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- 明治の怪ジャーナリスト黒岩涙香の翻案小説『生命保険』を読んで-生命保険研究者の「生命保険」読書録-
コラム
2017年07月27日
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明治時代の有名ジャーナリストにして有名翻案小説家、黒岩涙香(るいこう)の短編翻案小説『生命保険』を読んだ。彼の作品群の中に『生命保険』という、私の職業魂をくすぐるものがあることは知っていたが、今般、近畿大学教授の稲葉浩幸氏が2006年に発表された論文『わが国生命保険業の黎明期と小説』1を読む機会があって、さらに読みたいとの欲求が高まった。
図書館から同作が収録されている『明治探偵冒険小説集1黒岩涙香集(ちくま文庫)』と『黒岩涙香探偵小説集Ⅰ(論創社 論創ミステリ叢書18』を借りて読んでみた。
1 『わが国生命保険業の黎明期と小説』生駒経済論叢 第4巻第2号 2006年12月
図書館から同作が収録されている『明治探偵冒険小説集1黒岩涙香集(ちくま文庫)』と『黒岩涙香探偵小説集Ⅰ(論創社 論創ミステリ叢書18』を借りて読んでみた。
1 『わが国生命保険業の黎明期と小説』生駒経済論叢 第4巻第2号 2006年12月
黒岩涙香について
まずは、『明治探偵冒険小説集1黒岩涙香集(ちくま文庫)』における伊藤秀雄さんの解説、『黒岩涙香探偵小説集Ⅰ(論創社論創ミステリ叢書18』における小森健太郎さんの解題、風間賢二著『怪奇幻想ミステリーはお好き?その誕生から日本における受容まで』、Wikipedia『黒岩涙香』2等を参考に、黒岩涙香の人となりを見ていく。
黒岩涙香(1862年【文久2年】-1920年【大正9年】)は、新聞、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した人、われわれの年代には懐かしさを感じさせる小説『巌窟王』を翻訳した人と言えば、分かりやすいだろう。
『萬朝報』では、時の権力者のスキャンダルやゴシップを執拗に追及するスタンスを貫いた。人気連載『弊風一斑蓄妾の実例』では、有名人の愛人関係を、愛人の実名・年齢やその父親の実名・職業まで暴露するという徹底ぶりだったという。このような報道姿勢から、本名の「黒岩周六」をもじって「マムシの周六」と恐れられた。また『萬朝報』が三面にスキャンダラスな社会記事を掲載したことが、「三面記事」という言葉の語源になったという。
このような反骨かつ大衆派のジャーナリスト黒岩涙香はまた、長短百編に及ぶ西洋の小説を独自の翻案というスタイルで翻訳した人でもある。涙香が翻案・執筆する連載小説が人気を博したことがまた新聞の売り上げ増に貢献した。というよりも涙香の小説執筆は新聞の売り上げ増を図るための方便であった。『萬朝報』明治26年5月11日号に涙香は『探偵譚について』と題して、「余はしばしば探偵談を訳したることあり然れども文学のためにせずして新聞紙のためにしたり・・・小説に非ず続き物なり、文学に非ず報道なり」と書いている。
涙香の翻訳・執筆スタイルは翻案。原文に忠実な翻訳と違って、翻案では逐語訳に縛られず、読みやすい文体で日本流の文章が書かれる。涙香は翻案にあたっては、原書を読んで筋を理解したうえで一から文章を創作していた、原書を一度読んだら、あとは二度とページを開かず、記憶にまかせて執筆するのだと言い切っていた、ということだ。
たとえば代表作の『巌窟王』はアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』を翻案したものであるが、そもそも表題が冤罪により地下牢に幽閉された男が悪者に復讐するという筋書きを端的にイメージさせる『巌窟王』へと変更されている上、主人公エドモン・ダンテスが団友太郎に、悪役ダングラールが段倉にと、登場人物の名前も日本名に変えられている。その一方で、外国の地名がそのまま使われている。文章は歯切れのいい日本語で執筆され、好評を博したという。
もう一つの代表作『嘻(ああ)無情』は、原作であるヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル(哀れな人びと)』という表題をあまりいじっていないように見えるが、より扇情的で日本人の記憶に長く残ることとなる名表題を生み出している。
なお、以上2作は、筋書きや設定は原作に忠実であるが、涙香の数ある翻案小説の中には、その雰囲気のみをいただいておいて後は翻案者の自由に、結末だって変更するよ、といったものもある。
涙香は青年時代に英語の勉強のために輸入された英語の小説を読み漁ったという。新聞に記事を書くようになってからも常に西洋の新聞小説へのアンテナを張り巡らせていたようで、それらの中から、おもしろいと思ったものを翻案という形で日本に紹介していった。著作権という概念はまだ希薄であった時代、翻案の素になった原作がどれであるのか、誰の作品であるのかが分からないものも多い。
黒岩涙香(1862年【文久2年】-1920年【大正9年】)は、新聞、『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した人、われわれの年代には懐かしさを感じさせる小説『巌窟王』を翻訳した人と言えば、分かりやすいだろう。
『萬朝報』では、時の権力者のスキャンダルやゴシップを執拗に追及するスタンスを貫いた。人気連載『弊風一斑蓄妾の実例』では、有名人の愛人関係を、愛人の実名・年齢やその父親の実名・職業まで暴露するという徹底ぶりだったという。このような報道姿勢から、本名の「黒岩周六」をもじって「マムシの周六」と恐れられた。また『萬朝報』が三面にスキャンダラスな社会記事を掲載したことが、「三面記事」という言葉の語源になったという。
このような反骨かつ大衆派のジャーナリスト黒岩涙香はまた、長短百編に及ぶ西洋の小説を独自の翻案というスタイルで翻訳した人でもある。涙香が翻案・執筆する連載小説が人気を博したことがまた新聞の売り上げ増に貢献した。というよりも涙香の小説執筆は新聞の売り上げ増を図るための方便であった。『萬朝報』明治26年5月11日号に涙香は『探偵譚について』と題して、「余はしばしば探偵談を訳したることあり然れども文学のためにせずして新聞紙のためにしたり・・・小説に非ず続き物なり、文学に非ず報道なり」と書いている。
涙香の翻訳・執筆スタイルは翻案。原文に忠実な翻訳と違って、翻案では逐語訳に縛られず、読みやすい文体で日本流の文章が書かれる。涙香は翻案にあたっては、原書を読んで筋を理解したうえで一から文章を創作していた、原書を一度読んだら、あとは二度とページを開かず、記憶にまかせて執筆するのだと言い切っていた、ということだ。
たとえば代表作の『巌窟王』はアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』を翻案したものであるが、そもそも表題が冤罪により地下牢に幽閉された男が悪者に復讐するという筋書きを端的にイメージさせる『巌窟王』へと変更されている上、主人公エドモン・ダンテスが団友太郎に、悪役ダングラールが段倉にと、登場人物の名前も日本名に変えられている。その一方で、外国の地名がそのまま使われている。文章は歯切れのいい日本語で執筆され、好評を博したという。
もう一つの代表作『嘻(ああ)無情』は、原作であるヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル(哀れな人びと)』という表題をあまりいじっていないように見えるが、より扇情的で日本人の記憶に長く残ることとなる名表題を生み出している。
なお、以上2作は、筋書きや設定は原作に忠実であるが、涙香の数ある翻案小説の中には、その雰囲気のみをいただいておいて後は翻案者の自由に、結末だって変更するよ、といったものもある。
涙香は青年時代に英語の勉強のために輸入された英語の小説を読み漁ったという。新聞に記事を書くようになってからも常に西洋の新聞小説へのアンテナを張り巡らせていたようで、それらの中から、おもしろいと思ったものを翻案という形で日本に紹介していった。著作権という概念はまだ希薄であった時代、翻案の素になった原作がどれであるのか、誰の作品であるのかが分からないものも多い。
短編翻案小説「生命保険」の概要
以上のように涙香の経歴等をまとめていて驚かされるのは、業績を成し遂げたときの年齢の若さである。明治期の有名人に共通することではあるが、『萬朝報』を創刊した1892年11月は涙香が30歳の時、翻案小説の執筆を開始したのは、1888年(明治21年)1月、25歳にして自由党の大衆紙『絵入自由新聞』の主筆であった時である。夕刊紙『今日新聞』に「法廷の美人」を掲載したところ、これが受けて涙香はたちまち売れっ子となり、以後、翻案小説を次々と発表していくことになる。
『今日新聞』は同1888年、朝刊紙『みやこ新聞』に衣替えし、翌1889年からは『都新聞』へと名を変えるのだが、涙香は同新聞に主筆として招かれ、記事を執筆する傍ら、翻案小説を連載していく。『都新聞』への翻案小説の執筆は、涙香が1892年に同社社長と衝突して退社し、『萬朝報』を創刊するまで続いた。今回取り上げる『生命保険』は『都新聞』時代の1890年、涙香27歳の時に連載された作品の1つである。
涙香は、長編の連載が終わると、短期間、短編小説を連載して、新しい月の初めから次の長編小説の連載をスタートするというようなスケジュール調整を行った。『生命保険』もそのような、つなぎの1作として、1890年初頭に連載された短編小説である。同年7月には、涙香の短編小説を集め刊行された『涙香集』に収蔵された。
「長編と長編の間に挟まれた作品ではあるが、かといって軽いだけの作ではない。前もって用意しておいたものであった。仲のよい若い男女が奇妙な殺人事件に巻き込まれるといった過程にサスペンスがあり、保険の犯罪に関心を示した佳編だから、昭和2年、新青年『夏期増刊探偵小説傑作集』中に再掲されている。(『明治探偵冒険小説集1黒岩涙香集(ちくま文庫)』における伊藤秀雄さんの解説より)」、「『涙香集』に収録された作品の中では、もっとも探偵小説味が濃厚で、涙香が翻案した短編の中でも名品の一つに数えられる。・・・そのサスペンス感は、涙香作品の中でも上質の出来ばえだ。原作は、中編のミステリー小説だろうか。(『黒岩涙香探偵小説集Ⅰ(論創社論創ミステリ叢書18』における小森健太郎さんの解題より)」と、評判は上々である。
私がこの作品でもっとも興味を感じるのはその発表時期である。わが国初の近代的な生保会社である明治生命が開業したのは1881年のことである。その7年後の1888年に帝国生命(現在の朝日生命)が、さらに1年後の1889年に日本生命と大日本生命(後、包括移転により消滅)が事業を開始した。涙香が『都新聞』に『生命保険』を発表したのは1890年、明治生命の開業から10年も経っていない。
このような時期に『生命保険』を提示された人々は生命保険の何たるかを分かっていたのだろうか。まずは、いわゆるネタバレになることをお許しいただいて同作のあらすじから見ていこう。
『今日新聞』は同1888年、朝刊紙『みやこ新聞』に衣替えし、翌1889年からは『都新聞』へと名を変えるのだが、涙香は同新聞に主筆として招かれ、記事を執筆する傍ら、翻案小説を連載していく。『都新聞』への翻案小説の執筆は、涙香が1892年に同社社長と衝突して退社し、『萬朝報』を創刊するまで続いた。今回取り上げる『生命保険』は『都新聞』時代の1890年、涙香27歳の時に連載された作品の1つである。
涙香は、長編の連載が終わると、短期間、短編小説を連載して、新しい月の初めから次の長編小説の連載をスタートするというようなスケジュール調整を行った。『生命保険』もそのような、つなぎの1作として、1890年初頭に連載された短編小説である。同年7月には、涙香の短編小説を集め刊行された『涙香集』に収蔵された。
「長編と長編の間に挟まれた作品ではあるが、かといって軽いだけの作ではない。前もって用意しておいたものであった。仲のよい若い男女が奇妙な殺人事件に巻き込まれるといった過程にサスペンスがあり、保険の犯罪に関心を示した佳編だから、昭和2年、新青年『夏期増刊探偵小説傑作集』中に再掲されている。(『明治探偵冒険小説集1黒岩涙香集(ちくま文庫)』における伊藤秀雄さんの解説より)」、「『涙香集』に収録された作品の中では、もっとも探偵小説味が濃厚で、涙香が翻案した短編の中でも名品の一つに数えられる。・・・そのサスペンス感は、涙香作品の中でも上質の出来ばえだ。原作は、中編のミステリー小説だろうか。(『黒岩涙香探偵小説集Ⅰ(論創社論創ミステリ叢書18』における小森健太郎さんの解題より)」と、評判は上々である。
私がこの作品でもっとも興味を感じるのはその発表時期である。わが国初の近代的な生保会社である明治生命が開業したのは1881年のことである。その7年後の1888年に帝国生命(現在の朝日生命)が、さらに1年後の1889年に日本生命と大日本生命(後、包括移転により消滅)が事業を開始した。涙香が『都新聞』に『生命保険』を発表したのは1890年、明治生命の開業から10年も経っていない。
このような時期に『生命保険』を提示された人々は生命保険の何たるかを分かっていたのだろうか。まずは、いわゆるネタバレになることをお許しいただいて同作のあらすじから見ていこう。
(2017年07月27日「研究員の眼」)
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