2018年02月05日

ECB利上げのタイミング-決め手は賃金かユーロ相場か金融安定のリスクか

経済研究部 常務理事 伊藤 さゆり

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1――高まる利上げ前倒し観測

ユーロ高が再燃している。ユーロ圏経済の拡大ピッチが加速、回復の裾野の広がりとともに、欧州中央銀行(ECB)の利上げ前倒し観測が強まっているからだ。1月30日公表の17年10~12月期の実質GDPは、前期比0.6%、年率2.3%だった。4~6月期、7~9月期の2四半期連続で前期比0.7%、年率2.9%を下回ったが、1%台半ばと見られる潜在成長率を大きく超える拡大が続く(図表1)。18年入り後の総合PMI(購買担当者指数)に代表される先行指標も軒並み強く、GDPギャップの解消は確実な情勢となってきた。
図表1 ユーロ圏実質GDP/図表2 ECBのフォワードガイダンスが示す緩和縮小の順序とFRB、ECBの動き
一部には、18年内の利上げ観測も浮上している。1月の政策理事会でドラギ総裁は「年内利上げ可能性は極めて小さい」としたものの、「現時点での経済指標に基づけば」という但し書き付きだ。これまで想定されていた以上の強い経済指標が相次いでいるのだから、利上げ前倒し観測が強まることは当然だ。ただ、さすがに18年内に利上げを前倒しすることは困難と思われる。
 

2――年内利上げが困難な理由

2――年内利上げが困難な理由

1フォワード・ガイダンスの大幅修正のリスク
年内利上げが困難と見る理由の1つは、金融政策の先行きを示すフォワード・ガイダンスの大幅な修正というリスクを伴うことだ。

ECBはフォワード・ガイダンスで、緩和縮小を米連邦準備制度理事会(FRB)と同じ手順で進める方針を示している。その手順とは、まず、今年1月から月300億ユーロに縮小し、9月末まで継続する方針を示している純資産買入れを、「2%以下でその近辺の物価目標に向けた調整の進展」を確認したところで停止する。利上げは、純資産買入れを停止後、「十分な期間」を置いてから着手する。さらに、FRBが昨年10月に開始したバランス・シートの縮小開始にも十分な時間を置くというものだ。資産買入れ停止から利上げ開始までの「十分な期間」という表現は曖昧だが、18年内は資産買入れ停止まで、利上げ開始は19年、バランス・シートの縮小開始は20年以降とおよそ3年半~4年遅れでFRBの後を追うと見るのが自然だろう(図表2)。

景気の回復とともに、金利に関するフォワード・ガイダンスの重要性が高まっており、次回3月8日に修正される可能性がある。だが、年内利上げに布石を打つような大幅な修正は考え難い。ドラギ総裁は、1月25日の理事会後の記者会見で、(1)緩和縮小の「順序」を変えないことと、(2)純資産買入れ停止と利上げの間に「十分な期間」を置くことを強調した。緩和縮小前倒し観測のきっかけとなった12月理事会の議事要旨(1月11日公表)でも、フォワード・ガイダンスの修正の議論は、先行きの突然で無秩序な調整のリスクを減らすために行う方針が確認されている。年内利上げを示唆するような大幅な修正のリスクは大きい。
2弱い賃金、インフレ圧力
18年内利上げ開始はないと考えるもう1つの理由は、賃金の伸びに加速感はなく、内生的な物価上昇圧力が高まっていないことにある。

ユーロ圏では、日米に比べて、雇用改善が大きく遅れたものの、ここにきて失業率の低下傾向が広く定着するようになった。17年12月時点の失業率は8.7%で、日米と異なり世界金融危機前の最低水準(7.3%)を上回っている(図表3)。それでも、EUの欧州委員会が推計する賃金上昇を加速させない失業率(NAWRU、17年8.6%)と概ね一致する水準には達した。失業率は水準の面では圏内のばらつきが大きいが、低下傾向は圏内全域に広がっており、直近の水準がNAWRUを明確に超える国はギリシャのみ。NAWRUを下回る国も少なくない(図表4)。

しかし、賃金上昇率に加速の気配はない。ECBが圏内の賃金動向の把握のため活用している指標を見ると、直近(17年7~9月期)で、労働コスト指数は前年同期比1.6%、一人当たり雇用者報酬で同1.7%、協定賃金指標が同1.5%。16年下期を底に僅かに上向いている程度だ(図表5)。ドラギ総裁は、1月理事会の記者会見で、この上昇が、協定に基づく給与ではなく、ボーナスや残業代などによるものであり、上昇傾向が定着するかどうか確信できない段階とした。

ドイツ連銀のバイトマン総裁は、ドイツ紙のインタビューで「物価目標に整合的な賃金上昇率は3%」と述べている。物価が目標近辺で推移していた2000年から2000年代半ばにかけては、一人当たり雇用者報酬が平均2.5%、協定賃金指標は同2.4%上昇していた。ECBが利上げの前段階とする資産買入れ停止の条件は、物価目標に向けた調整の進展であり、賃金指標の2%超えは必要ない。それでも、上向きのトレンドが定着するかどうかをもうしばらく見極めたいところだろう。
図表3 ユーロ圏の失業率/図表4 ユーロ圏の失業率とNAWRU
図表5 ユーロ圏の賃金指標/図表6 ユーロ圏の広義の失業率
ユーロ圏の低賃金、低インフレには様々な要因が働いているとされる1。生産性の伸びの低下、グローバル化、デジタル化の圧力、失業率に反映されない広義の失業の存在(図表6)、期待インフレ率の低下は広く先進国に共通する要因だろう。さらに、ユーロ圏固有の要因としてEU圏内の自由な労働移動、労働市場改革の進展による賃金決定方式の柔軟化なども働く。

雇用と賃金の動向が総じて改善に向かっているとは言え、水準や勢いには圏内のばらつきが大きい。労働コスト指数で見る限り、雇用がタイトなドイツの賃金上昇率は他の圏内主要国より高い(図表7)。それでも、賃金の伸びは期待を下回ってきた。バイトマン総裁は、先述のインタビューで、EU圏内からの移民の流入と労働組合が賃金交渉で労働時間や技能の向上など賃上げ率以外の条件を重視するようになったことが理由としている。
図表7 ユーロ圏と主要国の労働コスト指数/図表8 ユーロ圏企業の雇用見通し
 
1 内閣府「世界経済の潮流」の最新刊(2017年 II (平成30年1月16日))では「欧米先進国における賃金伸び悩み要因の検証」が行われている。
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経済研究部   常務理事

伊藤 さゆり (いとう さゆり)

研究・専門分野
欧州の政策、国際経済・金融

経歴
  • ・ 1987年 日本興業銀行入行
    ・ 2001年 ニッセイ基礎研究所入社
    ・ 2023年7月から現職

    ・ 2011~2012年度 二松学舎大学非常勤講師
    ・ 2011~2013年度 獨協大学非常勤講師
    ・ 2015年度~ 早稲田大学商学学術院非常勤講師
    ・ 2017年度~ 日本EU学会理事
    ・ 2017年度~ 日本経済団体連合会21世紀政策研究所研究委員
    ・ 2020~2022年度 日本国際フォーラム「米中覇権競争とインド太平洋地経学」、
               「欧州政策パネル」メンバー
    ・ 2022年度~ Discuss Japan編集委員
    ・ 2023年11月~ ジェトロ情報媒体に対する外部評価委員会委員
    ・ 2023年11月~ 経済産業省 産業構造審議会 経済産業政策新機軸部会 委員

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