2017年07月04日

救急搬送と救急救命のあり方

保険研究部 主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員 篠原 拓也

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13――トリアージの課題

災害医療の実践における3Tのうち、トリアージは、最初に行われる重要なものである。しかし、そこには、いくつかの課題がある。その内容を見ていくこととしよう。

1|黒色タッグの判断は行いにくい
(1) 医師・歯科医師以外による死亡判断の適法性
黒色タッグを付けることは、傷病者が、死亡、もしくは生命兆候がなく救命の見込みがない、と判断することを意味する。このうち、死亡の判断に関しては、法律上、医師もしくは歯科医師のみに、死亡診断書(もしくは死体検案書)の作成・交付が義務付けられている58。死亡診断が許されていない看護師や救急救命士等が、トリアージの結果、傷病者を死亡と判断して、黒色タッグを付けることには、疑問の余地が残ることとなる。

(2) 救命の見込みがないとの判断の困難さ
そもそも、傷病者に生命兆候がなく救命の見込みがない、と判断して、黒色タッグをつけることは、難しい。当災害における医療提供能力・体制と、傷病者全体の病態を踏まえた上で、その傷病者を救命したり、搬送したりすることが、全体の不利益につながると判断される場合に、黒色タッグを付けざるを得ない場合もある。しかし、現実に、そのような判断を下すことは容易ではない。

例えば、複数の傷病者の中に、気道を確保しても呼吸が再開しない傷病者がいたとする。この場合、START法に従えば、黒色タッグと判断することになる。しかし、心肺蘇生法を十分に施せば、もしかしたら、奇跡的に蘇生するかもしれない。けれども、この傷病者に心肺蘇生法を行えば、その分、他の傷病者に提供する医療が失われ、その結果、避けられた災害死につながってしまうかもしれない…。

このように、医療資源をその傷病者に使うか、それとも他の傷病者に使うかは、相対的な判断を要する。即ち、同じ病態の傷病者であっても、他の傷病者の出現状況によっては、黒色タッグとなったり、赤色タッグとなったりすることがある。このため、その判断は、大変難しいものとなる。そして、トリアージ実施者の心理的な負担は、その分だけ、大きなものとなる。
 
58 死亡診断書(死体検案書)は、医師法及び歯科医師法により、医師及び歯科医師に作成・交付が義務付けられている(死体検案書を交付できるのは医師のみ)。死亡者が傷病で診療継続中であった患者で、かつ、死亡の原因が診療に係る傷病と関連したものである場合に死亡診断書が、それ以外の場合に死体検案書が交付される。なお、両者の様式は同一となっている。

2|トリアージタッグに判断理由等の記録を、十分に書き残すことは困難
トリアージ実施者は、傷病者を短時間で判断して、トリアージタッグへの記載や処置を行わなくてはならない。そのため、判断理由が十分に書き残されない恐れがある。また、トリアージタッグは、記載内容の訂正が起こることを前提としていない。このため、何回もトリアージを行う中で、判断が変わった場合、その経緯の記録が残らない恐れがある。更に、傷病者が、どの傷病者集積場所や救護所を経て、医療施設に搬送されてきたか(「トラッキング」と呼ばれる)が把握できないこともある。その他、トリアージ実施機関ごとに番号を付すため、実施機関が異なると、番号が重複してしまう、といった課題もある。

3|トリアージ区分は4つしかないため、同じ判定の傷病者でも優先度が大きく異なることがある
トリアージでは、緊急度・重症度に応じて、傷病者を4つに区分する。これは簡便ではあるが、同じ色に判定された傷病者の中で、治療や搬送の優先度が大きく異なるケースを生むことにつながりかねない。例えば、同じ赤色タッグでも、緊急度・重症度が高く、一刻も早く治療や、搬送が必要な傷病者と、黄色タッグよりは重症度が高いものの、全ての傷病者の中で最優先の治療・搬送が必要とまでは言えない傷病者が、混在することがある。

4|トリアージは軍隊を起源としていて、一般市民には、なじまないとの見方もある
そもそも、トリアージは戦時における軍人・軍属を対象とした軍隊のシステムであり、一般市民を対象とする災害医療には、なじまないという見方もある。 例えば、軍隊であれば、軍規などで、トリアージの過誤に対する補償ルール等が、事前に明確化されている。しかし、災害時の一般市民の傷病者に対するトリアージでは、このような過誤に対する責任問題は、事前に明確化されていない。

5|トリアージは法的課題が未解決となっている
トリアージは、災害の発生という切迫した状況下で、医療資源が限られる中、短時間で、多くの傷病者に対して行われる。トリアージの実施者は、現場に駆けつけた救急隊や、医師・看護師等の中から定まる。従って、医師以外の職種(看護師、救急救命士等)が、トリアージを行う場合もある。また、トリアージでは、迅速性が求められる。特に、一次トリアージでは、正確性よりも迅速性が優先される。このため、トリアージでは、過誤をゼロにすることは難しい。しかし、トリアージの法整備は、これまで、あまり進んでこなかった。以下では、トリアージの法的課題について、見ていこう。59

(1)善きサマリア人の法理
まず、そもそも災害医療に対して、法制度は、どのようなスタンスに立っているのだろうか。海外を見ると、災害医療では、「善きサマリア人(びと) の法理」によって、医療行為や救命行為に過誤があっても、行為者は免責される、との考え方がある。これは、新約聖書の話60に由来しており、災害や急病で人を救うために、無償で善意の行為をとった場合、誠実かつ良識的に行動したのであれば、失敗しても責任を問われない、とするものである。
 
図表43. 善きサマリア人の法理

この法理は、アメリカ、カナダ、オーストラリアなど英米法の国で浸透している。アメリカでは、50州全てと、ワシントンD.C.で、制定されている。ただし、免責となるのは、緊急の治療行為であり、トリアージまでが、免責となるとは限らない。

一方、ドイツやフランスなどの大陸法の国では、この法理は適用されていない。日本も大陸法を承継しており、善きサマリア人の法理の適用はない。

(2)トリアージの過誤
1) トリアージの刑事責任
トリアージの判定を誤った場合、刑事責任を問われることは、あるだろうか。例えば、赤色タッグと判定すべき傷病者に、誤って、黄色タッグの判定をしたことにより、搬送や治療の順番が劣後し、その結果、その傷病者が死亡した場合にはどうだろうか。この場合、業務上必要な注意を怠り、人を死亡させた、として、刑法の業務上過失致死罪が問われる可能性がある。

刑法は、正当な業務による行為は罰しない、としている61。そこで、トリアージは、この「正当業務行為」にあたり、違法ではない、と主張することが考えられる。しかし、トリアージが正当業務行為だとしても、その過誤までが正当業務行為と言えるかどうか、疑問が残る。同様に、トリアージは、他人の生命・身体に対する現在の危難を避けるためにやむを得ず行う行為であるとして、刑法の定める「緊急避難」62にあたり、違法ではないと主張することも考えられる。しかし、もし、トリアージが緊急避難と認められたとしても、その過誤については、緊急避難と認定されない可能性が残る。

2) トリアージの民事責任
トリアージの過誤に伴う、民事上の損害賠償責任についても、免れることは困難とみられる。

a. 過失による損害賠償責任
過失により、本来とは異なるタッグを付けた結果、治療の順番が劣後して、その傷病者に後遺症が残った場合、トリアージを行った人が、過失責任を問われ、損害賠償を行う必要があるだろうか。

平時の救急医療については、裁判所は、「担当医の具体的な専門科目によって注意義務の内容、程度が異なると解するのは相当ではなく、(略)二次救急医療機関の医師として、救急医療に求められる医療水準の注意義務を負う」と判断している63。この判断においては、患者が多種多様であること、十分な医療スタッフ体制がとれないこと、患者の情報が限られること、患者の病状が急変し得ること等の、救急医療の特殊性は、考慮されていない。即ち、救急医療の注意義務を、通常の医療の注意義務より軽減するとは判断していない。

災害医療については、平時の救急医療とは異なることが考えられる。しかし、上記の判例からは、災害医療においても、求められる注意義務の内容は、通常の医療と同様のものとなる可能性がある。

b. 緊急事務管理不適用による損害賠償責任
通常、トリアージ実施者と傷病者の間では、何も契約が締結されておらず、トリアージは事務管理64となる。これが民法上の緊急事務管理65に該当すれば、損害賠償責任を負うことはない。しかし、トリアージは、受傷者全体に対して行われるもので、特定の傷病者のために行われるものではない。そして、例えば、黒色タッグを付けることは、その傷病者の身体に対する急迫の危害を免れさせるための行為とは言えない。従って、緊急事務管理の適用は困難とみられる。

(3)トリアージを行う主体の権限
トリアージの主体についても、議論の余地がある。トリアージは、患者の緊急度や重症度を判断する行為であるから、一種の診断と考えられ、その場合、医療行為に該当する。医師法・歯科医師法によって、医療行為を行うことができるのは、医師・歯科医師のみに限られる。従って、看護師や救急救命士など、それ以外の人には、トリアージをする権限がないことになる。

しかし、現実の災害の現場では、看護師や救急救命士などによるトリアージが行われている。その際、法令(保健師助産師看護師法や、救急救命士法など)の解釈によって、適法とする説が提唱されているものの、現状では、法令上の根拠に疑念が生じる余地が残されている。

トリアージの過誤や主体について免責や保護の規定がない中で、実施者は、不安を抱えながら、トリアージに臨むこととなる。これは、活動の萎縮や、責任回避のための余計な行動の助長につながりかねない。その結果、避けられた災害死をなくす、というトリアージの目標を阻害する恐れもある。
 
59 本節の記述にあたり、「トリアージ-日常からトリアージを考える」山本保博・鵜飼卓監修、二宮宣文・山口孝治編集(荘道社, 2014年) 中の、「Chapter XI 災害医療におけるトリアージの法律上の問題と対策」(永井幸寿) を参考にしている。
60 [善きサマリア人に関する新約聖書の話(概要)] ある人が、エルサレムからエリコ(死海の北西部にある古代オリエントの古い町で、聖書に頻出)に下って行く途中、強盗達の手中に落ちた。強盗達は彼の衣をはぎ、殴りつけ、半殺しにして去っていった。たまたまある祭司が、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通っていってしまった。同様に、別の一人も、その場所に来て、彼を見ると、反対側を通り過ぎていってしまった。その後、旅行中であった、あるサマリア人が、彼のところにやって来た。彼を見ると、哀れみに心を動かされ、彼に近づき、その傷に、油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった。そして、彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れていき、介抱した。翌日、出発の際、そのサマリア人は銀貨を宿屋の主人に渡して言った。『彼を介抱してあげてください。これで不足ならば、帰りに私が支払います。』キリストは、当時の法学者に、この寓話を紹介した後、「この三人のうちで、誰がこの倒れた人の隣人であるか」と問う。そして、サマリア人こそが、隣人であるとの答えを得る。 (新約聖書「ルカによる福音書」第10章第25~37節 等をもとに、筆者作成。)
61 刑法第35条に規定されている。なお、正当業務行為の例として、ボクシング選手が試合で相手を殴る行為、が挙げられる。
62 刑法第37条に規定されている。
63 交通事故による負傷者死亡事案で、二次救急病院の脳神経外科の担当医が、頭部CT検査、胸部X 線検査は実施したものの、胸部超音波検査を実施しなかったことについて、二次救急病院の医師には、その具体的専門科目に拘らず、救急医療に求められる医療水準の注意義務を負うとして、当該医師の過失を認めた。(大阪高等裁判所, 平成15年10月24日判決)
64 民法第697条~第702条に、規定されている。事務管理の語義は、辞書では次の通り。法律上の義務なくして他人のために事務を処理すること。頼まれずにする立替え払いや人命救助の類。(「広辞苑 第六版」(岩波書店))
65 管理者は、本人の身体、名誉又は財産に対する急迫の危害を免れさせるために事務管理をしたときは、悪意又は重大な過失があるのでなければ、これによって生じた損害を賠償する責任を負わない。 (民法第698条(緊急事務管理))
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保険研究部   主席研究員 兼 気候変動リサーチセンター チーフ気候変動アナリスト 兼 ヘルスケアリサーチセンター 主席研究員

篠原 拓也 (しのはら たくや)

研究・専門分野
保険商品・計理、共済計理人・コンサルティング業務

経歴
  • 【職歴】
     1992年 日本生命保険相互会社入社
     2014年 ニッセイ基礎研究所へ

    【加入団体等】
     ・日本アクチュアリー会 正会員

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