判所では、法秩序を形成する法律や政令などが憲法に違反していないか最終的に判断する違憲審査権の下、選出された最高裁長官および判事が合議によって判決を下す。

最高裁長官の場合、国民審査による信認の手続きがあるが、わたしたちが直接、選挙により中央銀行総裁および最高裁判所長官を選出することはできない。国民審査さえない中央銀行総裁の場合、わたしたちが直接選挙によって選ぶ可能性が排除され、民主主義に対するわたしたちの期待が実際の政策に反映されない状態が許容されてきた。

90年代以降、中央銀行の政府からの独立性が高められる制度的変更が見られたように、中央銀行総裁の選出に関して、民主主義に関する市民の期待が実際の政策に反映されない状態を意味する「民主主義の赤字」1がなぜ許容されてきたのか。もし民主主義の赤字として中央銀行の独立性が許されるならば、貨幣の再定義が急がされる現代において、中央銀行総裁にもとめられる条件として何が考えられるか。
 
1 この言葉は元々、欧州統合が進む中で、欧州連合(EU)の決定機関に対する批判概念として生まれた。EU法は行政機関である欧州委員会や立法権を有する閣僚理事会が担っており、EU市民の直接選挙によって議員が選出される欧州議会の立法権限は限定的であるため、加盟国の国民の意思から離れているのではないかという意味で使われた。ここでは、中央銀行総裁の直接選挙による選出が認められていない点を指している。
 

1――インフレ・バイアスと直接選挙による選出

1――インフレ・バイアスと直接選挙による選出

フリードリヒ・ハイエクは、80年代後半に議論され始めた欧州における経済統合を予見し、結果として実現した単一通貨ユーロの発行を否定した、貨幣発行の自由化論を打ち上げた2。政治的な権力の影響を受け易い中央銀行の存在自体が、インフレの温床となっていると指摘し、各銀行が自由に銀行券を発行し、預金者が選択できる銀行券のうち、最も通貨価値の安定している、つまりインフレ率が平均して低い銀行券を貨幣として受容できるようにすることを主張した。現代のビットコインなどの仮想通貨の発行に通じる提案であった。

政府の貨幣発行特権に基づく貨幣鋳造益の乱用こそ、インフレの歴史である。この不幸を克服するためには、貨幣を自由に発行させる権利を銀行に与える必要がある。さまざまな銀行預金が貨幣として競争する中で、わたしたちが商品を購入する際、ある銀行預金の購買力が他の銀行預金に比べて安定していれば、その預金が貨幣として選択される。貨幣となる預金を発行する銀行は、貨幣としての預金の価値を高めるべく銀行の名声を維持しながら、預金発行量を調整する結果、貨幣価値の低下、つまりインフレが避けられることになる。

しかし、現実には、欧州において単一の中央銀行である欧州中央銀行が発行する統一通貨ユーロの導入に至るまでの道のりは、政治的な権威をもつ中央銀行を必要としない貨幣発行自由化論とは真逆の経緯を辿ったことになる。欧州中央銀行では、政策決定会合での採決が満場一致になるまで議論するのを原則とするため、金融市場との対話において、審議委員の間の意見の不一致が金融市場のかく乱要因となる。

金融政策をルールで縛るべきか、中央銀行の裁量に任せるべきかという80年代の議論は、今や学部生向けのマクロ経済学の教科書を飾っている。選挙を通じたポストの再選の確率を高める政治経済学的要因などのため、中央銀行総裁が代表する中央銀行家は、インフレが起こらない下で、非自発的失業のない完全雇用が労働市場で実現する自然失業率よりも低い失業率を目標とする傾向がある。この短期を重んじ長期を軽んず時間的不整合性と呼ばれる問題から、失業率を低め景気を良くするために、インフレを起こす。物価変動に伴う社会厚生上のコストのことをインフレ・バイアスと呼ぶ。社会厚生上望ましいゼロ・インフレの達成をわたしたち民間経済主体が信用するように、中央銀行家が約束(コミットメント)するルールが、インフレ・バイアスを未然に防ぐのに役立つ3

しかし、インフレ・ターゲティングの枠組みなど、実際の金融政策がそうであるように、中央銀行の金融政策をルールで縛ることはできても、わたしたちが低インフレの達成のコミットメントを信用することは難しい。なぜなら、インフレ・バイアスが存在するからである。現実の金融政策は、裁量に拠らざるを得ない。問題は、裁量の下で発生するインフレ・バイアスをどれだけ小さくできるかである。

インフレ・バイアスの大きさを決める要因のうち、中央銀行家の資質が関わるのが、物価変動の社会的損失をどれだけ大きく考えているかという中央銀行家の選好である。この物価変動に対する警戒の大きさを、提唱者の名前(Kenneth Rogoff)を冠し、ロゴフの保守主義と呼ぶ4。つまり、物価変動に対してより保守的な選好を持つ中央銀行家の裁量に任せる方が、社会的に見て望ましい金融政策が期待できることになる。

それでは、ロゴフの保守主義を満たす中央銀行家を如何にして選ぶことが可能であろうか。民主主義的手続きとして、選挙民の直接選挙に任せることが考えられる。しかし、選挙による手続きの下では、ロゴフの保守主義の程度が選挙民のもつインフレ警戒度の分布において、上からと下からの中位にある被選挙人が選ばれることになる。この中位者投票のメカニズムにより、社会的に望ましいロゴフの保守主義を標榜する被選挙人が世の中に存在するにも関わらず、中位にあるより望ましくない中央銀行家が選ばれる。直接選挙による中央銀行総裁の選出は、望ましくない。中央銀行総裁の選出について、「民主主義の赤字」が許容される理由である。
 
2 F.A.ハイエク『貨幣発行自由化論』(川口慎二訳)、1988年、東洋経済新報社。
3 Barro, R. J, and D. B. Gordon. “Rules, Discretion and Reputation in a Model of
Monetary Policy.” Journal of Monetary Economics 12(1) (1983), pp. 101-121.
4 Rogoff, Kenneth. "The Optimal Degree of Commitment to an Intermediate Target." Quarterly Journal of Economics 100 (1985), pp. 1169-90.
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