コラム
2010年07月12日

福祉における子どもと高齢者の非対称性 -なぜ老人手当ては問題にされないのか-

  遅澤 秀一

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子ども手当てに関する批判が止まない。大別すれば、高所得者にも支給するのはバラマキであるという主張、財源がないのに支給すれば結局は子どもの世代が負担することになるという財源論、少子化対策なのか、子育て支援なのか、景気対策なのか曖昧だという目的論、現金よりも現物サービスが欲しいという方法論等である。要するに、財源もないのに高所得者にまでばらまいて、どれほどの成果があるのかということのようだ。政策としては子ども手当ての理念をどこまで重んじるかということに帰着するだろうが、一つひとつの批判そのものには一理ある。

だが不可解なのは、子ども手当てに対してだけ、なぜこれほどまで風当たりが強いのかということである。たとえば、基礎年金の3分の1には税金が投入されている。少なくとも税金部分については、言わば「老人手当て」と呼んでもよいはずだが、これは所得や資産に関係なく支払われるバラマキである。子ども手当ての批判に照らして言えば、富裕層にまでばらまき、後の世代にツケを回し、消費性向が低い層に金を流すので景気対策にもならない政策が、何の批判もなく継続されているのである。また、年金以外の社会保障分野でも、基本的に賦課方式の考え方に基づいていれば、貧しい現役世代から豊かな高齢者への逆流が起こりうる。

賦課方式の福祉が成立するには二つの前提条件がある。第一は従属人口指数(従属人口の生産年齢人口(15歳から64歳までの人口)に対する比率)が安定していることである。逆に言えば、少子高齢化が進展するとねずみ講状態になってしまうということだ。第二に、経済が成長しその恩恵を受けることで、後の世代の方がより豊かであることである。この二つの要件は性格が異なる。前者は制度の存続可能性の問題だが、後者は制度の正当性の問題になる。つまり、貧しい現役世代から豊かな高齢者世代へと金が流れてしまうと、福祉としての正当性が無くなってしまうのだ。

前者は制度存続にかかわる問題なので関心も高いし、事実、度々制度改正も行われてきた。だが、後者はほとんど顧みられることがない。少子高齢化が進んでいるのは日本だけではない。アジア諸国には日本以上のスピードで高齢化が進んでいる国もある。移民の多い米国ですら、ベービーブーマーの高齢化に頭を悩ませているくらいだ。だが、高齢者と現役世代の経済的地位の逆転は、デフレが長期間続く日本でもっとも先鋭に現れる現象である。そのせいか、欧州の社会民主主義や北欧の福祉国家を理想とするリベラル派の中には、日本の現状をややもすると軽視して政策を語る人も多い。また、既得権を持つ団塊の世代以前の高齢者が強い政治力を持つことも一因だろう。結局、社会保障政策において、世代間格差は問題にされず、「老人手当て」が既得権化してしまうのである。

世代間格差の大きい日本では、福祉対象のスクリーニングに年齢を使うことはもはや不適切である。かりに賦課方式の福祉制度が弥縫策のパッチを当てることにより延命可能であっても、制度に正当性がなく社会正義に適わないのであれば存続させるべきではない。福祉とは豊かな人から貧しい人へと再分配を行い、強者が弱者に救いの手を差し伸べるものだという原則に立ち戻り、福祉のパラダイムを世代中立に転換すべきである。ましてや現役世代に負担のかかる増税を行い、それを高齢者福祉にあてるなどということが正当化できるはずもない。まず、高齢者へのバラマキを見直すことこそ喫緊の課題だとの認識を持つべきで、今後、高齢者数はさらに増加するのに、無駄の多い高齢者福祉を聖域化していては財政再建など不可能であろう。

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