2017年06月22日

成長するインドネシア生保市場と外資系生保の幸せな関係-市場活性化・高度化に貢献し覇権を達成-特色ある特約付きユニットリンク保険の販売-

松岡 博司

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1――成長が期待されるインドネシア生保市場

米国ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が発表したインドネシアの中間層・富裕層の増加見通しに関するレポート(2013 年 3 月)は、新興市場としての同国のたいへんな魅力を伝えていた。2013年に7,400 万人(人口の約30%)であった中間・富裕層人口が2020 年には 1 億 4,100 万人(人口の53%)へと倍増する。また驚くべきことに、調査に応えた人々の91%が経済的な安定を感じて暮らしていた。これは比較されたいずれの国よりも高い比率であった。66%の人々が、自分が親よりも良い暮らしを送ってきたと考え、71%の人々が、この傾向が次世代にも引き継がれると考えていた。

中間・富裕層が成長を続けるインドネシアは、今後絶好のビジネス機会をもたらす国となるだろう。
グラフ1 暮らしに経済的な安定を感じているか
中間・富裕層が拡大する市場は生保市場としても魅力的な市場である。インドネシアの2010年の中位年齢は26.9歳で、65歳以上人口比率が4.9%、15歳未満人口比率が23.5%と、人口構造が若い。インドネシアは、これから働き盛りを迎える国である。

こうした将来像と、現在の極めて低い保険浸透度を考えあわせると、インドネシア生保市場が将来性豊かな市場であると認めざるをえない。イスラム教徒が人口の87.21%を占めるという社会構造は、イスラム生命保険(タカフル)の発展に対する期待へとつながる。

本稿は、次代の巨大生保市場としての期待を集めるインドネシア生保市場で、早くも磐石の地歩を固めたかに見える上位外資系生保の動向を見るものである。

なお、インドネシア生保市場に関する計数面からの分析については、別途、松岡博司『インドネシアの生命保険市場-期待の生保新興市場インドネシアの状況-』保険・年金フォーカス2017年04月28日http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=55616?site=nliを参照いただきたい。
 

2――盛んな市場参入と競争

2――盛んな市場参入と競争

2015年末現在、インドネシアには55の生保会社が存在する。規制上、生保会社は内国会社、外資合弁会社のいずれかに区分される。内国会社33社、外資合弁会社22社である。

2015年の収入保険料シェアは、内国生保会社が32.7%、外資合弁会社が67.3%と、社数では少数派の外資合弁会社のシェアが内国会社のシェアを大きく上回っている。

表1は、1999年に取りまとめられた財団法人生命保険文化研究所の報告書『東アジアの生命保険市場』から1997年の収入保険料上位10社を抜粋したものである。表2はインドネシアの規制当局が発表している統計集『STATISTIK PERASURANSIAN INDONESIA 2015(OJK)』から2015年の収入保険料上位10社をランキングしたものである。
表1 1997年収入保険料による上位10社/表2 2015年収入保険料による上位10社
1|通貨危機を境に大きく変貌したインドネシア生保市場
1997年から1998年にかけて、アジアを混乱に陥れた通貨危機がインドネシアにも襲いかかった。通貨危機により大きな打撃を受けたインドネシアは、IMF(国際通貨基金)の関与を受けながら、経済構造改革・金融改革を進め、経済の平静を取り戻すとともに、政治体制の安定性も高まり、成長の時代へと入って行った。

通貨危機はインドネシアの生命保険市場にとっても大きなターニングポイントとなった。通貨危機により、インドネシアの生保業界は業績の低迷、赤字決算に陥った。幸か不幸か、生保の破綻処理法制が不備であったこともあって、破綻した生保会社は1社もなかった。しかし傷ついた生保会社が体制の立て直しを図ることは容易ではない。その後、インドネシアの生保業界は大きな変貌を遂げた。

通貨危機を経て、90年代初頭からインドネシア市場に参入していた外資系生保の一部はインドネシア市場から撤退したが、いくつかの外資系生保は市場に残留し、グループからの資本強化を受け、インドネシア政府とも連携し、規制の策定に関与し、新商品・サービス等の新機軸を導入し、市場を育て開拓し、勢力を拡大していった。インドネシア政府にも、外資参入を積極的に受け入れ活用する気運があった。

危機の後、インドネシア生保市場は急回復したが、それは、旧来のマーケットが景気回復の波に乗ってリバイバルしたものではなく、新しいマーケットの創造されたことによるものであった。この流れは、インドネシアの民族資本ではなく、外資系生保によってもたらされた。
2|1997年の上位生保会社のその後
1997年の上位10社のうち、2015年の上位10社にも顔を出している生保会社は、ブミプトラ1912、ジワスラヤ、マニュライフ、インドライフの4社である。

以下、1997年の上位10社のその後の動向を見る。
  • 1997年に25%のシェアを有する第1位企業であった内国生保ブミプトラ1912は、2015年には第10位に沈んでいる。同社は100年を越える歴史を持つインドネシア最古の民間生保会社である。通貨危機の傷が癒えることのないまま経営を継続、2000年代の新しい競争に加わることはなかった。2014年、経営健全性指標であるソルベンシー・マージン比率が所定の比率を下回っていることが判明し当局の指導下に入ったが、危機的な状況は回復することなく、資本支援先の確保にも難渋した。ようやく2017年2月に、自社と同名の子会社を設立して販売網等を移管、もともとのブミプトラ1912は、子会社の経営に参加する投資家コンソーシアムから資金支援を受けて、これまでに販売した生保契約の管理に専念する会社となった。これによりブミプトラ1912という名称は残るが、輝かしい長い歴史は途切れ、分断されることとなった。
     
  • 第2位のジワスラヤはインドネシア政府が株式を保有している国有生保会社である。確実なバックボーンがあるので、大きく沈むことはなく、2015年も第5位につけている。
     
  • 第3位のリッポーライフは、インドネシアの有力企業グループ リッポーグループの生保会社であったが、2004年にAIG(当時、現在はAIGグループから独立したAIA)に経営権が譲渡された。
     
  • 第4位のダルマラ・マニュライフは、アジア展開に積極的なカナダの保険グループのインドネシア子会社である。マニュライフは、その後も主導的な立場で事業を継続し、2015年は第7位となっている。
     
  • 第5位のインドライフは、有力企業グループ サリムグループに所属する内国生保会社である。厳しい変化によく対応し、2015年には第3位へと順位を上げている。
     
  • 第6位のシュー・ニューヨーク・ライフは、外資の参入をインドネシア当局が認めた際に第一陣として参入した米国ニューヨーク・ライフの子会社であった。親会社がその後経営戦略を転換し、アジア生保市場から撤退したことに伴い、インドネシア市場から撤退した。
     
  • 第7位のエカ・ライフは、有力企業グループ シナールマスに所属する生保会社である。1997年当時は、シナールマスとフィリピンの生保会社イヤラライフが50%ずつエカ・ライフの株式を保有していた。その後フィリピン側は資本を引き揚げた。今日、シナールマスグループには、三井住友海上との合弁生保会社であるシナールマスMSIGがあることもあってか、エカ・ライフの2015年順位は第34位となっている。
     
  • 第8位のブリンギン・ジワ・スジャートラは、マイクロファイナンスや中小・零細企業向けのファイナンスに特化した政府系銀行であるBRI (ラカット銀行)グループの生保会社である。2015年は第13位となって上位10社からはずれている。もともとはグループのBRIペンションファンドが株主であったが、2015年12月にラカット銀行が直接株主となる体制に変更された。
     
  • 第9位のセントラル・アジア・ラヤは、インドライフと同じく、サリムグループに所属する内国会社であるが、インドライフとは対照的に2015年 第24位へと沈んでいる。
     
  • 第10位のブミ・ASHI・ジャヤは、新しい競争に対応できず、2015年に経営破綻した。
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松岡 博司

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