コラム
2017年08月01日

調査から離脱した人の取り扱い-収集できたデータは、真実を物語っているか?

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

このレポートの関連カテゴリ

文字サイズ

医薬品開発では、新しい候補薬の効果をみるために、臨床試験が行われる。通常、臨床試験では、複数の患者や健常者に対して、候補薬を施して、一定期間後に、その効果や副作用の発生のデータをとる。その際、候補薬を投与した場合と、投与しなかった場合とを比較するために、形状や味などが候補薬とそっくりの対照薬(プラセボ)を用意する。そして、投与対象者を、無作為に2つの集団に分けて、片方には候補薬、もう片方にはプラセボを投与する。
 
一定期間後の効果や副作用を見る際に、留意すべき点がある。それは、臨床試験中に、候補薬またはプラセボの服用をやめる人が出てしまう点だ。これは、いくつかの要因で発生する。患者で、病状が変化したため、候補薬の服用を中止せざるを得なくなる人。別の治療法を行うため、臨床試験の対象から外れ、候補薬やプラセボの投与をやめる人。そして、候補薬またはプラセボの効果が現れないため、自発的に服用をやめてしまう人、などである。
 
これらの人を除外して、臨床試験の結果をまとめると、どうなるだろうか。得られたデータは、臨床試験を最後まで受けた、患者や健常者に限られることとなる。これは、一種のバイアスをもたらす。例えば、候補薬またはプラセボの効果が現れないため、自発的に服用をやめてしまった人が、試験データから除外されたとしよう。すると、残ったデータは、候補薬またはプラセボの効果が現れたと感じたため、服用を継続した人のデータとなる。候補薬とプラセボで、効果が現れたと感じた人の割合が異なれば、その違いが反映されたデータとなる。たとえ臨床試験開始時に、無作為に2つの集団に分けていたとしても、最終的に得られたデータの無作為性は、減ってしまっていることになる。
 
それでは、どうしたらよいだろうか。この問題に関して、薬学では、「インテンション・トゥ・トリート(ITT)解析」と呼ばれる方法が、有名である。これは、臨床試験の期間中に、何らかの理由で、対象から外れた人も、そのまま、候補薬またはプラセボの服用を続けたものとみなして、データ解析の対象に含める、という方法を指す。
 
ITT解析では、臨床試験当初の無作為性が最後まで維持されるため、離脱のバイアスを含まない。特に、プラセボを投与された人について、自発的に離脱した人のデータを、解析の対象に含めることとなる。そのため、実は候補薬に効果がなかった場合に、そのことを示す臨床試験結果の信頼度が高まるとされている。
 
しかし、実際にITT解析を実施するとなると、これは、容易ではない。臨床試験から離脱した患者や健常者の、その後の病状や副作用を、1人ずつ追跡調査する必要があるためだ。臨床試験を離脱した人の中には、死亡してしまっている人がいるかもしれない。また、住居や連絡先を変更していて、連絡がつかない人がいるかもしれない。更に、もし、連絡がついたとしても、離脱後の病状や健康状態の情報を、正しく教えてくれるとは限らない。その結果、実際には、離脱した人の、全てのデータが収集できないことが考えられる。
 
また、ITT解析では、離脱した人が多くなると、候補薬またはプラセボの投与継続について、みなしの影響が大きくなるという問題もある。例えば、候補薬とプラセボを、それぞれ100人に投与して臨床試験を開始したが、離脱する人が大量に出て、終了時には、候補薬は20人、プラセボはわずかに10人しか服用を続けていなかったとする。このような場合、離脱した人(候補薬は80人、プラセボは90人)を対象に含めて、データを解析したとしても、もはや候補薬の効果や副作用の分析を正しく行ったことになるのかどうか、疑わしい。
 
このように、ITT解析は、無作為性の維持の点では理想的だが、実施するのは大変だ。臨床試験結果を見る際には、そのデータ解析がITT解析で行われたものなのか、それとも離脱した人を除去して行われたもの(「パー・プロトコル解析」と呼ばれる。)なのかを、確認しておく必要があるだろう。
 
離脱した人をどのように取り扱うか、に関して、類似した話がある。第二次世界大戦中に、ハンガリー出身の統計学者エイブラハム・ウォルドが行った、アメリカ海軍の戦闘機に関する提言である。海軍は、戦闘から帰還した戦闘機の被弾状況の分析をもとに、被弾が多い箇所の補強をしようとした。これに対して、彼は、得られた情報は、被弾しても、何とか帰還できた戦闘機のものだけである。本当に補強すべきは、帰還できなかった戦闘機が多く被弾した箇所であり、それは、帰還した戦闘機では被弾が少なかった箇所であろう、との提言を行った。これは、分析から離脱したデータの取り扱いを考える上で、1つの慧眼と言え、オペレーションズ・リサーチの分野では、「選択バイアスの罠」として有名な話とされている。
 
どんな調査でも、通常、収集できたデータの分析は、入念に行われる。しかし、時には、調査から離脱したデータが真実を物語ることもある。そこに、思いを巡らせることも必要と思われるが、いかがだろうか。
Xでシェアする Facebookでシェアする

このレポートの関連カテゴリ

保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

(2017年08月01日「研究員の眼」)

公式SNSアカウント

新着レポートを随時お届け!
日々の情報収集にぜひご活用ください。

週間アクセスランキング

レポート紹介

【調査から離脱した人の取り扱い-収集できたデータは、真実を物語っているか?】【シンクタンク】ニッセイ基礎研究所は、保険・年金・社会保障、経済・金融・不動産、暮らし・高齢社会、経営・ビジネスなどの各専門領域の研究員を抱え、様々な情報提供を行っています。

調査から離脱した人の取り扱い-収集できたデータは、真実を物語っているか?のレポート Topへ