2015年12月29日

日韓比較(12):医療保険制度-その5 混合診療―なぜ韓国は混合診療を導入したのか、日本へのインプリケーションは?―

生活研究部 上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任 金 明中

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1――はじめに

1927年、制度の施行以降、 数多くの改正が行われてきた日本の医療保険制度において、最近最も注目されている議論の一つが混合診療制度の導入有無である。混合診療とは保険診療と保険外の診療を併用する制度で日本では原則的に禁止されている。一方、日本と同じく社会保険方式を基本とする医療保険制度を施行するなど日本の医療保険制度と類似するところが多い隣国韓国では以前から「選択診療」という名で混合診療を実施している。韓国の「選択診療」制度は、 まず特定の資格を満たしている医師を患者が選択、その医師から提供される保険診療と保険外の診療を利用する仕組みで、 保険外の診療に対する費用は全額患者が負担することになっている。

本稿では韓国における混合診療、すなわち「選択診療」制度の実施までの経緯と制度の内容、そして問題点や最近の改正内容を紹介することを主な目的にする。本稿の内容が今後日本の混合診療制度の導入議論において、少しでも参考となることを願うところである。

2――高い自己負担と低い公的負担比率

韓国の医療保険制度は日本より50年程度遅れて1977年に施行された後、1989年から国民皆保険制度を実施、現在に至っている。日本が医療保険制度の施行から国民皆保険の実現までに34年という年月がかかってことに比べると韓国の国民皆保険は12年と相対的に短い期間で実現された。韓国でより短い期間に国民皆保険が実現できた理由としては、(1)1986年上半期に史上初めて貿易黒字を記録した韓国政府が経済成長に自信を持ち1988年に公的年金制度を実施するなど社会保障制度を拡大・実施したこと、(2)1988年にソウルオリンピックを開催することになった韓国政府が対外的に国家の威信を高めるための戦略として活用したこと、(3)有権者の心を掴み、政権を維持しようとする政治的な目標達成のための手段として利用されたこと、(4)医療保険組合の統合論が国民皆保険の早期実施に寄与したことなどが挙げられる。

さらに、韓国政府は国民皆保険の早期実現のため、所得捕捉が難しい地域住民の保険料を最初から低く策定するなど、低保険料、低給付、低診療報酬といういわゆる3低政策を実施した。このような3低政策は国民皆保険の実現を成功させたものの、国民は医療サービスを利用する際により高い自己負担をしなければならなくなった。また、政府が低い診療報酬による医療機関や医師の収入を補填するなどの目的で実施した「選択診療」は、 国民医療費に占める私的医療費をさらに増加させる原因となった。

図1は、日・韓における医療費の公的負担比率(医療支出総額に対する公的医療支出の比率)の動向を示している。

韓国における医療費の公的負担比率は1977年に公的医療保険制度を実施してから段階的に増加しているものの、2006年以降は55%前後で足踏みの状態である。一方、日本における医療費の公的負担比率は2013年現在83.2%で韓国の55.9%を大きく上回っている。

韓国の医療費の公的負担比率が低い理由としては、(1)保険適用診療に対する患者の自己負担割合1が相対的に高いことと、(2)健康保険の保険給付が適用されない混合診療(選択診療)が許容されていることなどが考えられる。
図1 日・韓における医療費の公的負担比率の動向
 
1 自己負担割合に関しては、金明中(2015)「日韓比較(8):医療保険制度-その3 自己負担割合―国の財政健全性を優先すべきなのか、家計の経済的負担を最小化すべきなのか―」研究員の眼(2015年10月6日)を参照すること。

3――韓国における混合診療の現状

1混合診療制の歴史2

韓国では「選択診療制」という名で混合診療が実施されている。韓国における選択診療制度とは前述の通り、患者あるいは保護者が病院級以上の医療機関を利用する際に、特定の資格を満たしている医師を選択、診療を受けることを意味し、それによる追加費用は全額患者が負担する制度である。すなわち、患者に「医師選択」の選択権を与えて、健康保険が適用されない自由診療に対する費用を追加的に負担させる仕組みである3

韓国政府は、選択診療制を導入した建前の理由として「患者とその保護者の医師選択権を保障し、診療と治療に対する心理的な安定を伴うこと」を挙げているものの、制度を導入した本当の理由は、低く設定されている公的医療保険の診療報酬や私的医療機関に比べて相対的に低い公的医療機関の医療関係者の賃金を補填することにあった。

選択診療制度は、1963年に特別診療(以下、特診)という名前で国立医科大学の付属病院や国立医療院など国・公立の医療機関で制限的に実施された。その後特診制度は、医療機関の間の制度運営及び特診費における統一性の確保、患者の便宜と診療の効率性の向上を目指して1991年3月から病院別の特診規定を統合し「指定診療」という名称で民間医療機関まで拡大・実施されることになった。しかしながら、患者に対する診療費の過剰請求や指定診療の強要などの不当な行為によって、利用者の不満が高まると、制度施行の適正性に関する問題点が提起された。そこで、韓国政府は法的根拠に基づいていない保健福祉部令の「指定診療制度」を廃止し、2000年から医療法に基づいた「選択診療」制度を施行することになった。このことと伴い、選択診療が実施できる医療機関は病院4級以上の医療機関(総合病院、病院、歯科病院、漢方病院、療養病院)まで拡大された(表1)。一方で、医療機関における選択医師の割合の上限を2015年9月から「実際に診療が可能な医師」5の80%から67%(診療科目別には最大75%まで)に縮小した。

医療機関が選択診療として追加費用が徴収できる項目は、診察(漢方を含む)、入院(漢方を含む)、検査(漢方を含む)、影像診断及び放射線治療、麻酔、精神療法、処置及び手術(漢方を含む)、鍼灸、附缸治療6である。選択診療が担当できる者は、専門医の資格を認定されてから10年が経過した医師免許を取得してから15年が経過した歯科医師及び漢方医師、そして、専門医の資格を認定されてから5年が経過した大学病院あるいは大学付属漢方病院の助教授以上の医師、免許を取得してから10年が経過した大学病院あるいは大学付属歯科病院の助教授以上の歯科医師である。
表1 選択診療制度の歴史
 
2 金明中(2009)「韓国における混合診療の導入過程とその内容について」『月刊保団連』2009年06月号34-39Pを一部引用・修正。
3 医療法第46条に基づいて作られた「選択診療に関する規則」により運営されている。
4 韓国における「病院」とは、医師、歯科医師、漢医師が患者に医療を提供する施設のことで、医療法の定義では、患者30人以上の入院施設を有するものとされている。
5 実際に診療が可能な医師とは、(1)診療をせずに教育、研究に従事する者、(2)6か月以上の研修あるいは留学などで不在中である者を除いた者である。
6 附缸治療(カッピング・セラピー):附缸治療(カッピング・セラピー)とは、吸玉療法とも呼ばれる、伝統的な民間療法で、附缸(カッピングカップ)を患部に吸着し、引っぱる(吸引する)ことによって刺激を与えて血流の量を増やし、血の巡りがよくなるようにする治療法。
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生活研究部   上席研究員・ヘルスケアリサーチセンター・ジェロントロジー推進室兼任

金 明中 (きむ みょんじゅん)

研究・専門分野
労働経済学、社会保障論、日・韓における社会政策や経済の比較分析

経歴
  • プロフィール
    【職歴】
    独立行政法人労働政策研究・研修機構アシスタント・フェロー、日本経済研究センター研究員を経て、2008年9月ニッセイ基礎研究所へ、2023年7月から現職

    ・2011年~ 日本女子大学非常勤講師
    ・2015年~  日本女子大学現代女性キャリア研究所特任研究員
    ・2021年~ 横浜市立大学非常勤講師
    ・2021年~ 専修大学非常勤講師
    ・2021年~ 日本大学非常勤講師
    ・2019年  労働政策研究会議準備委員会準備委員
           東アジア経済経営学会理事
    ・2022年~ 亜細亜大学都市創造学部特任准教授
    ・2021年  第36回韓日経済経営国際学術大会準備委員会準備委員

    【加入団体等】
    ・日本経済学会
    ・日本労務学会
    ・社会政策学会
    ・日本労使関係研究協会
    ・東アジア経済経営学会
    ・現代韓国朝鮮学会
    ・韓国人事管理学会
    ・博士(慶應義塾大学、商学)

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