コラム
2016年10月25日

文化としての「単位」-異なる社会の諸相

土堤内 昭雄

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われわれは日常生活の中でさまざまな単位を使う。法定計量単位としては、長さはメートル、質量はキログラム、時間は秒と定められているが、慣用的には旧来の尺貫法の単位も多くみられる。今でも炊飯器の容量は「〇合炊き」と表示される。「米1合」は大人が1回に食す量、「1石」は1000合でほぼ大人の1年分の食い扶持だ。ちなみにポンドも主食となるパン1日分の大麦の量から決まったそうだ。

昔の単位は身体尺と言われるように人間の体の寸法を起源としたものが多い。「寸」は親指の幅で、「尺」は親指と人差し指の間隔だ。テレビや自転車の大きさを表わす「インチ」という単位も、もともと親指の太さが起源らしい。インチのほかにもフィートは文字通り足の大きさから、マイルは歩幅から決まったもので、ヤード・ポンド法でも身体サイズから日常生活の単位になったものが多い。

アメリカに行くと、日本と異なるヤード・ポンド法が単位として使われていて戸惑うことがよくある。道路標識の距離や制限速度もマイル表示で、1.6倍してキロメートルで考える。肉などを買いに行くとポンドをおおよそ0.45倍してキログラムに換算する。ガソリンはガロンとリットルで表示されているが、スーパーで牛乳をガロン容器(約3.8リットル)で売っているのには驚く。

一番厄介なのが気温の表示だ。テレビの天気予報でカ氏(ファーレンハイト)を聞いても、まったくピンとこない。最高気温がセ氏35度以上は猛暑日でたまらなく暑く、零度では氷が張って身震いする寒さを実感するのだが、カ氏32度(セ氏の零度)と言われても、われわれにはほとんど寒さが伝わってこない。本来、暮らしの単位は生活上の実感と密接に結びついているからだろう。

外国語が上達するには、外国語のまま考えることが大事だと教わったことがある。外国で使われる異なる単位も、その単位が持つ生活実感や文化的背景を含めて理解することが重要ということだろう。言語学者の井上史雄さんが『外国語を本格的に受け入れるには、単語を覚えるだけでは済まない。頭の中の考え方まで変える必要がある』*と述べているように、言葉は文化の上に成立している。

以前ゴルフの距離表示がメートルに変更されたことがあったが、まもなく元のヤード表示に戻った。それも文化とのかい離があったからかもしれない。主に航空機の飛行距離はマイル、高度はフィート表示が使われるのは、航空業界が米国規準だからだろうか。国際的に共通する単位の使用は合理的で重要だが、日常生活に深く根ざした「単位」は、単なる数量以上の意味を持つひとつの文化だと思う。国内外のさまざまな「単位」から窺い知る異なる社会の諸相は興味が尽きない。
 
 
* 日本経済新聞「現代ことば考」(2016年9月18日)
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(2016年10月25日「研究員の眼」)

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