コラム
2016年10月18日

“自由”は、どこから来たのか-中欧の街角から(その3):プラハ

土堤内 昭雄

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中欧・チェコ共和国といえば、ドボルザークやスメタナが作曲した美しいボヘミアの調べを連想する。今もボヘミア地方には、チェスキー・クルムロフやテルチなど中世そのままの美しい街が残っている。首都のプラハは、中心部をヴルタヴァ川(ドイツ名モルダウ川)が流れ、西岸の丘陵地のプラハ城には旧王宮や聖ヴィート教会が、東岸には旧市街広場などが広がる。両岸をつなぐ15世紀初頭に完成したカレル橋の両側の欄干には、全部で30体の聖人像が並び、多くの観光客で賑わっている。

私がプラハを訪れた日は雨模様だった。建物を覆う花崗岩が黒ずみ、街全体が旧共産圏時代のやや暗い印象を引きずるものだった。2004年EUに加盟したチェコは、現在では有名ブランドショップも軒を連ねる欧州の一員だが、何か重いものを感じた。それは当日の天候のせいだけではなく、1968年「プラハの春」の挫折以降、「ビロード革命」が成功するまでの約20年間、チェコの多くの人々が共産党政権の下、個人の自由を奪われる息苦しい暮らしを強いられてきた歴史があるからかもしれない。

当時の生活を窺うことができる『コ-リャ 愛のプラハ』(1996年製作)というチェコ映画を観た。西ドイツに亡命を図るロシア人女性と偽装結婚し、秘密警察に監視されながら彼女の子どもを育てる初老音楽家の話である。チェコはドイツやオーストリアなど周辺国に抑圧されてきた過去がある一方、自らの文化・アイデンティティを死守してきた。チェコでマリオネット(人形劇)文化が盛んな理由は、マリオネットを通じてチェコ語やチェコ文化を守り、潜在的な国民の声を発してきたからだという。

1942年にアメリカで作られた映画『カサブランカ』は、フランス領モロッコを舞台にハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンが共演するラブロマンス映画だ。この映画に登場するドイツ抵抗運動家のチェコスロバキア人「ラズロ」のモデルが、『欧州統合の父』クーデンホーフ・カレルギーと言われている。当時のナチス・ドイツが台頭した欧州には、自由を求めてアメリカ亡命を図る大勢の人々がいたが、カレルギーは戦争のない欧州の平和と繁栄の実現に生涯をかけた人物だった。

チェコをはじめ中東欧の旧社会主義諸国がEUに加盟して10年以上が経過し、自由を謳歌しているようにもみえるが、その背景には自由を獲得するための長い闘争があった。前述のように「プラハの春」がソ連の軍事介入により阻止され、1989年の「ビロード革命」を経てチェコはようやく自由を手にした。多くの民主化運動の舞台となったヴァーツラフ広場をはじめプラハの街角からは、長年にわたり自由を求めてきたチェコの人々の声が聞こえてくるようだった。
 
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(2016年10月18日「研究員の眼」)

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